彼女の認識

【一】

 ようやく街道の終着点が見えてきた。
 昨日までディアたちがいたのはラミアス領。けれどここからは別の領地となる。街の門には見張りの兵士が立ち、ディアとセイの姿を認めると敬礼した。単なる旅人に敬礼するなど過剰だと思ったディアだが、盗賊捕縛の件が伝わっているのだろうと納得することにした。過疎な街道のため旅人は限られている。
「あー、お勤めご苦労さん」
「大変ですね」
 セイが労うと兵は一瞬だけ表情を緩ませた。直ぐに面差しを変えて唇を引き結ぶ。
 彼らを観察したディアは眉を寄せた。隣のセイに視線を向けると、彼は興味深そうに街を眺めているだけで、兵たちの変化までには気付かないようだった。門を抜けて好奇心を疼かせている。
 外見だけなら美少女で通ってしまうセイは男だ。何が嬉しくて自分より綺麗な男を連れて歩かなければいけないのか。一緒に歩くのが躊躇われてしまう。
 ディアはそんなことを思いながら溜息を吐き出した。
「さぁ。ちゃんと働きましょうね、ディア」
 空を仰ぐ。茜色に染まる空はたとえようもなく美しく感じる。
 しばらく空に現実逃避しようとしていたディアは視界に入ったセイに口を噤んだ。茜は地上にも降り注ぎ、セイの金髪を見事な朱金に染めていた。非常に繊細な色だ。神々しさすら感じさせる。観賞用として自宅に招きたいという者が現われてもおかしくない容貌だ。
 わずかな現実逃避すらさせて貰えないのか。
 ディアは妬ましさを覚えてセイを睨んだが、彼はなぜ睨まれたのか分からないように小首を傾げた。
 ――ああ、ああ、見事な女神ぶりだ。
 ディアは毒づきながら溜息を落とす。盗賊を退治したというのに謝礼は何もない。せしめた金品も全て役人の手に渡った。少しで構わないから残してくれていたらこんなに苦労することもないというのに、なぜ世界はセイを中心に回るのだろうか。ただ働きなど馬鹿らしい。
「わぁかってるって」
 道行く人々が二人を見ながら通り過ぎる。いや、二人ではなくセイを、だ。
 気付いたディアは表情を険しくさせる。
 セイだけではなくディアも充分目立つ存在なのだが、自身のことには無頓着なのか気付かない。
「酒場か……」
 見渡せば悪人などそこら中に転がっていそうなものなのに、なぜこうも面倒な手順を踏まなければいけないのか。見逃すセイの考え方が全く分からない。たとえ酒場に仕事を求めたとしても、成功報酬が飛びぬけて高いわけでもなく、ただ疲れて帰って来るのが関の山だ。理不尽でならない。
 ディアは沸々とした怒りに捕らわれながら歩いていたが、隣にいたセイがいつの間にか消えていることに気付いた。
「セイ?」
 もしやまた自分の歩調が早くて置いてきてしまったのだろうか。
 そう思いながら振り返ると、背後に男の群れがあることに気付いた。彼らの隙間から僅かに金の光が見えた気がして頭を押さえる。
「あぁ、もう!」
 ディアは小走りに駆け戻った。男たちの間から、「通して貰えませんか?」というセイの呑気な声が聞こえてくる。
「まぁ、あんな兄ちゃんなんて放っておいて」
「この街は初めてだろう? 俺らが案内してやるよ」
 男たちは勝手なことを口にしながらセイの行く手を塞いでいる。セイの力があれば男たちを強引に切伏せることなど簡単なことなのに、セイはそうしない。困ったように首を傾げるのみ。そして男たちはそんな行動にも歓声を上げて喜ぶのだ。
 男であるセイに頬を染めて喜ぶ男たち――ディアはあまりの馬鹿馬鹿しさに怒りを霧散させた。問答無用で男たちを叩きのめそうとしていたが、無駄な体力を使うことも馬鹿らしくなった。男たちに声をかける。
「おい、そいつは私の連れだ。通してくれないか?」
 声をかけると男たちは一斉に振り返った。そして自分たちよりも背の高いディアに威圧感を感じたのか、言葉を詰まらせて体を引く。その隙を逃さずディアはセイの腕を取り、男たちの輪から引き抜いた。成り行きを見守っていたセイは嬉しそうに微笑んでディアの背後に庇われる。
「時間がないんだ。仕事探せって言ったのはお前だろう。なに道草してんだ」
「すいません。あの方たちがなかなか通して下さらなかったものですから……」
 セイの背中を押しながら歩き出そうとするディアだが、セイに絡んでいた男の1人に肩を掴まれた。
「兄ちゃん」
 その呼びかけにディアの頬が引き攣る。それでも穏便に振り返る。
 先手必勝、ということだろうか。ふてぶてしく笑う男の顔が視界に映ったのも束の間、男が繰り出した拳が眼前に迫っていた。
「ディア!」
 背後でセイの悲鳴が上がる。
 ディアは男の攻撃に動じることなく見極めて躱した。もともと予想していたことだ。更に言うなら、この男の攻撃によってディアの忍耐は限界点を突破していた。
 突き出された男の腕を下から持ち上げて体を反転させる。背中に男の体をつけ、勢い良く背負い投げする。投げ飛ばされた男は道の端まで飛ばされ、地面に叩きつけられて呻き声を上げ、そのまま気を失ったのか動かなくなった。
「急いでるんだ」
 冷徹な瞳が残された男たちを睥睨する。
 大したことはしていないが、ディアの視線に男たちは怯えた。獲物を奪われた恨みを向けるだけで、積極的にディアと事を構えようとする気概は消えたようだ。
 ディアは嘲笑を含めながら肩を竦めた。男たちの恨みを増幅させるよう、わざとらしくセイの背中に手を回してその場から離れる。男たちの悔しそうな声を背中で聞くと愉快な気になった。
「大丈夫ですか、ディア!」
「あー、はいはい」
 青褪めるセイを腕で払い、ディアは首を鳴らした。先ほどのような輩を馬鹿にするのは楽しいが、セイの相手をしていると鬱陶しくて興が冷めていく。もともとの原因はセイにあったのだと思い出した。
 ディアは複雑なため息を洩らす。


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 酒場はほとんどの場合、夕方に開く。
 ディアが町を訪れたのはちょうど夕暮れ。陽が完全に落ちる前だったので、酒場が開いているかは疑問だった。しかし、場所を確認しておくのは悪くない、と出向いた先で、酒場は開いていた。どうやら盛況らしいと気付いて軽く驚く。
 時間は早いが休むのもいいだろう。
 ディアは遠慮なく活用することにした。セイを伴ったまま酒場に向かう。
 ――酒場の扉を開けた途端に視線が集中した。
 ここに来るまでセイは何度も絡まれた。そのたびにディアが救出してきた。もうこのような注目にも慣れている。視線が集中しても、またか、と忌々しく思うだけだ。
 ディアはセイと手を繋ぎながら皆の視線の中を通り抜けた。何度も絡まれるうち気付いたのだが、セイと手を繋いでいれば絡まれる頻度が激減する。恐らくディアの歩調が早く、また殺伐とした空気を放っていたため、町の男たちも声をかけためらっていたのだろう。歩幅が違うため、セイはディアに引きずられるようにしてついていった。声をかける暇もなかったというのが正しい。
 ディアはカウンターまで来るとようやくセイを解放した。ここまで来れば頭の悪い若者たちに絡まれるという事態はないだろう。酒場に集うのは良識ある旅人や気さくな街の大人たちが多い。万が一、不埒な考えを抱くような者が同席していても、ここでは滅多に諍いを起こさない。たまに酔った者たちが喧嘩騒ぎを勃発させるが、あれはご愛嬌だとディアは思っている。
「仕事を紹介して欲しいんだが、頼めるか?」
 カウンター席に座ったディアとセイを見比べて、マスターは人好きのする笑顔を浮かべた。穏やかに頷いた。
「どんな物をお望みだい?」
 世界中に点在する酒場のマスターに多いのは、現在ディアの目の前にいるような雰囲気を持つ男だ。長らく荒くれ者どもを相手にしていると皆が同じような雰囲気を持つ者に昇華されるのだろうと思う。
 初老に差し掛かっているだろうと思われるマスターはセイに極上の笑顔を浮かべて甘いお菓子を差し出した。セイは瞳を瞬かせてお菓子を見つめた後、嬉しそうにマスターに礼を告げる。その鮮やかな笑顔はマスターの心を射抜いたようだ。照れたようにマスターは笑顔を浮かべて視線を逸らせた。
 ディアはカウンターに突っ伏したくなった。目の前の光景は気色が悪いだけだ。
 鳥肌を立てながら、ディアはひとまずこちらの用件を済ませてしまおうと、硬い声音でマスターに告げた。
「今すぐできて、直ぐに金になるような物」
 示した内容は多くの旅人が望むような条件だった。酒場にその仕事情報が開示される前に誰かに取られてしまうような内容だ。
 案の定、マスターは穏やかな表情に僅かな翳りを落としてディアを見る。その瞳は暗に咎めているようだ。
 ディアは肩を竦めた。
「今夜の宿代にも事欠いてる有様なんだ」
「宿代ぐらいなら、私が」
「うるさい黙れ」
 正直に明かすと横からセイが口を出す。ディアは間髪入れずに睨み付ける。セイは途端にうな垂れてカウンターに頬杖をつく。その横顔は寂しげだ。
 二人のやり取りをどう思ったのか、マスターは「女に頼るなんて格好悪いこと出来る訳ないよなぁ」と1人で納得して何かを取り出した。ディアはよっぽど「私は男じゃないしセイも女じゃないし金に困ってるのは明らかにセイが原因だし」と怒鳴りつけたい気分になったが、涙を呑んで怒りを堪えた。あまり怒っていると更に目つきが悪くなりそうだ。
「今すぐにできて宿の心配をしなくても良さそうな物。報酬にこだわらないというなら少し、心当たりがあるよ」
「何だ?」
 最悪の場合は仕事がないだろうと考えていたディアは、心持ち体を乗り出した。マスターの手元を覗き込む。くたびれた物から新品の物まで、見やすい大きさに切られた依頼票が束ねられている。
「彼女を連れているなら危険は少ない方がいいな」
「いや、それは」
「ちょいとお待ちよ」
 マスターはディアを無視し、老眼鏡を手で調節しながら読み上げた。束の中から幾つかを取り出す。
「公爵家の掃除。子爵の護衛。夜中の街の巡回。街道に出没する盗賊退治。貴金属の配達の護衛」
「盗賊退治?」
 気にかかる言葉にディアの眉が上がる。次を読もうとしていたマスターは視線を依頼票から外してディアを見た。
「ここ最近、ラミアスとここを繋ぐ街道に盗賊が現われるって話でね」
 ラミアスとはセイがいた街の名前だ。その街とこの街を繋ぐ街道に出る盗賊とは、ディアたちが退治した盗賊と見て間違いないだろう。
「その盗賊は私たちが退治したから、依頼票は捨てた方がいいぜ」
「退治した?」
「ああ、昨日の夜にね。朝にここの役人に渡した」
 へぇ、あんた達がねぇ、とマスターはディアを眺めた。半信半疑のようであるが、その目が幾らか今までと変わったことに気を良くしてディアは頷いた。
「でも金がないって言わなかったかい? 盗賊退治したなら、懸賞金を貰ったんじゃないのかい」
「懸賞金?」
 ディアは眉を寄せた。もちろん初耳である。
「何。あいつら懸賞金がかかってたのか!?」
 役人たちとのやり取りが甦る。懸賞金という言葉を聞き逃すはずがない。セイを見るとやはり心当たりはないようでディアと同じように首を傾げている。
 ――やはりあの男たちは自分の見立て通り、奪った金品も着服する算段か。
 ディアの拳に力が入った。見る間に色を失くして震えだす。
 ひとまず役人たちの着服計画を阻むのは後回しだ。先に懸賞金を貰っておこうとマスターに話の続きを急かす。マスターは微かに首を傾げたが、促されるまま続きを話した。
「この街の商人が襲われたらしくてね。彼が懸賞をかけたんだよ」
「商人の家は!」
「ああ――この通りを出て小道に入った所を道沿いに行けば着く、大きな屋敷だよ」
「よっしゃあ!」
 ディアは喜びのまま叫んだ。酒場の客たちが何事かと注目してきたが、ディアはまったく頓着せず、あまつさえ笑顔で彼らに手を振りながら脳裏に街の地図を思い描いた。
「良かったねぇ、お嬢ちゃん」
「そうですねぇ」
 セイは主人と茶飲み友達のような雰囲気を醸しながら頷いた。ディアに向ける視線は少し呆れているようにも見える。しかし口の端が緩むのまでは止められないようだ。瞳は穏やかな光を宿している。
「セイ、行くぞ!」
 ディアは輝くような笑顔をセイに向けた。頷く間もなく腕を掴む。セイは走り出すディアに置いていかれないよう隣に並んだ。荷物を抱え直して主人に頭を下げる。
 酒場から飛び出したディアは、その勢いのまま商人の屋敷まで走り続けた。


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 期待に胸を弾ませて門戸を叩いた、その先の言葉にディアは笑顔のまま固まった。
「お前らが盗賊を退治したという証拠がどこにある」
 門前払いに近い扱いだ。思わず絶句する。商人自ら応対しようという心がけは賞賛に値するが、あいにくと態度が悪い。ディアの機嫌は落下する。
「証拠って……でも、退治したのは本当だ!」
「ふん。そう言って儂のところに懸賞金をゆすりに来た奴は、今日だけで片手の指を軽く超えるわ」
 商人は面白くなさそうな顔で自分の右手を見る。中指には金の指輪がはめられていた。すっきりと上品な指輪は彼の品性を表しているようだ。しかし信用されないことに、ディアは肩を震わせる。
「役人に聞けばはっきりする!」
 噛み付く勢いで怒鳴りつければ商人の目が向けられる。そこには軽蔑の色が宿っていた。ディアは唇を引き結ぶ。悔しいが、相手にされていない。
 このまま商人に襲い掛かりたい。
 そんな危惧があったのか、隣にいたセイが静かに前に進み出た。ディアを手で制して商人を見つめる。決して睨みつけるわけではないが、強い眼差しは商人を射抜いた。
「お疑いならお確かめ下さい。数は六人。すべてが覆面をし、拠点は崖の空洞でした。心ない懸賞金目当ての者たちと一緒にされるなど心外です。どうかご確認下さい。私たち以外に詳細を伝えられる者はおりません」
 静かだが逆らいがたい雰囲気だ。
 商人は、ディアとは違った威圧感に、明らかに戸惑う様子を見せた。
「分かった……問い合わせてみよう。だが、今日はもう遅い。明日、改めて来てくれんか」
 商人の心が動いた。
 ディアは内心でセイに拍手を浴びせたが、商人の言葉にため息をついた。
「おっちゃん……私たち今夜の宿にも事欠いてて、あんたがかけたっていう懸賞金を頼ってきたんだぜ?」
 明日まで待っていられるか。そんなディアの言葉に商人の眉が上がりかけた。だが彼が声を発する前に、別の声が割り込んできた。
「親父。屋敷に泊めてやればいい」
 頭上からの声に全員の目が向けられる。二階の手すりに肘をかけたまま、どこか憎たらしい笑顔を浮かべて、一人の男がディアたちを見下ろしていた。
「ヴァン。お前、今までどこに行っていた」
「まぁ。野暮用でね」
 商人の息子のようだ。ヴァンと呼ばれた男は階段を下りながらディアたちを眺める。その視線がセイに向けられ、わずかだが瞳が細められる。興味を抱いたのだろう。そのことにディアだけが気付いた。
「客室が空いてたろう。野郎が野宿したって構うことねぇが、女を野宿させるのは主義に反するだろう?」
「うむ……」
 ヴァンの進言に渋い顔をする。セイの言葉を頭から信じた訳ではないからだ。虚言に付き合って人を泊めていたらいつか災いが降り注ぐ。ヴァンの言葉を取るべきか、やはり不審者は追い出して役人に確認を取ってから招くべきか。商人の胸で天秤が揺れる。
「……まぁ、いいだろう」
 やがて渋々と承諾した。もしもセイたちの言うことが本当だった場合、人道的な処置を取らなかったという噂が街に広がり、商人としての人望が薄れてしまうかもしれない。そんな打算に傾いた。
「泊めて頂けるのですか? ありがとうございます!」
 彼の心中など露ほども理解しないセイはただ嬉しそうに顔を輝かせた。礼儀正しく深々と頭を下げる。そんなセイを見て、ヴァンはニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「あんた、名前は何ていうんだ?」
「こちらがディアで、私はセイと申します」
「ふうん。セイちゃん」
 ヴァンはセイに近づきながら腕を伸ばした。セイの肩を抱こうというのだろう。
 ディアが一歩前に進み出るとヴァンの腕は不自然に宙を切る。
「さっそく部屋に案内して貰いたい」
 ディアはヴァンの前に立ち、威圧するように見下ろした。そこには一欠けらの笑みもない。脅していると取られかねない態度だ。あてが外れたヴァンは眉を寄せたが、特に何も言わない。眉を寄せたままディアを見る。
 二人の険悪な雰囲気を察したのか商人が慌てたように手招きする。
「ではディア殿。こちらへ――」
「いいや、親父。俺が案内するよ」
 ヴァンは父の言葉を遮ってディアたちを手招いた。先ほど降りてきた階段に二人を促し、父には手を振る。
 商人は積極的な息子の行動に驚いたようだが、特に遮ることはせず、戸惑いは隠せない様子で「じゃあ頼む」とだけ伝えていた。ヴァンはその声に「ああ」と応えてディアたちを二階に促した。
 階段で待っていたセイは、去り行く商人に「お邪魔します」と頭を下げてヴァンの後についていく。警戒心は全く見られない。
 無防備とも言えるセイの様子に、ディアは溜息をつきながら彼らを追いかけた。


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 男二人のお喋りはディアの目の前で延々と続けられた。
「セイちゃんはどこから来たんだ?」
「ちゃん付けは恥ずかしいのでやめて下さい。セイ、で構いません。私はラミアスの街から来ました」
「セイ、ね。分かった。ラミアスかぁ。あそこは……えーと、何が有名だったっけ?」
「そうですね……特産品としては絹でしょうか。養蚕を主な産物として運んでいると聞いたことがあります」
「ああ、そうそう、絹だ絹。良く親父が扱ってた。セイに似合いそうだな」
 二人の後ろでただその会話を聞いていたディアは頭痛を起こして眉を寄せていた。出来るなら怒鳴りつけてやりたかった。だが、何の脈絡もない怒りでは筋が通らない。自分でもなぜこんなに怒りが湧くのか分からない。そもそもセイとヴァンのどちらに腹を立てているのか、基本的な部分が分かっていない。
 ディアが押し黙っている間にも二人の会話は弾んでいく。ディアは徐々に気分が悪くなっていくような気がした。
「セイの部屋はここだよ。あんたの部屋は、こっちだ」
 ヴァンはセイを一つの部屋に案内した後、今度はディアを促して歩き出した。セイに与えられた部屋の近くには幾つか部屋があったが、ディアはどの部屋にも案内されず、更に遠くへと案内されるらしい。
 ディアはヴァンの背中を見ながら瞳を細めた。
「なぜそんなに離す必要があるんだ? 私とセイの部屋を」
「なぜって……他の部屋は使ってるからさ」
 ヴァンは当然のように答えたが、ディアの瞳は更に細められる。まとう雰囲気まで張り詰めたように感じられたのか、ヴァンの体が微かに揺れる。
「私たちの部屋は一緒でいい」
 ヴァンもセイも、驚いたようにディアを見た。
「あまり迷惑をかけてもいけないからな」
 うそぶくディアだが、そのまま本当にセイと共に部屋に入ろうとした。ヴァンが慌てて止めに入る。
「ま、待てよ!」
「何をそんなに慌てている」
「いや、慌ててなんか……て言うかおかしいだろ、普通は部屋を分けて使うだろ。恋人同士ならともかく……いや、とにかく、あんたはこっちだ。部屋には寝台が一つしかねぇし」
「私は床でも構わない」
「駄目だ! 客として泊めるからには寝台を使ってもらう。商人は客商売なんだ!」
 訳の分からない理由を述べられて、ディアは思わず吹き出しかけたが必死で耐えた。どうしようかと迷っていると強引に腕を取られ、ヴァンに引っ張られる。
「ほら、来いよ!」
「ディア?」
 セイは首を傾げて問いかけてくる。そんなセイにディアは肩を竦めてみせ、黙ったままヴァンに従った。振り返ってもセイは扉の前に立ち尽くしたままで、ディアたちが廊下の角を曲がるまで、その立ち位置が動くことはなかった。
 廊下の角を曲がった途端、ディアの腕からヴァンの手が外された。ディアもさすがにもう戻ろうという気持ちは失せている。首を回してヴァンの後をついていく。
 ヴァンはディアが戻ろうとしないことを確認してから速度を上げた。早く離れたいのだろうか。ディアは何でもないように彼について行きながら屋敷の中を観察する。
 商いを営んでいるというだけあり、屋敷の中には高級そうな絵画や壺が飾られていた。悪趣味な物はない。あくまで商人の趣味だろうと思われる類だ。選ばれ飾られているそれらを見ていると、素直に「素朴な人物が集めたんだろうな」と思わせる。これらを見る限り、商人の本来の性格は温和で純朴そうだ。見る目も確かだ。先ほどは本当に偽物が多発していたからの発言なのだろう。
 ディアが観察しながら感心していると、沈黙に耐え切れなくなったのかヴァンが振り返った。
「あんた、セイとどういう関係なんだ?」
「どういうって? 別に。あいつは成り行きで勝手についてきただけだ」
「……ふうん」
 ヴァンの質問に苦笑を浮かべたディアだが、ヴァンはそんな表情には気付かない。何かを考えるように再び歩くことに専念する。ディアには彼の考えていることが手に取るように分かった。
「あんたの部屋はここだから」
 しばらく歩き詰めにされ、ようやくヴァンは1つの部屋にディアを案内した。ご丁寧にもセイの部屋からかなり離された場所にある。ディアは顔を顰めたものの、ヴァンは特に説明することもなく、じゃあなと片手を上げて去っていく。その足取りはどこか楽しげだ。
 ディアはヴァンの後姿を見送ってから扉を開ける。中は普通の客室であることを確認してから踵を返す。
 ここに来るまで客室と思しき扉は幾つかあったというのに、全く。
 ディアは荷物を抱えたまま来た道を引き返した。その途中、何気なく他の部屋の扉を開いてみたのだが、やはりそこはディアの予想に違わず、綺麗に整えられた客室だった。そんな部屋が幾つもある。わざわざディアの部屋をセイと離す必要はない。そこから連想される彼の目的は1つだ。
 ディアはセイに与えられた部屋まで戻るとノックした。返事は直ぐにあったが、彼が扉を開けるのを待つことなく自分で開ける。こちらに走って来ようとするセイを確認する。ヴァンの姿はもちろんない。
 荷物整理をしていたのか、床には荷物の中身が丁寧に並べられている。
 ディアは自分の荷物を部屋に入れた。
「どうしたんですか、ディア」
「部屋を交換しよう」
「はい?」
 セイの戸惑う声を聞きながら、ディアは扉を閉めて奥へ向かった。
 入口のある部屋と、寝室。二間続きの部屋だ。仕切りとなる壁が視界を塞ぎ、入口から寝台は見えない。
「ディア?」
 セイが追いかけて来て、部屋を見回すディアの腕を掴んだ。
「お前、狙われてるんだぞ」
「はい?」
 本当に何も分かっていないのか、セイの声は間の抜けた物だった。天然なのかぼけているのか区別がつかない。ディアは頭を抱えながら諭す。
「あのな、あの男は今夜、絶対にここに来る。お前を女だと信じて疑ってない」
「私は男ですよ?」
「それをあいつに言ったか? 言ってないだろう? 間違いなく誤解してる。だからお前、部屋を替われ」
 セイの荷物を掴んで突き出すが、セイは渋い顔で受け取ろうとはしなかった。ディアが訝んでいると、深い溜息が落とされる。紫紺の瞳がディアを見上げる。
「あのね、ディア。私は男ですよ? 幾らヴァンが襲ってきたからといって、男だと知れば彼も諦めるでしょう。それなのに貴方が入れ替わってそこにヴァンが忍んできたら、危ないのはディアでしょう」
「いや、でも」
 ディアは反論の言葉を探しながらも「ああそうか」とセイの性別を忘れていたことに気付いた。突き出した荷物を見下ろしながら双眸を見開く。まるで目から鱗が落ちたようだ。
 そうだ、いくら外見が男に見えなかろうが、セイは男なのだ。ヴァンに襲われるのは嫌だろうが、自分が身代わりになってまで助けようとする必要はない。
 ディアは「そうだよな」と頬を掻いて納得した。しかし女扱いされたセイは憮然とした表情をなかなか元に戻そうとはしなかった。自分が男だと全く意識されていない事に気付いたのだから、それも当然か。悔しそうに顔を歪めている。
「そう……だよな。うん。心配ない……よな?」
 完結させてしまいそうだったディアに、セイは悪戯を思いついた子どものような笑顔を見せた。その笑顔にディアは悪寒を感じる。綺麗だなと見惚れながらも本能的に後退する。セイはディアの腕を掴み、それ以上離れることを許さなかった。
「私が心配ならこうしましょう、ディア。部屋を替わることはありません。貴方が私と一緒に眠ればいいのですよ」
「は、はぁ!?」
 ディアは素っ頓狂な声を上げる。けれどセイは撤回しない。妙案を思いついた、とでも言いたげな、上機嫌な笑みでディアに迫る。
「私が心配なのでしょう? 私たちがそういう関係だと知れば、ヴァンだって馬に蹴られるような真似は出来ないでしょう。ね。それがいい。そうしましょう」
「お、おい!?」
 そういう関係とはどういう関係だと叫ぶディアだが反論は許されなかった。
「もちろん、演技ですよ、ディア」
 セイは凄みのある笑みでディアを睨みつけた。