彼女と彼の必然

【二】

 か細い声が後ろから聞こえてきた。
「あの。どうしても考え直しては頂けませんか」
 助けた当初を思わせる弱々しい声だ。誰よりも女性らしい淑やかさや美貌を持つ“彼”の、悲痛な訴えに少々心は揺らぐ。神はなんて不条理を許したのだろうかと恨みたくなる。それでもディアは頑として譲らない。町外れまでセイを連れ出し、誰もいないのを確認してから向き直った。
「言っただろう。私は男になど手を貸したくない、と」
「でも、今まであんなに友好的だったではありませんか」
「それはあんたが男だと知らなかったからだ! 男なら自分で何とかしろ!」
 ディアはにべもなく切り捨てた。
 こんなことで時間を取られていたなんて。見抜けなかった自分に腹が立つ。
 ディアは肩を怒らせたまま冷たく言い放つ。
「どうしても私に頼みごとをしたいんなら、さっきの条件をクリアすることだな」
 セイの顔が歪む。泣き出す一歩手前の表情に見える。けれどディアは心を鬼にして前言撤回などしない。たとえセイの表情が可憐であっても、その涙に心が揺らぎそうになっても、決して撤回などしない。直ぐに泣くことを恥ずかしくも思わない男に胸を痛める必要なんてないだろうと言い聞かせる。
 男と知った今でも、セイは誰よりも綺麗に見えた。
 ディアは黙ったまま、剣をセイに放り投げた。口を開けば撤回してしまいそうで恐ろしい。
 剣はセイが代金を払うということで購入したものだった。何しろ今のディアは一文無しなのだから。そこで知った事実だが、セイはかなりの有名人だったらしい。武器屋の亭主はセイを見るなり笑顔で駆け寄り、珍しいねと世間話に花を咲かせたがり、最近の様子を聞きたがった。ディアが凄むと怯んだようだが、セイとディアの関係を訝ってなかなかすんなりと武器の品定めはできなかった。それでもセイがディアのことを保証すると直ぐに亭主は納得し、剣が欲しい理由を明かすと複雑な表情で二人を見比べた末に一本を見繕った。結構な値が張るだろう剣を、代金もなしにその場で渡す。セイがかなり高い階級の子息だと証明するようなものだった。知らぬは貴族の顔も見ることができないごろつきやディアばかり、だ。
 ディアは悔しさを思い出しながら歯噛みした。
 セイは投げ渡された剣とディアとを見比べる。酷く悲しそうだ。しかしディアはそんな表情を見ないようにしながら自分の剣を引き抜いた。
「私に頼みたかったら、剣で私に勝ってみせること。これ以外にないな!」
 言い放つと剣を構えた。
 少々卑怯な気はした。しかしセイが男だと判明した時点で、依頼を受ける気持ちなど消えていたのだ。男なら自分でなんとかしやがれというのがディアの考えだ。
「どうしても、剣で勝負をつけなければいけませんか?」
 セイは最後の懇願をするように訴えた。あまりにも切ない声にディアは眉を寄せる。貴族はたしなみとして剣を習うものだ。しかしセイはその頼りなげな容貌から連想される通り、剣を扱わせて貰えなかったのだろうか。確かに、真っ白な肌も弱々しい気性も、剣士には似合わない。
 ディアは唇を歪めた。剣を扱えないなら扱えないで都合がいいと思った。旅の間に自分がどこまで腕を上げられたか知りたい気持ちはあったが、その機会は別の時に持ち越しすればいい。今はセイの依頼を断る方が先だ。このまま不戦勝ということでセイの前から消えてしまおう。
「ほら。どうするんだ? やる気がないなら私は行くぞ」
 少々意地悪く笑いながら怒鳴る。するとセイはようやく諦めたようだ。弱々しくかぶりを振って溜息をつき、ディアを見る。そこには今までと違う顔つきがあって、ディアは「おや」と片眉を上げた。
「……分かりました。お受けします」
 正直なところ意外だった。
 セイは真剣な表情で剣を鞘から引き抜いて構える。
 ディアは高揚する気分を覚えた。セイの構えを見る限り、全くの素人という訳ではない。実力のほどは知らないが、打ち合えば分かることだ。
 ――どこまで出来るか、見ものだな。
「行くぞ!」
 それが勝負の合図。
 一息に勝負を決めようと間合いを詰めたディアの前から、セイが消えた。
 目を見開いたディアの視界の左隅にセイの姿。反射的にそちらへ体を向け、自分の剣を腕で押さえて盾代わりにする。防御した剣に鋭い横薙ぎが打ち込まれてディアは唇を引き結んだ。
 今までと全く違う気迫を感じた。心臓が早鐘を打ち始める。一瞬にして狂わされた呼吸に顔をしかめ、視界から消えたセイを視線で追いかける。切り結んだ剣の合間から見えたセイはどこからどう見ても男の顔だった。いったい自分はセイの何を見て女だと思い込んでいたのだろうと疑問に思う。打ち交わされた剣はとても重くて力の差を感じる。
 一瞬、脳裏を「負ける」という言葉が過ぎった。
 次の瞬間だ。
 ディアの剣を打ち払ったセイの剣先が喉元にピタリと添えられた。薄皮に食い込んでいる。
 ディアは息をすることも忘れた。目の前に迫った鋭い瞳に魅入る。しかし夜色を宿す、張り詰めた瞳は見る間に緩んで離れた。
 セイは呆然としているディアに背中を向けると剣を収める。振り返り、ディアに剣を差し出す。
「私の勝ち……ですよね?」
 その言葉にディアは我に返った。探せば自分の剣は遠くの地面に突き立っていて、勝負が終わったことを示している。
 ――負けたのだ。
 ディアはいまだ衝撃から立ち直れないまま思った。
 じわじわと実感が染み込んでくる。
 一瞬でも負けを感じてしまったから? 否、そんなレベルではない。セイはとても強い。旅先で相手にしてきた誰よりも強い。我流ではなく、精練された騎士としての強さを感じた。
「何なんだ、あんた」
 セイは困ったように首を傾げた。
「私の家は、代々騎士を輩出してきた名門なんです。それで、私も男ですから……兄や他の貴族たちと毎日、剣の練習に引き出されていたんですが、どうやら私が最も優れてしまったようで……」
 そうして過剰な期待をかけられたセイに今回のような婚約話が舞い上がったという訳だ。
 セイは俯いた。うな垂れるその様子からは、先ほどの強さなど窺えない。ただのか弱く美しい少女がいるだけだ。
 ディアは溜息をついた。不安な表情で見つめられたが、彼を通り過ぎる。背後でやりきれない溜息が聞こえてきたが、ディアはそのまま歩く。遠く弾かれた自分の剣へと。
 セイから離れるためではなく、剣を取るための行動だ。
 ディアは刃こぼれの一つもない自身の剣を眺め、鞘に収めた。振り返るとセイが真剣な表情で見つめている。その視線の強さに、先ほどの勝負が蘇る。最初からセイは何者にも揺るがない意思を持っていた。男たちに無体な真似をされそうになった時も、酒場で野次馬たちに囲まれた時も。涙を流すことはあっても、決して言いなりになろうとはしていなかった。恐らく最終的には切り抜けられる自信があったからだろう。剣ではなくあくまで心が説得に傾けられているのは性格からか。今もセイは、勝ったにも関わらずディアの意志を尊重してうかがっている。
「……女役ね」
「引き受けて下さるのですか!?」
「負けたのは私だ。そういう条件だったろう」
 仕方ないように呟くのは演技。セイに興味が湧いたことを悟られるのが癪だった。それでもセイは満面の笑みを浮かべて両手を胸に組んだ。
「ありがとうございます!」
 この笑顔に勝てる者などいないんじゃないか。ディアは唇を引き結びながらそっぽを向いた。


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 セイの依頼を引き受けてから数時間後。ディアは疲労感もすさまじくテーブルに突っ伏していた。
「あの、大丈夫ですか……?」
「大丈夫じゃない」
 心配そうに覗き込むセイを、片手を振って追い出して。体力的にはもちろん、精神的にもかなり疲れていた。何のことはない。ドレス選びで疲れているのだ。旅をしている間中、全く縁のなかった高級店は入るだけでも緊張する。
 それでもまだ、一軒だけなら、まだ許せる。鳥肌が立つほど拒否することはない。しかしセイは必死の抵抗も容易く受け流してディアを次の店へと引き立てる。詐欺師に取り憑かれた気分だ。妙な所だけ男らしさを見せなくてもいいと思う。そうして何十軒という高級店を巡り歩いた。足を運ぶたびにドレスを何着か試着し、ついでに髪もいじられる。店を一軒過ぎるごとに生気が吸い取られていったと言っても過言ではない。もともと大してなかった忍耐力が底をついていた。
「冷たい飲み物でも貰ってきますね」
 あまりにも具合の悪そうなディアを気遣ったのか、セイがそう告げて側を離れた。ディアは近くの熱が離れていくのを感じながら体を起こす。眩暈がして顔をしかめる。
 連れてこられたのは、外に張り出したバルコニーだった。酒場とは違い、真っ当な人物が愛用している場所だ。喫茶店兼休憩所といった所だろうか。周囲は楽しげに談笑する恋人たちが溢れている。場違いな雰囲気に溜息をつく。片肘をついて眺め、恋人たちに紛れるようにして一人身の男が小さく座っているのを発見する。丸めた背中が哀愁を漂わせている。彼からすればディアたちの状況も、恋人同士と見えているんだろうかと思い、あまりにも似合わない言葉に一笑した。
 ディアは視界を反転させた。販売所へと視線を向ける。先ほど離れたセイが店の中へ入って行こうとする所だった。
「……女にしか見えねぇっての」
 ディアは呟いた。
 艶めく長い金髪をなびかせて歩くセイの後姿はあまりにも可憐だ。周りの男たちがつい視線をセイに奪われ、隣に座る女に怒られる、などという事件も発生しているようだ。幾らディアが「あれは男だ」と叫んだ所で、誰も信用しないだろう。
 そんなセイの隣で女役を演じなければいけないのだ。無理がある。
 ――だいたい、女役が欲しいなら、それなりの、もっと綺麗で女の子らしい人物を選べば良かったのに。なぜ私なんだ。
 ディアはセイが消えた方をぼんやりと見ながら呟いた。自身が女に見えないことくらい熟知しているつもりだった。
 ――慣れないドレスは着せ替えられるし化粧はされるし、お前は私を殺す気か?
 単なる愚痴だった。
 飲み物を両手にしたセイが店内から顔を出した。視線が合うと嬉しげに笑みを浮かべる。そんなセイにつられるようにしてディアも微笑みかけ――セイの姿がいきなり消えた。いや違う。見知らぬ男がセイの前に回りこみ、ディアの視界からセイを消したのだ。
 逢瀬を邪魔した男はそのまま立ち止まった。彼の雰囲気から、セイに声を掛けていると分かる。戸惑うようにセイが男の脇から顔を覗かせているのがいい証拠だ。直ぐに何とかして来るだろうと思っていたが、セイはなかなか解放されない。
 ディアは眉を寄せた。それくらいも自分でどうにかできないのかと呆れが湧く。強い物言いをしないセイにとってはそれすら重荷なのか、と溜息が出る。疲れの極致である体を宥めながら立ち上がった。足に力を入れるのすら面倒で、悠然と見えるよう装って彼らに近づく。
「いえ、あの、ですから」
 セイのか細い声が聞こえた。
「あそこでへばってたのがあんたの連れだろ? あんなのより」
 ――へばってて悪かったな。あんたも身動き取れないほどドレスの帯を締め付けられてみれば分かるさ。それを何度も繰り返すことがどれほどの拷問か。
 ディアは頬を引き攣らせた。男の言葉はディアの敵愾心に火を点けた。
「セイ。そいつ、何?」
 男としての格は私が上だ、と思い知らせるように悠然と声をかけた。実際は女であるので格も何もないのだが、声をかけられた男は跳ね上がって振り返った。近くにディアを見ると悔しげに奥歯を噛み締める。ディアの方が背が高いのだ。無言の圧力をかけられ続けた男は、セイに何の声もかけられないまま、逃げるように去っていく。ディアはその後姿に舌を出して見送った。
「体は大丈夫なのですか?」
 同じく男の後姿を見送っていたセイが尋ねる。
 ディアは無言のまま、セイから飲み物を受け取った。一口飲んでみると冷たくて甘い。丁度良い喉越しだ。
 ストローで飲みながら席に戻る。その後をセイが追いかけ、心配そうに見上げてきた。
「先ほどは助かりました。ディアには何度も助けられますね」
「セイが要領悪すぎなだけ」
 にべもなく返すとセイは小さくなって、ストローでグラスに入っている氷をつつき始めた。お前は子どもかと少々呆れる。それから数秒もせず、セイは表情を明るくするとディアに微笑みかけた。
「こうしているとデートみたいですよね」
 ゴフッと吹き出した。
 どうやら気管に入ってしまったらしい。やたらと苦しくて咳き込む。
「だ、大丈夫ですか!?」
 セイが回り込んできて背中をさする。彼の長い金髪がサラリとディアの頬を撫でた。
 しばらく苦しい時間が続いていたが、セイに背中をさすられ何度も咳をして呼吸を整え、ディアは息をついた。せっかくの飲み物が半分以上も零れてしまったと知り、もったいないと顔をしかめる。
「あの。私、何か余計なこと言いました?」
 言いました。
 恐る恐る尋ねてくるセイに心の中だけで静かに返す。
「もう、いいから」
 着せ替えられたとき以上に疲れた気がした。早く休んでしまいたいと切に願う。もちろんそこにセイの存在があってはいけない。
「……そういえば私、なにをすればいいのかまだ詳しく聞いてないんだけど?」
 段取りを覚えたら直ぐに休もう。
 そう決めて体を起こす。テーブルに両腕をつけながらセイを見つめた。
「ああ……そうでしたね。ディアには私と共に屋敷に戻っていただいて、父に紹介させて欲しいんです。私の恋人だと」
 むず痒い言葉にディアの視線がさまよった。
「いくらドレス着たって、私は女ってガラじゃないと思うんだが。セイより背は高いし髪だって短くてざんばらだ。化粧なんて初心者だ」
「そんなことないですよ。ディアはじゅうぶん女の子らしいです!」
 セイは握り拳で力説した。しかし説得力がない。セイだって、最初はディアの性別を間違えたのだ。まさかここ数時間で印象が変わるとは思えない。ディアも、単なる気休めとしか受けとらずに肩を竦めた。
 セイは頬を膨らませる。どうやら信用して貰えないことが悔しいようだ。
「髪の毛が気になるというのでしたら――」
 思案するように首を傾げ、テーブルに立てかけていた剣を手にした。先ほど武器屋の亭主から渡された剣だ。
 何をするつもりなのかと見つめるディアの前で、セイは剣を抜くと自分の金髪を切り落とした。耳の後ろでばっさりと。
 ディアは一瞬、何が起こったのか分からなかった。口をあけたまま、髪の毛が肩にかかるくらいにまで短くなったセイを見る。
「これを使えば、幾らか髪を長く見せられますよね?」
 不揃いになった髪を気にもせず、セイは切り落とした髪をまとめて掲げる。
 ようやく事態が飲み込めてきたディアは思い切り息を吸い込んだ。
「馬鹿かあんたはーーっっ!!」
 周囲の視線など気にもせず叫ぶと、セイは何を怒られているのか分からないように首を傾げてディアを見つめる。動揺するのはディアばかりだ。ディアは意味もなく両手をさまよわせた後、セイの頭に掴みかかる。ディアが梳こうとしても短くなった金髪はさらさらと指の間をすり抜けていく。
「ど、どうするんだよこの髪! ああ、あんなに綺麗だったのに……!」
「でも、私は男ですし。特に必要もありませんでしたし」
 セイはあまり気にしていないようだ。それでも綺麗と言われて嬉しいらしく、笑みを浮かべながらディアを見つめる。とても純粋な瞳だ。
「せっかくだから使いませんか? これ」
 何のためらいもなく、切り落とした髪をディアに差し出す。
 ディアは呆然としたままその髪を見つめ、やがて力なく椅子に腰を落とした。
 セイは何を思い出したのか両手を打ち鳴らせた。
「ああ、しまった。これでは父に顔を合わせられないですね。当日まで会わない訳にはいきませんし」
 自業自得だろう、という言葉は出てこなかった。
 しまった、と言うわりに楽しげなセイの様子に、ディアは困惑する。
「これから紹介してもいいですか?」
「……は? 何を」
「ディアを。父に」
 ディアは思わず空を見上げた。いつの間にやら夕暮れで陽は落ちかかり、西の空が茜に染まり始めている。今夜の宿にあてはない。急な展開に驚くものの、早まったとて自分には何の不都合もない。むしろ宿がないぶん、早い方がいいに越したことはない。上手くすればセイの屋敷に宿を取れるかもしれない。
「準備はいいのか?」
「ええ。直ぐにできますよ」
 セイは短くなった金髪を揺らせて微笑んだ。