彼女の認識

【二】

 いいように流されている気がする。
 明かりを消して一緒の寝台に横になった後、ディアはぼんやりとそう思った。
 隣でセイが身じろぎするたび体が強張る。緊張し過ぎてなかなか眠れない。自分は寝返りひとつ打つこともできず、余計に疲労が溜まっていく。
 そんなディアの様子に気付いているのか、セイはクスクスと忍び笑いをしていた。その声が聞こえたディアは腹を立てる。表情が険しくなるのは止められない。
 胸中ではひたすらヴァンを待ち望んでいた。当初の目的はいったい何だったのか、ここまで来るとどうでも良くなってくる。もしも来なかったら殺してやるぞとまで思考が飛んでいた。
 物騒な雰囲気に気付いたからだろうか。セイが寝台に体を起こした。
 ヴァンはまだ来ていないが、どうしたのだろうか。
 黙って見守るディアの前で、セイはおもむろに上着を脱ぎ始めた。ディアは唖然として硬直する。寝たふりも思いつかない。
「せ、せせせせ、せせ、いい……?」
 それはなんの真似ですか、私は何を言ってるのですか、誰かこの馬鹿を止めてください。
 ディアは冷や汗が滝のように流れていくのを感じた。猛烈に舌をもつれさせると、セイが堪えきれずに吹き出した。非常に楽しげな彼の様子にディアは睨む。やや落ち着きを取り戻した。心臓が煩いのは変わらないが、せめて表情だけでも、と取り繕う。
 ディアの視界の中、セイは肩を竦めて寝台を下りる。窓に近づいて遮光カーテンを開く。闇は一瞬で月光に照らされる。静かな眩しさにディアは瞳を細める。
 金色に彩られたセイは人間とは思えないような美しさを備えていた。光を浴びた金の髪は更に艶めいて見える。露になった上半身は痩せているものの、しなやかな筋肉が見て取れる。剣の練習だけは毎日欠かさず、剣技はディアを圧倒したほどだ。当然、上半身を露にしたセイに女としての要素など欠片もない。
 ディアは全く想像もしていない男の姿に思わず目を奪われていた。
 月を背にしたままセイは微笑む。
 暗がりの中に浮かんだ一つの宝石。
 ディアは息を呑み、近づく影をただ見つめる。金縛りにあったように動けない。
「……?」
 口付けを、抵抗することなく受け入れた。
 セイは驚いて目を見開く。ディアもまたそんな自分に戸惑うように、瞳を大きく見開かせた。不快ではなかったことが酷く不思議だ。
「ディア……」
 紫紺の瞳が優しく揺れる。落とされる囁きは熱を含み、とても近くへ滑り込もうとする。距離が再び縮んでいく。ディアは月の魔力に導かれるまま瞳を閉ざそうとしたが、セイの表情が不意に強張りを帯びたことに気付いて正気に返った。
「お、お前……!」
「しっ」
 叫ぼうとしたディアの口を手で塞いでセイは部屋の入口を見る。それにつられてディアも耳を澄ます。扉が閉まる小さな音が聞こえてきた。それに気付き、ディアは暴れようとした手を下ろす。
「どうやら来たようですね。動いては駄目ですよ?」
 ディアに向けられた微笑みは凶悪だった。ディアは何も言えなくなる。
 再び硬直するディアを、セイは柔らかい目で見つめると頬に触れた。少し冷たい指がディアの輪郭を辿る。そんなセイを見ていられなくてディアは早々に瞳を閉ざしていた。
 その時、寝室の入口で大きな音がした。まるで誰かが動揺して荷物に蹴つまづいたようだ。
 セイはディアに向けていた笑みを欠片も崩さないまま音の方向に顔を向ける。ディアは現実逃避するように瞳を閉ざし続けている。カーテンに遮られない月光のお陰で、セイの裸身はヴァンの位置からとても良く見えるはずだった。けれど、そんな結末も見たくなかった。
「セ、セイ……?」
「ああ、ヴァン……どうかされましたか?」
 これ以上ないほど動揺しているヴァンは目を瞠ってセイを見ていた。その視線は次に、寝台に横たわるディアへ移される。セイはまるで彼から隠すように座る位置を調節した。けれどヴァンの瞳にはディアの姿が映ったはずだ。
 ヴァンの中で何が組み上げられているのか悟っていたセイは、最も効果的な一言を、最も効果的な時間を見計らって口にした。
「無駄になるから一部屋でいいと……言いましたよね?」
「お、お前ら……そういう……」
 セイは何も言わず、微笑みを浮かべながらヴァンを見つめ続ける。
 僅かに頬を染めたヴァンは、受けた衝撃が大きいのか、よろめきながら立ち去った。扉が完全に閉まる。ヴァンの気配が部屋から離れていく。
 ――セイは耐え切れなくなったのか笑い出した。
「見ましたかディア。ヴァンのあの」
「さっさと上着を着ろ!」
 ディアは真っ赤な顔でセイに服を叩き付けた。セイはその勢いのまま寝台に倒れこむ。ディアは素早く寝台から抜け出し、既に扉へ向かっていた。この場にいるのが居た堪れない。
「どこへ行くんですか?」
「部屋に戻るに決まってるだろうっ?」
「ヴァンが戻ってくるかもしれませんよ?」
「お前なら何があっても平気だ!」
 下らない問答を続けるつもりはない。ディアは肩を怒らせながら部屋を出て行った。扉を閉める大きな音が響く。
 セイは、ディアが出て行った後も笑みを崩さない。嬉しそうな笑い声を忍ばせながら寝台にもぐりこむ。そこにはディアの温もりが残されていて温かい。
 セイはその温もりを抱き締めるように頬を寄せ、幸せそうに眠りについた。


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 翌朝、不機嫌な表情のまま起き出したディアを待っていたのは、商人による手厚いもてなしだった。栄養価の高い朝食を並べられ、付けられた使用人は教養が高く、旅に必要な荷物もある程度、揃えられた。昨夜とはずいぶんと扱いが違う。
 戸惑いはディアに昨夜の出来事を忘れさせた。セイと気まずい雰囲気になるかと思いきや、商人はそんなことも吹き飛ぶほどの変貌振りを見せた。
 一通りもてなしが終わった後、商人はディアとセイを応接室に招いて座らせた。
「昨夜は大変な失礼を致しました。確認を取りましたので、どうぞお納め下さい」
 ディアたちの前に置かれた袋の中には金貨がずっしりと入っていた。懸賞金は結構な金額だったようだ。これでは騙りをする者が現われてもおかしくない。
 ディアは現金なもので直ぐに相好を崩して有難く頂戴した。商人に対する見解が180度覆った。
 商人はわざわざ玄関先に出てまでディアたちを見送る。彼に仕える使用人たちも敬意を示してディアたちを見送る。最高級の客人に対するもてなしだ。
 セイは去り際に屋敷を見渡したのだが、ヴァンの姿はなかった。よほど衝撃が大きかったのだろうか。結構な執着ぶりを見せていたわりに呆気ないものだ。
 ヴァンの異変に商人は気付いたようだが、賢明なことにセイたちを問い質すことはしなかった。息子が何をしようとしていたのか、恐らくは見当がついていたのだろう。そのため今朝のもてなしも度を越したものになったに違いない。
「では、泊めていただき有難うございました。私たちはこれで失礼します」
 最終的にはセイが丁寧な礼を述べて二人は屋敷を後にする。ディアは昨夜の不機嫌さなど吹き飛ばし、今ではスキップで丘を下れそうなほど上機嫌だ。そんな彼女の後姿にセイは苦笑してしまう。
 商人の敷地内を出ようという頃。ディアは腕を引かれて振り返った。
「何だ?」
「ヴァンが……」
 その言葉に眉を寄せ、後ろを見るよう促されて振り返ったディアは顔を顰めた。ヴァンが屋敷から走り出てきた所だった。彼の姿を見た途端、昨夜のセイを思い出したディアは真っ赤な顔でかぶりを振った。セイが不思議そうに見上げてくるが、敢えて視線を逸らす。仕方なくその場に留まってヴァンを待つ。しかし彼と真正面から視線を交わす勇気はなくてあらぬ方を見続ける。ヴァンの対応はセイに任せようと決める。
 息を切らせて走って来たヴァンは、二人の前で足を止めると息を整えた。
「お前らさ、あの……」
「どうしましたか?」
 ディアが無言でいるとセイが一歩進み出た。紫紺を緩めて微笑んだ。ヴァンは僅かに頬を染めたが、直ぐに我に返り、かぶりを振る。そして彼は、セイと、その後ろで不機嫌に黙り込んでいるディアを交互に見比べ、思い切ったように息を吸い込んだ。
「俺、そういうのの理解はできないけど、差別はしないほうだから。頑張れよ! じゃあなっ!」
 ヴァンは一方的に告げると屋敷に走り去ってしまった。残された二人の疑問などお構いなしだ。
 セイはきょとんして小首を傾げたが、一瞬の後に意味を悟ったのか大きく笑い出した。
 「はぁ……?」
 まったく意味が分からないディアは「何が頑張れだ?」と呟いてみる。問いかけようにもヴァンは既に屋敷の中だ。追いかけてまで聞くのは躊躇われる。その場はただ去るだけにし、再び歩き始めて――けれど。街の中心部まで来た時だ。

 ――理解はできないけど、差別はしないほうだから。頑張れよ――

 唐突に意味が分かったディアは叫んでいた。
「あの野郎! 私が男だと思い込んでの言葉かあれはーーっっ!?」
 同性愛者だと思い切り誤解された。
 後は言葉にならないほどの衝撃だ。隣で聞いていたセイが吹き出し、ディアは拳を握り締めた。真っ赤な顔でセイの首を絞めにかかる。
「お前のせいだ、お前の!」
 セイは笑いながら逃げようとするが、ディアは許さず追いかける。そうしていると周囲が「そんな可愛い子になんて乱暴を働いてるんだ」と集まってくる。鬱陶しくてディアはセイを連れ出し、逃げ出す。しかし面白半分に野次馬たちは追いかけてくる。何で追ってくるんだよと驚くディアの混乱は頂点に達した。
 セイは終始、楽しげに笑っていた。その笑顔は酷く綺麗で楽しそうで、ディアも最終的には笑い出していた。それとは相反するように、胸の中に何かが燻っていくのを感じながら。


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 騒動が一段落して街を出る頃。
 ディアは当然のように隣に並ぶセイに問いかけた。
「お前さ。街に戻るつもりはないのか?」
 唐突な話題だが、セイは顔を上げて微笑んだ。
「なぜです?」
「反抗心での冒険はもう充分だろ。お前の親父たちもそろそろ心配する頃だ。戻ってやってもいいんじゃないか」
 セイは言葉を吟味するように首を傾げ、次いでかぶりを振った。
「父への反抗で出てきた訳じゃありませんよ。私が街を出ることに父は理解を示してくれました。私はディアと旅をするために出てきたのです。戻るつもりはありません」
「……そうか」
 ディアは複雑な胸中で溜息をついた。言い切るセイの声は強く、ディアに決意をさせる。巻き込み、共に歩く決意。胸の中に暖かなものが滲んでいくのを感じながら歩き出す。隣には直ぐにセイが追いついてくる。それを確認しながら街の門を潜り抜ける。
 いつまで一緒にいられるのかは分からない。これまで道中を共にした者たちのように、いつかは道を分ける時が来るのかもしれない。けれど、セイのような連れがいるというのも、いいものかもしれない。
 いつか、の時が来るまでは――


 END