第二章

【一】

 アリカたちが歩いている場所は荒野だった。
 正確には“森だったであろう荒野”だ。痩せ細った木々が点々と存在している。茂らせる葉を一枚も持たず、分かれた枝は広がることもなく途中で折れている。力を込めて叩けば幹から簡単に折れてしまいそうだ。
「歩きだとさすがに遠いんだよな」
 死が充満する森を抜けてしばらく歩いた頃だ。乾いた空気の中でジュナンが呟いた。
 地面ばかり見ていたアリカは顔を上げ、視線の先に、とある物を発見して双眸を瞠った。振り返ったジュナンがそんなアリカの様子を見て笑う。得意げな笑みだ。
 アリカが見たものは、かつて荘厳さを湛えていたと思われる森の一端だった。
 天を貫くような大樹。
 大樹の背後には青々とした森が広がっている。今まで見たどの木々よりも生命力を感じさせた。まるで大樹が森の入口のようだ。
 近づいたアリカはその存在感に圧倒されてしばらく声も出なかった。
「この樹はまだ、生きてるの……?」
 恐る恐る手を触れる。
 荒れた大地に現れた一つの聖域。大人が何人囲めばこの大樹を包むことができるのだろう、とアリカは見上げる。苔生した幹は仄かに温かくアリカの手を包み込んだ。微笑みを浮かべるジュナンの足元にまで苔は広がり、小さな命が咲いていた。
 アリカは表す言葉も浮かばないほど心を揺さぶられていたが、それを見ていたジュナンは不意に笑みを崩して視線を飛ばした。枯れた大地の遠くへと。
「時間の問題だけどな」
 アリカの脳裏に初めて見た腐敗した森の様子が甦った。
 枯れた大地も哀しいが、腐敗した大地は哀しいを通り越して恐ろしい。毒々しく思える。あの大地はゆっくりとだが着実に広がっているのだという。かつてはこの大樹を囲む一つの森だったというが、とても想像できない。あのような森が広がるのには生理的な嫌悪感を覚える。
 いまアリカが触れている大樹も、いずれはそうなる運命なのか。
 手の平から伝わる熱を物寂しく感じながら、アリカは瞳を閉じた。
「私、貴方の前にも人に会ったわ。助けて貰ったの。お礼を言うこともできなかった」
 あの時は正気ではなかった。状況を確かめるだけで精一杯で、お礼の言葉など浮かびもしなかった。それが酷く悔しい。
「他にも人が?」
「私のことを知っていたみたい。誰なのかは良く分からないけど……」
 ジュナンは思案するような表情をして首を傾げた。しばらく待ったが、答えが返る様子はない。アリカは諦めてもう一度大樹を見上げた。葉を茂らせた枝は四方八方に伸びていたが、木漏れ日が落ちてくることはない。太陽自体が存在していないのだ。深い闇に似た、暗澹とした雲が空を覆っている。それが陰鬱で、二度と空を見上げたくない気持ちにさせられるのだが、この大樹の下に来るとまた違った思いが込み上げる。空の暗澹を払拭するように大樹の葉の一枚一枚が燐光を放っていた。深呼吸すると、空気に乗って大樹の神気が体に流れ込み、体の末端までも浄化されるような気がした。
「支配が広がるって」
「そういう話は中でしよう。あまり気持ちのいい話題じゃないからな。もてなしはできないけど」
 まだ考え込んでいたらしいジュナンはその言葉に顔を上げた。小さな笑みを見せて提案する。
「なか?」
「ああ。中さ」
 アリカの言葉を途中で遮って頷いた。
 首を傾げたアリカを手招きし、大樹の背後に回りこんだ。後を追いかけたアリカは思わず感嘆する。
「ここから中に入れるんだ」
 反対側の幹には大きな洞が口をあけていた。ジュナンは慣れた様子で中へ飛び込んでいく。アリカも同じように中へ飛び込もうとしたが、暗くて距離がどの程度あるのか分からず戸惑った。不慣れなまま飛び降りたら怪我をしてしまうかもしれない。
 足元に木の蔓で編んだ梯子がかけられていると気付き、恐る恐る足を踏み入れた。
 下りてみればかなり広い。薄暗いが、天井にあいた穴から外の光を取り込める。太陽に照らされればかなりの明かりを見込めるだろう。
 内部を観察していたアリカは、外から降りてくる梯子の他に、さらに下へ続く梯子に気付いた。根はかなり深いようだ。
 外から入る光は少ないが、中は仄かな明かりで満たされている。不思議だったが、茂らせている葉と同じ光を感じたため安心できた。ガッシリとした樹の壁からは温かさを感じる。外の冷気は微塵も入り込んでこない。ごく稀に涼やかで気持ちのいい風が、どこからか吹き込んでくるだけだった。
 まるで童話の世界に入り込んだように優しい色調と存在。
 ひたすら感動するアリカを、先に降りていたジュナンは面白いものでも見つけたかのような視線で見守っていた。
「ここは貴方の家なの?」
 訊ねた瞬間、ジュナンは面白いほど固まった。心なしか表情も強張る。
 ジュナンは視線を彷徨わせ、迷うように唸るとアリカに近づいた。耳元に、囁くように顔を近づける。
「借りてる家……みたいなものだ」
 小さく告げられた瞬間。
 アリカはジュナンの背後に人が現われたのを目撃した。
「誰が貸したって?」
 険しい表情と剣呑な声で、現れた人物はジュナンの頭を容赦なく殴る。間近で聞いたアリカが首を竦めて顔を背け、瞳を瞑るほど痛そうな音がした。
「ジュ、ジュナン!」
 殴られた勢いでアリカに倒れ込んだジュナンは支えながら振り返る。
「お、起きてたのか」
 よほど痛かったのか瞳は涙ぐんでいた。引き攣った笑みを浮かべながら振り返る。
 アリカは訳が分からずに眉を寄せた。
 一方、ジュナンを殴った青年は極上の笑みを浮かべて「ああ」と頷く。
「お前の気配が近づけば寝ていても起きるさ」
 その台詞は甘いものではなく。
「この前みたいに、ぼや騒ぎを起こされても困るんでね」
 笑顔なのに寒い気配。どす黒い殺気が放たれた。
 ジュナンは無視して「ああ、あれね」と呟いた。頬が引き攣っているかに見えるのは気のせいだろうか。
 口を開いてもいいものか、迷っていたアリカは緊張した。青年の視線が自分に向けられたのだ。しかしジュナンに向けた敵意を欠片も残さず、彼は驚くアリカに爽やかな笑みを見せた。アリカに支えられていたジュナンを容赦なく突き飛ばす。
「君がアリカだね? 大変な目に遭ったそうだね。でも、ここにいる限りは安全だから」
「なんで私の名前――」
「俺が精霊で、人の心を読めるとしたら、それは難しい質問ではないよアリカ」
 心持ち体を引いたアリカに、彼は胸を張って腰に両手を当てた。
 瞳を丸くするアリカへ彼は意味ありげに笑う。
「もちろん、読んだのはこの馬鹿のだけどね。君の心を読むような礼儀知らずはしないよ」
「プライバシーの侵害だ!」
 叫んだジュナンの声は黙殺された。
「精霊……?」
 優しい大地の色をした髪を揺らせて彼は頷く。
「この樹の精霊、ルエ。今はこの森で唯一の生き残りさ」
 言葉を続けたのはジュナンだった。突き飛ばされた際についた砂を払い落としながら肩を竦める。

 唯一の生き残り

 アリカの前でルエは少し寂しそうに笑って頷いた。
「改めてよろしく」
「あ、アリカです。よろしく」
 差し出された手を握り返し、握手する。けれどいつまでもルエはその手を放そうとしない。アリカが困惑する目の前で、ルエは殴られた。
「アリカが困ってるだろうが!」
「ひどいなぁ。がさつな奴らが多いなかで久しぶりの女性なんだ。いいじゃないか、少しくらい」
 精霊にも「殴られて痛い」という感覚はあるのか。殴られた頭をさすってルエは唇を尖らせる。まるで子どものように感情を表すのだな、とアリカは頬を緩めながら思った。
 口許に手を当てて笑いを噛み殺すとジュナンもルエも振り返り、困ったように顔を見合わせて苦笑する。そして気を取り直したように、ルエはもう一度アリカに向き直った。
「さて、アリカ」
 それは今までと違い、少しだけ真摯な声だった。アリカは背筋を伸ばす。
「君はここにいるためにトゥルカーナを救いたいと言ったそうだね。危険じゃなくする、と」
「あ、はい」
「具体的にはどうするつもりだい? 君に何ができる? 何かできると思っているの?」
 拒絶とも取れる言葉にアリカは声を失った。それまであった温かな気持ちが壊された気がして顔を俯ける。大それたことを願ってしまった自分が、ひどく惨めに思えた。
「まずは仲間を捜す」
 答えたのはジュナンだ。アリカは救われたように息を吐き出す。
 ルエはアリカから視線を外し、少しだけ地を蹴ると空中に浮いた。そのまま静止してジュナンに体を向ける。
「フラッシュたちのことか」
「ああ。あの戦乱の中で逸れてしまったけど、彼らなら生き延びているはずだ」
 ジュナンの真剣な声に、ルエは微かに鼻を鳴らせる。
「お前でも生き延びているくらいだからな。彼らほどの者なら、その可能性は高い」
「フラッシュたち……?」
 ルエに反論しようとしたジュナンだが、アリカの呟きに口を閉じる。視線が迷うように彷徨ったが直ぐに戻された。
「トゥルカーナで最高位の戦士だよ。王族専属の騎士たち。王から直々に武器を与えられている。それさえあれば“あいつ”を倒すことが可能かもしれない」
 ついでに、とジュナンは囁く。
「俺だってその最高位の戦士なんだよな」
「しかしお前は武器を失くした」
 ルエの声が冷たく響く。ジュナンはアリカに見せていた得意げな笑みを瞬く間に消して、声を詰まらせた。
「し、仕方ないだろう。あんな中じゃ宝物庫にまで行く余裕もなかったんだよ」
「王から与えられた栄えある武器をなんだと思ってるんだか」
「うーるーせーえっ。あいつらが俺の分まで持ち出してることに賭けるぜ俺は!」
 人任せな発言にルエは呆れ「どうでもいいが」と首を振る。
「やるなら早くしてくれよ? 俺が腐る前に救ってくれるとありがたいんだがな」
 そんな言葉にアリカの方がドキリとする。ここへ来るまでに見てきた腐敗した森が脳裏に甦り、刻む鼓動は早くなる。
 彼らは軽く笑っているが、ここだって完全に安全な場所ではないのだ。それでも笑っていられるのは彼らの強さなのだろうか。
「しかし捜すと言ってもなぁ。どこから捜せばいいのか。アリカがいた森はもう捜索済みだしな」
 考え込むジュナンの言葉に、ではジュナンがあの森にいたのは仲間を捜すためだったのかと納得した。それでは助けてくれたあの女性も、もしかしたらジュナンが知る仲間だったのだろうかと思った。やはりもう少し話をしていれば良かった、と後悔が強く湧き上がる。
 沈黙が落ち、漂い始めた暗い雰囲気をかき消すように、明るい可憐な声が割り込んできた。
「仲間を捜すならイオの森がいいわ」
 その場にいる誰の声でもなかった。
 三人は一斉に振り返る。入口から顔を覗かせているのは幼い少女だ。上から覗き込むように、彼女は身を乗り出していた。アリカたちと視線が合うと可愛らしく微笑む。
「こんにちは。イオの森ではコルヴィノが生き延びていたわよ」
 外から逆光を受けて影が落ち、髪留めとなっている宝石が淡い光を集めている。青紫に眩しく光る。小さな体に巻きつけた外套を翻し、彼女は梯子も使わずに飛び降りてきた。
 アリカは思わず目を瞠って腕を伸ばそうとしたが遅い。彼女は危なげなく、アリカの側に降り立った。ルエが息を呑んで驚愕した。
「ルエ。お前の知り合いか?」
 敵かと身構えていたジュナンだが、少女に敵意がないことを悟ると肩から力を抜いた。少女を指差して問うとルエに手を叩かれる。ルエはそれまでとは打って変わって蒼白となり、信じられないように瞠目した。
「お前、馬鹿かっ?」
「なんだよ」
 突然の馬鹿呼ばわりにジュナンは唇を尖らせたが、ルエは遠慮などしなかった。
「馬鹿でなければ無能だ! あの子は」
「ルエ!」
 何を言いかけたのか。ジュナンに掴みかかったルエの言葉を、少女は大声で遮った。振り返る皆の視線を受けると少女は笑う。唇に人差し指を当てて、可愛らしく「しぃっ」と微笑んだ。
 ルエとジュナンは呆気に取られる。
「貴方、誰なの?」
「パルティアよ」
 しゃがみ込んで訊ねたアリカへ、少女は跳ねるように体を向けて告げた。体中から元気が溢れ出しているような少女だ。
「パルティア?」
「ええ」
 嬉しそうに笑う彼女だが、なぜかアリカは違和感を感じて首を傾げた。けれどその正体は分からない。首を傾げるアリカをルエが見つめたが、その視線にも気付かない。
 パルティアはジュナンに近寄ると真剣な表情で見上げた。およそ幼い少女とは思えない思慮に満ちた瞳だった。
「仲間を捜すのなら、イオの森に行くのよ」
「そういえばさっき、コルヴィノが生き残っているとか……?」
 どうしたらいいのか慣れないように、ジュナンは自分の背丈の半分ほどしかないパルティアを戸惑うように見下ろした。
「生きているのか……?」
 少しだけ不審な瞳で尋ねたジュナンにパルティアは瞳を翳らせる。苦しげに眉を寄せると小さな頭をうな垂れた。洩れたのは『否』の言葉。
「コルヴィノたちは、たった一人を除いて全滅したわ」
「そう、か」
 パルティアの声が沈み、ジュナンの声も沈む。アリカは漂う痛みに瞳を歪めながら声を挟んだ。
「でも、まだ誰か生き残っているかもしれないよね? 行ってみよう、ジュナン」
 それに、一人を除いて全滅したというなら、生き残ったその一人は確実にその森にいるのだ。
 アリカの言葉にパルティアは笑みを零した。
「私もそう思う。全部回ったわけじゃないから可能性はあるよ」
 ジュナンは真剣なアリカの表情を見返して何を思ったのか、哀しみに曇らせていた表情を少しだけ晴らせて笑った。
「ああ。行ってみるか」
 アリカも表情を明るくさせる。希望が湧いたことが素直に嬉しかった。ルエの言葉はまだ胸の底でうごめいていたけれど、自分にできることはきっとある、と信じる。向けられる笑顔が嬉しかった。
 これからの行動が決まったところでルエが口を開いた。これまで遠慮とは無縁だった彼が、かすかに窺うようにして入ってくる。
「王宮の方は、どうなったのです?」
 パルティアに敬語を使う彼を不思議に思ったが、ジュナンが表情を曇らせたことに気を取られて訊ねるのをやめた。ジュナンは王族専属の騎士だったと聞いた。王宮にいた人間だ。思い出すのは楽しくない思い出のはずだ。
 パルティアが重々しく口を開いた。
「よく、覚えてないの。あいつが現われて――王宮は混乱状態だった」
 殺戮。混乱。悲鳴。絶望。
 アリカには想像もつかないそれらに顔を歪めるパルティアたちに、胸が重くなるようだった。
「第一皇女エイラは捕らえられた。第二皇女イリューシャは皆を逃がすために、殺された」
「サイキ女王は?」
「分からない。私は気がついたらイオの森で倒れていて、どうやってそこまで逃げたのかすら覚えてないわ」
 小さな両手を白くなるまで握り締めている。留められた髪留めが悲しみに呼応して濡れたように煌く。
「第三皇女イザベルはどうしたんだ?」
 トゥルカーナの継承者は三人。
 第一皇女エイラは王宮の奥からなかなか出てこない人物だが、第二皇女イリューシャと第三皇女イザベルは民たちと気さくに交流を持つことで有名だった。特にイザベルなどはイリューシャを崇拝するようなところがあり、生来の活発さも合わせて無茶をしたがる。ジュナンたちは密かに苦労を重ねていた。
 失われた平和を思い出して悲痛な表情を浮かべるジュナンに、パルティアは安心させるように微笑んだ。
「彼女なら大丈夫。無事に王宮を逃げ延びたわ。きっとどこかで逢えるはずよ」
 力強い断言にジュナンは安堵する。なんの根拠もない言葉だが、否定されるよりは安心する。
「さ。行くと決まったなら早く行こう」
 パルティアは先ほどまでの雰囲気を払拭させるように元気良く拳を握り締めた。けれどルエがそれに水を差す。
「パルティアはここに残った方が」
「本気で言ってるの?」
 引き止められたパルティアは不機嫌に振り返る。幼い顔立ちだが、その表情には確かな“怒り”が宿っている。
 ルエはうろたえたように「でも」と眉を寄せた。
 梯子に手をかけようとしていたパルティアはため息をつくと、片手を腰に当ててルエを睨みつけた。とても子どもとは思えない仕草だ。
「あのね。コルヴィノの生き残りがいる場所は私しか知らないのよ? それなのになんで置いていかれなきゃいけないの。冗談じゃないわ。この二人だけで行かせて迷いでもされたら、そっちの方が大変だし危険でしょうっ?」
 先ほどまでジュナンに対して尊大で横柄な態度を見せていたルエだが、子どものパルティアに怒鳴られて狼狽している。そんな差異にアリカは呆気に取られ、次第に笑みが浮かんできて口許を押さえた。
「別にいいじゃねぇか。俺がちゃんと護るから」
 延々と続きそうだったパルティアとルエの言い合いを止めたのはジュナン。先ほどまでの「ルエの弱味を掴んだぜ」と嬉しそうにしていたことなど微塵も悟らせず、間に入る。ルエは不服そうな顔をして逡巡した。
「お前はアテにならない」
 あっさりと切り捨てられた。
「お前なぁ! 俺だって最高位の戦士の一人なんだぞ! 馬鹿にしてんじゃねぇ!」
 憤慨するジュナンだが、端から見ていると掛け合い漫才でしかない。噛み殺しながら笑っていたアリカが顔を上げる。
「それなら私が護るよ。頼りにならないかもしれないけど、パルティアが一緒に行ってくれなかったら困るもの。もしも危険になったら体張って護るよ」
 アリカの言葉は意外だったのか、ルエたち三人の瞳が丸くなった。なかでも驚いたのはパルティアだった。声もなくアリカを見つめていたが、やがてその表情を徐々に翳らせ、最後には俯いてしまった。
「とにかく!」
 早々に話題を切り上げようと思ったのか、苛々とパルティアが怒鳴った。勢い良く振り返ってルエを睨み付ける。
「自分のことくらい自分で護れるんだから、これ以上私の邪魔をしないで。ルエがなんと言おうと、これは命令よ!」
 ルエに指を突きつけて宣言し、パルティアはそのまま梯子を登り始めた。ルエが慌てる声には取り合わない。そのまま外へ出てしまう。
 彼女の姿が完全に見えなくなるとルエは肩を落とし、諦めたように首を振った。苦笑したアリカに近づいてくる。
「パルティアを頼みます」
 丁寧な言葉だ。
 パルティアは何者なのだろうと疑問が浮かぶが、アリカは何も聞かずに快く頷いた。パルティアを追いかける。対してジュナンはまだ納得がいかないように不満げな顔をしていたが、アリカの姿が見えなくなるとようやくその後を追いかける。
「じゃあ行ってくるから。俺らが帰るまでくたばるんじゃねぇぞ」
「そう思うなら早く帰ってきてくれ」
 ジュナンが声をかけたルエは普段どおりのルエだった。パルティアに向けた殊勝な態度は欠片もない。やはりジュナンは納得がいかなくて唸り声を上げるが、文句を言っても流されるだけだと分かっていたので何も言わない。ルエに手を振って外へ出た。
 残されたルエは瞳を細めてジュナンの姿を見送った。天井から降り注ぐ光に身を投じる。その光から少しでも力を得ようと瞳を細める。トゥルカーナ全盛期とは比べ物にならないほど弱々しい光だけれど、微かにまだ聖光が溶けている。トゥルカーナを護る皇女たちの祈りの歌声だ。
 人間には聞き取れぬ歌声に、ルエは自分も願いを乗せて姿を溶かした。