第五章

【四】

 玄関の扉が壊されそうなほど叩かれた。
 もしやバールたちかと身構えたビトだが、彼らが律儀にノックなどするわけないなと考え直す。就寝間際のライラは飛び起きて震え、ビトの背中にすがりつくように怯えている。小さな妹を背中に庇いながらビトは玄関を睨んだ。
 頑丈に造られた扉は乱暴に叩かれ続ける。わずかにたわみながらも耐えている。しかしこれでは閂の意味もなくなりそうだ。閂をとめる金具が先に壊れてしまう。
 いつもならライラに外の透視を頼むのだが、現在ライラは就寝間際を起こされたこともあり、ひどく怯えていて集中できない。ビトはライラをなだめながら玄関に向かう。
 ライラが何も感知せず眠ろうとしたくらいだから、扉を叩くのは害意ある者ではないはずだ――そう思いたい。
 ビトは城に向かったフラッシュたちのことを思い浮かべた。彼らと同じように、生き残った者がこの家を見つけて訪ねて来たのだろうか。
 慎重に扉に手をかける。後ろ手に隠すのは重たい長剣だ。
 閂を抜き、扉を開けて――広がっていた闇と、その中から埋もれるように姿を現した者たちに、ビトは思わず呻き声を上げた。
「どうしたんだっ?」
「すまん、ビト……」
 絶句するほどの様相を見せる彼らに驚愕する。覇気のない声が返された。ビトは問いつめたい気分になったが、彼らを休ませるのが先かと葛藤し、口を空回りさせる。
 外にいたのは城に向かったばかりのフラッシュたちだった。見れば誰一人として欠けていない。もしや城に辿り着けず、戻ってきたのかと思った。彼らの表情は一様に強張り、覇気も失われ、まるでこの世の絶望を知っているかのような諦めを漂わせていた。
 謝られたビトは目を白黒させて戸惑うばかりだ。
 ビトはひとまず、隠れているように指示したライラを呼び寄せた。震えていたライラは戸惑いながら小さな足で駆け寄り、皆を招き入れる。怯えは消えたようだ。なんとかもてなそうと奔走する。
 全員が家に入ったことを確かめてから、ビトは慎重に閂をかけた。
「もてなさんでいい。俺らは」
「いったい何があったって言うんですか……?」
 気遣うライラにフラッシュはかぶりを振る。その横からビトは問いかけた。フラッシュ以外は口を開かずに俯いたままだ。
 フラッシュは苦々しい顔で視線を逸らした。他の者たちからも回答はない。彼らと陽気に飲み交わしたのはつい昨日のことだったというのに、どうしたことか。尋常ではない様子にビトは顔をしかめる。
「隊長……?」
 長い沈黙がおりた。先日と違った緊迫感が漂い、敏感に嗅ぎ取ったライラがビトにすがって泣きそうな顔を見せる。ビトはライラの背中を抱いて皆を見渡した。
 やがて、イザベルが口を開く。
「どうするの。これから」
 誰もが顔を向ける。けれど答える者はいない。
「あいつから逃げて。それでどうなるって言うの? このまま滅びを待つの?」
 突然の激昂にライラの肩が揺れる。再び怯える彼女はビトに顔を埋めた。
 イザベルの糾弾は真っ直ぐフラッシュに向けられていた。紫紺の瞳は潤み、憎しみが宿っている。サラ=ディンを失ったときと同じ瞳でフラッシュを睨み付ける。
「貴方さえいなければ……!」
 胸を抉るような声でイザベルは罵倒した。
 フラッシュは小さく肩を揺らしただけで何も言わない。反論もしない。ビトもライラも、どうすればいいのか分からず黙って成り行きを見守る。
「貴方さえいなければ、トゥルカーナはずっと平和でいられたのに……!」
「イザベル。フラッシュは……」
 ジュナンの言葉は途中で切れた。何を続けるべきなのか、ジュナン自身にも分からなかったのだ。考えることが多すぎて混乱している。ザウェルは沈黙を保ったまま静かに佇んでいる。
 アリカは顔を上げた。
 憤るイザベルから顔を背けて床を見つめるフラッシュの姿は、どこか自分を彷彿とさせた。否定の言葉を投げられて反論もしない。直接自分に向けられた言葉ではないが、アリカはやるせなくなった。日本にいたとき何度も聞かされた言葉だ。何も返さないフラッシュに腹が立つ。
「フラッシュは、トゥルカーナを救おうとしてくれているじゃない……」
 アリカがぽつりと零した言葉は、思いのほかその場に響いた。
 皆がアリカを注目する。アリカは慌てたが、取り消さなかった。
 イザベルは驚いたが、少しばつが悪そうに視線を逸らせて呟いた。
「アリカは何も知らないから」
 まるで責められているような台詞にアリカは気持ちが沈んだ。
 その言葉も、何度も聞いた。トゥルカーナに来てすらも。
 貴方は知らないから。貴方は違うから。貴方には分からないから。
 たった一言だけで会話は終了する。
「フラッシュがトゥルカーナを救おうとするのは当たり前だわ。罪滅ぼしだもの。フラッシュのせいでトゥルカーナは消滅しかけてるんだもの。救おうとしなければこの男の気が済まないだけよ! 私たちのためじゃないわ!」
 アリカに勢いを削がれていた声は再び熱を帯びていく。誰とも視線を合わせず、自問自答を繰り返すようにイザベルは続ける。
「フラッシュの存在自体が罪なのよ! いくらトゥルカーナを救おうとしたって消えないわ。私が、消させない!」
 断言したイザベルは呼気を弾ませる。アリカはもどかしい思いを言葉にしようとしたが、できなかった。瞳を瞠ってイザベルを見つめる。やがて静かに胸に浮かんだのは『違う』という一言。まるで聴覚を奪われたかのように、何も聞こえなくなった。
 存在自体が罪。トゥルカーナを救っても消えない罪科。
 アリカは胸を痛めた。自分に向けられた言葉ではないと分かっている。けれどどうしようもなく哀しくなる。ならば、直接ぶつけられているフラッシュの痛みはどれほどのものかと視線を向ける。
 フラッシュは何の動揺もなくイザベルを見つめていた。一見すれば、ただ聞き流し、気にしていないようにも思える。だがそう見える者ほど内面は違うものだ。漆黒の瞳はイザベルを映し続け、逸らされることはない。
 アリカは悔しくてフラッシュに近づいた。
(――傷付かない人なんていないわ。ねぇフラッシュ? 生きようとすることが許されないなんて、そんなことないから)
 アリカが皆に会って救われたように、この男も救われないだろうか。
 覗き込むようにしてアリカは見つめた。
 彼の瞳を見つめ、アリカはどこか感覚が欠落したままフラッシュの腕を掴んだ。
「私は好きよ。フラッシュ。貴方が何者でも」
 アリカは腕を掴んだまま真剣に告げた。そのまま背伸びをして口付ける。少しだけ長く伸びたフラッシュの前髪が頬を撫でて、くすぐったかった。
 離れたアリカはフラッシュが見る間に赤くなったのを見た。なぜだろうと首を傾げ、直後に自分の行動に真っ赤になる。何をしたのか正確に把握した。羞恥心がないわけではない。
 フラッシュから慌てて離れるものの、動揺が激しすぎて足に力を入れるのを忘れ、踵を返そうとして転びかけた。無様な行動を見られたかと恐る恐る振り返る。フラッシュの瞳は真っ直ぐにアリカを映していた。囚われたように、アリカは硬直して動けなくなった。
「……イザベル」
 ザウェルがイザベルの名を呼んだ。
 それまでアリカの行動に毒気を抜かれて放心していたイザベルは、我に返る。そしてまた、アリカたち二人もザウェルの声を合図に振り返る。
 皆の注目を浴びたザウェルは微笑んだ。
「今は休もう。それからまた皆で考えればいい。トゥルカーナを救う方法をね。皇女」
 語尾を強められ、イザベルは息を呑んだ。悔しくて唇を噛む。
 アリカの言う通りだと思った。今までの言葉は単なる八つ当たりだ。計算したわけではないアリカの行動は突飛過ぎて、弾けそうなほど張り詰めていた緊張が消えていた。心が軽い。
 イリューシャに瓜二つの容貌で、アリカはフラッシュを許すという。トゥルカーナを滅ぼす存在を。
「騒がせてごめんなさい」
 イザベルはビトとライラに謝った。
 二人もやはりアリカの行動に衝撃を受けていたらしく、言葉もなく勢いよくかぶりを振った。
「し、寝室を用意するわ! えと、アリカも、こっちに」
 ライラはアリカを気遣うように背中を押した。アリカは心ここにあらずのように歩き出す。顔を赤くしたまま居間を出る。誰とも視線を合わせない。
「あ。隊長たちはこっちに」
 ライラが女性たちを見送ったあと、ビトはフラッシュを窺うように覗き込んだが、睨まれて視線を逸らす。寝台に使えそうな物を寄せ集めて部屋に押し込め、一人ずつ休めるように何とか部屋を整える。
 案内し終えたビトは居間に戻る。しばらくするとライラも戻ってきた。彼女は疲れたようにビトの隣に座り、食卓に突っ伏す。
「家は定員突破だな」
 ビトは呟いて天井を見上げた。さきほどイザベルが放った言葉を胸中で反芻させる。フラッシュがトゥルカーナを滅ぼすという言葉は、たとえイザベルから聞いた言葉だとしても信じられない。何がどうしてそのような展開になっているのか。誰か説明して欲しいと思う。
「ねぇビト」
 ライラはぼんやりした瞳で宙を見つめていた。
 ビトは首を傾げてライラを見る。彼女の顔は赤い。また熱でも出ているのかと心配になる。そんなビトの思いを他所に、ライラは呟いた。
「異界の姫と騎士との禁断の愛っていいわよねぇ」
「は?」
 熱に浮かされたような発言と表情に眉を寄せる。
 ビトは現実を見たくなくて、聞かなかったことにした。