第八章

【三】

 剣を振るうけれど、覚悟していた手ごたえはない。剣の扱いに慣れれば慣れるほど、バールたちは簡単に闇に還る。
 アリカは息を上げながら不思議な気分になった。
 剣先がわずかに触れる――それだけで、バールたちは悲鳴を上げることもなく、砂塵になって闇へ姿を戻す。フラッシュが斬ったときと同じだ。その闇は空気に溶けて、トゥルカーナ全体へ広がって行くようだった。再び復活することはないが、屠れば屠るほど、トゥルカーナに蔓延する闇が濃くなっていくかのように感じられた。
 アリカは唇を噛んだ。人の形を持って呆気なく滅んでいく彼らに違和感と不快感が拭えない。そしてまた、彼らを屠るたびに体が闇に蝕まれていくようで、心はグラグラと揺れるのだ。
 どうして――その問いかけは答えを得ぬまま、何度でも繰り返される。


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 デューラ=ジュイール=カルは上空から地上を見下ろしていた。腕を組み、無駄な足掻きにしか取れない地上の彼らを睥睨する。そうしながらずっと考えていた。
 神殿から現われた黒魔。彼は闇星界で重要な位置を占める強者。誰もが恐れを抱く存在だ。しかしそれだけ強大な力を有しながら、彼が王になることは決してない。星王が力尽きると同時に黒魔は意図して力を隠してきたように思える。偽りの王を掲げ、裏からその力を操るのだ。だがそれは当然とも言える。誰もが星王になどなりたくない。だからこそアルマたち一族は追いつめられ、いまだ姿を現すこともできないでいる。
 闇星界を動かしているのは王ではなく黒魔だ。デューラ=ジュイール=カルが王になったときですら、すべてが思い通りになったことはない。それどころか、王になったことで縛られる制約が増えていた。即位した瞬間から、体は自分の意志とは別のところにある。
 すべては黒魔のために。
 はめられたと気付いたのは王になった後のこと。手遅れだった。
 王になってから自分の意志で動けたのは、カディッシュ=リーゼ=アルマの光を目にしたときだけ。自身を戒める闇の鎖は彼女の光によって浄化され、彼女を罪に追い込んだ。王であった期間の、最初で最後の、自分の意志。
 そうして追っ手から逃れ、捕らえられ、再び逃れて。その間中、ずっと考えていた。
 アルマを罪に追いやったのも黒魔の誘惑があった。それは光星界王と闇星界王を追放するに等しい行為。なぜ黒魔がそのようなことを許すのか、見当がつかない。異属が交われば均衡が崩される。黒魔自身にも災いが降りかかるというのに、まるでそれを推奨するかのように許され続けている。ただの酔狂では済まされない。彼の元を逃れた今でも、いまだ傀儡のような気がするのはなぜか。
 幻想界では力が強い者ほど不老長寿が約束されている。星の力を体に循環させているのだからそれも当然か。老いるときは死ぬときのみだ。
 そして黒魔は、カルが知る限り、遥か昔から闇星界にいる。彼が誕生したときのことを誰も知らない。
 黒魔の望みは何だ。
 忌み子を見つけておきながら野放しにする。犯罪者を見つけておきながら捕らえようとしない。
 捕縛は幻想界の王たちで決定された、何よりも優先される重要事項だというのに、黒魔は簡単に無視をする。
 彼の姿は見えないが、トゥルカーナから離れていないことは分かっていた。昏い深淵から、震えが走るような視線がずっと向けられている。ずっと見張られている。だがそれだけで、積極的に手を出すような真似はしてこない。アリカを渡せと言いながら連れて行こうとはしない。いや、王宮でアリカを交えて相対したとき、彼はまるで『父』という言葉を聞かせたいがために『渡せ』という言葉を使っただけなのかもしれない。その考えは腑に落ちて納得する。そうとしか考えられなくなった。黒魔はまるでアリカが不安定になることこそを望むようだ。
 アリカを動揺させたあとは再び姿を消し、成り行きを監視している。
 カルは歯噛みして焦燥した。何もかもが黒魔の手中にあり、悔しくてならない。これではアルマを解き放つことなど不可能に近い。
 カルはそのとき、琴線に触れる光を地上に見つけて瞳を細めた。意識を現実に戻して顔をしかめる。不快な気配を持つ光の者たちだ。アルマという本物の光を知っているカルにとって、その光は耐え難いほど心に障った。無駄な足掻きでバールたちを追いやり、薄い膜を張って守っている気になっている。あのような結界など、自分が触れただけで敢行者は弾け飛ぶだろうに。許容できない異属に触れ、何が起きたのか分からぬまま消える。
 すでにトゥルカーナなどどうでも良かった。破滅に向かう星を止めることができる者はこの場にいない。これ以上カルが手を加えなくても滅ぶことは分かっている。
 カルの意識はトゥルカーナから離れて黒魔に向かう。彼が何をしようとしているのか、今ではそちらに関心が向けられている。
 黒魔はアルマの居場所を知っている。それを知るために、彼の優位に立つために、彼の計画を知る必要がある。どうすれば邪魔できるのか。いつか描く、未来のために。
 カルの意識が再び地上へ向けられた。視線の先にはアリカの姿があった。
 ――先ほどから目障りな光を放つ娘。珍しく黒魔が執着を見せた彼女を消し去れば、彼はどうするだろうか――
 カルは高度を落とした。今までまったく動かなかった彼の、突然の行動に、動揺する気配が感じられる。それらの視線を不愉快に受け止めながらカルは思った。アルマの血筋から派生した出来損ないたちも消さなければならない。アルマと比べるなどおこがましいにもほどがある。
 カルは薄い笑みを浮かべた。


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 ビトがようやく動ける段階にまで回復したとき異変に気付いた。
 バールたちの動きが変わった。
 それはとてもささいな変化だったが、アリカは眉を寄せる。積極的に襲いかかって来ていたバールたちがほんの少しだけためらうようになり、やがてアリカたちから距離を取り始めた。最初は気のせいかと思っていたが、隣で剣を振るうジュナンも首を傾げたことから気のせいではないと悟る。どうしたのだろうと思ったとき、頭上を翳らせた者の存在に表情を強張らせた。
 デューラ=ジュイール=カル。
 ゆっくりと高度を下げ、表情まで窺える位置にきていた。
 交差する視線。能面のような表情。彼の腕が伸ばされて、アリカは硬直する。
 カルの手に集中する“力”。アリカは気圧が変化するのを感じた。耳鳴りがして頭が痛くなる。息を呑んでイザベルたちを振り返る。皆はまだ気付いていないようだ。カルと視線を合わせたアリカだけに生じた危機感。
 直感のまま「離れて」と叫ぼうとしたアリカは、息を吸い込んだ瞬間、背後から真っ白な闇の中に取り込まれた。圧迫感のある白光。なにが起きたのか分からない。息を止めた次の瞬間には、何も見えない闇が再びアリカを包む。
 フラッシュのときと同じだ、とアリカは悟った。光だと感じたものは実は闇で、デューラ=ジュイール=カルが放ったものか。
 闇はライラの結界を易々と突き抜け、その場にいた全員を飲み込んだ。
 アリカは叫ぶこともできず呆然と佇みながらその様を眺めた。
 ――だってあの人だもの。敵うはずがないんだもの。
 諦める心に従って体中から力が抜ける。膝を着こうとしたアリカだが、反対に湧いた強烈な反発心を奮わせて立ち上がった。闇に揺り動かされ、胸の奥が強い熱を宿す。
 起き上がった瞬間、アリカが倒れようとしていた場所に槍が突き立った。あのまま諦めて倒れていれば、頭を貫かれていた位置だ。アリカは息を呑む。狙いを外したバールが悔しげにアリカを睨んでいた。その視線に竦み、剣を握り直そうとしたアリカだが、いつの間にか剣が消えていることに気付いて目を瞠った。どこかで落としてしまったのかと地面を探すが、託された剣は見当たらなかった。悔しくて唇を噛む。
 闇に包まれた体には違和感が残る。
 迫るバールの爪を、転がることで避けたアリカは視界に入った周囲の惨状に息を呑んだ。
 ヒマリアの絶壁からアリカが立つ場所までは、ユピテルの森が広がっていた。けれどそれは見られず、代わりに広がっていたのは荒野だった。えぐれ、でこぼこと無残な姿をさらす大地。恐らく森の残骸であろう、焼け焦げた樹が原形も留めない木っ端となって散々していた。どうやら闇に飲まれたのはアリカだけで、その他は闇がまとった勢いに飛ばされただけのようだ。
 アリカは呆然と辺りを見回し、雷に打たれたように棒立ちとなった。
 見つめる視線の先には酷い現状が広がっていた。少し遠くでえぐれた大地に、わずかに手を地上に突き出し、残骸に埋もれる人々は。
「い……っ」
 瞠目して一歩を踏み出す。認識したとたん視界が広がる。無残な残骸に埋もれて徐々に滲み出る鮮血。アリカの頬をバールの爪が掠る。そして流れ出る一筋の赤とは比べものにならない赤が、視界の向こう側に広がっていた。
 動かないアリカに嬉々として跳びかかろうとしていたバールだが、不意に遠く離れた。デューラ=ジュイール=カルが側に立ったためだ。けれどアリカは気付かない。黙ったまま彼方を見つめる。
 駆け寄るのが怖い。掘り起こし、現実を受け入れるのが恐ろしい。
「や……だ」
 ゆるく首を振る。
 デューラ=ジュイール=カルの手が伸びる。アリカの銀の一房に触れかけたそのとき、頭上を影が過ぎった。アリカを飛び越えて視線の先に降り立つ。
 フラッシュだ。
 彼の左腕は服本来の色が判然としないほど赤く染まっていた。しかしフラッシュは頓着せず、両手で瓦礫をつかんで放り投げ、掘り起こす。そこまで刻を止めていたアリカはようやく我に返り、瞳を瞠り、走り出した。
 触れ損ねたカルは遠ざかるアリカを無感動に見つめて半眼を伏せた。力を集中させ、今の攻撃で減ったバールの数を増やす。バールは己の影から生まれる、純粋な力の結晶だ。バールを生み出すたびにカルの力は消耗するが、それは休めば直ぐに取り戻せるような問題だった。それだけで自由な駒を生み出せるなら一時の不都合は無視しても構わない。
 カルは意識してバールの像を脳裏に結び、彼らの存在を許容した。
 それはまるで気紛れに、なにをすれば黒魔の妨げになるのか、試行するような感覚だ。トゥルカーナは巨大な実験場へと意味を変える。彼にとって真実の意味を持つものはアルマだけなのだから。