彼女と彼の必然

【三】

 セイが切り落とした髪は綺麗に洗われ、理容師たちの手によって極上の装飾品となっていた。今はディアの輪郭を覆って、頬に金の影を落としている。もともとディアの髪は明るい栗色のため、金髪を混ぜていても気付かれにくい。
 ディアにとって腰まで届く長い髪など初めての経験だ。頬に当たる髪にくすぐったさを覚える。首周りも心なしか温かい。
「なぁ。本当に事前連絡なしで大丈夫なのか?」
 馬車に揺られていたディアは、近づいてきた屋敷を目にしながら問いかけた。町の中心部を走る大通りの突き当たりに、セイの屋敷が建てられている。他にも幾つか屋敷はあるが、セイの屋敷が最も大きく見えた。この辺りでは一番の実力者の息子なのだろう。
 クスクスとセイが笑う。ディアの質問が三回目だったからだ。
「連絡などして下手に構えられるよりも、不意打ちで現われた方が印象深いでしょう?」
 悪戯っぽく微笑むセイを見ると、もしかしてこちらが本性なのではないかと疑問が浮かぶ。気付かなかったことにする。
 慣れないヒールで足は既に疲れていた。おまけに、これでもかというほどきつく腰紐を締められているのでとても苦しい。このドレスを着付けた女性はきっと自分に何かの恨みがあるに違いない。骨が軋みそうなほど強く締められている。
「さぁ、着きましたよ」
「だ、大丈夫なのか、本当に?」
 四回目だ。セイは微笑みを強くして頷く。
「大丈夫。今のディアは誰が見ても格好よいお姉さんですよ。黙って私の隣にいて下さいね」
 今更怖くなってきた、なんて口が裂けても言えない。
 ディアはムッとしてセイを睨んだ。口さえ開かなければ女に見えるというのか。しかし自覚があるので言い返せない。旅では女だと気付かれないほうが面倒が少ない。
「分かった。何も喋らない」
 小さな苛立ちを感じたまま唸ると笑われた。
 馬車はちょうど屋敷に着いたようだ。一度大きな音を立てて停車する。
 既に外は暗かった。馬車を屋敷前につけると、セイが先に降りる。ディアもそれに続き、いつも通りに飛び降りかけた。しかしヒールを履いた足が変なほうに曲がりかけ、気付いたセイが慌ててディアを支える。
「気をつけて下さいね」
「す、すまない」
 早くも命の危機を感じたディアは冷や汗を流した。しっかりと馬車の踏み台に足を置いてから下りる。全神経を集中させてようやく地面に足がつく。そんな過程にもう疲れ果てている。
 セイはディアの手を取ったまま歩き出した。なぜ放してくれないのだろうかと思ったが、理由は直ぐに知れる。ヒールに慣れていないディアはしょっちゅう足が曲がるのだ。挫く寸前でセイに助けられる。もともと自分は長身なのでヒールなど履かなくてもいいと思うのだが。おまけに腰紐はきつくて苦しくて。1人ではとても歩けない。自分に合わせた歩調で進んでくれるセイに心底から感謝する。
 玄関の前に立つと中から扉が開かれた。驚いていると、初老の執事が顔を出す。彼が見計らって扉を開けたのだろう。セイに向けて穏やかな笑みを浮かべ、頭を下げる。
「お帰りなさいませ」
「はい、ただいま。父はどこにいますか?」
 セイはニコリと微笑み返して口早に尋ねた。様子の違うセイに戸惑ったのか、執事は少しだけ間をあけた。しかし何も問わずにただ答える。
「二階の書庫へ篭っておいでです」
「ありがとうございます。ディア。段差に気をつけて」
 執事の視線を浴びたディアは体を揺らせた。セイに言われて視線を落とし、敷居があることに改めて気付く。ドレスの裾で隠れてしまうので、セイに注意を受けていなければ突っかかっていただろう。
 セイの手に支えられながら慎重に歩き出す。屋敷中の視線を浴びているような気になったが、それを確認している暇などなかった。執事が先ほど言っていた「二階」という言葉が気になっている。そしてその予感は的中する。セイは二階に続く大きな階段へとディアを導いたのだ。
 緩やかな曲線を描いて二階へ続く階段。さほど急勾配ではないが、距離が長い。段数も多い。ディアは先を思って眩暈を起こした。
「ディア。大丈夫?」
「大丈夫なわけあるか」
 密やかな会話の中でディアは苦虫を潰す。小声で反論するとセイは苦笑し、少しだけ屈みこんだ。
「セイ」
 彼の名を呼ぼうとした時、ディアは体が浮き上がるのを感じた。持ち上げられたのだ。悲鳴を上げて暴れようとしたが、自分を持ち上げているのが誰なのか分かっていたため意識して飲み込む。反転した視界の中でセイを捜す。
「ああ、ごめんなさい。こちらの方が早いですからね」
 捜した笑顔はすぐ目の前にあった。
 ディアを横抱きにしたセイは、さしたる辛さも感じさせないでディアに笑顔を見せる。あまりにも軽々と告げるのでディアは信じられない思いで見つめた。
 体重が軽い訳では決してない。加えて今は、自身の体重の半分ほどもあろうかという重たいドレスを着ている。それなのにセイはまるで苦痛を見せず、更には長い階段を悠々とのぼり始めたのだ。
 セイは階段をのぼり切った所でディアを下ろした。靴の具合を確かめながら慎重に支える。
 ディアは爪先を床につけ、無事に地面に体重を移動させると息をついた。信じられないことばかりが起きている。胸を撫で下ろし、差し出されたセイの手を掴む。なんだか彼がいれば全てが上手くいきそうな気がする。力強さを与えてくれる。
「準備はいいですか?」
 階段から直ぐ近くにある扉の前で止まり、セイは問いかけた。
 ディアはただ頷く。
「ああ。何も話さずニコニコしてりゃいいんだろ」
 言い放ったディアに苦笑を零し、セイは書庫の扉をノックする。少しの間をあけて返答があった。
「セイです。入りますよ」
 セイが扉を開けて中へ入り、続いてディアも足を踏み入れる。
 まずは書物の多さに圧倒された。
 壁一面が書物で埋められている。部屋の奥には明かり取りの大きな窓がついている。その前に佇む男性が、扉から入ってきた二人を見つめていた。窓から差し込む明かりが逆光となり、男の姿はただの影だとしか分からない。
 緊張するディアと違い、セイは呆れたような声を上げた。
「またこのような薄暗い場所で本など……そのうち何も見えなくなってしまいますよ?」
 セイが扉の側にあるスイッチを押すと明かりがついた。
 スイッチを基軸にした炎が天井を走り、壁に幾つか取り付けられていた燭台に火を入れる。次いでそれよりも明るい光炉が灯されて白い明かりが部屋に満ちる。
 ディアは眩しさに目を細めた。
「セイ。その髪は……?」
 先に驚くのはセイの髪だ。彼の父も例外ではなく、瞳を丸くしてセイを見つめている。視線は上から下までセイを眺め、何を感じたのか嬉しそうな顔をする。
「これは私の決意の表れですよ、父上」
 セイは晴れやかに笑った。
 男は窓に向けていた体をセイへと向けなおし、手にしていた本を閉じた。彼の視線はセイを抜けてディアに移る。見知らぬ女性を訝るのは当然のことと言える。眉を寄せ、質そうと口を開く。
「こちらはディア」
 セイが先に口を開いた。
「私がいまお付き合いをさせて頂いているご令嬢ですよ」
 ディアの体が緊張で強張った。余計なことを付け足すセイを罵倒したい気分だ。内心では遠慮なく罵ったけれど、ディアはそんな感情を綺麗に払拭して男を見た。セイの告げる「大人しい令嬢」を演出するため、男に向けてゆっくりと頭を下げた。金髪が零れてきて鬱陶しい。
「付き合っている……?」
 訝る男の声は当然だ、と鼻で笑う。もしもここで怪しんでくれなければお前らの頭を疑ってやる。
 悪態をつくのはこの状況になのか。
 ディアはひたすら口を閉ざし続けた。口を閉ざしていると脳裏が言葉で埋め尽くされるらしい。集中力も欠けている。
 男は戸惑うようにセイとディアを見比べた。
「セイ……しかし、この前はそのようなこと」
「ディアは見ての通り、極度の引っ込み思案なのです。今日、ここまで連れ出すのも容易ではありませんでしたよ」
 楽しげに笑うセイは演技ではなさそうだった。この状況を心から楽しんでいるだろうと思われる声音だ。
 この詐欺師め、とディアは口中で呟くと男を見た。彼は渋い顔でディアを見つめている。降って湧いたこの状況をどうするべきか、彼も混乱しているようだ。ここで失敗するわけにはいかない。ディアの背中を冷たい汗が伝う。
「お初にお目にかかります。ディアと申します。今までご挨拶もできず、ご無礼を致しました。どうか、私たちをお認め下さい。そればかりを願ってここまで来ました。無作法をお許し下さい」
 努めてしとやかな声音で懇願する。セイが意外そうに瞳を瞠るのを、癪な気持ちで横目で見る。金髪をゆるく背中に流しながらディアは頭を下げる。自分がこうまで頭を下げるのはそうそうないぞと毒づいた。
 しばしの沈黙が流れ、やがて男の溜息が聞こえた。
 ディアは顔を上げる。
「お前が髪まで切ってやる気を出したのが彼女のお陰だというなら感謝するが――お前たちの仲は認められんな」
 セイが目を丸くさせた。
「なぜですか? 婚約は話だけで、正式には決定されていないでしょう?」
「お前の容姿に問題があったのだ。今のお前なら、男に見えないこともない」
 それは本当に息子に向ける父の言葉なのだろうか。
 ディアは脱力した。成り行きを見守り続ける。
「それなら向こうも納得するだろう」
「ちょ、ちょっと待って下さい父上!」
 慌てたようにセイが叫んだ。自分の髪がこうも問題視されていたとは知らなかったのだろう。話が妙な方向へ転がって行きそうだ。
「私はいまディアと付き合っているんですよ? 彼女に失礼ではありませんか!」
「別れなさい」
 有無を言わせぬ命令にセイは絶句した。
 ディアはあるていど予想していたことだったので、短く息をつくだけ。けれど諦めきれない。このまま黙っていたらセイは本当に婚約させられてしまうのだろう。そうすれば自分の立場がなくなってしまうし、何より、これだけ苦しくて不便な格好をさせられた挙句に失敗したのでは悔し過ぎる。
 ディアは表情を改めてセイの横に並んだ。
「お父様」
 予想外に強い声が出た。そのことに焦り、次は高い声を出そうと試みる。
「私はセイと別れたくありませんわ!」
 まるでヒステリックな声になってしまった。失敗だ。次こそは可愛らしい娘を演じよう。
「婚約のお話を、お考え直し下さいませ」
 道化だ。一言一言、声音も言葉遣いも違う。端から聞けば継ぎはぎだらけの言葉に聞こえるだろう。そこに真実を感じ取って貰えるのは幾人いるのか。
 ディアは苦々しく思いながら両手を胸の前で組んだ。こうなったら目で責めるしかない、と男に必死の表情を見せる。祈るような姿を作る。
 視界の端でセイが顔を背けたのが分かった。
 ディアの頬が引き攣る。セイの肩が揺れているのだ。笑いたいのを堪えているのだろう。
「……いくら欲しいのだ?」
「はい?」
 男の言葉が理解できずにディアは固まった。
「金に糸目はつけないぞ。それを手切れ金として、セイから手を引いて貰いたい」
「父上!」
 臆面もなく言ってのける男にセイは表情を険しくさせた。叫んで睨み付ける。
「お前は優れた剣術の才を持っているのだ。どこの輩かも分からぬ娘と結婚させてやる訳にはいかんよ」
「私は剣術を継ぎたくありません! 何度も申し上げているではないですか!」
「黙れ。お前の意志は関係ないのだ。これは家の意志。お前にはいずれ都心に赴き、王家の者に仕える身となって貰わねば困るのだ」
「嫌だと言っているでしょう!?」
 どうやらディアの存在を無視した親子喧嘩が始まったようだ。
 怒る機会を逸したディアは被害を被らないよう一歩退き、肩を怒らせるセイを眺める。白い頬を真っ赤にさせて怒鳴るセイだが、その姿は可愛らしい。
「この分からずやめ!」
「父上こそ!」
 掴み合いへと発展しそうな雰囲気になってきた。
 セイを観察していたディアはさすがに不味いと思ったのか、不安に眉を寄せる。
「おい。二人とも……」
 ディアの言葉など誰も聞いていない。セイは近くの本を掴みとって投げつける。男は素早い身のこなしで本をかわし、次いで持っていた本をセイに投げつける。
「いい加減にせぬか、いつまでも子どものように!」
「なら父上こそ古臭い考えを改めなさいませ!」
 ディアは大きく長い息を吐き出した。子ども染みているのは二人とも同じだが、彼らはディアを圧倒する剣術の才の持ち主だ。下手に手を出して怪我をしてはたまらない。顔を覆っていた金髪を取ると、重みがなくなって頭が軽くなる。
「ルイ嬢のなにが不満だというのだ!」
「何もかも不満だらけですよ! 父上の都合を私に押し付けないで下さい!」
 その瞬間。
 スパアァンッ! ととても良い音が響いて、男の顔面にヒールの靴が片方だけ埋まった。
「ディ、ディア?」
 ヒールはもちろんディアが投げ放ったものだ。男の顔面にクリティカルヒットした。
 親子喧嘩にこうして割り込んできたディアに、セイは目を丸くして飲まれた。
 突然の攻撃を避けることが出来なかった男は無言で靴を顔から剥がす。その直後、再度男の顔にもう片方の靴が投げつけられた。またしても綺麗に決まる。
「ディア!」
 今度こそセイは焦ってディアを止めた。攻撃を受けた男は何が起きたのか分からないような表情で、呆然と目の前の“ご令嬢”を見つめた。
「人を無視してどこまで馬鹿騒ぎする気だよ」
 冷たい声音が零される。先ほどまでとあまりに印象を違えるディアの姿に、男は目を瞠った。セイも彼女の勢いに飲まれて何も言えなくなっている。
 ディアは裸足のまま男に近づいた。そして男の胸倉を掴んだ。乱暴な力は“ご令嬢”が持つ力ではない。
「あのさ。金は盗られるしセイには絡まれるし、挙句にこんな格好までさせられてるのにあんたは人のこと無視して勝手な理屈並び立ててるし! ああ物凄く腹が立つ!」
「ディ、ディア」
「黙ってな」
 近づいてきたセイを一睨みで黙らせるとディアは男に視線を戻した。
「セイみたいな男には私みたいながさつな奴で充分! だいたい、セイに王宮騎士なんて務まる訳ないだろ。無駄に女の恨み買って終わりだよ。綺麗過ぎるんだから。王宮なんてあんなとこ、悪魔の巣窟だ」
 ディアが手を離すと男は床に崩れた。どうやらディアに持ち上げられていたらしい。恐るべき力の持ち主である。
 セイが慌てて男に駆け寄り、怪我がないかと見て回る。
「ってことで、セイに家督継がせるのは諦めるんだな。私で我慢させとけよ。じゃあな」
 途中から予定が大分変わり、なにがなんだか分からなくなってきた。
 ディアは腰紐を解く。もうご令嬢でいる必要もないだろうと思った。締め付けから解放されたディアは笑い、着崩れたドレスを掴む。見映えは悪いがこうしていた方が歩きやすい。
 まだ呆然とする二人を見やり、ディアはヒラヒラと手を振って歩き出した。
 屋敷を出る時には執事がなにごともなかったかのように頭を下げて、ディアを見送った。


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 さて。貴族に向かってあのような暴言を吐いた以上、こんな町に長居は無用である。何の因縁をつけられて連行されるか分からない。
 ディアは寝台の上で伸びをした。
 場所は宿の部屋だ。昨夜はあまりに遅かったため、そのまま町を出るのは危険だと判断して宿を取った。一文無しのディアだが無敵だ。店の主人を脅し、代金はセイの家に請求させろと迫った。そうして勝ち取ったようやくの宿だ。
 ディアは早朝の光の中で荷物をまとめた。人が誰も起きていないような時間に出発するのが定石だ。消化不良な気持ちが残っているが、それはまた旅を続けていくことで時間が癒してくれるだろう。
 荷物をまとめていると、昨日のドレスが目に付いた。
「どうすっかなー」
 かなり高価な代物だ。もう二度と着ることはないだろうが、捨ててしまうのは惜しい。しばらく迷って綺麗に畳み直し、荷物の一番奥にしまいこんだ。記念にしようと思った。
 ディアは荷物を担いで部屋を出た。宿の者も眠っている時間帯だ。
 外に出ると黎明がディアを照らす。その金色の光に目を細めた。
 思い出してしまう彼の姿。
 ディアは視線を屋敷の方向へと向けた。
 あれだけ無茶をして言いたいことを言えたら何とかなるだろう。あとは自分で決めろよと屋敷に向かって声を投げる。あんたは男なんだから、と。
 そうしてディアは屋敷とは反対の方向へと歩き出した。冷たい空気を吸い込み、体の隅々までに行き渡らせながら町外れに向かう。昨日、セイと勝負をした場所だ。
 ディアはふと、町外れに誰かの姿を見た気がして眉を寄せた。朝霧の中、ときおり震えるように体を揺らせるその影は、ディアに気付くと走り寄ってきた。
 稜線から零れた朝日が空を走り、大地に光を渡らせる。その一瞬の陽光を受けて、影が金色に煌いた――瞬間、ディアは回れ右をして走り出していた。
「どこに行くんですか、ディア!」
 声を掛けられただけではなく、腕まで掴まれた。距離はかなり離れていたにも関わらず追いつかれた。
 ディアは苦虫を噛み潰す。
「何なんだよ!? 昨日のことならもう知らんぞ! 後は自分で何とかしろよ!」
「いえ、そのことではありませんよ。婚約のことは、私の自由にしていいと許して下さいましたし」
 ディアは抵抗をやめてセイを振り返った。
「へぇ……あの父が?」
「ええ。あの父が。ディアのお陰ですよ」
 ディアは複雑な胸中で笑みを零した。
「じゃあ何。お礼なら、昨日私が泊まった宿のツケを払うってことで手を打つぞ?」
 セイは意味が分からないように首を傾げ、次いでその意味が飲み込めたのか笑い出した。
「何なんだよ」
「違いますよ、ディア。私がここに来たのは、貴方と共に行くためです」
 ディアは思わず思考を止めて現実逃避したくなった。しかしそれは許されない。直ぐに現実に立ち返り、セイの姿を凝視する。
 セイは丈夫で動きやすい服に身を包んでいた。昨日は不揃いだった髪も今では綺麗に切り揃えられており、彼の腰には武器屋から購入した剣が下げられていた。
「昨日、ディアが言ったじゃないですか。私の婚約者は貴方しかいないと」
 あれはセイの演技に合わせただけで深い意味はない。とは口にせず、ディアはひとまず穏便な逃げ道を探そうと試みた。
「待てよ。お前は継ぐんだろ?」
「それも私の自由にして良いとのことです。ですから、私は剣の腕を磨くために旅にでることにしたんです」
「へー、ソレはリッパなココロガケですね」
 ディアは意識が遠のきそうになった。じゃあ旅のご武運を、と素早く別れの挨拶を済ませて立ち去りたい気分だった。しかしセイはディアの予想を裏切らない微笑みで言葉を紡ぐ。
「私とディアはもう婚約者同士なのですから。一緒に行こうと、ここで待っていたのです」
 それを人は詐欺師と呼びます。
 ディアはくらりと遠のく意識の中でそう思った。逃がさないとでも言うつもりなのか、セイはしっかりとディアと腕を組む。誰をも虜にする魔性の笑顔を浮かべて幸せそうにする。
 ――嵌められたんだ。
 ディアは悔やんだ。
 婚約者のふりをさせ、セイはまんまとそれを本物にしたのだ。セイの父を怒鳴りつけた後、やはり同じ町に逗留したのが不味かった。もしくは、せめて屋敷に留まっていればセイの根回しを阻止することが出来たのかもしれない。道理で宿の親父が簡単な脅しであっさりと泊めてくれたわけだ、と今更ながら納得がいく。屋敷ではセイの正式な婚約者としてディアの名が挙げられているのだろう。
「ほら。行きますよ、ディア」
 小悪魔のように嫣然と微笑むセイを前に、ディアは何もできない。
 こうして、奇妙な縁によって二人の旅は始まった――。


 END