彼女と彼の必然

【一】

 不愉快だった。怒りは隠さず足音も荒く、誰も近寄ってくるなと無言で訴える。
 人相が数段悪くなっているだろうが気にしない。
 世間一般の標準よりも高い身長は悪目立ちする。
 視線を向ければ誰もが顔を背けて道をあける。
 ディアにとっては日常茶飯事の反応だから、気にならない。そんなことよりも、この怒りをどうしてやろうと巡らせるのが先で。
 注目を浴びているのを感じながらも通りを眺めていると、探していた光景が見つかった。
 唇に笑みを刷く。
 腰に吊るした長剣の柄尻を押さえる。
 店と店の間の細い路地の、その入口。頭の悪そうな男たちが幅を利かせながらカードゲームに興じている。そんな彼らを取り巻く数人が通りに目を向け、今まさに、通りかかった獲物を路地に引き込んだ瞬間だった。
 ディアは「八つ当たりの丁度いい材料が見つかった」と、嬉々として足を向けた。


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 路地に近づいた時、鈴を鳴らせたような声が響いた。
「あの、放していただけませんか!?」
 男たちはそんな懇願など聞き入れないだろう。
 何しろそこにいたのは、誰が見ても綺麗だと掛け値なしの称賛を贈られるような美少女だったのだから。
 出口を塞ぐ男たちの後ろから覗き込んだディアは、思わず口笛を吹いた。
 近くの男が振り返って驚き仰け反る。ディアはこの場にいる誰よりも背が高かった。
「何だ、兄ちゃん。悪いが取り込み中だ。失せやがれ!」
 驚いていたのは、ほんの僅かな時間だけ。
 直ぐに怒鳴って威嚇する。
「そんなに怒鳴らなくても聞こえるよ」
 ありふれた脅し文句に、ありふれた返し。
 男のつばを腕で庇いながら笑った。
 それが男の気に障ったのか、不愉快そうな表情でディアに向き直った。
 男の仲間たちもディアに気付く。次々と剣呑な雰囲気が広がっていく。
 囲まれていた女性が怯えたように硬直した。
 視界の端で彼女の仕草に気付いたディアは、安心させるように笑みを向けた。そのまま腰の剣を引き抜いた。
「なんだ、やろうってのか? お前1人でこの人数に敵うとでも」
 一番奥にいた男の口上が終わる前に、ディアは近くの男を蹴りつけた。
 狭い路地だ。
 飛ぶよりも男は壁に背中を打ち付ける。
「て、めぇ」
 見ていた男たちがいきり立つ。
 彼らの敵愾心を煽ったディアは不敵に笑った。
「お前らが予想を裏切らない輩どもで嬉しいよ」
 男たちはディアに襲い掛かる。
 それらの攻撃を軽くいなし、蹴りつけて距離を取りながら半歩だけ下がる。
 動きが悠に確保できる出口だ。
 剣の腹で、一番先頭にいた男の顔面を叩く。それだけで男はふらついて後続を巻き込む。邪魔だ、どけ、という怒声を上げながら男を押しのけようとするが、狭い路地に動きを制限される。ディアはほぼ1対1に持ち込みながら間抜けな男たちを次々と叩き伏せていった。彼らは自分たちの不利を最後まで悟ることができなかったのだろうか?
 死屍累々の墓場を作ったディアは軽く息を整えながら剣を鞘に戻す。もちろん、殺してなどいない。剣の腹で叩き伏せただけだ。それでも男たちはしばらく目を覚まさないだろう。
 自分の成果に満足し、ディアは笑みを浮かべる。
「助けて下さって……ありがとうございます」
 さて、と男たちを眺めて息をついたディアは、近づいてきた女性に気づいた。存在を忘れていた。
「ああ。怪我がなくて良かったな」
 素っ気なく返した。
 彼女の足は細い。まだ恐怖が抜けていないのか、表情は強張ったままだ。
 よほど良い出自の娘なのだろうか、と思う。
 このような場面に遭ったことはないのか、胸元に寄せられた手が小さく震えている。顔色も白くて同情する。今日のできごとはしばらく夢でうなされるだろう、可哀そうに。
 近くで見ると彼女の美貌は本当に際立っていた。
 透けるように白い肌。光を含む長い金髪。瞳は不思議な紫紺に揺れていて、宵闇とも暁闇とも連想できる。わずかに潤んだ瞳は非常に保護欲をそそる。
 ディアは思わず見惚れていた。だが気付いて首を振る。
 自分には目的があったのだ。
 女性を追い越して路地に踏み込む。先ほど倒した男たちを避け、おそらくこの仲間の筆頭らしき、一番奥の男に近づいた。乱闘騒ぎになったとき、彼は自分の仲間の肘に当たって昏倒していた。それを騒ぎの一番外側から見ていたディアは顔を引き攣らせたものだ。
 そんな男の傍に膝をつき、ディアは彼の懐を探った。
 先ほどの女性が後ろについてきており、ディアの行動を覗き込みながら不思議そうな顔をした。
「何をなさっているのですか?」
 ディアは何の罪悪感もなく答える。
「金がないかなって」
 女性は衝撃を受けたように体を傾げた。両手を胸の前で組む。
 ずいぶんと大げさな娘だ、と思っていると右腕をつかまれて引き上げられた。その力は意外に強い。ディアの手が男の上着から離れる。そのまま上に引かれ、立ち上がる。
「な、何するんだよ?」
 勢いをつけて、腕を振り払う。
「いけません。それではまるで、追剥ぎではないですか。私を助けて下さった方がそのような悪の道に走るなど……黙って見過ごすわけには参りません!」
 強いたしなめにディアは体を引いた。熱の篭った彼女の紫紺を唖然と見下ろす。悪の道に走る、などという言葉はずいぶんと久しぶりに聞いた気がした。
「私は元々そのつもりでこいつらを襲ったんだ。あんたを助けるつもりだった訳じゃない。ただ、悪党の方がやりやすいと」
「何ですってっ?」
 真実を告げると彼女は更に驚愕した。先ほどまで怯えて震えていた女性と同一人物とは思えないほど強さを含んだ声音だった。
 当初からの差異に少しだけ愉快になりながら見ていると、険しい表情で詰め寄られた。
 美少女というものは本当に、どれほど近くで見ても鑑賞に値するのだからため息が出る。
「いけません」
 見惚れていると再び腕を取られ、路地から連れ出されそうになる。
 そろそろ遠目に「我関せず」と見守っていた観衆たちが騒ぎ出す気配がしていた。
「待て待て、何するんだよ? こっちにだって都合というものが」
「他人からお金を奪おうとする都合など知りません」
「そりゃお前には関係ないかもしれないけど……っ」
 彼女に対する見解が変わってきた。
 ディアは慌てながらも路地に留まろうとする。彼女から離れようと必死になった。先ほどは簡単に放してくれたが今度はしぶとい。いくら力を込めて振り払おうとしても、なかなか解けない。
 業を煮やしたディアは叫んだ。
「さっき金を掏られたんだよ! 奪い返さないと不味いんだって!」
「まぁ……そうだったのですか?」
 驚いて目を丸くする彼女に、勢い良く頷いた。手が放された隙に素早く男の元に戻ろうとしたが、それよりも早く腕をつかまれて止められた。いい加減にしてくれよとため息をつきたい気分だ。人選を誤ったかもしれない。
 うんざりと振り返るディアの前で、彼女は少し困ったように首を傾げていた。その仕草はとても可愛らしいものだった。
「彼らが貴方のお金を盗み取ったのですか?」
「いや違うが、あいつらなんて同じようなもので」
 何を正直に答えているのだろう。
 案の定、彼女の顔は曇った。
 少しだけ怖い顔を作ってみせる彼女に、ディアは言葉を飲み込む。
「なら、見知らぬ方から奪い取ろうとする貴方も罪人となってしまいます。お金の件ならば、私が援助いたします」
「は?」
 また論点が戻ったのかと舌打ちしかけたディアだったが、続けられた言葉に声を上げた。突拍子もない言葉だった。
 思わず見つめると、彼女は少しだけ微笑んでディアを見つめ返す。余裕すらある態度だ。素性の知れない相手を前に、まったく物怖じしていない。
「助けていただいたお礼です。食事でも致しませんか?」
 駄目押しのように提案された。彼女の手はしっかりとディアの服をつかんでいる。
 真っ直ぐに見上げる視線は何の曇りもない。逆らいがたい視線に喉を鳴らせて眉を寄せる。できれば断りたいが、上手い理由が思いつかない。
 ただ断っただけでは、この女性は納得しないだろう。
 ディアは路地に転がる男たちを眺め渡した。
 やがて諦めが湧いてくる。複雑にため息を漏らす。無理やりに自分を納得させる。このような女性から本当にお金を貰うつもりはない。しかし頷くまで放して貰えそうにない。だからここは1つ、この女性から穏便に離れた後に、また誰かを襲おうと思う。
 手間を思ってため息が零れるのは自然なことと言えた。


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 ディアが案内されたのは喧騒に満ちた酒場だった。
 教養が行き届いているような彼女とはあまりに不釣り合いな場所に案内されて驚愕したディアだったが、ほどなくして納得した。盛り上がるテーブルから大きな声が上がるとそれだけで体を震わせ、明らかに自分に掛けられた野次にはどう対処することもできずに戸惑っている。酒場に慣れているとは言い難い雰囲気だ。恐らく自分に合わせようとしたのだろう、とディアは思った。
「私はセイと申します。お名前を教えていただけますか?」
「――ディア」
 酒場に入った瞬間から、ディアは視線を集めていることに気づいていた。自分にではなく、彼女に、だ。どうしても彼女は目立つのだ。
 結構あからさまな視線だと思うのだが、セイは気付かないようだ。
 対面の席に座ったセイは直ぐに運ばれてきた水に手を付ける。喉を潤してからディアを見た。その一連の所作も、まるで絵画のように優雅で。
 ディアにも水が運ばれてきたが手で制し、自分だけは酒を出し直させる。このような酒場には決まった酒が必ずある。何も注文を入れなくても、酒場の顔として運ばれてくるものだ。本来なら水ではなく酒が運ばれてくるはずなのだが、店の人間が気を回したのだろう。確かに、目の前の女性に酒は似合わない。
 ついでに食事は断った。そのような時間帯でもないし、あまり長居をするつもりもない。セイは不承不承といった様子だったが、それでも納得してくれたので胸を撫で下ろす。彼女の自宅に招かれたらどうしようかと考えていた。杞憂に終わってくれて良かった。
「それで」
 両手を組んで、セイの紫紺が真っ直ぐにディアを捉えた。
「いくら必要なのです?」
 いきなりな発言に、ディアは飲んでいた酒を吹き出しかけた。
 セイが慌ててハンカチを差し出す。それを断り手の甲で拭った。周囲が静まったことに気付き、密かに聞き耳を立てていやがったかと舌打ちする。あまり目立ちすぎるのも良くない。
「いや、それは、いらん」
 ハンカチのことではなく、お金の話だ。
 セイは乗り出した体を戻して首を傾げた。
「けれど、お金が必要なのでしょう?」
「いや。もういい。前の街に戻れば、酒場に預けた金がある」
 世界共通の通貨が利用されているため、預金は酒場でできる。国が施行している制度ではないが、酒場独自の横繋がりによってある程度の保障はされている。それは本当だ。
「けれどそれでは、助けていただいたお礼が」
「ここの飲み代を持ってくれれば、それでいいから」
「そうですか……?」
 セイは納得がいかないような顔をした。ディアは無言のまま。馬鹿正直に、前の酒場に戻るつもりはないと明かすこともない。自分は預金がある、と説明しただけで、下ろすとは言っていない。
 脳裏で屁理屈を言いながら酒をあおった。
 周囲の誤解は解けたようだが、その好奇心は廃れていない。聞き耳を立てているだろうことが分かる。再び馬鹿騒ぎをし始めながら、ちらちらと窺ってくる視線がたまらない。なんて鬱陶しい人々だろうか。
 ディアは苛々とこめかみを引きつらせる。
 沈黙を続けながら話題を探してみるが、セイと交わせるようなものは思いつかない。この酒場にも、後で来る予定だったが、今はまだ用がない。何しろまだお金の算段がついていないのだから。
 話題がないのはセイも同じようで、視線が落ち着かなかった。
「貴方は旅人なのですね」
「ああ」
 二杯目の酒が運ばれてくる頃、ようやく話題とするものが見つかったのか、セイが呟いた。その視線はディアがテーブルに立てかけた長剣に注がれている。
 酒場には武器を携帯した旅人が良く来るため、必ずテーブルの脇に紐が下げられている。人の行き交いで武器が転がらないようにする配慮だ。ディアも毎回、紐に鞘を通している。少し強めに鞘を引くだけで簡単に解けるため、面倒なこともない。
 話題を探して剣なのか。
 ディアは再び当初との印象の差に苦笑しながら頷いて、そして疑問が湧いた。
 剣を真っ直ぐに見つめるセイの瞳はどこか切なげだ。
 なぜなのか。聞いてみたいがやめた。ここで時間を割かれたくない。次の獲物を探さなければいけないのだから。
 ディアは好奇心を疼かせながら酒を飲み干し、テーブルに置く。
 別れの合図にセイの肩が少し揺れた。
「私はそろそろ出るから。飲み代は払ってくれるんだよな?」
「ええ。もちろんです」
 セイは微笑んで頷く。
「お気をつけて。貴方のような男性ならば、先ほどの男たちも悪さはできないでしょうが……」
 立ち上がりながらその言葉を受けたディアは苦笑した。
「最後に1つ、誤解を解いておこう。私は男じゃない。女だ」
 セイの瞳が丸くなった。
 そんな様を愉快な気分でみやる。誤解されることには慣れていた。並の男よりも長身で、声もそれほど高くない。そのおかげで身に降りかかる災難はとても少ない。
「女の人」
 セイが呆然と呟いた。ディアは頷いて肯定する。
「じゃあな」
 この酒場にセイを置いて行くのは少々後ろ髪を引かれるが、手を振って背を向ける。思わぬ時間を取られたが、これでようやく本来の道に戻ることができる。早く手頃な輩を見つけて奪い取ろうと考える。悪人に人権など必要ない。
 晴れ晴れと席を離れようとしたディアの腕を、何かが引っ張った。
 なぜかセイが抱き付いている。
「あの……セイ?」
 不審も露わに声を掛けると、セイは涙を溜めた瞳で見上げてきた。その表情にディアは一瞬だけ見惚れ、またしても離れる機会を失った。
 それはすなわち。
「私を、助けてください!」
 大音声で響いた、災いによって。


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 酒場に響いた「私を助けて下さい」発言。
 その瞬間から数分あけて。
 ディアとセイは見知らぬ野次馬たちに囲まれて酒場を出ることが出来なくなっていた。


「こんなに綺麗な娘さんを泣かせるなんて、あんた何やってるんだ」
「男の風上にも置けない奴だな」
「俺らが慰めてやるから、お前はさっさと消えろ」


 心配してるんだか下心なんだか、酒場にいた男たちに取り囲まれたのだ。
 そこまでされてはセイを置いていけない。さすがに寝覚めが悪いだろう。
「……で、何」
 周囲の好奇心を一喝して黙らせた後、ディアは再びセイと向き合うように座っていた。当然ながらディアの機嫌は悪い。不穏な空気が全身から発せられており、セイは怯えるように小さくなっている。申し訳ないように首を竦める。
 周囲で聞き耳を立てている男たちが咎めるようにディアを睨んだ。無言の圧力がディアにかかる。
 ――あのさ。私は女だし。一応セイの恩人だし。危害なんて加えてないし。
 胸中で苛々と吐き出しながら周囲を睨み返す。
 迫力で圧倒的に負ける男たちは即座に視線を逸らすが、意識はディアたちに向けられたままだった。何て鬱陶しい野次馬たちだろうか。
「用件。早く言って欲しいんだけど?」
「あ、は、はいっ。あの、だから、助けて欲しくて……」
「だから、何を。どんな内容なんだ。何からセイを助け出せばいいわけ」
 鬱陶しくて、出てきた言葉は思いやりの心からかけ離れたものだ。
 思わずして出てきた言葉に少々眉を寄せ、きつくなったかなとセイを窺えば、彼女はなんと顔を真っ赤にして涙を零していた。俯き加減になっていたため流れる涙はよく見えないが、顎を離れた涙が静かな光を湛えながら落ちていく様がしっかりと見えた。
「な、なな、何で泣くんだよっ?」
 周囲の男たちが殺気立った。
「悪い! 悪かった! ちゃんと助けてやるから、な? ごめんって。だから泣き止んでくれよ!」
 いかなディアであろうと大勢に囲まれて一斉攻撃を受ければ無事で済む気はしない。
 身に迫る危機に慌て、ディアは必死に謝り倒した。
 テーブルに手をついて頭まで下げる。
 するとしばらくして頭上で笑う気配がした。顔を上げると、セイは涙を溜めながらも笑みを滲ませていた。溜まった涙を反対の手で拭おうとする仕草はとても頼りなくて、男たちの守ってあげたい衝動をフル稼働させるんだろうなと、全く関係ないことを思ってしまう。
「ディアさんって、実直なお方なのですね」
 それは褒め言葉だろうか。
 ディアは内心で首を傾げたが、ともかく泣き止んでくれた事実に安堵して椅子に座り直した。
「それであの、私……」
「うん。何」
 もうどうでもいい心境だった。お金のことは明日考えることにする。いざとなればセイの家に泊まるという手段も残されている。ここまで邪魔をされて後は知らないなどと放り投げられたら、その時こそ暴れてやろう。
「ディアさんに、頼みたいことが……」
 ディアは苛々を再び復活させながらこめかみを押さえた。頬が不自然に引き攣ろうとする。それでも辛抱強く待つ。
 セイの言葉が再び途切れた所で、溜息をつきながら手を上げた。苛々の原因を一つでも減らそうとした。
「ちょっと待った。あのな、私のことは呼び捨てでいいから」
「ディア、ですか……?」
「そう。私もセイって呼ぶから」
 セイは花が綻ぶように、それはそれは可愛らしく微笑んだ。同じ女でありながらなぜこうも可愛らしいのだろうか。
 ディアは見惚れた自分に気付き、ハッとして頬を押さえた。
 無意識に頬を染めたりなどしていたら馬鹿みたいだと思う。
 内心で高鳴る鼓動を感じながら、平常を装ってセイを見る。
「では……ディア。貴方に、私の婚約を壊して頂きたいのです」
 毅然と背を伸ばし、セイはディアを見つめた。
「婚約?」
「はい。父が爵位を持つため、私はそれなりに名のある家から婚約者を貰わなければならないと言われまして」
 ディアは納得した。
 つまりセイは、当初の予想通り、貴族のお嬢様なのだ。貴族階級に生まれた娘など政治の道具に使われるのが常套手段だ。世の中には割り切って考える者も沢山いるが、セイはそれに不満を持っているという訳だろう。
「婚約者が嫌なのか?」
「嫌だなんて! そんなことありません!」
 凄い勢いで否定された。ディアは目を丸くし、ならばなぜ婚約を壊して欲しいなどというのかと視線で問いかける。セイは慌てたように、困ったように言葉を探し、両手を前に組むと視線をさまよわせた。
「私はあの方のことをそのように見たことはありませんし、それに……」
 セイは言い淀んで顔を上げた。頬は赤く染まり、瞳は泣きそうに潤んでいる。
 ディアはようやく納得できそうな答えを見つけた気がした。
「もしかして恋人は自分で見つけたいとか、そういうこと?」
「え、ええ……」
 指を鳴らせて突きつけると、セイはあいまいに頷いた。
 婚約者のことは嫌いではないが、愛情を抱いている訳ではない。それならば親に流されるまま承諾せず、自分で恋人を見つけたい。そういうことなのだろう。
 ディアは頬を緩めた。このように綺麗で儚い女性が「自分で恋人を見つけたい」と頑張っていると知り、微笑ましくなる。
 困ったような視線を向けてくるセイに安心させるような笑みを見せ、ディアは決意した。そういう理由ならば是非に手助けしたいと思った。このように健気に頑張ろうとする気持ちには素直に好感が持てる。少女を見捨てるのにも気が引ける。
 ディアは機嫌よく椅子に座り直して身を乗り出した。
「それで私は何をすればいいの? もしかして男役?」
 定番だが一番の早道だ。この気弱そうなセイに恋人役を引き受けて貰えるような男友達がいるとは思えない。だから供もつけずに治安が悪そうなこの辺りを歩いていたんだなと勝手に補完する。
 男に良く間違われる自身の特性を理解した上での提案だったが、セイはきょとんとした顔で「男役?」と首を傾げた。
「あれ。私が男のふりして破談に持ち込むっていう筋書きじゃないのか?」
「いえ。それも楽しそうですけれど……ディアにして頂きたいのは、女役の方ですよ?」
 今度はディアの脳裏に疑問符が浮かぶ。
「破談にしたいのはセイの婚約なんだよな?」
「ええ。もちろんですよ」
「兄や弟じゃなくて、だよな?」
「兄には既に仲の良い婚約者がいますし、私に弟はおりません」
 正真正銘、セイの婚約の破談という訳だ。それなのに女役が必要とはどういう訳なのだろう。まさかセイがそのような性癖を持っている、という訳でもあるまいし。
 脳内で“女役”と“セイの破談”が結びつかず、ディアは混乱したままセイを見る。
「父は何としてもこの婚約を成立させようとしているのです。確かに彼女はとても素晴らしい方で、家柄も」
「彼女って……?」
「え、ああ。私の婚約者のことです。名をルイ=ヴァレンというのですけれど……ディア? どうしましたか?」
 とんでもない所に考えが行き着いた。
 ディアがフフフフと奇妙な笑い声を漏らすと、セイは心配そうに首を傾げる。そんなセイはどこからどう見ても可憐な少女そのものなのだが。
「あんた……実は男かーーーーーーーっっ!!」
 夢に破れたディアの絶叫が酒場に響き渡った。