疑惑と嫉妬が芽吹く時

【三】

 熟睡していたディアは、階段を誰かがのぼってくる気配で目が覚めた。
 気を許すには程遠い気配が近づいてくる。体が知らず緊張し、ディアは弾かれたように起き上がった。
 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
 鋭く冴えた思考ですぐに答えに行き着く。同時に、扉が開いてハーストンが顔を出した。彼は暗い部屋の中にディアを見ると驚いたように体を強張らせたが、直ぐに相好を崩してディアに近づいた。
「なんだ、お前。宿に戻ったんじゃないのかよ」
「……ああ。見回りの時間か?」
 追及されたくなくて言葉を濁し、話題を変える。なかなか上手くいったようでハーストンは直ぐに話の矛先を変えた。
 窓から外を見れば暗闇。漂う空気も冷たく淀んでいるようだ。
 ディアは剣を確かめてから手に持った。
「じゃあ行くか?」
「ああ」
 部屋に戻ってきたハーストンは、机の脇に立てかけておいた一回り大きな剣を手にすると頷きを返す。向けられた表情は真剣なものだ。恐らくこちらが本来の姿なのだろう。
 ランプに火を灯して掲げる。彼と共に階下に下りる。
 静まり返った廊下には誰もいない。いつの間に皆は引上げたのだろうか。ハーストンが部屋に近づいてくるまで、全く気付かなかった。がらんとした建物に心なしか寂しさを覚え、ディアは憂い顔を俯けた。露骨に表情には出さない。ハーストンの背中を追い続ける。
「俺らの持ち場は東部の広場周辺。明日もディアはそっちを見回ってもらうことになる」
「そうか」
「何だ。昼間とはずいぶんと違うな。覇気がないぞぉ、覇気が」
 背中を思い切り叩かれたディアはたたらを踏み、ハーストンを睨みつけた。だが彼は豪快に笑い飛ばすだけだ。年長者に逆らってもこちらが疲れるだけ。ハーストンとはやや距離を保って歩き出すが、遠慮なく近づいて顔を覗き込まれれば意味がない。むさ苦しい中年男のドアップに、ディアは思わず手にしていた鞘をその顔目掛けて打ち下ろす。
「あぶねぇ! そういう物は俺の顔目掛けて振り下ろすんじゃねぇよ!」
「あんたの顔限定かよ」
 ディアは笑った。空振りした剣を下ろして苦笑する。
「連れがいるって言ってたよな。喧嘩でもしたのか」
「別に喧嘩なんかじゃ……」
 喧嘩する相手も宿にはいなかったのだから。
「でもお前、明日から泊り込みになるんだろ? 生活スタイル崩れるぞ。今のうちに謝っておけー」
「喧嘩じゃないと言っている!」
「そーかい」
 ハーストンは簡単に頷いた。肩を竦めて沈黙が流れる。
 居心地が悪い。
 ディアはハーストンの横顔を見やった。その顔は無表情で、機嫌がいいのか悪いのか判断できない。
「……あいつ、女連れ込んでたんだ」
「あ?」
 絞り出すように呟いたディアに、ハーストンが間抜けな声を上げる。その声の調子に、本当に何とも思ってなかったんだなと思い知らされ、口を開いたことを後悔したがもう遅い。彼の瞳は好奇心に輝いた。次の言葉を待つように視線で促される。
 ディアは苛立ちを覚えながら渋々と重い口を開いた。
「……一緒に旅してきたのにそういうこと全く私に言わないで。この街に来たらいきなり、用事があるから別行動とろうって。私が邪魔なら邪魔だと、そう言えばいいんだ! それなのに。――だから、宿を引き払ってきた」
「はぁ?」
「女がいるのに私が一緒にいては邪魔だろう」
「邪魔ってあんた。連れにそう聞いたのかい」
「言いにくいだろう。特にあいつは自分からそういうことを言いたがらないような奴だし。気を使ってやったんだ、私は」
 ハーストンは大きなため息をついた。持っていたランプを揺らすと、長く伸びた影も揺れる。
「だからっていきなり宿引き払うってこたぁねぇだろ。この仕事のことはちゃんと伝えたのか?」
「伝えようにも相手が宿にいなかったんなら仕方ないだろ」
「なら連れはあんたに連絡取れなくて困るだろう」
「困る必要なんてないだろ。邪魔者がいなくなって清々するんじゃないのか」
 込められる毒に気付き、ハーストンは横目でディアを窺った。
 不機嫌な表情の中に微かな痛みがある。やり場のない怒りにとらわれている。親しい仲間を女に取られて悔しい思いはハーストンにも覚えがある。理解できる。だが、その仕返しとして宿を引き払うなど大人気ない。昔の青い自分を思い出すように瞳を細める。
「いいじゃねぇか、女の1人や2人。ハーレムは男の夢だぜ?」
「私は不実な男は嫌いだ」
「嫌いって、あんた……」
 ハーストンは頬を引き攣らせて笑う。
「なら、あんたの連れは、あんたに話もなにもなく消えるような、そんな男に見えてたのかい?」
「……違うけど」
「誤解ってこともあるんじゃねぇのか?」
 落ち着いた声音に諭されてディアは詰まる。誤解なんてあるわけがないと頑なに否定する。誤解だとしたら、セイの部屋にいた女の存在を説明できない。
 ディアは苛々と周囲を見回す。街は人斬りという凶行で沈み、とても静かだ。皆は家に引き篭もって息を殺しているのだろう。新たな悲鳴が生まれないように祈るばかりだ。だが、今夜は霧も姿をみせず、空には星の瞬きすら見出せる。
「明日、自分の居場所だけでも教えてきな。心配してると思うぜ」
「心配なんか」
「俺がもし連れ立って旅をしているとして」
 強情なディアの声を遮って、ハーストンは強く続けた。
「あんたみたいなのがいきなり消えたら、俺は心配するね」
 ディアは言葉を詰まらせて黙り込んだ。ハーストンの言葉は正論だ。落ち着いて考えてみると、確かに彼の言葉が正しいのだろうと思える。だがそれでも、まだ自分の気持ちを整理できていない。ただ黙っているのは気詰まりで、唇を尖らせながらボソリと呟いた。
「あんたは不実そうだから、誤解なんかじゃなく真実で愛想つかされるのがオチなんじゃないのか?」
「あっはっはっは、そうかもなぁ!」
 ハーストンは思い切り笑い飛ばす。その声にディアもつられて笑みを零し、明日か……、と呟く。少々ながら反省の色も浮かんでくる。大人気なかったと思う所もある。とつぜん姿を消すのはやはり反則だった。女のことが真実だとしたら、幾らでも張り飛ばせばいいことだ。なぜこちらが逃げるような真似をしなければならなかったのだろう。
 ディアは頷いて肩を竦めた。混乱して常軌を逸していたような気がする。
「旅ってのは未練を引きずると終わりだよな」
「うるさいな。明日、行けばいいんだろ、行けば!」
 すでに気持ちは動いていた。後押しされるように茶化されて怒鳴る。
「そうそう。行けばいいんですよ、行けば」
 面白そうに喉を鳴らしてハーストンは笑う。そんな彼に腹が立ち、ディアはその尻を蹴飛ばした。もちろん抗議の声は上がったが、知らぬふりで見回りを続けた。


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 その日は何も起こらなかった。
 ハーストンと2人で拠点に戻り、別働隊の報告を見ていても、平穏な夜だったと分かる。夜の間じゅう見回っていれば体力も底を見せ、自警団の本拠に戻ったディアは倒れるように眠り込んだ。後ろからついてきていたハーストンに背中を叩かれる。
「宿に行ってくるんじゃなかったのかい」
「あー……寝てから。昼。昼に行ってくる」
 ディアは半分まどろんだまま、片手を上げて呟いた。
 ハーストンがため息をつく。
「大体いつからその椅子はお前の寝床と化したんだ?」
 そんなぼやき声も子守唄にしか聞こえなくなる。
「手遅れになっても知らねぇぞ」
「んー……」
 眠りまではすぐそこだ。ディアは生返事をするばかりで一向に動こうとしない。顔を合わせ辛くて、先延ばしにしたいという思いがあったのかもしれない。
 ディアはくすぶった想いを抱えたまま、眠りに落ちていった。


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 目覚めると昼近かった。
 睡眠時間はまるで足りていないが、それでも警備をしながら昼間に何かしようというなら、それが普通だ。
 ディアは大きな伸びをすると軽く腕を鳴らす。
「あー……」
 身支度をして階下へ行こうとし、部屋の扉に貼り紙がしてあることに気付いた。
 ――旅は道連れ――
 そんな貼り紙にディアは肩を落とす。ハーストンが貼っていったのだろう。起きて、ディアが逃げぬよう戒めも込めて。
「行く。行きますって」
 無造作に貼り紙を剥がして引き裂く。丸めてくず入れに投げ、今度こそ階下に下りた。
 1階では昨日と同じように、自警団の半数が訓練に明け暮れていた。
 自警団のほとんどは街の一般人だ。自分たちの街を守るために自薦したのだと聞いた。領主の私兵からも人員を割いてはいるものの、圧倒的に足りない。本当の意味で剣を扱える者は自警団の中に数人しかいない。だから彼らを少人数で配置することはできない。一塊になって見回りに出しているのだが、そうすると数が圧倒的に足りなくなる。彼らにも普段の仕事があるため、無理もさせられない。領主の私兵たちも、屋敷の仕事と併用していれば寝る暇もないだろう。
 ハーストンも例外ではない。いつ寝ているのだと思うほどに、屋敷とこの拠点とを往復して雑務に追われているようだ。
 ディアは寝不足の頭でぼんやりしながら宿に向かった。
 ――セイがいれば。
 そんなことを思う。
 セイが自警団にいれば、皆はきっと喜ぶだろう。セイは剣に関してかなりの使い手だ。使わない手はない。いっそのこと誘ってみてはどうだろう。争いごとを好まないセイだが、街のためにという名目をつければ率先して協力してくれそうだ。
 そう結論付けて宿に戻ったディアだったが、いざセイの部屋に入ってみて、絶句した。
「……あれ……?」
 部屋にセイの姿はなかった。それはあるていど予想していたが、彼の荷物までなく、いつでも客を通されるように整然とされていれば不安が湧く。ディアはふと自分が利用していた部屋も覗いてみたが、同じように掃除されている。
「何で?」
 もう一度セイの部屋に入り、見回す。セイがいたという痕跡すら残っていない。
 嫌な動悸を抱えて部屋を飛び出した。階下に下りてカウンターから奥を覗く。
「おい、おっちゃん。セイ――あの、金髪のえっらく綺麗な奴が泊まってただろう。どこ行ったか知らないかっ?」
 話の途中で主人は「ああ、昨日の」と、ディアを見て思い出したように頷いた。
「あの姉さんなら今朝、宿を引き払ったよ。どこに行ったのかは知らないねぇ」
「引き払った……?」
「ああ」
 主人は昼食作りの手を止めてカウンターまで近づいてくる。ディアの顔を覗き込むようにしながら告げて、肩を竦める。
「寂しそうだったがね」
 ディアは沈黙して俯いた。セイの様子は容易に想像できる。
「伝言は何もなし、か?」
「ああ。だからあんた、昨日いいのかいって聞いただろう。いまさら後悔するなんて、男らしくないねぇ」
 主人の言葉も耳に入らない。ディアは後悔に奥歯を噛み締めた。
 今朝引き払ったのなら、ハーストンの言う通り見回りが終わった直ぐあとに来ていれば、まだセイはいたということだ。
 ディアは踵を返した。
「あ、あんたっ?」
 主人の声が追いかけてくるが振り返らない。
 ディアは宿を飛び出すと街の外れに走った。昼時のため人が多く、その中を、セイを捜しながら走り続ける。金髪を見つけては近づくが、セイとは似ても似つかない者たちばかりが見つかってしまう。
 そうしながらディアは、領主の直轄地と別の地を繋ぐ関所にまで来ていた。
 旅人は幾人か見えるが、セイの姿はない。
 ディアは入国審査をしている兵士に近寄った。
「金髪の……セイって奴が、今日、ここに来なかったか」
 ディアは荒い息で詰め寄った。旅人の相手をしていた兵は嫌な顔をしてディアを見たが、しばし沈黙してディアの肩を叩いた。
「ちょっと待ってな」
 記録を調べるため建物の中に入っていく。
「大丈夫かい。あんた、顔色が悪いよ」
「あ」
 順番に割り込んでしまったディアは、旅人に優しい声をかけられて汗を拭う。罪悪感を感じる余裕もないほど追い詰められている気がした。
 建物に入っていた兵が戻り、名簿を見せてくれた。だが、その中にセイを示すものはない。
「そうか……」
 出てはいないのだろうか。それとも、別の関所から出て行ったか。はたまた、関所を通らずに抜け道を使ったか。セイに限って最後はないと思うが、選択肢は色々とある。
「元気だしなよ!」
 関所に背を向けたディアに声が飛ぶ。振り返ると、名簿を見せた兵が片手を上げて振っていた。その表情は複雑そうだ。ディアも応えるように片手を上げて、街に戻った。
 目だけはセイを捜すが、足取りはとても重い。自分のものとは思えないほどだ。
 街のどこにもセイの姿はない。あっと言う間に自警団の拠点まで戻ってきてしまった。威勢のいい掛け声はまだ1階に響いている。
 ディアは2階の扉を開けた。
「お。仲直りはしてきたか?」
 机に向かって書類を片付けていたらしいハーストンが声をかけた。だが彼に応えることなく、ディアは無言のまま長椅子に倒れる。
「悪化しちまったのか?」
 やれやれとでも言いたげにため息をつき、椅子を回して向き直る。だが反対側を向いているディアの表情は窺えない。
「……いなくなった」
「ああん?」
 ハーストンは顔をしかめた。
「宿に行ったら、今朝引き払ったって言われた。関所にも行ってみたが、知らないみたいだ」
 ハーストンは手の中でペンを回し、組んでいた足を床に下ろした。
 ディアからは覇気が感じられない。生ける屍のように腕を投げ出している。ペンを投げつけてみたが無反応だ。その様子に苦笑して首を回す。
「俺が言ったときに素直に行っときゃ良かったんだよ」
「ああ……そうだな」
 起き上がったディアは座り直す。転がったペンを拾うとハーストンに投げ返した。避けられた。
 ディアは俯いて視線を落とした。指を意味なく組み合わせ、何度も組みかえる。沈黙が下りて息苦しさが漂った。
「まるで恋人に逃げられたみたいだな。あんたの連れは男だったんだろう?」
 ハーストンの声にゆっくりと視線を上げた。ただ彼を見つめる。ハーストンはため息をついて立ち上がり、子どもにするようにディアの頭を軽く小突くと部屋を出て行った。ディアは彼が消えた扉を見つめながら「恋人」と呟く。
「そんなんじゃない」
 確かに、慕われているとは思う。キスをされたこともある。それでも、はっきりと告白されたわけではない。彼がドキリとするような言動を繰り返すのは特別な感情からではなく、自分の反応が楽しいからだろうと思う。ただ本当に無邪気な子どものように遊んでいるのだと、そう思っていた。特にセイは世間知らずの箱入りだ。彼の存在は俗世からかけ離れたところにあるのだと勝手に思っていた。けれどそれらが全て間違いで、もしもそのような感情を抱かれているのだとしても、彼が黙って出て行く理由が分からない。
 しょせんは貴族の道楽だったのだろう。彼にとって自分は結局、その程度の存在だったのだ。
 そう考える端からディアは反論していた。セイはそんな奴ではない、と。けれどそうして反論すると別の自分が反論する。実際にセイは出て行ったじゃないか、と。
 繰り返される自問自答。彼が出て行ったのは、ディアが黙って出て行ったからに他ならない。しかしそうなる元々の原因は間違いなくセイが作っている。どこまで行けばこの自問自答が終わるのか分からない。結局は彼に直接問い質さないと納得などできない。
「ああ、もう!」
 とめどなく考えていたディアは勢い良く立ち上がった。力任せに椅子を蹴り飛ばす。簡素な部屋に合わせて入れられたであろう簡素な椅子は、ディアの八つ当たりを受けてへこんだ。