第三章

【五】

 森の中でパルティアを見つけたとき、彼女はただ立ち尽くしていた。
 その場に漂う微かな聖気。
 あれほど流れた血はもはやどこにもない。パルティアの力によって浄化されたのだと悟る。
 近づく前からパルティアはフラッシュに気付いていたようで、ゆっくりと顔を上げる。激情が過ぎた静かな瞳がフラッシュを捉える。感情の浮かばない瞳に胸が痛む。
「ルエのところに戻るのでしょう。私を連れて行きなさい」
「ああ」
 側にはサラ=ディンの亡骸もない。新たなバールが近づかないよう穢れを祓ったときに、一緒に葬られたのだろう。
 小さな彼女の手を取り、フラッシュは次元の歪みへと入る。サラ=ディンが最後に利用した道だ。そこから彼の隠れ家に渡り、そしてまた、森の外へと続く歪みに入る。幾らか副作用は和らいでいたが、それでも感じる眩暈にフラッシュは眉を寄せる。
 パルティアを窺い見ると、彼女は顎に力を込めて耐えていた。瞳を閉ざすことはない。先ほどまでと違い意志の浮かんだ瞳が真っ直ぐに前を見ている。
「アリカが攫われたらしい」
 迷いながらも告げると、パルティアは勢いよく反応した。フラッシュを見上げる顔には驚愕と悲愴が浮かんでいる。フラッシュは逡巡しながら更に続ける。
「シュウランが寝返り襲ってきた」
「――そう」
 パルティアは僅かな間をあけて頷いた。
 視線はフラッシュから外れる。
 サラ=ディンが遺した次元の歪みは変わらずそこに残っていた。けれどその歪みを自在に操れる者は、もういない。森から出た時点でパルティアはフラッシュの手を放していた。視線は荒廃した大地へ注がれる。
「トゥルカーナに生き残った者たち……何人いると考える」
「分からない」
 大人びた口調と子どもの外見との差異にフラッシュは奇妙な気持ちを覚えながら、正直に答えた。パルティアは空を見上げる。
「ここは光の調停星。この世界が正常な姿を取り戻せば、皆は帰って来ることができる」
 たとえ姿を失ったとしても、意志を継ぐ者たちはまた新たに生まれてくる。
 パルティアにつられて空を仰いだフラッシュは、そこに広がる曇天に表情を翳らせた。かつて曇り空すら珍しかったトゥルカーナの面影はない。喜びに満ちていた色彩は沈み、誰もが息を潜めている。
「アリカだけは、殺させないわ」
 呟く少女の横顔を、フラッシュは黙って見つめた。


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 カリュケの森に戻ったとき、出迎えたのは喜びに満ちたジュナンの声だった。
「フラッシュ!」
 呼ばれたフラッシュはそちらに視線を向け、飛び出してくるジュナンを見つける。大きく枝を広げるルエの元で、ジュナンは何時間も待ち続けていたのだろう。イオの森から戻るフラッシュたちを決して逃すまいと目を凝らし、不安に胸を張り裂けそうにさせながら、それでも待ち続けたのだ。実際に行動する者よりも、待つ側の方が辛いということは、フラッシュにも分かっていた。
 ジュナンは姿を見せたフラッシュに飛びかかるようにして喜んだ。
「心配かけたな」
「当たり前だ!」
 フラッシュは笑いながらジュナンを引き剥がす。そして、自分の影になっていたパルティアを見せた。
「連れてきたぞ」
 ジュナンは彼女にも笑みを見せて腰を曲げる。
「よう、パルティア。無事で良かった」
「そうね」
 フラッシュと違い、パルティアはただ素っ気無く同意してジュナンの側をすり抜けた。はぐれる前と全く変わらない態度だ。彼女の後ろ姿を見送って苦笑を零す。
 ジュナンは次に何の疑いもなくアリカの姿を求めた。しかしフラッシュの後ろには、もう誰の姿もない。
「アリカは? 一緒じゃないのか?」
 もしかしたらサラ=ディンと共に遅れているのだろうか。フラッシュならば二人を置いてくるなどあり得ないと知っていたが、それでもジュナンはそう問いかけた。だから、フラッシュの表情が翳ったときにも疑いを持たない。
「アリカは、攫われたらしい」
「……らしい?」
 フラッシュの言葉にジュナンは瞳を丸くさせた。
 言葉の意味が分からなかった。
 例えば。何らかの原因でアリカとはぐれ、バールに見つかったのであれば、バールたちが取る行動は攻撃のはずだ。わざわざアリカを攫っていく理由が見つからない。それに、「らしい」ということは、自分でその現場を見ていないということだ。パルティアから聞いたのだろうか。
 眉を寄せて窺うジュナンに、フラッシュは先ほどまでの喜びを払拭させた淡々とした言葉で返した。
「シュウランが向こう側についた」
 それはジュナンが聞きたい答えではなかったが、その意味に言葉を詰まらせた。
 シュウランが所属する部隊にジュナンが関わることはなかったが、シュウランはフラッシュと行動を良く共にしていた。そのため必然的に彼女の人隣は良く知っていたし、友人と呼べるような間柄にも発展した。
「彼女が……?」
「ああ。イオの森で、襲われた」
 思い出すことが辛いのか、フラッシュは視線を逸らせてジュナンから離れた。
 フラッシュの肩に乗せていたジュナンの腕は、力を失ったように落ちる。
「馬鹿な。寝返るなんて、そんな」
 信じられない気持ちで言葉が詰まる。トゥルカーナに育った者が寝返るなど信じられない。また、シュウランは忠誠心も篤く王族の身辺警護では良く力を発揮していた。彼女に限って、という思いがジュナンの胸にはある。だがフラッシュがそのような嘘を言うわけない。真実だと認めなければいけないのだ。歯を食いしばり、拳を握り締めて、ジュナンは視線を地面に落とした。
「そうか」
 言葉も見つからない。
「……サラには会えなかったのか?」
「ディンは殺された」
 ジュナンは息を呑んだ。
 間に合わなかったのか。また、親しい者が一人、いなくなったのかと。悔しさと怒りが湧きあがる。だが続けられたフラッシュの言葉はジュナンの嘆きを霧散させた。
「パルティアを護って殺された」
 ジュナンは唇を震わせる。
「その場に、いたのか……? フラッシュがいながら、あいつを……!」
「俺だって助けたくなかった訳じゃない!」
 湧き上がる感情のまま掴みかかろうとしたジュナンだが避けられた。俯いたフラッシュの瞳が鈍い光を宿す。そのことに気付いてジュナンは立ち尽くす。
「俺だって、万能じゃないんだ……!」
 絞り出すような叫び声に胸を衝かれた。
 コルヴィノ族は全滅した。サラ=ディンが死んだのは揺ぎない事実か。
 フラッシュはジュナンを避けてルエの中に入った。彼を見送ることなく、ジュナンはその場に座り込んだ。大粒の涙が地面に染み込んでいく。言葉もなく俯き続ける。
「これで生き残った者たちは本当に僅かだな」
 頭上から降り注いだ声に顔を上げるとルエがいた。冷静な態度を崩さず事実だけを確認する。その姿はともすれば冷たいとも取れる。ジュナンは目元を擦って睨みつけた。
「パルティアが戻って良かったな。お前はパルティアさえ無事ならそれで良かったんだろう? サラの死を、悲しみもしないで……!」
 八つ当たりだと分かっている。それでも叫ばずにはいられない。
 かつて栄えていたトゥルカーナの面影は欠片も残っていない。親しい者たちが次々と消えていく。手の平から砂が零れていくようだ。
 ルエはジュナンの激昂を冷静に観察して頷いた。
「パルティアの無事には替えられない。仕方のないことだ」
「なんだと……」
「トゥルカーナが存続するための希望は、もう彼女にしか残されていないからだ」
 ルエの言葉に殺意さえ抱いたジュナンだが、続いた言葉に眉を寄せる。パルティアをそこまで重要視するルエが分からなくなった。力を揮える優秀な術者、という認識しかない。ましてやパルティアはまだまだ子どもだ。彼女になんの希望を見出しているというのか。
 訝る視線をルエに向けると、ルエは心底呆れたように息を吐き出した。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、まさかここまで馬鹿だったとはな」
 先ほどとは違った怒りが湧いたが、ルエはジュナンの様子は気にせず言い放った。
「パルティアは、第三皇女イザベルの化身だぞ」
 ジュナンの思考が止まった。
「イザベルの化身?」
 大仰な言い方に違和感が湧いたが、確かにここトゥルカーナで王は神に等しく、その娘たちも同じように崇める対象になるとは言える。イリューシャやイザベルに至っては気さくに交流を持つ、ずいぶんと親近感の湧く女神であるが。
 問いかけたジュナンにルエは「ああ」と頷いた。
「しかし、イザベルは」
「姿が違うと言いやがったら張っ倒すぞ。お前は彼女が力を揮う姿を見たのだろう?」
 言われて思い出す。バールたちを一瞬にして浄化したのは確かに強大な力だった。けれど、それがどうしてイザベルに結びつくのか。
 まだ首を傾げるジュナンを、ルエは全力で蹴飛ばした。
「浄化の力は王族しか持ち得ない特殊な力だろうが! それに、あの髪飾りには王家の者特有の気配が紛れていただろうっ?」
 さすがにやり返そうと思ったルエの暴挙だが、怒鳴り声に含まれた真実の言葉に怯んだ。確かにそうだった、と思い出す。王に連なる血筋の者なのかと勝手に思い込んでいたが、王の血は三人の皇女にしか受け継がれていないのだ。
 先代の王は子孫を残すことなく崩御したと聞いている。傍系の血は限りなく薄くなって、王の力を受け継ぐことはできなかった。そのためサイキ女王が異界から招かれ王の座に就いたのだった。
「パルティアが、イザベル……」
 ならばルエが、パルティアと逸れたと聞いたときにあれほど怒ったことにも頷ける。生死がはっきりしているのはパルティアしかいない。彼女が死んでしまえば王を継ぐ者がいなくなってしまう。王家が途絶えれば、星は異界から先代のときのように王を呼び寄せる。けれど今のトゥルカーナには新たな王を呼ぶほどの力は残されていない。事実上、滅びは免れない。
「彼女だけは決して失えない」
 ルエの言葉にジュナンも頷く。けれどそれでも、それ以外がどうでもいいとは思えなかった。
「けど、幾らパルティアが無事でも、元凶を倒せなくちゃ意味がないだろう? それに、パルティア自身が言ってたんだぞ。アリカだけは失くせないって」
「彼女が? ……彼女がそう言うのなら、アリカには何か意味があるのかもしれないな」
 ルエは考え込むように顎に手を当てた。その言い草にジュナンは腹を立てる。この大変な時期にトゥルカーナが受け入れたアリカに意味がないはずがない。いや、意味などなくても、アリカをどうでもいいとは思わない。見る目を変えるつもりもない。
「言っとくがな。お前の言葉はめちゃくちゃ失礼極まりないぞ」
「そりゃ失礼。俺は精霊なんでな。お前のような人間よりよっぽど自分に正直なんだ」
「なんだとてめぇ! 本っ当に腹立つ奴だな!」
 ルエは既にジュナンの手が届かない高みへ避難していた。
 ジュナンは地団駄踏んで悔しがる。翼を持ってすればそれぐらい訳ない問題だったが、頭が沸騰しているためジュナンは地面で悔しがるだけだ。ルエは肩を竦める。
「サラ=ディンはトゥルカーナに生を受けた者だ。トゥルカーナが正常な姿を取り戻せば、また生まれてくるさ」
「そうして生まれてきても、今を生きてたサラとは違う奴だろ! お前だって死ぬの怖くてさっさと助けろとか言ってたじゃねぇか!」
 怒鳴りつける。悲しみも後悔も吹き飛び、ジュナンの胸は純粋な怒りで満たされる。
 ルエはそれを感じ取ってニヤリと笑った。
「死ぬのは怖くないさ。次に生まれる俺が、今の俺とは全く違った俺でもな。ただ、このままでは次の希望すらないじゃないか。そんなことにならないよう急き立ててどこが悪い」
 ジュナンの顔が怒りに染まった。先ほどまでも充分真っ赤になっていたが、更に青筋まで立てた。
 なにを言えばルエを黙らせることができるのだろう。
 口をパクパクと空回りさせるとルエは面白そうに見下ろしてくる。その視線にも腹が立つ。
 と、ジュナンはなぜか全く別の予感に胸が高鳴った。
「おい?」
「これ。この感じ……」
 ジュナンはルエに向けていた怒りを一瞬で忘れたようだ。
 新たに感じた予感に呟く。視線を別方向に飛ばし、瞳を期待に輝かせて空を見上げる。不審に思ったルエが呼びかけるが、ジュナンにはその声が届いていないようだった。
 ジュナンは翼を広げる。
 白い翼を大きく羽ばたかせ、空に飛び出した。
「ジュナン?」
 羽音に気付いたフラッシュとパルティアが様子を窺うように出てきたが、そのときには既にジュナンは遥か上空まで上り詰めていた。
「なにがあった?」
 フラッシュはルエに問いかける。だがルエにも良く分からない。
 三人は地上から訝る視線をジュナンに注ぐだけだった。


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 ザウェルは破顔した。
 空に飛び出し、落ち着きなく誰かを捜すような仕草を見せたジュナンに嬉しくなった。近づく間にもジュナンはこちらに気付いたようだ。
 ザウェルは一直線に飛び込んできたジュナンを受け止めた。くすくすと笑い声を上げる。
「久しぶり、ティナ」
 そう言ったら殴られた。
「ジュナンと呼べ! なんだよ無事なのかよ! ったく、心配させやがって、この馬鹿兄貴!」
 ジュナンは憎まれ口を叩いたがその瞳は嬉しさに潤んでいた。ザウェルはただ微笑んでジュナンを抱き締める。
「アリカも。攫われたって聞いたけど、良く無事でいてくれたな」
 遅れてアリカに気付いたジュナンは、変わらぬ笑顔でアリカの無事を喜んだ。
 二人に挟まれたアリカは苦しそうにしていたが何とか微笑む。
「貴方も無事で良かった。ジュナン」
 ジュナンはひとしきり喜んだ後、案内するようにザウェルに腕を振った。
「皆ルエの所にいるよ。行こう」
 先に翼を広げたジュナンに続き、ザウェルも追いかける。その顔には、アリカに向けた物とは種類の違う笑顔が浮かんでいた。これまで緊張感を崩さなかった彼だが、ジュナンを見つめる瞳は大らかで優しく、緊張感を霧散させていた。
 再会の場所からさほど飛ばず、アリカは下にフラッシュたちの姿を見つけた。
 フラッシュたちは既にアリカたちに気付いているようで、軽く手を振って歓迎していた。
 ザウェルが降り立つとフラッシュは直ぐにやってきた。
「よう、ザウェル。良く無事だったな」
「お互い様さ、フラッシュ。元気そうで何よりだ。怪我の具合は順調かい?」
 互いに笑って腕を打ち合わせる。
「最高位の戦士たちは揃って無事か。少しは希望を持てるのか?」
 ゆっくりと近づいてきたルエがそう訊ね、三人は笑って振り返る。当たり前だろう、と。
「アリカ!」
 ザウェルから離れ、フラッシュたちのやり取りを見守っていたアリカは抱きつかれた。見るとパルティアがいる。アリカは抱き上げて微笑んだ。
「無事で良かったわ。パルティア」
「こっちの台詞だわ! 攫われたって聞いて、心配したんだから」
 アリカはパルティアの怒りにも笑っただけだった。
「私も。まさか攫われるとは思わなかったわ」
「でも、無事でよかった……」
 涙を滲ませながら力一杯抱きついてきたパルティアを、アリカも安堵を感じながら抱き返した。
「彼女がパルティアかい?」
 少し離れた場所でアリカたちの様子を見ていたザウェルが訊ねると、隣のジュナンは「ああ」と笑って返した。イザベルのことを伝えようか迷ったが、その前にザウェルはパルティアに近づいて膝をついていた。
 ザウェルに気付いたパルティアはアリカに下ろして貰う。頭を垂れる彼を見つめた。
「ご無事で何よりです」
 パルティアは微笑んで彼の額に口付けた。
「貴方も」
 皇女と騎士の、一般的な儀礼挨拶。それを見たジュナンは驚いて顔をしかめる。面白くなくて地面を蹴る。
「気付かなかったのは俺だけかよ」
 誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いたが、隣にいたフラッシュには届いていた。彼は苦笑してジュナンの頭を軽く小突いた。
 ザウェルは立ち上がり、そしてパルティアに告げた。
「エイラ皇女が、現在王宮で結界を張っているそうです」
 アリカ以外の全員が瞳を瞠らせてザウェルを注目した。今までの和やかさを払拭する真剣な表情を湛えている。ザウェルはアリカに視線を移した。真摯な視線にアリカは心持ち体を引いた。
「アリカが会ったそうです。詳細を。アリカ」
 促されたアリカは喉の奥が詰まったような感覚に陥った。
 皆の注目が重い。
 パルティアの視線もアリカに向けられる。その瞳は子どもが持つものではなく、強い戦士の瞳だった。アリカは知らぬパルティアの瞳に奇妙な衝撃を受ける。だが彼女の瞳に、僅かながら縋るような含みがあることに気付いて、ようやく言葉を吐き出した。
「暗い、牢屋のような場所で会って……一緒に出ようと言ったんだけど、自分はそこから出ることができないと。もし動いたら、あの男は確実にトゥルカーナを滅ぼしてしまうから、皆と一緒にまた来て欲しいと、言ってた」
「無事なの?」
 パルティアの声は震えていた。
 アリカは緊張を忘れ、パルティアに合わせるようにしゃがんで微笑んだ。
「大丈夫。怪我もしてないみたいだし、ずっと閉じ込められていても、エイラさんは強さを失わない人だったわ」
 パルティアは俯いた。アリカの腕を掴む。
 守りたくなるそんな仕草にアリカはパルティアの背中を抱き、そしてもう一つの言葉を思い出した。
「私、パルティアに伝言を頼まれていたの」
「伝言?」
 体を離したパルティアは微かに涙を浮かべていた。
 アリカはゆっくりと頷いて告げる。
「トゥルカーナに住む者すべてが私たちの誇り。と、そう伝えてくれと頼まれたの。直ぐにそこから離されたから確認することもできなかったけど……」
「ありがとう」
 パルティアは礼を言い、唇を引き結んで微笑んだ。次いで躊躇うようにフラッシュを見上げた。
 エイラには分かっていたのだろう。フラッシュだってトゥルカーナに住む者の一人だ。エイラの言いたいことは良く分かるけれど、それでもどうしても、やりきれない。
 パルティアの気持ちが沈んだことに気付き、理由は分からないまでもアリカは慰めるようにパルティアの頭を撫でた。努めて明るい声を上げる。
「サラ=ディンは一緒じゃないの?」
 立ち上がりながら周囲を窺う。
 アリカの言葉に、全員が小さく震えた。
 視界にはイオの森で出会った少年の姿がない。そのことと皆の反応に、アリカは眉を寄せた。大怪我を負って寝込んでいるのだろうか、とも考えた。ザウェルも不思議そうに辺りを見回した。
「この場にいる者が全てかい?」
 誰もが言い淀む。ルエが面倒そうにため息をつき、体を乗り出したとき。
「サラ=ディンは死んだわ」
 答えを告げたのはパルティアだった。
 アリカはパルティアを見る。言葉の意味が飲み込めない。
 幼い少女は顔に暗い影を落とし、淡々とアリカを見上げる。
「私を庇って殺された」
 アリカはようやく言葉の意味を飲み込んで息を詰まらせた。
 もう一度逢うと約束した声が脳裏に蘇る。彼は約束を守ることなく死んでしまったのだ。そのとき胸に湧いた言葉はなんだったのか、判然としないけれど。アリカはパルティアを抱き締めた。
「アリカ?」
 慰める意味ではない。ただ、腕の中に誰かの温もりを感じていたかった。パルティアの困惑する声に、アリカは絞り出すように囁く。
「それでも、パルティアは、死んじゃ駄目よ……?」
 どんな感情から出た言葉なのか知れない。けれどパルティアは囁かれた瞬間、涙を流していた。サラ=ディンが死んだとき、一緒に死んでしまいたいと思ったことを思い出す。
 小さな嗚咽で体を震わせ、パルティアはアリカに抱きついた。彼女の柔らかな背中に手を回して顔を胸につける。サラ=ディンから受け継いだこの命を絶つことはできない。絶てばそこでサラ=ディンの想いが消えてしまう。それ以上に、自分には使命がある。だから死ぬことは許されない。
 震えた小さな背は、アリカに強く抱きしめられた。