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明くる日の


 3. 勿忘草

「渚、それは?」
 カルテを持ちながら入ってきたのは風悠来だった。
 彼は窓辺に置かれている、見慣れない切花に軽く驚く。
 最近では誰も渚を見舞いに来る者がいなかった為、誰が置いたのか不思議に思ったのだろう。
 渚は淡々と受け止めた。
 細かな蕾を精一杯咲かせて、まるでレースの総編みを見ているようだ。
 何重にも薄い花弁を広げる花達の中には、淡く桃色に色づいた種類も混じっていて見る者の目を和ませる。
 ――両腕一杯に抱えられそうな勿忘草《わすれなぐさ》は、切花として花瓶に活けられていた。
 渚の視線は勿忘草の花瓶から一度も外れない。
 風悠来に向かう事も無い。
 ただポツリと呟いた。
「さっき、由紀君のお母さんが来て、これを飾ってくれたの」
 淡々とした声に沈黙が生まれた。
 渚は背後で気まずそうにしている風悠来の気配を感じる。
 言い淀み、きっと視線を彷徨わせているのだろう。渚には見なくても簡単に想像出来た。
 渚の視線は相変わらず勿忘草から外れない。
 いつもなら、風悠来を見ないなど有り得ない事だけれど、今だけは。
 渚は以前同室だった、小さな男の子の存在を思い出しながら、勿忘草を見続けた。
 切花として飾られても、一杯に伸びて小さな花を咲かせる勿忘草。
 その花言葉は、”私を忘れないで”。
 由紀の笑顔を思い出して、渚は小さく、唇だけで笑い顔を作った。  

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