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明くる日の


 2. 桜舞い散る

 突発性血小板減少紫斑病。
 血小板の数が普通よりも少ない以外は至って健康である渚の肉体。
 しかし、この病気により激しい運動は全く出来ずに、症状が重くなれば学校にも通えなくなる。治療の為に金銭的な負担も大きいだろう。
 以前弱気になった時、迷惑掛けてごめんなさい、と渚は泣きながら謝った記憶がある。
 渚は寝台に横たわりながら、毎日の様に見舞いに来ていた両親の顔を思い出していた。
 渚の父は外回りの営業職。会社の中でも常に上位を保持しているエリートだ。
 渚の母は服飾の仕事。働き始めて長いが、下積みを終えてようやく売り上げが伸び始めた。今が一番楽しくてやりがいのある時だろう。
 両親は先を見越して生命保険に渚を入れていた。使わないのが一番良いが、万が一の時の為なのだ。
 そうして効を為したそれは現在、渚の大事な治療費として活用されている。渚は何も心配する事なく治療に専念していればいいのだと、両親はそうして諭した。
 その時の両親の困惑顔は忘れない。
 当時、渚はまだ小学生だったのだ。そんな事を告げられた両親は一体どんな思いをしたのだろう。
 渚はそっと瞼を閉ざした。
(可愛くない子供)
 病室は二階にあり、遠くの景色まで見通せる。
 渚は気を取り直して体を起こすと窓へ視線を向けてみる。
 世間はすっかり色づいていて、気紛れな春風が窓を強く揺らす。どこから迷い込んで来たのかは分からないが、桜の花弁が空を舞っており、その風流な様子に渚は微笑みを浮かべた。
(桜吹雪が見たいわ)
 窓から見える範囲に桜の木は無い。
 今回入院する前、両親と南へ旅行して見た桜並木を思い出す。
 どこか憂いを含んだ、大人びた微笑。
「どこでそういう表情を身に付けるのかな、渚は」
 背後から掛けられた声に渚は瞳を瞠り、視線を巡らせて微笑んだ。
 いつの間に入ってきたのか、渚の担当医が傍にいる。少々呆れながらも体温計を手にして穏やかな笑顔を見せている。
「風悠来」
 渚は外に向けていた笑みを完全に払拭させると、歳相応に元気な声で笑顔を見せた。
 まだ研修中の風悠来であるが、誰よりも親身に渚の病室を訪れる。春風を運ぶような彼の雰囲気が、まだ外に出られない渚には嬉しい。
 年齢は大分離れているが、渚は年上の彼を遠慮なく呼び捨てにした。
「先生、だろ」
「”風悠来”って名前が気に入ってるの。”先生”だと味気ないじゃない」
 風悠来は呆れたように笑った。
「全く。他の先生方にもそう言ってるのかな、渚は」
 その言葉に渚は、ここぞとばかりに身を乗り出して告げた。
「風悠来だけよ」
 万感の想いを込めた筈であるのに、風悠来は渚の視線に気付く様子も無い。カルテを見ながら、楽しそうにただ笑うだけだ。そして、彼は顔を上げても渚の視線の意味には気付かず、体温計を差し出すのだ。動揺の欠片も見られない。
 渚は「今日も惨敗か」と軽い落胆を覚えたが、次の言葉に勢い良く顔を上げた。
「風がもう少し暖かくなったら、お花見にでも行こうか?」
 渚は体温計を受取りながら顔を輝かせる。
「他の子供たちにも声を掛けるから、きっと賑やかだぞ。今から楽しみだな、渚?」
「――風悠来の馬鹿!」
 超鈍感な新米研修医は、可愛らしい渚の膨れっ面に瞳を瞬かせるのだった。  

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