英雄たち

【一】

 トゥルカーナは調停星としての機能を全て取り戻した。
 戴冠式を終えた新たな女王はイザベル。即位と同時に設けられた巫女の位にはライラが就いた。盲目の巫女は、まだ力弱い聖歌の綻びを縫い合わせて優しい祈りを広げる。二つの歌声は命の芽吹きを促すようにトゥルカーナ全土に響き渡る。
 その拙さが、新たに芽吹いた命たちにやる気を起こさせていた。二度と悲劇を生んでなるものか。自分たちがこの幼き主を護っていくのだと、強い心が育ち始める。
 トゥルカーナに生まれた者は誰もが戦士だ。
 かつてジュナンがアリカに告げたように、必要とあらば子どもでも剣を取って戦いに赴く。生まれながらに戦士の資質を備えている。
 滅びかけ、失いかけた世界。
 トゥルカーナは今、誰もが協力し合い、再興への道を歩き始めていた。


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 ジュナンはイオの森を散策していた。風精霊に場所を聞きながら、サラ=ディンが最後に見た風景を探していた。さすがにイザベルやフラッシュに聞くことは憚られた。
 コルヴィノ族は滅んだ。彼らが再び生まれることはない。サイキ女王の治世と同時に生まれた彼らだから、サイキ女王の治世と同時に滅びたのは運命だったのかもしれない。けれど生活を共にして深い関わりを持った彼らの滅びを、運命などという一言で片付けるには抵抗があった。
 ジュナンは足元に視線を落として考えた。
 イオの森にある次元の亀裂は廃れゆこうとしている。コルヴィノ族がその力を管理していたのだから、彼らが滅びた今、それは当然の摂理だ。一度は痛い目を見て憎んだ亀裂だが、失われると思うと惜しい気持ちさえ湧いてくる。勝手な感情だ。
 コルヴィノ族もやがては人々の記憶から消えていき、滅んだ古代人としてトゥルカーナの歴史書に記されるだけになるのだろう。
 ジュナンは唇を引き結んで顔を上げた。込み上げてきた想いに耐えた。
「サラ……」
 名前は相手を縛する呪文の欠片。この世に生を受けて去るまで、自身を縛り続ける魔法となる。たった一つの名前に想いを込めて呼び続ければ力も宿る。
 目頭が熱くなったのを感じたジュナンは、失敗した、と思いながら唇を噛んだ。片手で額を押さえて瞼を閉ざす。今までトゥルカーナの復興以外を考える余裕などなかった。だからだろう。こうして、失われた者の想いを考えると嫌でも涙が込み上げる。
 イザベルの戴冠式をもってトゥルカーナの復活が全土に伝えられた。闇に滅ぼされた者たちは、新女王即位と同時に広げられた特別な鎮魂歌により、安らかな眠りに就いたはずだ。今ではビトも闇に魂を縛られることなく永久の安息を得たはずだ。彼の魂を選んでトゥルカーナに呼び戻すことができなくても、いつかの転生は必ず果たされる。そう思えば救われる。
 それでもジュナンは悔しく思う。
 もう少し力があったなら。もう少し早くトゥルカーナを救えていたなら。
 そうであるなら、闇の抱擁を受ける者たちは少なくて済んだのに。
 今は皆が生きていた記憶を忘れないでいることだけが、ジュナンにできる精一杯の償いだ。
「ティナ!」
 自分を呼ぶ声にジュナンは空を仰いだ。
 蒼く晴れ渡る空に一つの白い光が浮かんでいた。ジュナンは破顔して片手を挙げる。自身の存在を示すように腕を振る。すると光は気付いたのか、次第に人間の形を取りながら下降し、ジュナンの隣に降り立った。大きな翼が風を生みだし森を揺らす。
 ジュナンはかざした腕を下ろしながら一つ瞬きし、ザウェルを見た。
「良くここが分かったな」
 翼を畳んだザウェルは悪戯っぽく微笑んだ。
「褒めてくれる? アリカの祝福を受けてから、ティナの気配を読み取る力が強くなったみたいなんだ」
 恥ずかしげもなくザウェルは笑顔で告げる。そんな双子の兄にジュナンは拳を繰り出した。単なる威嚇だ。ザウェルは易々と片手で受け止める。
「ここでの用事はもう済んだのかい?」
「……ああ」
 掴まれた腕を軽く振り解いたジュナンは森を見渡した。
 闇の王者が侵略した面影はない。覚えているトゥルカーナと同じ、優しい陽光が降り注ぐ姿を取り戻している。
 イオの森を眺めていたジュナンの視線が、とある一点で止まった。先ほどまでジュナンが祈りを捧げていた場所だ。ザウェルもジュナンの視線を追いかけて瞳を細める。
 少しだけくたびれた様子の樹の根元に小さな花たちが密集して咲いていた。緑溢れる森の中でそこだけは色を変え、白い花で埋め尽くされていた。陽射しを受ける白い花たちはまるで霞んでいるかのように見える。夜ならば月光に照らされ、さぞや幻想的だろう。
 命を落としたサラ=ディンが、イザベルの力によって昇華された場所だった。そこは後にアリカの力を受けて特別な場所となっている。小さな泉が湧き出ようとしていた。この後も泉は思い出を孕みながら新たな命を育んでいくだろう。サラ=ディンが命を落とした場所が、これからの命を育む基点となる。いずれルエのように精霊が命を宿すかもしれない。それはまだ先の話だ。
 ザウェルは樹の根元に近づいて膝を折った。
 華奢な騎士隊長の姿が花の中に埋もれる。
 ジュナンは瞳を細めてその様子を見つめた。視線を落として小さく眉を寄せる。硬く瞼を閉ざす。脳裏に浮かぶのは在りし日の思い出。それをやり過ごしてからジュナンはザウェルに近づいた。彼のななめ後ろに立つ。
 ザウェルは瞳に痛みを浮かべながら白い花々に手を翳した。太陽の光を充分に蓄えた花弁の一枚一枚は、じかに触れなくても温かな熱をザウェルに伝えてきていた。
 肩を過ぎる長い髪が、サラリと滑ってザウェルの表情を隠した。
「サラ=ディン」
 ザウェルの唇から名前が零れる。
 ――イザベルを護ってくれてありがとう。貴方がいなければ今のトゥルカーナはなかった。イザベルを護る騎士として、そしてリィー=ザウェルとして、貴方に敬意を示すよ。ありがとう。忘れないよ。
 新たな力が湧き出ようとするこの場所で魔法は禁忌だ。ザウェルはそれを悟って心に思うだけに留める。この場の均衡を崩さないように努めて優しく思い出す。
 まるでサラ=ディン自身がその声に応えたように、白い花々が静かに揺れた。
 ジュナンとザウェルが瞑想に耽る、一分にも満たない時間のあとだ。遠くから小さな足音が近づいてきた。切羽詰ったものではなく、音楽を刻むように弾んだ足音だ。真っ先に気付いたザウェルが振り返り、遅れてジュナンも振り返る。
「見つけた! リィー隊長とティー隊長だ! 捜し回ったぜ!」
「兄ちゃん、僕が先に見つけてたんだよ、森の上を飛んでたの、僕が!」
 現れた賑やかな声の主たちは、冒険心をまだ小さな瞳に秘めた、勇敢な子どもたちだった。なんとも初々しい彼らにザウェルは笑みを洩らし、ジュナンも白い歯を見せて笑う。トゥルカーナの未来を担っていく新たな命たちだ。
 生まれたばかりの子どもたちにとって、トゥルカーナの救世主たちはあまりにも身近な英雄だった。イザベルの祝福を受けた彼らは王宮でジュナンとザウェルに出逢い、憧れを強くしたようだ。同時に目標を抱いたようだ。今も彼らの手には、自分の手で削り出したらしい木刀が握られている。
 ジュナンは頼もしい彼らに笑顔を浮かべて近づいた。
「久しぶりだな。この森はお前らの住処だったか」
 声をかけられた兄はふっくらとした頬を上気させて嬉しげに頷いた。その後ろでは弟が泣きそうな顔をして「僕が先に見つけたのに」と不満そうに呟いている。
「初めて会ってから1ヶ月――かな。それなのにずいぶんと大きくなったね」
 ザウェルが進み出て弟の前にしゃがむ。潤んだ少年の目尻を軽く拭って首を傾げる。憧れの対象に声をかけられた上、触られた少年は、赤くなって視線を逸らせてしまう。まるで昔のライラのようだ。可愛らしい様子にザウェルは小さく笑う。
「それで、なに? 剣の稽古?」
「あ、ああ」
 弟に嫉妬心を湧かせた兄の心境が分かったジュナンは苦笑した。彼の興味を引きそうな話題を振ると、彼はすぐに飛びついてくる。
「隊長たちが言ったんだぜ。騎士隊に入るには腕が立つ者じゃないと駄目だって。それで俺たち、毎日この森で練習してたんだ」
「へぇ。頼もしいじゃないか」
「当ったり前だろ。早く強くなって、騎士隊に加えて貰うんだから!」
 兄が誇らしげに胸を張った。その隣では弟も真似し、満面の笑みを浮かべて頷く。
「うん。僕たち、絶対に騎士隊に入るんだよ。楽しみにしててね、隊長たち」
 なんとも微笑ましい彼らに、ジュナンはザウェルと顔を見合わせて笑った。
 ジュナンが彼らに向き直る。
「今日は特別に俺らが相手になってやるよ。お前たち二人だけじゃワンパターンで行き詰まるだろう」
 胸を反らせたジュナンは楽しげに提案した。ザウェルは呆れたようにため息をつきながら立ち上がる。
「ティナ。期待に応えたいのは分かりますが――」
「本当か!? 隊長たちが俺たちの稽古してくれるのか!?」
 今日は大切な別の用事が入っている。だからザウェルは王宮を離れ、わざわざジュナンを捜しに来たのだと、そう告げようとした声は、子どもたちの期待に満ちた声によって遮られた。ザウェルは思わず口を閉じて子どもたちを見る。彼らは両手を固く握り締め、丸い目を今にも零れ落ちそうなほど大きくさせて、ザウェルたちを見上げていた。
「ああ。もちろんだ」
 ザウェルの制止は聞こえていただろうにジュナンは笑顔のまま子どもたちに頷いた。その瞬間、ザウェルに睨まれたジュナンだが堪えない。子どもたちが歓声を上げるのを、本当に嬉しそうに見る。
 子どもたちは手を取り合い、まるで踊るように飛び跳ねた。嬉しすぎて体が勝手に動くのだろう。
 ザウェルはそんな子どもたちを見やり、諦めのため息をついた。彼とて幼い兄弟の楽しみを進んで壊したい訳ではない。片手で顔を覆って天を仰ぐ。
「もう――平和なのはいいことですが、自分の立場も自覚しなさい、ティナ。貴方こそ今日は公開訓練があったでしょう」
「だーって、今のトゥルカーナは本当に平和なんだぜ。お前こそ王宮を離れて見識広げて来いよ。西には一つ、石畳の町が築かれたんだぞ」
「存じています。自治を認めたのは私ですよ。女王も了承済みのことですし、何も問題はないでしょう」
 不機嫌な表情で淡々と頷くザウェルを、今度はジュナンが呆れた表情で眺めた。
「あのなぁ。書類見て何を知るんだよ。そういう意味で言った訳じゃないっての」
「トゥルカーナはようやく蘇ったばかりだよ。あと五年は基礎を固めなければならない。それまでの代行はできる者に任せればいいんだ。私もティナも、まだ王宮を離れていられる立場じゃないんだよ」
「はーいはい。自分がイザベルの傍にいたいだけだろー」
「ティナ。彼女の拠り所は、今はまだ、共にトゥルカーナを救った私たちにしかない。支えるのは側近として当然の務めだろう」
 低い声と鋭い瞳に睨まれる。逆鱗に触れかけたのだと悟ってジュナンは首を竦める。
「ねぇ隊長たち。忙しいの。それなら俺たち、後ででもいいよ……?」
 不穏な空気に怯えたのか、幼い兄弟は不安そうな表情で見上げていた。彼らの存在を忘れていたジュナンたちは我に返って見下ろし、バツの悪い思いを抱く。
「い、いや、悪い。そんな怯えるなって。ちゃんと稽古は――」
 稽古はつけてやる、と。続けようとしたジュナンの声が途切れた。
 いったい何を見たのか、ジュナンの視線を追いかけたザウェルも直ぐに気付いた。
 ジュナンたちがいる場所からさほど離れていない場所にフラッシュがいた。大きな枝を広げる樹の影の中に佇み、ただジュナンたちを見ていた。その姿は闇を凝らせたように黒い。光が戻ったイオの森に再び闇を誘い込むような不安を掻きたてた。
 フラッシュのそんな姿にジュナンは息を呑む。ザウェルもまた何も言えずに動けない。二人の側で子どもたちは硬直し、小さく後退する。
 そんな見つめあいが数秒続いただろうか。
 フラッシュは不意に踵を返すとそのまま歩き出した。イオの森の奥深く。更なる闇が凝る場所を目指す。言葉は何もない。
「――悪い、お前ら。稽古はまた後でな」
 ジュナンはフラッシュの背中を見つめながら呟いた。子どもたちに視線を向けることもなく、ただフラッシュの背中だけを見送る。そのまま足を踏み出し、次には翼を広げていた。強い風が大地を叩く。同時にザウェルも翼を広げて追いかける。残された子どもたちが呆然としながら二人を見送った。足から力が抜けたように座り込むが、一心に前だけを見つめたジュナンたちからの声はかけられなかった。
 ジュナンに一瞬遅れを取ったザウェルは、隣に並ぶために速度を上げた。
 フラッシュは木々の影に紛れようとしていた。
「フラッシュ!」
 見失いたくない一心でジュナンは呼びかけた。
 フラッシュは仲間だ。王宮に戻ればいつでも会える。ここまで必死に彼を追いかける必要はないはずだ。だが、生まれた焦燥は容赦なく背中を押した。彼が残した闇の気配が身を竦ませた。トゥルカーナが復活してイザベルが力を育てていくのと同じ速度で、フラッシュも力を育てていた。両者の均衡が保たれていたのは奇蹟に等しい。どちらかの力が押さえ込まれるのは、もう時間の問題に思えてきた。そんな頃だったからかもしれない。
 フラッシュは振り返らない。その姿をそのまま木々の陰に隠した。
 木々が連立する森のなかを飛んでいくのは無理がある。
 ジュナンは舌打ちして上昇した。続いてザウェルも舞い上がる。広い青空の下で、互いの姿を確認する。フラッシュを見失ったためその場に留まる。
「フラッシュはいつかここを出て行く。それが今日だなんて、俺、思ってもなかった」
「うん、そうだね。でも……感じるでしょう、ジュナン。空気が酷く緊張している。今までにないほどだ。このままフラッシュが留まり続けては駄目だ。再興するトゥルカーナに、彼の存在は必要なくなってしまった」
 フラッシュを否定する言葉に、ジュナンは強い憤りを覚えて振り返った。だがそこにあったザウェルの表情に何も言えなくなる。唇を引き結んで視線を逸らす。ザウェルの言葉はそのままジュナンの奥底に刻まれた属性を肯定する言葉。ジュナンもまた、意識しないまでも漠然と悟っていたことだ。ザウェルを怒るのは間違いだ。
「アリカがトゥルカーナを去ってから、もう何ヶ月経ったんだろう」
 ザウェルは瞳を細めて独白した。
 眼下には支配者を失ったイオの森が広がっている。蘇ったトゥルカーナに相応しい、強い生命力を保つ木々が大きな枝を幾重にも広げている。上空から内部の様子を確認することはできない。
「俺たちだけでも、見送ってやらないと」
 ジュナンは唇を噛んだ。ここ数日、フラッシュの姿が王宮から消えていたことに今更ながら気付いた。イザベルは何も言及しない。王宮の機能もなんら変わりない。そのため気付かなかった。フラッシュとイザベルが結託し、何らかの策を講じたのだろうと推測する。フラッシュがいなくてもトゥルカーナの機能に変調をきたさぬよう、こうして準備は進められていたのだ。
「今のフラッシュに近づくのは至難の業かもしれないけどね」
「それでも俺は……フラッシュを排除したりなんか、できないよ」
「うん」
 ザウェルは重く頷くとジュナンの手を取った。
「フラッシュはきっとあの神殿に向かったんだ。外界に繋がる扉。コルヴィノ族が管理してた扉だね」
「なぜだ? 扉なら王宮にもある。なんでそっちだと思うんだ?」
 ザウェルは肩を竦めた。
「フラッシュだからこそだよ。もしフラッシュが出て行った穴を利用しようと闇が近づいたら――王宮の扉はイザベルに最も近い。だからフラッシュはあえて王宮から遠ざかったんだ」
 ジュナンは目頭を熱くさせた。
「お人よしだな」
「そして傲慢だ」
 双子は軽く笑み交わすと翼を大きく広げた。柔らかな羽毛に風を孕ませて、体を地面と水平にする。そして手を取り合ったまま、空を駆けた。