疑惑と嫉妬が芽吹く時

【二】

 ディアは不機嫌な表情で酒場の席に着いていた。まだ太陽が天頂に達する前のため、酒場には人がほとんどいない。静かな空間は嫌でも考えごとをさせたがる。
 仏頂面のまま待ち続けているとようやく男が現われた。先日、仕事先を紹介してくれると言った男だ。彼はディアを見るなり告げた。
「なんだ。昨日に増して不機嫌だな」
 ディアは男を睨みつけて低い声を出す。
「さっさと仕事を紹介しろ」
「へいへい」
 八つ当たりなど茶飯事だ。この男相手にへつらう理由などもちろん存在せず、ディアは不機嫌な態度を崩さない。そんな様子に男は肩を竦めてため息を洩らした。ついてこい、と手で示す。
 ディアは立ち上がって男の後に続いた。
 酒場を出て、眩しい陽射しに瞳を細める。そうしながらディアは、宿を出るとき、既に部屋にはいなかったセイへの苛立ちを募らせていた。もしかしたらその辺を女連れで歩いているんじゃないかと、つい目を走らせてしまう。
「何をしてる。こっちだこっち」
 セイ捜しに没頭しかけていたディアは、男が角を曲がったことに気付かなかった。そのまま逸れかかるのを男が慌てて引っ張る。
「なんか昨日とはえらい違いだな」
「触るな」
 ディアは男の腕を振り払う。鼻を鳴らし、足を止める。
 どうやら目的の場所は目と鼻の先だったらしい。大通りから裏へ一本入った所にある、二階建ての建物の前に、男は佇んでいる。
「ここか?」
 男は頷いた。
「ああ。皆に紹介しよう」
「紹介って……」
 ディアは眉を寄せた。建物は古びているが、落ち着いた雰囲気があった。店の看板は掲げられておらず、一見しただけでは何の建物なのか分からない。男の様子からは想像もつかないが、仕事とはもしかしたら事務的な物なのだろうかと思う。そうならば即断ろう。書類と対面するばかりの仕事など性に合わない。
「お前、名前は?」
「……ディアだ」
「俺はハーストンだ」
 あまりこの街に深く関わりたくないと思い始めていたディアは渋々告げる。男の名前を聞いても興味はなく、ただ「ふーん」と呟くだけになる。
 ディアはこうして立ち話をしているなど時間の無駄だと言わんばかりに、先に建物へ足を踏み入れた。ハーストンが慌てて後を追いかけてくる。
「待てって!」
 せっかちなディアにため息は禁じえない。ディアの不機嫌さを思ったのか、そのまま引き止めたりはせず、ハーストンが先に立って建物の中に招いた。
 内部はそれほど広くはない。だが、狭すぎるということもない。人が二人、余裕ですれ違うことのできる幅は確保されている。
 建物の奥から威勢のいい掛け声が聞こえてきた。
 ディアは瞳を瞬かせる。掛け声と共に聞こえてくるのは、金属のぶつかり合う音だ。
「はいはい注目ー」
 活気ある一番奥の部屋に踏み込んだ男は声を張り上げた。
 部屋の中には十数名の男たちがいた。顔ぶれや体つきから、街の一般人たちだろうと分かる。全員に共通しているのは剣を持っていることだが、彼らからは洗練された空気を感じなかった。剣の訓練をしていたらしい皆は動きを止めてディアたちを注目した。
「今日から一緒に警備をして貰う、ディアだ。剣の腕は俺が保証する」
「……警備?」
 ディアの呟きは皆の歓声にかき消された。
「ってことで、よろしくな、ディア」
「何も聞いてないんだが」
「とりあえず、今日の夜は俺と一緒に見回るか」
「人の話を聞け!」
 ハーストンは入口近くの名簿にディアの名前を書き入れた。
 二人に注目していた皆は、号令を受けて再び訓練を再開している。耳を傾ける者はいない。賑わいだした部屋の片隅で、ハーストンはディアに向かい直った。とはいえ椅子に腰掛け、耳に小指を突っ込んで掻いている様は真剣とは言い難い。ディアの眉が上がる。
「だから、自警団に推薦したんだって」
「自警団……?」
「そう。最近ここいらで人斬り事件が発生しててなー。治安維持のために自警団結成させて、捕まえようってやつだ」
 ディアの脳裏に昨夜のことが甦った。宿の近くでやりあった、突然の襲撃者の姿が浮かぶ。
「人斬りねぇ……」
「給料はいいぞ。領主様が出して下さるからな」
「領主とも通じてるのか、ここは」
 呆れるディアに、ハーストンは笑みを浮かべる。
「俺が領主の身辺警護を任されてるからな」
「領主付きの……?」
 とてもそんな風には見えない。疑いの眼差しでハーストンを見て、唸り声を上げる。
 だが、この建物の中で一番の風格を持っているのは彼のようだ。髭を落として髪を整え、正装して領主の前に出したら、それなりに見えなくもない。
 ディアの考えを読んだのか、ハーストンは笑い声を上げた。
「うちの領主――ってもまだ正式な領主じゃないんだが。気さくな方だからな。あまり派手なのはお気に召さないんだ」
 ハーストンは何に気付いたように「ああそうだ」と声を上げ、ディアを手招きして部屋を出た。そのまま直ぐ側にある階段をのぼる。階段をのぼった突き当たりには扉が一つあり、ハーストンはためらいなく部屋に踏み込んだ。
 どうやらハーストンの専用部屋のようだ。一階の訓練場とは全く異なり、部屋は狭い。棚には書物が並び、机上には書類が積み上げられている。
 ハーストンは机の引き出しを開けると何かの小袋を取り出してディアに投げた。
 ディアは受け止める。その袋の感触と重さに顔を顰める。
「前金だ。その他に、毎日の給料も支払われる」
「しかし――かなりの大金だぞ」
 普通の警備職の給料の三倍ほど入っている。領主に直接雇われている訳でもないのに、かなりの厚遇だ。いらぬ疑問を抱いてしまう。
「今は人斬りを何とかするのが優先だ。屋敷の奴らの給料を削ってまでこっちに回してるんだよ」
「はー。それであんたもこっちに駆り出されてるって訳だ」
 ディアは袋を揺らしながら肩を竦める。治安維持のためとはいえ行きすぎのような気もした。それでよく屋敷の者たちから非難が上がらないものだと感心してしまう。
「まぁそんな所だ。今日の夜はいけるだろう?」
「ああ」
 ディアは頷きながら顔をしかめた。
「……あんたと一緒か」
「そんなに嫌そうな顔をするな。明日からは順番を決めて、それに従って貰うさ」
 ハーストンは机の端に座りながら笑った。
「夜中、だよな」
「ああ。朝方までな。今のうちに仮眠を取っておいた方がいいぞ」
「……ああ」
 一瞬、セイの顔が脳裏を過ぎった。
 夜じゅう警備にあたるとなれば、セイと顔を合わせる機会は減るだろう。
 そこまで思い、思い切りかぶりを振る。遊び歩いているような奴と顔を合わせなくて済んで良かったじゃないかと思い直す。
「……なんだよ」
 ハーストンと目が合った。彼は控えめな笑みを浮かべているが、ディアを見る目つきは面白がっている。「いいや」と首を振る。
「泊まり込みもありなのか?」
「ああ、いいが……そうか、宿に泊まってるんだっけか。ならこっちに泊まった方が宿代も浮くな。下に用意させるか?」
 気付いたようにハーストンが眉を上げ、机から下りる。直ぐに仕度をさせようというのか廊下へ向かおうとする。ディアは慌てて止める。
「いや、明日からがいい。今日は宿に泊まる。連れがいるんでな。夕方にまた来ればいいんだろう?」
「遅れるなよ?」
「分かってる」
 ハーストンを部屋に押しとどめて片手を振った。ディアは部屋を後にする。階下では練習が続いているらしく、部屋とは全く違う熱気が建物の中に立ち込めていた。そんな彼らを横目で見ながらディアは外に出た。
「人斬りか」
 セイのいう“無茶”の領域に、確実に足を突っ込んだなと考えながら宿に向かう。
 昨日のことがまだしこりとして胸に残っているが、これから顔を合わせる機会が減るだろうから、これだけでも伝えなければいけない。いなければ置手紙でもしてこよう。
 宿に戻ったディアは二階に駆け上がった。
 セイの部屋の前に立ち、ややためらってからノックする。気持ち程度だ。返事を待たずにドアを開け――ノックの意味がないなと自分でも思ったが、中へ入ろうとして絶句した。
 部屋の中には可愛らしい女性がいた。セイではない。
「あら?」
 声も違う。
 艶やかな黒髪は背中にそのまま流され、振り返る拍子に揺れる。黒い瞳がディアを捉えた。
 どこかセイと似通った雰囲気の彼女に、ディアは言葉を詰まらせる。混乱したのか、彼女に何を問いかけることもなく扉を閉めた。視界から彼女を追い出す。
 廊下に1人、佇んだディアは心臓の高鳴りを感じた。
 ――誰だろう? やたらと可愛い子だった。
 部屋を間違えた訳ではない。ここは確実にセイの部屋だ。ならば彼女は誰なのだろうか。
 ディアはひとまず自室に戻ることにした。
 隣の部屋にはディアの荷物が残っている。それを確かめ、ディアはハーストンから貰った金袋を無造作に寝台に投げた。
「セイの奴……」
 徐々に事態が飲み込めてきた。腹が立つ。
 セイが連日出かけていたのは、きっと彼女が原因なのだろう。
 ディアよりも背が低く、髪も艶やかに長く、声もとても可愛らしい。セイの隣に並んでも違和感はないだろう。バランスが取れている。この街はどうやらセイ縁の地らしいから、知り合いがいても不思議ではない。
「そうならそうと、言えばいいだろうが……!」
 ディアは知らず不機嫌な声音で吐き出した。
 一緒に旅をしてきて、少なからず信頼関係はあると思っていた。だが、セイが何も言ってこなかったのは、ディアが思うほど彼は信頼を預けていた訳ではないからだ。そう思うと酷く悔しい。部屋にいた彼女のため、これ以上旅は続けられないと、ディアが気付く前にセイから言って来て欲しかった。そうすれば理解を示せたはずなのに。
 セイの態度が昨日変だったのはあの彼女が原因だ、とディアは結論付けた。セイがまとっていた香水と同じ匂いが、彼女からは漂っていた。部屋にいたのはほんの一瞬だったが、扉をあけた途端に嗅いだ匂いは確かに昨日の物と一緒だ。
「そういうことかよ」
 一緒に旅をするようになったのは単なる気紛れだった。彼に本気で好きな女性ができたなら、言いにくいだろうから、こちらから黙って姿を消してやるのがいい。
 もう少し冷静になって考えるか、本人が戻ってから直接聞けば良いのだろうが、今のディアにそのような余裕はない。突然湧いた存在に混乱している。それに、もしもセイに肯定でもされたら、今の苛立ちをそのままぶつけてしまいそうな気がして怖い。
「なんで私があんな奴に気を使わなけりゃならないんだ!」
 ディアは文句を吐き出しながらも手早く荷物をまとめた。担ぐと部屋を飛び出した。
 隣の部屋は静かだ。だが、もう一度覗いてみるつもりはない。
「おい主人! 精算頼む」
 一階に下りて叫ぶと、カウンターの奥から宿の主人が顔を出した。
 ディアは二日分の宿代金を渡す。
「……私の連れの、もう二日分くらい前払いでいいか?」
「あんただけ引き払うのかい?」
「ああ」
 主人は訝るようにディアを見た。ディアはその視線から逃げるように代金を置く。
「これで足りるだろう?」
「伝言は?」
「要らない。じゃあな」
 背を向けて宿を出る。背中に、主人の物言いたげなため息が聞こえてきそうだ。
 ディアは空を仰ぐ。
「私がいなくなって困ればいいんだ」
 だいたい、理由も告げずに出かけるあいつが悪い。
 ディアは苦々しく呟いた。ハーストンから紹介されたばかりの拠点へ足早に向かう。この仕事を終わらせて街を出れば、セイとの繋がりは本当に絶たれることになる。
 自警団の建物の中にはざわめきが満ちていた。練習をしていた彼らは休んでいるようだ。ディアが顔を覗かせるまでもなく、廊下まで彼らの談笑が聞こえる。和やかで覇気のある声音がディアを包む。その声が無性に癪に障り、ディアは自分を押し込めるようにあえて二階へ上がった。
 ハーストンの部屋に踏み込むが、そこには誰の姿もなかった。
「出かけたのか?」
 ディアは呟いて荷物を下ろした。この建物ではハーストンが最高責任者となっている雰囲気だったため、泊まる部屋も彼の指示を受けた方がいいだろうとの判断だ。下へ行って談笑に混ざるのもいいが、今は誰とも話したくない気分だった。
 泊まる部屋のことはハーストンが帰って来てから聞けばいい。この部屋には幸いにも長椅子がある。毛布はないが、今はなくても困らない程度の暖かさだ。ハーストンが戻るまでここで眠っていても構わないだろう。
 ディアは勝手に決めると横になった。
 どこでも直ぐに眠れるのはディアの特技だ。横になって幾らもせず、直ぐに眠りへ落ちていった。