第八章

【四】

「皆、皆は!」
 アリカはフラッシュを手伝って掘り起こした。突き出た手を埋める木片を掻き出し、見えた腕をつかんで持ち上げる。血まみれになったイザベルが姿を見せた。意識はない。
 かなりの出血を見た途端、アリカはイザベルから手を離した。彼女は再び瓦礫の上に横たえられる。
「死んでない」
 フラッシュはアリカの怯えを否定する。けれどイザベルの出血箇所に手を当てると顔をしかめた。側頭部から流れる血は止まっていない。舌打ちして上着を脱ぎ、引き裂いて止血する。治癒力を持たない彼にはそうすることでしかイザベルを救う術がない。
 フラッシュの力が弱まっているのか別の力が働いているのか、彼が触れてもイザベルには変化がない。触れてからそのことに気付いたフラッシュは慌てて手を離した。しかしイザベルに拒否反応は見られない。気を失っているからだろうか、とも思う。
 だが今このとき、無反応でいてくれるということはありがたかった。
 触れても彼女が消えないと確信したあとは迷わない。手際よく応急処置を施し、次の救出に取りかかる。イザベルの側にはライラとビト、そしてザウェルがいたはずだと思いだしながら瓦礫を掘り起こす。
「アリカ!」
 座り込んだままのアリカが過剰に震えた。彼女の瞳には、いまだ恐怖が宿り、イザベルを眺めている。
 フラッシュは一度手を止めてアリカに向き直った。嫌がるアリカをねじ伏せ、その手を強引にイザベルの頚動脈に当てさせる。鼓動を確認させる。
 ぬるりとした感触に手を引きかけたアリカだが、その下から伝わってきた鼓動を確認すると抵抗をやめた。手に伝わる音は確かに強い。何より、つかむフラッシュの手は生きている人の熱を宿している。
 安堵した刹那、アリカの直ぐ側の地面が崩れた。フラッシュが素早く身構えたが、直ぐに相好を崩す。瓦礫の下から現われたのはザウェルだ。片手にビトを抱えて這い出ようとしている。外見だけで判断すれば、彼は軽傷のようだった。
 フラッシュは立ち上がった。うるさく付きまとうバールの存在を無視し続けるわけにはいかない。先ほどまでより格段に数を増やした彼らを忌々しく見つめる。救出作業はザウェルに任せ、フラッシュはバール掃討に専念しようとした。指輪に触れる。使い慣れない“力”を紡ぐ。刻まれている本能が、言葉に応じて“力”を練りあげる。本能を支配して紡がれる。
 フラッシュの攻撃によって、周囲を取り巻くバールたちが一掃された。けれどバールの数は無限とも言える数だ。直ぐに新たなバールたちが跳びかかってきて、フラッシュは剣を振るう。
「ビト……!」
 背後でアリカが息を呑む。間隙を突いてバールを一断ちし、振り返ったフラッシュは眉を寄せた。
 ビトの右足は、膝から下が欠けていた。イザベルとは比べ物にならない量の血が瓦礫を塗りつくす。欠けた右足からは、鼓動ごとに鮮血が湧き出る。彼の意識は当然ながらない。
 フラッシュとザヴェルは視線を交わしあった。
 ――助からない――
 施設に運んで直ぐに治療を受けるか、イザベルのような術者に治癒をかけて貰うか。ビトが助かる方法はどちらかしかない。しかし非常事態の今、それは不可能だ。イザベル自身、重症で意識がない。
 ビトの出血は見る間に弱まった。鼓動ごとに噴出す鮮血も量を減らす。
 奥歯を噛み締めて、フラッシュは彼に背中を向けた。ザウェルもまた、ビトをその場に横たえてライラを捜す作業に移る。
 アリカは不安に二人を見上げたが、視線は交わらない。
 直感的に悟った。ビトを諦めたのだと。
 アリカはそばに落ちていたフラッシュの上着を取るとビトに触れた。
 サラ=ディンの死は報告だけで知った。エイラの死は間近に見たけれど、灰のように消えて、まるで現実味がなかった。人とは違う生き物に思えてしまった。けれど今、横たわるビトは明らかに『人』と同じ。足を失い、血を流し、肌を土気色に変化させて動かない。
 人の死。
 初めてそのことに思い至った。それに触れることは嫌で怖いが、それすら払拭させてビトに触れる。出血を止めなければと、手にしたフラッシュの上着を細く引き裂いてビトの足にきつく巻きつけた。止血点などまるで分からない。とにかく出血さえ止めればいいのだ。渾身の力を込めてビトの足を縛る。
「アリカ、やめろ!」
 アリカの行動に気付いたフラッシュが叫んだ。バールに剣を振るいながら険しい表情を崩さない。ザウェルまでもがアリカの腕を止め、行動を妨げようとしていた。なぜそのようなことをされるのか分からない。アリカは苛立ちながら二人を見るが、彼らは視線を逸らせるだけだった。
 動きを止めている暇はない。早くしないとビトは本当に出血多量で死んでしまう。
 アリカはザウェルを押しのけて作業を再開しようとしたが、さらに強く押し留められた。さすがにアリカはザウェルを睨む。背中を見せるフラッシュにも怒りを向ける。
「このままでは死んでしまう!」
「お前が何をしようと、もうビトは助からない!」
「まだ分からない!」
 なんでそんなことを言うの。やりもしないくせに、決め付けないで。
 言葉にならない想いが胸にうずまく。フラッシュは何も言わず、バールたちをただ屠り続けた。代わりにザウェルが諭す。
「もう助からないんだ、アリカ」
 アリカはザウェルを睨みつけた。
「できる限りのこともしないで決めつけるなんて、絶対に嫌……!」
 突き飛ばすようにザウェルを払う。ビトの足に巻いた布を更に強く縛り上げる。涙を溜めて、死なないでと強く願う。しかしビトから流れる血は止まらない。アリカより多くの死を見てきた二人は人の脆さを知っている。冷静に見極めることができる。これ以上アリカが手を尽くしても、傷つくのはアリカで、得られるものは何もない。
「ふ……っ」
 嗚咽が口をついた。
 もう、フラッシュもザウェルも何も言わなかった。
 ザウェルは黙って離れる。先ほどビトを引き上げた後にあいた穴に手を伸ばした。そこにはライラの小さな手が見えている。その周囲にはやはり、おびただしい鮮血がある。
 顔をしかめて邪魔な瓦礫を取り除く。
 現われたライラの体に手をかけ、瓦礫が崩れないように注意して引き上げる。顔を歪める。
「イザベル……!」
 強い声で呼んだが、彼女は目覚めない。目覚めたところで、重症の彼女にライラを治してくれなどと頼めるわけがない。
 右肘から下を失ったライラの体を平らな瓦礫の上に乗せ、ザウェルはアリカが手にしていた布を取り上げた。
 抗議の声は上がらない。
 ビトの出血は止まっていた。ビトに流れる時間も、永遠に止まっていた。
 アリカは視線を落として何を思っているのか悟らせない。彼女の表情は銀の髪に隠れて窺えない。可哀想だとは思ったが慰めている余裕はない。ライラならまだ、大丈夫かもしれないのだ。
 肘の止血点を強く押しながら、細い腕が折れそうなほど強く布で縛り上げる。勢いよくふきだしていた血が、幾らかおさまった。完全には止まらない。縛り方が足りなかったかと眉を寄せる。止血点を押しながら、縛った上からさらに縛ってもらおうとアリカを振り返ったザウェルは表情を強張らせる。
 アリカがビトの遺体の前から消えていた。


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 容易く時を止めたビトを見て、心の中には何も浮かんでこなかった。
 哀しいとか嫌だとか、そういう気持ちはもちろんあったけれど、明確な言葉として浮かぶものは何もなかった。
 彼が死んで、なぜ自分が生きていられるのか、そのことすら不思議で。
 だから、囁かれた言葉を疑問に思うことも忘れていた。
 ――お前の友人が死ぬぞ――
 囁いたのは誰の声か。直ぐ側で指し示す腕まで見えた気がしたアリカは、そちらに視線を向けて青褪める。ヒマリアの絶壁にいたのはジュナンだった。彼女は自力で瓦礫から脱出できたのだろう。しかし、追いつめられている。バールたちに振るう剣閃には勢いがない。
 ――助けないと――
 誰に言われるまでもない。ジュナンだけは私が助けなければと、アリカは走り出した。
「ジュナン!」
 走り出した先ではなぜかバールたちは襲ってこなかった。
 ジュナンを追いつめていたバールが振り返る。新たな獲物の出現に愉悦を浮かべる。
「馬鹿! 来るなアリカ!」
 アリカの姿を認めたジュナンは驚愕に瞳を瞠らせた。武器も持たずに何ができるというのか。フラッシュの近くにいて、安全を保障されていたというのに、わざわざ抜け出してくるなど馬鹿げている。
 ジュナンは目の前の敵も忘れてアリカに駆け寄ろうとした。
 体が硬直した。
 比喩ではない。本当に硬直したのだ。動こうとしているのに動かない。
 動きを止めたジュナンを見逃すほどバールは優しくない。あっと言う間に襲い掛かる。そんな様を視界に認めながら、顔を動かすこともできずにいた。動かなければ殺されるだけだと分かっているのに、体は金縛りにあったように動かない。
 自由を奪われたままジュナンはバールの攻撃を受けた。跳びかかって来たバールと共に勢い良く後方に跳ぶ。その場から足が離れる。
「ジュナン!」
 直ぐ側でアリカの悲鳴が上がった。姿は見えない。声すら出せなかった。
 爪で貫くのではなく、ただジュナンを押し倒すように跳びかかったバールの行動を妙だと思う心も忘れ、ジュナンはヒマリアの谷に突き飛ばされた。
 かつてアリカが飲み込まれた、昏い谷の闇が両手を広げて待ち構えていた。