第四章

【六】

 再び歩き出したフラッシュたちだが、その気配は暗く沈んでいた。
 アリカはずっと何かに怯えるように周囲を眺め、フラッシュやパルティアはその視線を理解しているだろうに何の説明もない。まるでアリカの存在自体を無視しているように、足早に歩くだけ。それが事実ではないだろうが、アリカはそのことで更に萎縮して気持ちを落ち込ませるのだ。
 アリカの後ろを歩いていた双子は顔を見合わせる。だがどうすることもできず、複雑な表情をして、互いの想いを代弁するしかない。
 そんな行路がしばらく続いた後だ。
「だー、くそ。鬱陶しいな」
 ジュナンが叫んで腕を振った。アリカたちには聞こえない距離を保っている。隣を歩くザウェルはため息をついた。彼とてジュナンの意見には賛成だ。
 濃霧が続き、進むアリカたちも気持ちが沈んでいる。このまま無言の行路が続くと思えば鬱陶しさにも拍車がかかる。だから、ジュナンの苛立ちを宥めることは至難の業だ。
 隣にいるのが双子の兄だという気安さからなのか、ジュナンは何も頓着せず腕を振り続ける。ザウェルの顔に腕が当たりかけたが、ジュナンは構わない。
 ザウェルは困ったようにため息をつきながら首を傾げた。
「ティナ」
 昔の呼び名で諌めてみると、ジュナンは面白いほどピタリと止まった。ザウェルを見返す瞳は鋭い。殺気を放つようだ。
「その名で呼ぶな」
 ザウェルはつい笑みを洩らした。そんな仕草が気に障ったのか、ジュナンは不愉快そうに顔をしかめると、露骨に横を向いた。
「イリューシャはもういないのに、まだそんなに気にするの?」
 トゥルカーナが平和なときからずっと、ジュナンにとってその言葉は禁忌だ。
 何気なくを装って問いかけたが、ジュナンは再びザウェルを睨みつけた。ザウェルは穏やかな笑みで受け流す。長らく二人で共にいると、こんな視線には慣れてしまう。
 やがてジュナンは肩から力を抜いた。この兄に怒りをぶつけても無駄だった、と思い出したらしい。顔をしかめたまま乱暴に歩き出す。
「……イリューシャが死んだっていうのは本当なのか」
 トゥルカーナ第二皇女のイリューシャ。
 彼女はフラッシュから直々に剣の手解きを受けていた。他の皇女たちよりも物理的な力に長け、快活な性格から直ぐに皆に溶け込み、馴染むような皇女だった。彼女が殺されたと言われても、素直には納得し難いものがある。
 言葉にはし辛いイリューシャの存在感。それは実際に会った者でなければ分からないだろう。他者を圧倒し、誰よりも輝いていた、あの存在感が失われてしまったとは、とても思えないのだ。
「最後を見届けたのはイザベルだけらしいけど……僕はそうだと確信してるよ。イリューシャはもうトゥルカーナのどこにもいない」
 ザウェルはジュナンから半歩遅れた場所を歩きながら頷いた。
「ジュナンだって本当は分かってるんじゃないのか? 王宮を出た後、僕が感じた喪失感を、ジュナンはまったく感じなかったの?」
 ジュナンは視線を漂わせた。考えるように唇を引き結ぶ。

 トゥルカーナを支える力が欠けたこと。
 トゥルカーナを包む光の存在が揺らいだこと。
 強大な何かが失われてしまったこと。
 その喪失感。

 言葉にできない何かでトゥルカーナの住人は繋がっている。その繋がりを断ち切られたことは、酷い喪失感を伴った。トゥルカーナの住人だけが持ちえる特別な感覚で、皆はイリューシャの喪失を知っていた。
 それはザウェルに言われなくても、ジュナンにも分かっていたことだった。
「僕はね、ジュナン。アリカをここへ喚んだのはイリューシャかもしれないと思っているんだけどね」
「は?」
 唐突な話題にジュナンは目を瞠った。突然なにを言い出すんだこいつ、と物語る視線をジュナンに向けるが、彼の表情はいたって真剣だった。
「後継者の安否については大体の情報が集まった。けど、サイキ女王の安否だけはまったく知れていない」
 ジュナンも表情を改める。背筋を伸ばして歩調を緩め、前を歩くアリカの背中がギリギリ霧に隠れるぐらいまで距離を取る。
「この星を覆う闇の気配は一瞬ごとに強くなる。僕らは“あいつ”の力が凄まじいからだと思っていたけど……それだけじゃなく、女王の治世が途切れているからだとしたら」
「言うな、ザウェル。口には出さないだけで、きっと皆が知っている」
 トゥルカーナを侵略しようとする者が“女王”という直接の支配者を放っておくはずがない。それでも女王はトゥルカーナで絶対の存在であるため、皆は無意識に考えないようにしていた。女王が倒れるはずがない、と絶対の信頼を預けている。ザウェルが口にしたのは神話を崩そうということだ。
 トゥルカーナがその存在を保たせるためには治める者が必要不可欠だ。サイキ女王がその地位から離れているのだとしたら、一国も早く新王が必要だ。そしてトゥルカーナに漫然とする光力を上手に支配しないと、トゥルカーナは暴走するのだ。
 ザウェルは真剣な表情を崩さないまま零した。
「トゥルカーナが異界から召喚するのは次の王だけだと決まっている」
「……まさか、アリカが次の王だと言いたいのか」
「違うよ。次の王が召喚されるのは、トゥルカーナに王の血が絶えたときだけだと知っているでしょう」
 ジュナンの隣に並んだザウェルは苦笑した。
「あ、ああ、そうだ。まだ、エイラ皇女も、イザベル皇女もいるんだ。でも……それなら召喚なんて」
「だから、トゥルカーナじゃなく別の誰かが喚んだんじゃないかってことだよ。僕はそれがイリューシャだと読んでるんだけど」
 ジュナンは瞳を瞬かせた。話題が最初に戻った気がする。
 イリューシャは生きていないという話になったはずなのに、なぜここで彼女の名前が上がるのかがまったく分からなかった。死人がどうやってアリカを喚べるのか、理解不能だ。
「王家には、僕らには知らされていないものがまだあるんじゃないかと思ってる」
「そりゃあるだろうな」
 ジュナンは呆れたように呟いた。王家の重要な秘密が外に洩らされることなどない。
「ていうか、もう訳分からん! なんでそんな考えが出てくるのか、俺はお前の思考回路の方を解析してみてぇよ」
「イリューシャがアリカを喚んだのだとしたら、あの容姿にも何か意味があるのかもね」
 ザウェルは仮面のような笑みを浮かべてジュナンを見た。
 イリューシャに生き写しであるアリカ。
 ジュナンは眉を寄せ、視線を前に向けた。そこにはアリカがいる。緊張がだいぶ取れ、パルティアにときおり微笑みかける彼女の横顔は、かつて良く見知っていた者と重なってしまう。
 ジュナンは胸の痛みを感じて視線を地面に落とした。
 ザウェルはジュナンの様子を隣で観察しながらため息をつく。内心で、やはり、と呟く。自分はジュナンから、まだまだ目を離してはいけない。
 そうしてザウェルは歩調を速めた。あまり長く皆と離れていれば、不審に思われるだろう。
 ジュナンが気を取り直したように顔を上げた。
「そんなことより、今はトゥルカーナを救う方が先決なんだよ。構ってられるか!」
「はいはい」
 やり場のない怒りに、ザウェルは肩を竦めて見せた。
「なんだ、その気の抜けた返事は! トゥルカーナが滅びるなんて、俺は絶対に嫌だからな!」
「僕だって同じだよ」
「なら気合を入れろよ! これが本当に、俺らの生死をかけた戦いだって、分かってんのか?」
「分かってますって」
「お前のその顔がむかつくんだ!」
「酷いなぁ。君と同じ顔してるのに」
 ザウェルは頬に手を当ててすまし顔をしてみせる。あくまで本気で取り合わないザウェルに、ジュナンは怒りを沸騰させて殴りかかろうとした。しかしその拳はあっさりと掴み取られた。
「こら放せ!」
「力で僕に敵うはずないでしょう」
 ザウェルが肩を竦めて手を放すと、ジュナンは無言で歩き出した。どうやら本当に機嫌を損ねたようだ。ザウェルはクスクスと笑いながら追いかける。
 気付けばパルティアが振り返っていた。物言いたげに、呆れたような視線が双子を見比べている。
「緊張感がないってさ」
 視線の意味が分からず首を傾げるジュナンに、ザウェルは笑いながら説明した。本人たちは小声で話していたつもりだが、途中の怒鳴り声からは筒抜けになっていたようだ。
 ジュナンは「誰のせいだ」と睨んだが、堪えた様子はなかった。
 昔からそうだ。ザウェルの言う通り、ジュナンはザウェルに勝てたことがない。いつも守られていた。ジュナンはそのことに気付いて憮然となった。同じ双子なのにこうも差があるのは不公平ではないかと唇を尖らせる。
「どうかした?」
 そしてザウェルは、そんなジュナンの内面など分かっているだろうに聞いてくるのだ。表情は楽しそうに綻んでいるのだから性格が悪い、とジュナンは内心で舌打ちした。
 ジュナンは答えることなく別の話題を振った。
「なにごともなくユピテルの森を抜けられそうだな」
「ああ、そうだね。もうそんなに歩いたっけ」
 霧のせいで方向感覚に不安を覚えるが、先頭を進むフラッシュの足取りは迷わない。彼には独自の方向感覚が備わっているらしい。頼もしい限りだ。
 方向が正確であることを示すように、先ほどから小さな風の唸り声も聞こえてきていた。それは王宮を囲む谷に吹く風の声だ。それは次第に大きさを増していく。
「エイラ皇女は無事だよな」
「助けに、行くんでしょ」
 少しでも多くの仲間が欲しいところだった。王家の者がいれば、それだけで心の負担が軽くなる。士気も違うだろう。
 そんなことを考えていた矢先だった。
 ジュナンは背後に何かの気配を感じて振り返った。