第九章

【五】

 フラッシュに支えられながら部屋から出たアリカは、廊下を進みながら驚いていた。白塗りの狭い廊下が続いている。その幅はフラッシュとアリカが並んで歩くのに充分な広さを備えていたが、圧迫感がある。
「ここは、どこ?」
 内装はとても綺麗で清潔感があった。一定間隔で壁に埋め込まれている柱には優美な彫刻がしてあった。とても長い時間をかけて丁寧に彫られたものだろうと思うほど複雑な彫刻だ。一朝一夕にできるような細工ではないと思わせる。けれどそのわりには年月を感じさせない。トゥルカーナにこのような場所があったとは驚きだ。カルによって破壊し尽されたかと思っていたのに、無事な場所もあったのだと嬉しかった。
「ここは城よ」
 アリカの感情が伝わったのか、イザベルが苦笑しながら振り返った。
 その言葉にアリカは瞳を瞬かせる。腕を支えるフラッシュに、問いかけるように視線を向けたが、彼は無言で肯定した。二人が嘘をつくような理由も思い当たらずにアリカは眉を寄せる。
 城はカルによって破壊されたはずだ。復旧するにしても相当な年月が必要ではないだろうか。それとも、それほど長い間、意識を失っていたのだろうか。
「トゥルカーナが復活したからね。城は中央にあるべき建物だから、復活したのよ」
 戸惑うアリカの気配を感じたのかイザベルは笑って説明するが、アリカには意味が分からなかった。イザベルは更に噛み砕いて説明する。
「星と城は密接な関係にあるの。ここは星を支える王が住まう場所。城も王も、どちらが欠けてもバランスが崩れてしまう。だからトゥルカーナが復活した今、星は必然として城を出現させたの」
 やはりアリカには良く分からない。しかし“引継ぎの間”が城にあるということだけは理解できたので、そういう物なのだと強引に納得することにした。
 しばらく進むと見慣れた大ホールに出た。城の玄関だ。カルから逃れようと、ジュナンを外に追いやって扉を閉めた場所。大きな両開きの扉は今も閉まっているが、その両脇には見慣れない二人組がいた。
 甲冑を身につけた二人は性別を見分けることができない。イザベルたちに気付いた二人は目礼して頭を下げた。
「トゥルカーナに、まだ生き残ってる人たちがいたの?」
 アリカは驚きながら呟いた。扉守の二人を観察すると、兜から覗く長い耳が見えた。人間ではないと気付く。好奇心からもう少し観察したかったが、フラッシュたちの足は止まらない。歩くことがやっとのアリカは、これ以上彼に迷惑をかけることもできず、諦めた。
「でも、良かった。どこかに隠れてたのね。助かった人たちがまだいたなんて」
「違う」
 安堵を滲ませながら呟いたアリカの言葉は否定された。アリカは不思議にフラッシュを見上げる。
「彼らはトゥルカーナが復活してから生まれた。トゥルカーナには結局、俺ら以外の生き残りはいなかったんだ。ジュナンとザウェルが毎日見回っているが、今日まで誰も見つかっていない」
「でも、彼らは」
 アリカは眉を寄せる。先ほど会った彼らはアリカよりも一回り年上のように思えた。トゥルカーナが復活してから生まれたのなら、計算が合わない。
 アリカは問いかけるようにフラッシュを見たが、その視線に答えは返らない。それよりも先に三人は目的地に到着していた。
 王座の間に入ると荘厳な雰囲気がアリカたちを出迎えた。
 大きな窓からは陽光が差し込んで石畳から影を切り取っている。窓の両端には渋味のある赤色のカーテンがかけられていた。それをまとめているのは金の刺繍が施された帯だ。深紅のカーテンは体育館にある暗幕を思わせる。
 そして王座の間には、以前と明らかに違う様相が見られた。太い柱が幾本も建てられて王座までの道を示している。以前よりも広くなった気がした。他に誰もいないというのに鮮やかだ。これからを期待するような賑やかさを秘めている。
 ポツンと佇む王座はともすれば違和感を覚えそうになったが、良く見ればところどころに優美な彫刻がしてあり、風景に溶け込んだ。視線を奪われる。
 アリカは玉座の向こうに扉を見た。荘厳な雰囲気に似つかわしくない。その扉だけは妙にみすぼらしくて小さく、所在なく佇んでいる。先に進んだイザベルはその扉の前に立ち止まり、フラッシュに支えられながら歩くアリカを振り返った。引継ぎの間へと続く扉だ。
「イザベル?」
 アリカの声は不安に満ちていたのだろう。イザベルは微笑んだ。
 アリカが到着するとイザベルは扉に向き直り、灰色に沈んでいた扉を押し開いた。その隙間から――小さな光が幾つも零れた。闇の記憶しかなかったアリカは身構えていたが、零れた光に驚いて目を瞠る。好奇心に駆られて覗き込んだ部屋の様子に、更に双眸を瞠る。
「イリューシャ?」
 小部屋の中央にはイリューシャが佇んでいた。両手を胸に組んで瞳を閉ざし、祈りを捧げている。彼女を取り巻くように、部屋に満ちた光は粒子となって、小さな明滅を繰り返しながら舞っている。白い石造りの部屋は、それだけで光を内包しているように思える。
 足を踏みつけるとその風だけで光が宙に舞った。小さいけれど圧倒されるようなものを感じたアリカは息を呑む。そして近づくと、イリューシャに見えたものは、彼女を模した像なのだと気付いた。
「ここは?」
「引継ぎの間。トゥルカーナが正常に戻れば、王が戻れば、この部屋はこうして新たな命を育む場所となる」
 フラッシュが宙に手を伸ばした。光は逃れるように舞い、フラッシュは苦笑する。まだ生まれてもいない命にも本能はあるのか。肉体も持たないまま触れられれば魂まで消滅することを知っている。
「命……」
「ここがこうして戻ったことが、トゥルカーナの正常な姿。本当は、入室は王しか許されていないんだけど、今は特別。……それでね」
 星の根源近くで力を蓄えている小さな命たちは、フラッシュを敬遠するように離れた。イザベルを慕うように彼女の周囲を舞い飛ぶ。イザベルはそれらを肘や手首で遊ぶように弾き返しながら微笑んだ。この穏やかな世界を作っていくのはトゥルカーナに生まれ落ちる精霊たち。
「この子たちが新しいトゥルカーナを導いてくれる」
 引継ぎの間で自我を宿し、トゥルカーナへ放たれていく。そうして何年もかけて人になる。ルエやルチルのような、特別な任を授かる精霊はその場から動かず、人になることもないが、そうではない精霊たちは自由にトゥルカーナを駆け巡る。
「トゥルカーナに生まれた者たちはまた、こうして還ることができる。ジュナンやザウェルも同じ。また新しい命を生きることができるの。だけどね。闇に侵食されて滅ぼされた者だけは還ってくることができない。闇に飲み込まれてしまう」
 それはシュウランのように。エイラのように。
「おいで」
 イザベルは宙に向けて腕を伸ばした。光の粒子がその手に舞い降りる。ひときわ強く、光を内包している。
「貴方の名前はヴィエラよ」
 イザベルが告げた途端、光は急速に明滅を繰り返す。その中に、膝を抱えて眠る人間の姿を浮かばせた。光は地面に下りると消える。生まれ落ちたヴィエラは無垢な瞳のまま辺りを見回し、立ち上がった。その間に薄いドレスをまとい、イザベルに優雅な礼をした。
 アリカは誕生した彼女に息を呑んだ。
 成人女性の外見を持って生まれたヴィエラはアリカに向き直ると優しく微笑む。その様にアリカは息をつまらせ、目頭を熱くして顔を背けた。背中を支えてくれているフラッシュに額をつける。
「ビトもいつか生まれ変わるわ。貴方が救ってくれたから」
 イザベルはアリカの様子を見ながらそう告げた。アリカは恐る恐る顔を上げる。
 バールに殺されるということは闇に侵食され、浄化されぬまま消えるということだ。けれどアリカがトゥルカーナ全土を浄化し、ビトの魂を侵食した闇をも払拭した。トゥルカーナが侵略される前の状態に戻した、という離れ業だったため、果たしてあれを浄化と呼んでいいのか分からないが、ビトが救われたのは確かだ。ビトはアリカの光に守られたまま、トゥルカーナに再び誕生するだろう。
「貴方は救ったのよ」
 その言葉は、アリカの胸に希望を灯した。