彼の資格

【二】

 どこの街でも酒場は盛況だ。
 喧騒が絶えない中、マスターに仕事を持ちかけていたディアは周囲に劣らぬ大声を上げた。
「遺跡? 近くに遺跡があるのか!?」
 一瞬だけ周囲の視線がディアに向けられたが、その視線は直ぐに散っていく。
 マスターが肩を竦めた。
「あんたのような冒険者が良く来るよ。みんな期待して行くんだけどねぇ……」
 どうも歯切れが悪い。ディアは眉を寄せる。
「なにか不味いのか?」
「その遺跡、海の中なんだよ」
 ディアは目を丸くした。海の中という言葉がどれほどの深海を示しているのか分からないが、マスターの口調からすれば結構な深度にあるのだろうと窺える。しかし裏を返せば、その中から金品を持って出てこれる冒険者は限られるということだ。となれば、まだ手のついていない金品があるかもしれない。見つかった当初は様々な冒険者や発掘者が集うものだが、時期が来れば自然におさまっていく。その後に入った誰かが本当に価値のある物を掘り起こすというパターンは良くある。
 ディアは笑みを浮かべた。
「どの辺にあるんだ?」
「行くのかい? お薦めできないけどねぇ」
 マスターは気乗りしない様子で呟いた。なら最初から教えるんじゃないとは思ったものの、ディアは突っ込まず、にこやかな笑みを湛えたまま促した。マスターは根負けしたように吐き出す。
「浜辺に小さい舟がある。それで行けるよ」
「よっしゃあ! マスター、ありがとうな!」
 ディアは握り拳を作って叫んだ。既にディアの中では大金を手にすることに決まっている。楽な旅の仕方を考え始める。
 一瞬、セイの姿が脳裏を過ぎった。遺跡に行くと伝えるべきだろうか。
 ディアは逡巡したあと伝えないことに決めた。遺跡は街の直ぐ近くだ。海に沈んでいるので野犬の心配も要らず、盗賊の心配もない。一番心配なのは自分の体力が持つかどうかだ。セイに知らせるまでもないだろう。
 ディアはそう決めて海まで走った。


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 教えられた浜辺に着いてみれば静かなものだった。打ち寄せる波の音しか聞こえない。普段は耳にする海鳥の声もない。本当に静かだ。
 近くには誰の姿もない。ディアは口の中で小さく「好都合だ」と呟いて見渡した。
 海に近い場所に、少し古臭い小さな舟が置かれていた。
 マスターが言っていた舟だろう。
 整然と並べられた幾つかの舟のうち、ディアは特に手入れがされていそうな物を選んで荷物を入れた。
 今まで何人を乗せてきたのだろう。舟はかなりくたびれた様子で薄汚れている。ずいぶんと頼りない感を抱かせるが、沈むことはないはずだ。
 ディアは金品を入れるための袋と錨も舟に乗せ、海に押し出した。しばらく使われていないだろう舟を砂浜から海に押し出すのは結構な重労働だ。無事に舟を波に乗せることができた時、ディアは疲れて舟の中に倒れ込んでいた。
 ディアは舟の中で呼吸を整えながら体力の回復に努める。舟を出すことができれば、あとはオールで漕いでいくだけだ。マスターから拝借した海図を見ながら漕ぎ出す。
「けっこう離れてるな……」
 海を眺め、周囲を確認する。ディアの側には絶壁がそびえており上までは窺えない。それを通り抜けて沖に出ると、海の中に、徐々に黒い影が浮かび上がってきた。
「大陸棚……?」
 浜辺からしばらく離れた時だ。海の色が突然変わった。海底が深くなっているのだ。ここに遺跡が沈んでいるのだろう。
 ディアは海中に頭を入れ、自分の考えに確信を持った。海中深くに何かの建物が幾つも見える。深度はかなりの物で、無事に辿り着けるかは分からない。だが、試してみる価値はある。
「さて」
 規模は相当なものだ。水面に光が反射してどこまで続いているかは分からないが、かなり遠くにまで遺跡の影が映っている。
 ディアは適当な場所に錨を下ろして舟を固定する。周囲を見渡す。
 閑散として誰もいない。そのことを確認してから、泳ぐには邪魔な上下を脱ぐ。
 旅人として適切な服を脱ぐと、下からは薄いシャツと丈の短いズボンが現われた。二の腕も太腿も露だ。ディアにしてみれば夜着と何ら変わらない格好だった。
 慣れていないディアは素早く海の中に体を隠す。特に変な服装ではないが、旅をしていると肌を見せる機会などまったくないため、妙な恥ずかしさを覚える。
「まぁ、誰もいないからな」
 もう一度、辺りを確認する。息を吸い込んで海に潜る。太陽に温められた海上付近を離れると途端に水の冷たさが身に染みた。これも金のためだと我慢する。舟の錨沿いに潜っていき、遺跡を間近にしたディアは目を瞠った。
 ――城?
 コポリと口の端から息が漏れた。
 沈んでいるのはどこかの王国らしかった。城と思しき建造物に沢山の民家。崩れかけてはいるが、国が一つ、そのまま沈んでいる。大昔に津波や地震で滅びたのかもしれない。この国にも壮大な物語があったのだろうかと感慨深くなる。
 ディアは遺跡の全貌を見渡した。
 宝があるとしたら城だ。浮力に逆らいながら、もがくように城の頂上に泳ぐ。
 壁伝いに割れた窓から中へ侵入する。
 客室なのか、寝室なのか、分からないがあまり重要ではない部屋に入り込んだようだった。部屋の中に入ると途端に暗くなる。明かりを持ってくるべきだったかと後悔する。
 ふと見上げたディアは、天井付近で何かが揺らめいているのに気付いてそちらに向かった。
「――うわっ!?」
 ディアは水面に顔を出す。どうやら、天井には空気が溜まっていたようだ。城が沈んだ時に偶然できた空気なのだろう。いつの物なのか分からない空気だが、正常に呼吸ができるなら文句は言えない。地上と遺跡宝までの中間点にできる。
 ディアは笑みを浮かべて水面下を見つめた。
 攻略はそれほど難しくない。この海域には人害な生物もいない。本当に宝が見つかるかもしれない。いや、必ず見つけてやろう。マスターの言う通り、ずいぶんと人の手が入っているようだが、まだ誰も手をつけていない所があるかもしれない。
 もともとディアはこういった建造物の歴史を見るのが好きだった。
 探索のためにはまず明かりが必要となる。元よりこの街には何日か逗留するつもりだったため、都合がいい。時間をかけて攻略していこう。セイにも事情を話し、手伝って貰えば楽しそうだ。
 逸る心を抑えて舟に戻ろうとする。けれど、城の外に出たディアは首を傾げた。舟を固定させていた錨が見当たらない。近くに下ろしていたはずだが、いつの間にか遠くに来ていたのだろうか。
 眉を寄せるディアの頭上を影が過ぎった。
 巨大な魚か、もしくは空が曇ってきたのか。見上げたディアは眉を寄せた。
 舟が二隻、頭上にある。
 そのうちの一隻はちょうど錨を引き上げようとしている所だった。
 ディアは嫌な予感を抱きながら、舟から少し離れた場所に顔を出した。
 予感が的中した。
 見知らぬ男たちがディアの舟に乗り込んで錨を引き上げている。舟の中にはディアの荷物があるのだから、間違えるはずもない。
「何をしてる!?」
 声を上げると男たちが驚いたように振り返った。男たちの中に見知った顔を見出し、ディアの表情が険しくなる。街で揉めた男たちが混ざっているのだ。
 ただの旅行者ならば楽だったのに。
 水中のディアと地上の男たち。圧倒的にディアが不利だ。特に、ディアは泳ぎがあまり得意ではない。得意ではないどころか、今回の水泳が初めての体験だ。色々と勝手が分からない。
 どうやって撃退しようか悩んでいると、男の1人がディアを見下ろしていやらしい笑みを浮かべた。
「男だと聞いていたが、女だったのか」
 水を吸って肌に密着した服。首周りを大きく開けた軽装は男たちの位置から丸見えなのだろう。ディアは忘れていた自分の姿を思い出し、真っ赤になって胸を隠した。射殺したい、と思いながら男を睨む。
「その舟は私のだ。さっさとそこからどけ」
「いいや。この舟は俺のだよ」
「ふざけるな!」
「旅人に無償で舟を貸し与えているのは俺だからな。元々の所有権は俺にある。だから、返して貰おう」
 ただの街の悪ガキどもかと思っていたが、違うのか。それとも嘘をついているのか。ディアは眉を寄せて考えたが直ぐに放棄した。どちらでも関係ない。楯突くようなら例外なく敵だ。
「泳いで戻るんだな。俺はお前の連れだという美女に用があるんだ」
「おいこら、待てよ!」
 ディアの悲鳴も虚しく、男たちは舟を乗っ取って浜へ戻ろうとしている。
 冗談ではない、と唇を噛んで追いかけるが、舟の方が早い。海に入るのが初めてであるディアに追いつけるものではない。実家は内陸にあり、海を見る機会にも恵まれなかった。それで海に沈んだ遺跡を探索するのは無謀もいいところだが、好きこそ物の上手なれという言葉もあることだし、お金を稼ぐためならと思って挑戦したことが、こうして裏目に出た。腕は直ぐに動かなくなる。足も重くなる。かろうじて顔を出しているものの、掴まる場所もなく、浜までかなり遠いこの状況では、力尽きるのも時間の問題に思えた。
 死ぬかも、という言葉が脳裏を過ぎる。それと共に遠くから揶揄る声が聞こえてくる。苦しい息の中でそれを聞いたディアは悔しくて涙が出そうになった。
 一瞬後、男たちの声が別のものに変化した。
 ディアを嘲った男が、遥か向こうで立ち上がっている。波が邪魔でよく見えないのだが、その向こう側に誰かいるらしい。どうやら揉めているようだ。
 もしかして幸運にも別の旅人が遺跡探索に来たのだろうか。
 ディアの胸に希望が灯る。
 頼むから負けるなよと奥歯を噛み締めた。ディアは励まされた気になり、自分も何とか追いつくんだと手足を必死で動かして――遠くで煌いた、見慣れた金の色に息を呑んだ。
 その刹那、ディアから舟を奪った男の1人が勢い良く海に飛び込んだ。水飛沫を上げる。
 いや――飛び込んだのではなく、投げ捨てられたのだ。
 唖然とする男たちに嫣然と微笑みかける姿。それは間違いなくセイだった。
 助けに来てくれたのか、と嬉しく思うと同時に、ディアは申し訳なさを感じた。セイの元へ行くに行けずその場に留まっていると、セイが気付いたように首を傾げた。そこでようやくディアの服装に気付いたのか、瞳が一瞬だけ細くなり。ディアの舟を占領していた男たちは1人も残さず海に投げ捨てられた。彼らは悲鳴を上げながら自分たちの舟に逃げていく。
 ディアは波間に漂いながら俯いた。近づいてくるセイを直視できない。逃げ出したいような、不思議な気分に駆られてしまう。どんな気持ちで彼を見ればいいのか。困惑しながら舟のヘリに手をかける。ようやく安定した場所に辿り着き、ディアは安堵で力が抜けていくのを感じた。
 直ぐにセイの手が伸びてくる。冷えた腕に彼の手は熱を伝える。
「1人で危険な真似はしないで下さいね、と言いましたよね?」
「わ、悪い……が、それは私のせいじゃないぞ。こいつらが余計な因縁つけてこなきゃ……ていうか、お前、良く分かったな」
「え? ああ……この海は丘から見えていましたから」
 セイが指した断崖を見たディアは納得した。崖の上にはカラフルな色が溢れている。来る時に通った花畑がそこにあるのだろう。街に入る前、確かに花畑からは砂浜が見えていたと思い出す。
 セイに助けられながら舟に乗ったディアは、疲れた体をぐったりと沈ませながら俯いた。海に投げ出された男たちは、セイが乗り捨てた舟や自分たちの舟に戻ったため、心配は要らない。
 セイはゆっくりと舟を浜に戻し始めた。緩やかな風に吹かれながらディアは顔を上げる。するとセイと目が合い、慌てて逸らす。別に慌てる必要などないのだが、彼と別れる前、偉そうに説教した自分がこのような状況に陥っているのが酷く惨めに思えたのだ。座り込みながら膝に額をつけるディアの頭上に、セイの大きな溜息が投げられる。
 ――ディアの頭に服が投げられた。
「ディア。服着て」
 投げつけられた服を広げてみれば、それは自分の物だと知れる。
「……まだ乾いてない」
 ディアは唇を尖らせながら呟いた。
 濡らさないようにと脱いで行ったのだ。体が乾く前に着てしまえば意味がなくなる。
 ブツブツと呟いていると、セイがオールを舟の端に固定してディアを覗き込んだ。ディアが罪悪感を忘れるほど素晴らしい笑顔だ。
「襲われてもいいなら構いませんけど?」
「はぁ? 誰に……」
 意味が分からず顔をしかめたディアは、唐突に押し倒されて目を剥いた。先ほどの台詞が一瞬にして理解できた。頬を紅潮させて舟の揺れを感じる。セイは面白そうにディアを見下ろしている。そんな彼にディアは口をパクパクと開閉させ、絶句した。自分が薄着であることを思い出し、更に真っ赤になった。
「いい加減にしろ、この馬鹿!」
 セイの腹を蹴り上げて体から振り落とした。
 振り落とされたセイは声を上げて笑っている。
 なぜこんな奴に一瞬でも「すまない」と思ってしまったのか、信じられない。
 ディアは苦々しく舌打ちした。先ほどまでのヨソヨソしさを吹き飛ばしてセイを真っ直ぐ睨んだ。そうして自分でオールを取る。
「ディア?」
 早く浜に着かないと危険だ。
 セイが首を傾げる様子を視界の端に捉えながら、ディアは素早く服を着込んで肌を隠し、優雅に舟を進めていたセイとは対照的に、勢い良く舟を漕ぎ出した。風景が勢い良く流れ出す。ディアは必死だ。その様子にセイは腹を抱えて笑い出す。
 ディアは憎々しい視線をセイに向け、これ以上ないほど集中して漕いだ。
 冷え切った体に、セイの体温が不自然に残っている気がした。


 END