第五章

【七】

 手を引かれて皆の前から姿を消し、アリカは自室に戻ったがイザベルが一緒に入ってくる。何かあったのだろうかと振り返って首を傾げる。心配になるほど彼女の表情は険しい。
「イザベル?」
 問いかけるとイザベルは扉を閉ざし、一呼吸置いてから口を開いた。
「アリカはフラッシュが好きなの?」
 不測の事態にアリカは慌て、どうしようか悩んだがイザベルの視線に冷静さを取り戻した。彼女の声音もからかうものではなかったと思い出し、アリカは動揺しながらも真剣に答えようとする。
 イザベルが言う『好き』の意味は、クラスの女子たちが良く騒いでいた意味と同じだろう。けれどそんな経験をしたことのないアリカには違いなど分からない。人とこうして普通に会話を交わすことすら、今まで稀だったのだ。
 アリカは眉間に皺を寄せながら考え込む。
 好きか嫌いかと問われれば『好き』だ。けれど『異性として好き』なのか問われれば『分からない』が一番正しい。
 沈黙をどう受け止めたのかイザベルは溜息をついた。アリカはドキリとして不安に彼女を見つめる。何か答えなければいけないだろうかと必死で言葉を探したが、生憎彼女が気に入りそうな答えはない。
「フラッシュは駄目よ、アリカ」
 アリカは瞳を瞬かせる。言葉の意味が分からなかった。
 イザベルはアリカの目の前まで寄るとその手を取る。
「王宮の“引継ぎの間”に入ろうとした時、アリカは光を放ったわ。私たちより数段強大な光をその身に秘めている」
「光?」
「そう。あいつに触れてもアリカは何ともなかった。それはあいつと同程度か、それ以上の光を持っているから」
 夜色の瞳を伏せて紡ぐ声は、まるでイザベルの意志に反しているようだった。彼女は一体何を言っているのだろうかとアリカは眉を寄せる。そんな考えが表に出てしまったのか、気付いたイザベルは言葉を止めて困ったように視線を彷徨わせた。
「貴方のいた世界には属性の概念がないのだったわね」
 イザベルは部屋を見渡して手頃な小物を持ってきた。手の平に収まる石のようなガラス玉だ。彼女はそれを四つ、床へ輪になるようにして並べた。そしてそれぞれ指でガラス玉に文字を描く。彼女の指には何もついていないが、指の動きに合わせてガラス玉には青い文字が記された。
 ――光、闇、陽、月。
 どれも知っている言葉だ。
「これは?」
「これが今、世界を構成している属性。大きく分けて四つあるわ」
 座り込んだイザベルに合わせてアリカも座る。いまいち良く分からないイザベルの説明に、アリカはただ黙って頷いた。
「世界はこの属性からなる。アリカの世界でもそれは同じ。知らないでも生きていけるから、私たちみたいにそういった危機感がないだけ。でも私たちは知らないといけない。属性の調整もあるし、私たちは外の世界と交流を持つこともあるから。そんな時、もし対極の物同士が交わってしまえば滅びが待っているから」
 イザベルは視線を落としたまま「この世界のように」と呟いた。
「トゥルカーナはこの“光”によって構成された世界」
 イザベルは“光”と記したガラス玉を指した。そして次に、対角に位置するよう置いた“闇”のガラス玉を指す。
「フラッシュはこの光の世界に紛れ込んでしまった闇の者。本来ならこちらの“闇”属性の世界にいなければならない者」
「……なぜ?」
「全ての属性は周囲に影響を受けるの。光の側に光があれば光は更に強まるし、光の側に闇があれば光は弱められる。もしかしたら耐え切れずに消されてしまうかもしれない」
 イザベルは考え込むように首をひねって天井を指した。
 部屋を照らす光はライラの魔力が保っている物。外の明るさと部屋内の明るさを感知し、人が訪れたら眩しくない程度の光量を放つ、電灯の機能を持つ。
「……結ばれることなんてないわ。滅びが待っているだけよ。貴方が消されるか、フラッシュが消されるか」
 ふとアリカの脳裏に“忌み子”という言葉が蘇った。
 良く分からぬまま続く言葉を口に出す。
「光と闇の、忌み子」
 イザベルが顔を上げた。
「私は光と闇の忌み子なんだといわれた。それは、今イザベルが話してくれたことと関係があるの?」
「光と闇の間に生まれた子供という意味よ」
「でも、さっきのイザベルの説明では、二つは相容れない物なんでしょう? その間に生まれるなんて変じゃない?」
 一筋の希望に縋るように、アリカはイザベルを見た。自分でもなぜこんなに必死になってしまうのだろうと首を傾げるが、深く考えないまま問いかける。
「二つの属性が均衡を保っていられるのなら有り得るかもしれないわね。現にアリカがいるのだから、有り得るのだわ。でも、属性って言うのは人によって様々だから、全く同じ力を持った物同士が巡り合うなんて奇蹟に等しい。だから、星の頂点に立つ者達は貴方の存在を認めない」
 イザベルの瞳がアリカを貫いた。突然の否定に瞠目する。
「貴方の存在は不安定だから。その体に光と闇の両方を秘めているかもしれないから。もしそうであれば、どちらかの属性が上回った時、貴方は死ぬわ。そして周囲に被害が起きるかもしれない。何が起きるのかは分からない」
 イザベルは手の中に包んだ“光”のガラス玉を落とした。それは質素な音を立てて“闇”のガラス玉に落ち、床を転がって“陽”のガラス玉を弾く。
 何とはなしにそれを見ていたアリカは、脳裏でイザベルの話を整理しようと躍起になっていたが、頭が回らなかった。
「けど、アリカは光を放った。だからきっと、貴方の存在は光なのだわ。あれだけの強い光を放っても、その側に闇は見られなかったもの」
 少しだけ明るいイザベルの声が響くが、アリカはほとんど聞いていなかった。
 思い出すのは闇の中。トゥルカーナに招かれる前の闇で、理不尽な強制を受けて怒りをぶつけた時のこと。知らずに光を走らせた自分は倒れ、闇の中で響いていた声は安堵を滲ませて呟いたのだ。
 “光が受け継がれたか”と。
 それはアリカを正確に知っていたからこその台詞。
 アリカの瞳が大きく見開かれる。耳の奥に残った言葉はそれだけではない。遥か昔、遠い日の言葉が甦る。温かく強い人の声と言葉。生きる為に忘れろと願われた。その声は、闇の中で響いた安堵の声と同じだ。
「私……」
「本当ならアリカはずっとあの世界で普通の人として生を終えるはずだった。貴方の母の願った通りに」
 アリカはその言葉に顔を上げた。
「貴方の両親と貴方は、全世界で指名手配されているの。第一級犯罪者として」
「第一級犯罪者?」
 耳慣れない言葉に首を傾げる。それでも言葉に含まれる意味は感じ取れる。自分の知らない所でなぜそのような物が決められているのかと不愉快に思っただけだ。
 トゥルカーナに召喚され、仲間に囲まれて幸せだった。けれど、急に暗闇に一人で放り込まれたかのように感じられた。しっかりと踏ん張っていた地面が脆く崩れて闇の中へ放り込まれてしまったようだ。幸福は長く続かないと分かっているのだろうか。それとも、独りでいる時間が長過ぎて今の幸福が怖いだけなのだろうか。アリカには分からない。
「でも、トゥルカーナを救うためには仕方がなかった。私たちの呼びかけに応えてくれたのは、貴方の母だけだった」
「は、は?」
「カディッシュ=リーゼ=アルマ。光星界の女王が、貴方の母親」
 先ほど落として転がった“光”のガラス玉が示される。
「光属性を統括する星の支配者」
 アリカは胸を押さえた。それでは闇の中で聞こえていた声の主は確定する。
(カディッシュ=リーゼ=アルマ。それが母親の名前)
 母が応え、そしてアリカはトゥルカーナへ召喚されたのだ。馬鹿みたいだとアリカの唇に冷笑が浮かんだ。
 トゥルカーナを救うには“引継ぎの間”へ入ることが決められていた。アリカがトゥルカーナへ召喚される前から分かっていたことだ。カディッシュ=リーゼ=アルマはそれを承知でアリカをトゥルカーナに召喚したのだ。“引継ぎの間”に入るのが闇であれば面倒なことになるから、トゥルカーナへ召喚する前に、アリカが真に光を持っているか確認し、安堵をして。
(罪の代価を、私で支払う為に……!)
 アリカは目の前が真っ暗になった。
 まだ見ぬ母。向けられることを願った笑顔。
 嫌われて一人にされたのではないと告げられたこともあったけれど、その時の幸せな嘘など瓦解する。トゥルカーナを救う為に娘の命を捧げ、そうして産んでしまった罪も消そうというのか。
「アリカ」
 アリカは瞳を見開いていた。けれどそこにはイザベルも何も映されてはいない。
「イリューシャ姉さんがアリカと同じ容姿に創られたのは、いつか貴方をトゥルカーナに呼び寄せる為だったの。イリューシャ姉さんと交換して、アリカは私の姉として生きる舞台を整える為だった。そうしてサイキ女王はイリューシャ姉さんを創ったのよ」
 アリカは耳を塞ぎたくなった。そんなことが許されるなんて知りたくなかった。
「サイキ女王はアリカの母と同じ、制約を受けた一族なの。一族同士でなければ子供を産めなかった。けれどそれだと種が絶えてしまうから、一族は苦肉の策として、大気から純物質を取り出し変換して子供を生み出す特質を備え始めた。サイキ女王もそうやって私たちを作ったのよ」
 アリカからはもう意味のある反応を引き出せなかった。聞いているのかいないのか、それすらも分からない。イザベルは哀しく瞳を伏せながら唇を噛む。言わない方が良かったのか、今でも判断がつきかねている。
「カディッシュ=リーゼ=アルマ……アルマ女王は貴方を愛していたわ。だから、貴方がフラッシュを愛することは、きっと認められない」
 アリカを生贄として生き延びようとした者たちが言えることではない。
 イザベルは立ち上がって部屋を出た。一人で取り残されたアリカは黙って瞳を見開き、ただ静かに涙を零すだけしか出来なかった。


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 ジュナンには見回りに行くと言っておき、ザウェルは上空へ飛び立ってしばらくしてからフラッシュを捜しまわっていた。
 トゥルカーナには瘴気が蔓延してきており、空に飛んでしまえば地上の人間を捜すのにも一苦労である。平和であった頃はその者が持つ独特の気配で見つけ出すことも可能だったのだが、今となってはそんな特技も発揮できない。
 一度ジュナンの所に戻らないと心配するだろうか。
 そんなことを考え始めていた時、ザウェルはようやくフラッシュを見つけることが出来た。
 彼はヒマリアの絶壁近くに立っていた。
 王宮を眺められる岩場に佇む彼の背中は何だか寂しそうで、ザウェルは何となく腹を立てながら急降下した。彼が起こす風に煽られてフラッシュは顔をしかめる。誰が来たのか確認すると苦笑した。
「何だよ。独りでも平気だぜ?」
「そんなこと心配するだけ無駄だろう? 違うよ。そのことで来たんじゃない」
 心配したことは綺麗に消して、ザウェルは翼を閉じた。
「じゃあ何だ?」
 フラッシュは肩を竦める。
 ザウェルは一度上空を見回し、誰もいないことを確認してからフラッシュに近づいた。常にない厳しい表情で迫られて眉を寄せる。
「フラッシュ。アリカのこと、どう思ってる?」
 ザウェルは至って真剣な表情だ。フラッシュは憮然としたように唸った。
「どうと言われてもな」
「……今の状態は、危険だよ」
 それが何を指しているのか、聡い彼にはわかった。
「……ああ……」
「気付いてるんだ?」
 ザウェルは厳しい目でフラッシュを睨んだ。
「……そりゃ、気付かない訳にはいかないだろ」
 フラッシュはその視線も受け流して肩を竦めた。指に嵌められている金の指輪を見下ろす。サイキ女王から下賜された地位の証。
「応えることは出来ない」
「誰に?」
 嫌な問いに睨むが、そんな脅しに屈する相手ではない。
「光、だろ」
「ジュナンは……」
「分かってる」
 ザウェルが言いかけたことを遮ってフラッシュはかぶりを振った。
「……俺は、誰にも応えねぇよ」
 ここは光の者が治めるトゥルカーナだ。フラッシュを受け入れる者はいない。属性が受付ない。だから、応える訳にはいかない。
「お前も大変だな」
「大切な双子だからね。ジュナンを守れるのは僕だけだ」
「麗しい兄弟愛で」
「茶化すなよ」
 ザウェルは睨みつけた。声には一片の緩みもなくて、彼が本気で今回のことを案じているのだと知れる。フラッシュはなんだかくすぐったくなった。
「……応えるつもりがないならキッパリしてくれ。本当に、今の状態は危険なんだ」
 彼が何を危惧しているのか知っている。それでも、それを本当に拒むことが躊躇われていた。フラッシュにとってもアリカは未知の存在である。属性に対する知識がないためか、フラッシュを見る目は誰よりも純粋だ。
「……なぁ、フラッシュ」
 沈黙を破るようにザウェルが語りかけた。フラッシュは目だけで彼を促す。
「トゥルカーナは、日々聖の気が薄れているよ」
「……ああ」
「僕らは聖気を翼へ変換して作り出す一族だ。それなのに……変換する為の聖気が今はもう薄れ過ぎていて……」
 その言葉にフラッシュはザウェルを見た。
 一瞬後、彼の背中に眩い光輝が宿って翼を作り出すが、それは今までと何ら変わりがないように思える。
「そろそろ限界なんだ。きっと飛べなくなる」
「……悪い」
「だから、何で君が謝る必要があるのさ。そういうことばっかり言ってれば、アリカでなくても怒りたくなるよ」
 翼を消したザウェルは腰に両手を当てて怒って見せた。そんなことをされても全く迫力に欠けるのではあるが。ザウェルはため息をついて手を振った。
「じゃあ、そういうことだから……頼むよ、フラッシュ」
「ああ」
 ザウェルはもう一度翼を広げて飛び立った。見送ったフラッシュは再び王宮を眺める。エイラも消えてイザベルもいない今、王宮は光を失っている。どす黒く、見ている者の不安を煽るような雰囲気。あの中にいる者と同じ物が自分の中にも流れていると思うとおぞましかった。なぜサイキ女王は自分を拾って育てたりしたのだろうと思った。あのような不浄の者を育てようなど正気の沙汰ではないように思える。本人に直に聞こうとも、彼女は既にいない。
 フラッシュは唇に触れた。
「……あれは反則だよな」
 救われたのは事実だ。衝動的に泣きたくなった。
 それでも応える訳にはいかない。
 もう一度王宮を眺めて背中を向けた。
 “先代の落とし子”と言われたことを思い出す。イザベルの言葉を思い出して心が重くなったが、素直に感情を向けるアリカとザウェルの存在に心が軽くなる。暗くなる言葉を鼻で笑い飛ばす。
(だったら何だって言うんだ。俺を育てたのはそいつじゃない、サイキ女王だ。闇へくだれと言われても、俺が育った場所はここでしかない)
 フラッシュは地面を見つめた。
 王宮が近い為に瘴気が濃くなり、地面も僅かだが腐敗している。足を付けると僅かに体が沈む。泥の様にぬかるんでいる。
(……俺にない物を持ってるくせに)
 どんなに望んでも手に入ることはない。それを簡単に捨てられるシュウランに腹が立った。
「……救ってやるさ」
 フラッシュは不穏に呟く。
(それが俺の責任なんだろう?)
 その為には他星の協力を仰ぐことになったって構わない。俺の矜持よりも優先するべき物が沢山あるんだ。あいつらの思う通りにだけは、絶対させない。