第四章

【一】

 場所をルエの中に移した皆は車座になった。
 その中央でパルティアは地図を広げる。トゥルカーナ全土が描かれ、所々に注釈まで加えられた地図だ。作ったのはここに集まった皆だった。
「どうやって王宮に行くかなんだけど」
 パルティアが口火を切って地図を見つめる。
 生活圏が限られている皆で作られた地図の注釈は偏った部分があるようだ。それでも出来上がりはなかなかの物と言える。
「こんなことなら姉さんについてって、もっと調べておくんだったわ」
 パルティアは悔しげに唇を尖らせたが、聞いていた面々は「そうならなくて良かった」と胸中で呟いた。第二皇女イリューシャは誰よりも活発で、王宮を飛び出すことがしばしばあった。護衛など要らないと豪語し、自ら剣を覚え、騎馬を乗りこなす。少し目を離しただけで所在が掴めない場所まで走って行ってしまう。
 イリューシャだけでも王宮警備隊の手には余っていたというのに、その上イザベルまでもが同じように奔放な行動を取っていたら、どれほど大変になっていたことか。
 パルティアは皆のそんな胸中を知りもせず唇を尖らせる。
 そして地図の一点を指した。
「ここが、ルエのいるカリュケの森で」
 指された箇所には塗料で丸付けがしてあった。
「こっちがコルヴィノの生活圏だったイオの森」
「この神殿ってのは?」
 小さく書かれた文字に目を留めてジュナンが訊ねる。
「王家が昔に連絡用として使っていた転送装置よ。サイキ女王の時代からはもう使われていないから、現在も使用不可能」
 ジュナンはパルティアの言葉に納得したような声を上げた。そんな物があったのかと頷き、王宮で暮らしているとやはり全てにまで目が回らないんだなと少し残念そうな顔をする。
「で、王宮は、このカリュケを出てユピテルを抜け、ヒマリアの絶壁を越えたここ」
 パルティアの指が言葉と共に動き、地図上で孤島になっている場所を示した。
 地図上では近いが、その距離を現実に直すとかなりのものだ。
 アリカはザウェルに抱えられながら移動した距離を思い出した。何の障害物もない空を、かなりの速度で、結構な時間をかけて飛んだ。あの時は他の手段がなかったため仕方なくだったが、二度と御免だと思う。
 車座の皆の頭上から覗き込んでいたルエがため息を零して首を回した。
「お前ら二人に抱えて飛んで貰った方が良いんじゃないのか?」
 アリカはギクリと体を強張らせた。あのような移動方法は絶対に嫌だと思っていたところだ。またあのような移動方法になるのだろうかとため息をつきかけたが、幸いにもルエの提案はジュナンによって退けられた。
「馬鹿言うなよ。アリカとパルティアだけならまだしも、フラッシュまで抱えて飛べるか。こいつの体格考えてみろよ。飛べても速度は出ないし、見つかったら狙い撃ちだ」
 ルエも本気ではなかったようで、ジュナンに噛み付かれるとあっさり身を引いた。アリカは安堵して胸を撫で下ろした。
「僕たちの腕は二本しかないしなぁ」
「お前も真剣に悩むな!」
「それ以前に、こんな少人数だけで行くつもりなのか? そっちの方が心配だぞ」
 ルエは早々にジュナンの怒りを受け流すと皆の顔を眺め渡した。
 全員が十代半ばの少年少女たちだ。襲い掛かってくるバールたちは鍛え上げられ隆々とした肉体を持っているというのに、何とも心許ない。
「他に生き残っている奴はいないのか?」
「いたとしても……時間がないわ。結界を張り続けるのにも限界があるだろうし、ユピテルの森はもう腐敗してしまっただろうし……」
 パルティアの声にアリカは思い出した。
 王宮が黒く霞んでいたことを。
 城を中心として嫌な空気が辺りに充満していた。あの空気が森の生き物たちを腐敗させているのだ。この場所と城までの間にユピテルの森があるというのなら、もうそれは死への末期を迎えているだろう。
「やるしかないわ」
 パルティアは地図を睨んで唸った。
 そんなとき、ザウェルが何かを思い出したように「あ」と声を上げた。
 皆の視線が集まる中、ザウェルは腰帯を探る。
 取り出されたのはシンプルな指輪だった。
 見たジュナンとフラッシュも声を上げる。
「ジュナン、持って行かなかっただろう。僕が持ってきたよ」
 ザウェルは取り出した指輪をジュナンの右手、中指にはめ込んだ。
「お前、武器も持たずに王宮を出たのか?」
「う、うるさいな。襲撃受けたとき、ちょうど外にいたんだよ! 外の連中に引っ張られて、中に戻る暇なんてなかったんだ!」
 フラッシュの呆れ声に、ジュナンは頬を染めて怒鳴った。パルティアも呆れたようにその様子を眺める。分からないアリカだけは首を傾げ、賑やかになる原因となった指輪を見つめる。
「まったく、兄として心配しましたよ? 台座にジュナンの指輪が残っていたときは、もう会えないと思ったからね」
「ご、ごめん……」
 ジュナンは恐縮するように声を淀ませ、素直に謝った。はめられた指輪を眺めたあと、大切そうに触れる。
「それって、何の指輪なの?」
 アリカが訊ねるとジュナンは謙虚な態度を崩してニヤリと笑った。指輪をはめた手をアリカに翳して見せる。アリカが見つめる前で、指輪が小さく輝いた。ジュナンの手には見る間に光が溢れ、光はいつしか長い棒のような形状のものを作り出していた。息を呑み、瞬きする間に武器となる。
「これが俺の武器。本人の意志に合わせて変えられるんだ」
 ジュナンが少し考え込むようにすると棒は再び光を放ち、今度は槍に変化する。
 アリカは感嘆した。ルエが一番初めに言っていた「王から賜った武器」とはこれを指すのかと納得がいった。
「トゥルカーナで俺たち三人にしか与えられてない武器なんだぜ」
「忘れてった馬鹿に誇らしげに説明して欲しくないな」
 フラッシュの容赦ない一言にジュナンは唸った。フラッシュとザウェルの指にも、気が付けば同じ指輪が嵌められている。
 やり取りにアリカは小さく笑みを零した。
「本題に戻ってもいいかしら?」
 パルティアの声に皆が表情を引き締めた。
「今は仲間のことよりも王宮に行くことの方が先。いくら仲間を集めたって、結界が解かれたらトゥルカーナは滅びてしまう」
 皆の真剣な顔つきにアリカは気持ちが沈んでいくのを感じながら瞳を伏せた。
 王宮で出会った男からは確かに妙な圧迫を感じた。けれど、普通の人間と大差ないように思えた。なぜそれほど恐れるのか分からない。
 アリカは胸の奥に痛みを覚えて俯いた。
「移動手段は徒歩しかないわね。ザウェルたちに頼るわけにいかないし」
 隣でアリカが気落ちしていることには気付かず、パルティアは重いため息をついた。


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 出発の準備でジュナンとザウェルが荷物をまとめている。パルティアは地図を確認し、フラッシュは偵察に行っている。
 そんな中、何もできることのないアリカは汚れた制服を着替えて外にいた。
 長い自分の髪を手にしてため息をつく。縛りたいがゴムはなく、今までずっとこうしていたのだが、いい加減に鬱陶しくなってくる。腕や首に絡みついてくるのだ。何かと視界を遮られるし、引っ張られて痛いことも一度や二度ではない。
「いっそ切るって手もあるわよね」
 呟いたアリカの頭に、何か硬い物が落ちてきた。痛みはあまり感じなかったが、なんだろうと首を傾げ、地面に転がった物を手に拾う。
「くるみ?」
「ゴバの実だ」
 見上げると、ルエの枝にフラッシュが座っていた。偵察から戻ったのだろう。
「暇そうだな」
「私だけ何もすることがないの。せめて荷造りを手伝おうと思ったんだけど、アリカは何もしなくていいよって。中にいても居心地が悪くて」
 肩を竦めてみせると、フラッシュは投げて遊んでいた実を掴み、アリカの側に飛び降りた。そのままアリカを横抱きにする。
「わっ?」
 アリカを抱えたまま、フラッシュは再び枝の上に跳んだ。とんでもない跳躍力だ。かかった重力にアリカは悲鳴を上げ、思わずフラッシュにしがみ付く。ただの人間だなどととんでもない。このような異能力を持っているからこそ彼はトゥルカーナで一番の戦士だと言われているのだろう。
 枝の上に跳んだフラッシュは、アリカを落ちないよう慎重に下ろすと言った。
「暇なら見張りを手伝ってくれ」
 頼みではなく強制だったが、アリカは笑った。
 幹に手をかけ、恐る恐る下を見た。あまりの高さにアリカの体が傾く。
 落ちかけたアリカをフラッシュが慌てて支えた。そして苦笑する。
「気をつけろと言おうとした矢先にこれか。見るなら遠くを見てろ」
「わ、分かった」
 アリカは助言に従って遠くを見た。だが森が広がるばかりだ。おまけに霧が懸かっているため視界は悪い。
 フラッシュはアリカが座る枝よりも一段高い枝に移動し、そこで先ほどアリカの頭に落とした実をお手玉のようにして遊んだ。
「それ……ゴバの実? って、なに?」
「なにって。ゴバの実だろう。上を見てみろ。まだ生ってるだろ」
 言われて見上げると、葉を茂らせた枝のあちこちに小さな実が生っている。
「ま、これも腐敗がここに来るまでのことだろうがな」
 パキッと実を割り、中の実を食べる。アリカも先ほど落ちてきた実を同じようにして割ろうとしたが殻は固く、とてもではないが割れない。力を入れるあまりにまた体が傾きかける。
 アリカは諦めた。
 きっとこの男の力が尋常ではないのだろう。先ほどアリカを抱えてこの枝まで跳んだように。
「出発する前にゴバの実をありったけ貰ってくか。この先まだ食糧があるとは限らねぇし」
 見上げたフラッシュは、背後に現れたルエによって突き落とされた。
「だぁあっ!?」
「フラッシュ!」
 アリカは驚いて叫ぶ。
 かなりの高さだったにも関わらず、フラッシュは無事に着地したようだ。怪我をした様子も見せずにルエを睨む。
「危ねぇな! いいだろう実くらい! お前が霧に巻かれりゃ全部が無駄になるんだから!」
「うるさい。俺はそれでなくてもお前が気に入らん」
「なんだその理屈は!」
 無事だったことに安堵し、喧嘩腰になった二人にアリカは声を上げて笑う。
 ルエはアリカを見やって唇を尖らせ、その側に移動した。
「え?」
「ば……っ」
 フラッシュが制止する間もなく、アリカもルエに落とされた。銀色の髪が視界を舞うのを、不思議な気分でアリカは見つめた。声も出せない。太い木の枝から自分の体が離れていくのを客観的に受け止める。現実として認められなかった。
 鈍色に染まる曇天が視界に映ったとき、ようやく強い恐怖が湧きあがる。しかし声が喉の奥にはりついて悲鳴は出ない。遠ざかるルエの姿を凝視する。
 このままでは死んでしまう――そう思って表情を強張らせたアリカだが、そうはならない。素早く回りこんだフラッシュがアリカを受け止めた。
 フラッシュは受け止めた衝撃に耐えると怒鳴りつけた。
「悪ふざけにもほどがあるぞルエ! そんなことしたら大怪我で済まないだろうが。俺たちとは違うんだぞ!」
 突き落とされた恐怖を拭えないアリカはフラッシュにしがみ付いた。両手が強張って、なかなか離れられない。強く抱きしめてくれる腕の中に、もっと潜りこんでしまいたい。
 そんなアリカの姿を見ながらルエが口を開いた。
「いくら姿が似ていても、アリカはイリューシャとは違う」
「当たり前だろうが!」
「ただ、異界の者の力はどんなものだろうと興味を持っただけだ」
「異界……?」
 フラッシュは眉を寄せて聞き返したが、ルエは何も言わずに消えてしまった。
「ったく、あいつは……おい。大丈夫か?」
 フラッシュは忌々しそうに舌打ちしてアリカを見た。アリカは小さく頷いて「ありがとう」と呟く。何の外傷もない。フラッシュはひとまず安堵した。
 そのとき、ちょうどジュナンが顔を出した。
「フラッシュ?」
 抱えられているアリカを見て、ジュナンは眉を寄せる。
「さっきから何を怒鳴っていたんだ?」
 フラッシュはまだ怒りが治まらないのか語気荒く吐き出した。
「ルエだよ。ったく。腐敗が進んでおかしくなったんじゃねぇのか、あいつは」
「おかしくって……」
 その言い様にジュナンは苦笑した。ルエは元々変わり者だ。このカリュケを統率する長でもある。その長に向かって「おかしくなった」とは恐れ入る。人のことを笑える身ではないが、ジュナンは笑みを浮かべた。
「せめて神経過敏になってると言ってやれよ」
「どっちも同じだろ」
 二人の会話にアリカは声を上げて笑った。
「ああ、悪い」
 自分がまだアリカを抱えていたことにようやく気付いたのか、フラッシュはアリカを下ろした。銀の髪を見つめる。
 イリューシャと変わらない輝きを持つ銀の髪。
 フラッシュの視線に気付いたのか、ジュナンも辛そうに瞳を伏せた。
「イリューシャって……」
 ルエの大樹に向かい、二人に背を向けたままアリカは呟いた。
「皆、私を見ると初めに驚いたような顔をするわ。そのイリューシャっていう人と、私って、そんなに似てるの?」
 フラッシュとジュナンは何を言っていいのか分からず沈黙した。
 しばらくしてフラッシュが頷く。
「アリカがそこにいると、イリューシャがいるようで正直戸惑う」
 アリカは振り返り、瞳を細めた。銀の髪が揺れる。真っ直ぐに見つめてくるのは漆黒の瞳だ。忌憚のない真摯な双眸は射抜くような強さでアリカを見つめていた。
「……そう」
「でもさ、アリカはイリューシャとは違うよ? 違うところが沢山ある。姿は似てるけど雰囲気が全然違うんだ!」
 なぜかジュナンが力説する。フラッシュもアリカも驚いて振り返った。その視線にジュナンは恥ずかしそうに横を向く。
「アリカは、イリューシャじゃない」
 横を向いたジュナンがポツリと呟く。
 その時、大樹の中からザウェルが顔を出した。
「ジュナン、遅いよ。様子を見てくるだけって言ったじゃないか」
「あ、悪ぃ!」
「なんともないようだね」
 フラッシュとアリカの様子を眺めたザウェルは微笑んだ。
「直ぐ行くから!」
「もう終わったよ」
 勢い込んで走ろうとしたジュナンだが、微笑んだザウェルに切って捨てられた。
「悪い……」
 小さく謝るジュナンに誰からも笑みが零れる。
「じゃあ、俺は外にみんな分出してくるからさ。ザウェルはここで休んでてくれよ!」
 挽回策を思いついた、と顔を輝かせるジュナンは大樹の中に走りこんだ。残されたザウェルはやれやれと苦笑する。名誉挽回の機会を与えることにしたようだ。そのままジュナンを見送り、アリカたちに近づく。
「バールたちの気配は?」
「今のところ目立ってはなにもない。動くのは今がいいだろうな」
「そうか」
 根元付近に座り込み、ザウェルは見上げた。
 枯れてしまった他の樹木たちと違い、いまだルエは強い生命力を誇っている。
 アリカが一番初めに感動したよりはその存在力を衰えさせていたが、それでも倒れるにはまだまだ早い。
「俺も中に入ってくるな」
 一度周囲を確認して、フラッシュは片手を挙げた。
 後は任せる、というような彼の仕草にザウェルも片手を挙げて快諾した。フラッシュは大樹の中へ入っていく。
 アリカはその後ろ姿を見送った後、ザウェルに視線を向けた。気付いたのかザウェルは安心させるように微笑んだ。
「浮かない顔だね」
「そう……?」
「うん。その服はパルティアが?」
「前のは、もう汚れていたから……」
「ふふ、確かにね。あれはアリカの世界の服だったんだね。見慣れないから変だなって思ってたんだ」
 驚いて瞳を瞠らせるアリカに、ザウェルは微笑んだまま「ジュナンから聞いたんだ」と付け加えた。
「アリカには何の関係もないことだろうに、手伝って貰って感謝してるよ」
「そんな。私にできることなんて少しだし……」
「パルティアを守ってくれたそうじゃない。アリカがいなければ、パルティアは今こうして僕らの側にいなかったかもしれない。何もできないなんてことはないよ」
 ジュナンともフラッシュとも違う、穏やかな口調。
 アリカはその言葉の中に確かな嬉しさを覚え、頷いてザウェルの側に腰を下ろした。