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明くる日の


 【クリスマス】

 今日は河野病院のクリスマスパーティー。
 小児科病棟の大ホールに入院患者が集められ、そこでは様々な催し物が行われている。大きな病院なので幾つかの科や棟に分け、どこの場所でもそれぞれに賑わいでいた。
 風悠来や他の研修医たちも集められ、歳が若い彼らは場を盛り上げる為に積極的に参加させられている。
 可愛らしい子供たちの寸劇に喝采を送り、研修医たちの紙芝居に笑顔を送り。
 一番新米である風悠来による、間違った歌詞での「森のくまさん」に、渚は他の子供たちと一緒に笑い転げた。
 夕食を終えてから開かれたクリスマスパーティーも中盤に差し掛かる頃だ。
「あ、雪だ……」
 周囲の熱気に少しのぼせ、窓へと離れていた渚は声を上げた。
 綿菓子が広がったような空からは、真っ白な切片が振り落ちてきている。
「雪?」
 思わず上げた渚の声に、丁度舞台から下りてきたばかりの風悠来が寄ってきた。舞台では地元幼稚園のお遊戯が始まろうとしている。
 パーティーでの役目は殆ど終えたらしく、風悠来は余裕を持って近づいてきた。
 渚はそんな風悠来の姿に笑みを零し、再び視線を空へ向ける。
「――風悠来はどうして雪が降るか知っている?」
 窓越しに空を見上げたまま、渚は訊ねる。
 風悠来は窓越しに渚へと微笑んだ。
「勿論」
 院長の意向でサンタクロースの扮装をした彼は、真っ白な口髭を付け心地悪そうにもぞもぞと動かす。彼が出演する全ての催し物が終わった今、いっその事外してしまえばいいのだが、風悠来は何とかそれを付け続けている。
 ここには夢を膨らます子供たちが沢山いるから、今日が終わるまで彼はサンタクロースの格好をし続けるのだろう。
 渚は窓越しに風悠来を見ながら誇らしく胸を張った。
「雪を降らせる雲は、小さな氷の粒が集まって出来ているんだ。雲が出来る上空は、渚がいるこの場所よりももっと寒いからね。そんな冷気に冷やされて、普段は水の粒になって落ちる筈の水蒸気は、氷の粒にくっついてしまう。そうやって段々氷の粒は大きさを増して、氷の結晶を作って――溶けずにいるものが、雪として降って来るだよ」
 まるで理科の講義をしているような風悠来の説明口調に、最後まで聞いていた渚は軽く笑った。
「風悠来にはロマンが無いわ」
 瞳を丸くして驚く風悠来に、渚はもう一度笑う。
 窓を見つめて一度瞬きをする。
「女性は雰囲気を大切にする生き物よ。誰にでも同じようにしか聞こえない講釈なんて、最初から望んでいないわ」
 クリスマスパーティーももう終盤である。
 パーティーの前半部分で配られていた小さなプレゼントを胸に抱えて、渚は風悠来を振り返った。
「雪は全ての色を反射するの。光は混ざると白になるわ。私たちの目に映る雪は白く見えるけど、本当は何にも染まらない透明で、透明が地面を覆い隠すのよ。不思議よね。雪はね、本当は見えているのに見えないと思ってしまう人の心と同じ。――雪が溶けたら春になるけど、人の心が溶けたら何になるのかしら……雪は溶ける為に降るの。人の心だって、きっといつか溶ける為に降り積もるの」
 私の想いも、きっといつか。
 渚は最後だけを、小さく口の中で溶かし消した。
 結露した窓は冷たくて、触れれば心まで凍えてしまいそうである。
 少しして、渚の背後で風悠来の嘆息が洩らされた。
「渚の感受性にはいつも驚かされるよ」
 優しい声は渚の鼓動を跳ね上がらせる物で、更に風悠来は渚を包み込むように後ろに立った。窓ガラスに添えていた渚の手に、被せるように風悠来の大きな手が添えられる。
 風悠来は渚の手を傷めないように力を加減して窓から離し、クルリと渚の体を反転させた。渚は胸に抱いていたプレゼントを落としかけて慌て、風悠来に助けられる。渡された。
「渚の心には雪が積もってるの?」
 覗き込まれた渚は、心臓が悲鳴を上げる声を聴いたと思った。嬉しい反面、恐怖を覚えて混乱する。温かな熱が手の平から伝わってきて、その距離に頭が爆発しそうだった。
 舞台では最後の催し物がされていて、部屋の隅にいる二人には誰も気付かない。
 渚は何と答えようか躊躇い、唇が震えた所で風悠来が笑う。
 風悠来は掴んでいた渚の手を解放すると、折っていた腰を伸ばして爽やかな笑顔を見せた――とはいえ、その口にはサンタクロースの白髭がついていて、頭には真っ赤な帽子がくたびれたように乗っかっていたので少し可笑しい。
 つられて渚も笑みを零した。
「何か悩んでるなら先生に言えよ? 何でも相談に乗るからな」
 他ならぬ風悠来の事で悩んでいるのよ――と告げたら、風悠来はどんな顔をするだろうか。
 渚は、子供をあやすように頭を撫でられて複雑に見上げた。唇を引き結ぶ。
 河野院長先生から貰ったプレゼントを胸に抱き締めると、箱は小さくキシリと軋む。
 ――少し前から降り出した雪は次の日まで降り続き、一面真っ白な雪で地面を覆い隠すのだった。  

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