疑惑と嫉妬が芽吹く時

【五】

 目覚めると天井が映っていた。
「あ、れ?」
 ことの顛末が思い出せない。勢い良く起き上がったディアは頭痛を覚えて額に手を当てる。痛みの波が過ぎ去る前に顔を上げる。
「セイッ?」
 部屋の中に彼の姿はなかった。
 先ほどまで彼の気配に包まれていたと思うのに、今は名残もない。安心感が音を立てて崩れていく。
 ディアは立ち上がった。
 どうやら自分は自警団拠点の二階にいるようだと気付く。見覚えのある、ハーストンが使っていた部屋だ。しかしハーストンが戻ってきている気配もない。
 扉に体当たりするように開けて階段を駆け下りる。
 外はまだ薄暗い。きっと、人斬りの襲撃を受けてから時間はさほど経っていないのだろう。
 そのまま夜の街路に飛び出そうとしたディアは拠点の玄関で足を止めた。
 本拠の玄関に転がっていたのは、人斬り三人だった。全員が気絶している。縄で縛られ、身動きが取れないようになっている。出血は止められているのか、玄関は血で濡れていることもない。
 ディアには覚えがない。セイの仕業だ。
「……セイ?」
 不安に駆られるまま名前を呼んだ。一階のどこにも彼の姿はない。外に出て通りを見回してみるが、霧がかかっているため見通しが悪い。セイの姿はない。
「夢……のわけ、ないよな……?」
 願望が見せた都合のいい夢だろうか。
 ディアは“願望”との言葉に顔を赤らめてムッとした。次いで苦笑する。
 ふと我に返り、二階に駆け上がった。扉を壊しかねない勢いで開いて部屋を見渡す。
 目的の物はすぐに見つかった。
 先ほどまで眠っていた長椅子の横に、立てかけられていた。
 目的は、愛用の剣だ。緊張した手で触れたディアは懐かしい気配に安堵し、胸を撫で下ろした。
「良かった……」
 呟きながら何の気はなしに頬に手を当てた。指先に違和感を感じた。斧で斬られたはずの頬にはいつの間にかガーゼが貼り付けられている。眉を寄せながら剥がすと、ガーゼの下からは薬草が出てきた。いつだったか、セイが大量に摘んでいた薬草だ。その効果なのか傷口は綺麗に塞がっているようだった。薬草の青臭さが鼻をついたが、頬に直接触れてももう痛みはない。
「……どこに行ったんだ?」
 最初に感じた焦燥は消えていた。代わりに浮かぶのは空虚感。
 落ち着いた足取りで一階に下りて、外へ出た。
 建物の外壁に背中をつけながら通りを眺める。気を失う前に覚えているセイを思い出す。消えるなと言ったはずなのに、彼はここにいない。聞こえていなかったのだろうか。それともとっくに愛想を尽かされていて、ディアの願いを叶えるつもりなどなかったのか。悔しくて涙が滲む。
 通りをただ眺めていると、霧の中に誰かの影が浮かび上がった。
 ディアは顔を輝かせる。しかし喜びは直ぐに落胆へ変わった。霧から現れたのはセイではなく、見回りから戻ったハーストンだった。彼はまだディアに気付いていなかったようで、建物に近づいてからようやく「早いな」と声をかける。
 ディアは彼が近づくのを待ってから、犯人を捕まえたと告げた。ハーストンの目が丸く見開かれた。
 昨夜、人斬りが現れた付近に自警団の者は誰も配置されていなかった。酒場で別れたハーストンにも指笛が聞こえていなかった。セイがいなければ、ディアは確実に殺されていただろう。
 ディアは淡々と考えた。
「なんだと?」
「玄関に転がしてあるよ」
 ハーストンは慌てて建物の中に飛び込んだ。
「三人っ?」
 やはり彼も単独犯だと思い込んでいたのだろう。驚愕する声が聞こえる。
 ディアは小さな苦笑を洩らし、通りに視線を戻した。
 霧の中にはもう誰の姿も見出せなかった。


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「おいディア!」
 精神的にも肉体的にも疲労していたディアは自警団拠点の二階で休眠を取っていた。けれど眠りは浅い。階下からの大声に目を覚まし、体を起こす。外は結構な明るさだ。窓から見える太陽は天頂を過ぎて傾いている。
 伸びをして扉を開けたディアは、同じく反対側から開けようとしていたハーストンと鉢合わせした。
「っぶね」
「おお、起きたか。ちょっと来い」
 腕を掴まれて引き出される。ディアは危うく階段を踏み外しかけ、彼の腕を振り払った。どうやらハーストンは上機嫌で周りが見えていない様子だ。引きずられたままだと危険だった。
「なんだよ。あいつらは? 領主の屋敷に連行してったんだろ?」
 夜も明けきらぬうちからハーストンは慌しく働いた。犯人たちを直ぐに連行し、街には人斬りが捕まったという触れを出させた。沈んだ表情が似合うようになってきた街の住民たちは見事に沈鬱さを吹き飛ばす。
 そんな喜びに沸く周囲をよそに、ディアはハーストンの部屋で眠っていた。
 犯人を捕まえて仕事は終了した。あとはいつもの旅に戻るだけだ。
「領主様が、直々にお前に礼を言いたいとさ」
「はぁ?」
「報酬もそのときに貰え」
 ディアは顔をしかめた。
「ハーストン……あいつらを捕まえたのは私じゃない。私の連れだ。私だけではきっと殺されていた」
「だが連れは今いないんだろ? ばれやしないさ。貰っとけよ」
 ハーストンの言葉に抵抗を覚えた。セイと出会う前なら美味しい話として遠慮なくその話に乗っただろうが、今は気が重い。どうでもいいという投げやりな気持ちがある。
「ほら。早く早く」
 ハーストンは強引にディアの腕を取ると外に連れ出した。
 ディアは抵抗するのも面倒で、仕方なく彼に従う。そして、建物の前に停まる立派な馬車を見るなり絶句した。
「お前のために領主様がご用意して下さったんだよ」
 領主に殺意が湧いた。
 ディアは強引に踵を返して逃亡しようとしたが、不穏な雲行きを察知したハーストンは馬車の扉を開き、有無を言わさずディアの背中を突き飛ばした。
「乗った乗った」
「うわぁっ?」
 馬車に頭から突っ込んだディアは悲鳴を上げる。その後からハーストンが乗り込み、馬車の扉を閉めると合図を送る。馬車は直ぐに走り出した。
「おいこら待て! これじゃあ誘拐だろう!」
「人聞きの悪い。街の平和を見事取り戻した英雄、ディア殿に与えられた領主様のご好意だぞ。街の平和を脅かす凶悪犯を見事に退治したんだ。うわぁ凄いなぁディア殿ー」
 棒読みするハーストンを蹴りつけた。
「気色悪い!」
「そういう感想かよ!」
 揺れる馬車で立ち上がると、当然ながらバランスを崩す。大人しく椅子に座ってハーストンを睨みつけた。しかし辞退を諦めたわけではない。今からでも馬車を降りようと思って扉に手を伸ばしかけた。
「今や街中がこの馬車を注目してるんだぞ。飛び降りたらまず、まっさきに子どもたちに群がられるなぁ。ディア殿ありがとうー、強いんだねー、きゃあ素敵ー……っ痛ぇな!」
 ディアは神速で繰り出した拳を下ろし、憮然と椅子に座り直した。途中で下りたら確かに皆の注目を浴びるだろうと思う。なんとも気が重い。
「まあ、でもお前の功績でもあるだろ。全部が全部、連れの功績ってわけじゃねぇし。自分の分だけでも貰っておけよ」
 ディアはハーストンの言葉を聞かないふりで外を眺めた。人々はやはり人斬りという不安要素を取り除かれて安心しているようだ。誰の顔も輝いている。活気を取り戻し、街はどこか華やいでいる。そんな人々を眺めていると素直に嬉しさが湧き上がった。
 ――セイは確かにこの街のどこかにいる。
 人々の笑みにつられるようにディアの唇にも笑みが浮かんでいた。何気なく外を眺めながらセイを思い出している。この街のどこで何をしているのか分からないが、必ず見つけ出すと決めていた。見つけた先にあるのが何なのか分からない。だが無駄にはならないはずだ。何より、自分の気持ちに整理がつく。逃げるなど、やはり自分らしくなかったと思う。どんな結末になったとしても、今なら余裕を持って受け止められるだろう。
 ディアはそう思いながら、全貌を見出せるようになった領主の城に視線を向けた。面会は早々に切り上げようと心に決める。下手に仕事を紹介されても迷惑だ。馬車から下りる隙を狙って逃げ出すという手段も残されていたが、さすがに領主の面前で愚かな振る舞いはできない。酒場で思い切り飲み食いした罪悪感も多少ある。少しは領主の顔を立ててやるかという殊勝な気持ちに従うことにする。
「さ、落ちた落ちた」
 ディアは顔を上げた。馬車は城前で停まっている。執事らしき人物が外から馬車の扉を開けていた。
 ――落ちてたまるか。
 ディアは自分の安全を確保するためハーストンを先に下ろしてから馬車を下りた。
 立派な城だ。
 王城とは比べるべくもないが、侯爵家の城だけあって、やはり大きい。このような場所に来ると嫌でも緊張する。
「おう。ディアさまのお通りだ」
 門番に片手を上げて挨拶するハーストンの後頭部を剣の鞘で殴った。


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 城の中に入ると、ディアはハーストンと引き離された。使用人たちに案内されるまま、とある部屋に通される。そこで待ち構えていた女性たちの視線にディアは慄く。着替えるよう告げられ、脱がそうと幾本もの腕が伸びてきたときには戸惑った。
 確かに旅装束のまま領主の前に立つのは不敬だ。
 ディアは伸びてきた腕を拒絶し、自分で着替えるからと彼女たちを追い出し、鏡台の前でため息をついた。
 使用人たちから預かった幾つかの衣装を広げてうんざりとする。貴族社会の着替えはやたらと豪勢なのだ。着替えろと言われてから予想はしていたものの、予想通りの展開にため息は禁じえない。
 ディアは幾つかの着替えを睨みつけたあと、その中から最も無難なものを選んだ。
 白を基調とした簡素な礼服だ。袖口には見事な刺繍が施されている。腕を通すとやたらと重かった。それでも、他に首回りにレースがふんだんにあしらわれたものや、背中が大きく開いてぴったりと体に密着するような衣装を着るよりマシだと思えた。ディアは煩わしい袖口を、そうと分からないよう密かに内側に折り畳んだ。幾らか動きが軽くなる。
 ディアは身だしなみを整えながらヴァレン侯爵についてを思い出していた。この街について何も知らない無知な旅人だと思われるのは癪に障った。
 現在、家督を継いでいるヴァレン侯爵は王宮で正騎士団の指揮を執っている。実際にこの領地の政務を執っているのは、侯爵子息のアイル=ヴァレンだ。領主直轄地の中央から離れた別の地では、その妹のルイも執務を執っている。おとといにこの街に戻ってきたと、酒場で聞いた。
「……ルイ?」
 情報を整理していたディアは首を傾げた。どこかで聞いた名前のようだ。どこだっただろうか。侯爵家は中央軍を指揮する大貴族のため、娘の名が人の口にのぼることも確かにあるだろう。しかしディアは、噂話ではなくちゃんとした話の中で聞いたような気がした。
「ディア様。よろしいでしょうか」
 外から声をかけられて視線を向けた。
 剣を持っていくのは不敬にあたるかと眉を寄せたが、それでも剣をつかんで廊下に出た。ハーストンの姿を期待したが、その姿はない。彼がいれば安心して剣を預けることもできたのだが。
 部屋から出てきたディアに、廊下で待っていた女性は微笑んでお辞儀をした。優しい腕でディアを促し先導を務める。
 柔らかな絨毯を踏みしめて少し進んだ先に、他とは雰囲気の異なる扉があった。先導を務めていた女性が扉を押し開ける。ディアを通した。
 この先にアイル=ヴァレンがいるのだろう。
 ディアは素早く内部を観察した。
 窓近くには衛兵が並んで立っている。幾人かは自警団で顔を合わせたことのある者たちだった。その一列にはハーストンの姿もある。彼は生真面目な顔をしているが、瞳はずいぶんと眠たげだった。今にもその瞼が落ちてしまいそうだ。ほとんど徹夜で仕事に励んでいたのだから、そうなるのも当然だ。
 部屋の奥には立派な机があった。その近くに男性が二人、並んで立っている。
 書類を片手に思慮深げな表情をして書類をめくり、隣の青年に何事かを話しかけている。問われた青年は書類の一点を指し、一言二言告げるとまた口を噤む。彼らが何を話しているかはディアの所まで聞こえてこない。
 二人とも仕立てのいい服に身を包んでいた。一般人とは思えない雰囲気を醸している。いまだ書類を持っている方がアイル=ヴァレンで、その側に佇むのは、彼の秘書役のような存在だろうか。
 秘書役とあたりをつけた青年がディアに気付いた。書類を持つ青年をつつく。
 青年はディアに視線を向け、軽く瞳を瞠って微笑んだ。
「ディア殿ですね。お話は伺っております。私は領主代行を務める、アイル=ヴァレンと申します」
 ディアの予想は当たっていたらしい。
 青年は手にしていた書類を机に飛ばした。隣の青年が眉を寄せたが、アイルは無視する。ディアに近づいて腰を折る。旅人に向けられる厚情としてはいささか過分な気もした。
「今回の件ではとても感謝しています。本来ならばこちらから出向かうべきですが、なにぶん公務にあきがなかったもので、申し訳ない」
「いえ。お気になさらずに」
 机に投げ飛ばされた書類に視線を向けたディアに、アイルは笑みを深めた。
「ささやかながら礼を用意しております。これからの旅にお役立て下さい」
 アイルの側にいた青年が、一番近くにいた衛兵から袋を受け取った。それをアイルに渡し、アイルはジャラリと重たいその袋をディアに差し出す。
 部屋中の視線がディアに集まった。
 ディアは息をつまらせる。アイルが持つ袋は、通常の褒賞金よりもかなり多いと、音だけでもわかる。民の給料の二か月分に相当するような額だ。ディアは伸ばしかけた手を止めた。
「それは受け取れません」
 アイルの側にいた青年が瞳を細めた。アイル自身は変わらず笑顔で「なぜ?」と問いかける。ディアは二人を見つめた。
「ハーストン殿から聞き及んでいると思いますが、あの三人を捕まえたのは私ではなく、私の連れなのです。だから、私にはその報酬を受ける資格などない」
「貴方の連れということは、貴方の旅の仲間でしょう? 後で貴方が渡して下さればいい」
 ディアは自嘲するようにかすかな笑みを見せた。
「今、あいつは側にいません。だから、私が受け取っても渡せない」
「そうか。それは困ったね」
 アイルは拒否された袋を隣の青年に渡した。頬に手を当てて首を傾げた。
 ディアは視線を落とす。だから、アイルの瞳がじっとディアを捉えていることに気付かない。
「貴方の連れの名前は知っていますか」
「あ、はい。セイと言って――あ……セイ、セイ=ラミアスです」
 妙な質問だとは気付かない。
 肝心なことを忘れていた、とディアは瞳を瞠らせていた。普段意識していなかったが、セイはラミアス伯爵の子息なのだ。
「報酬ならラミアス伯爵へ届けて下さい。あいつ、ラミアス伯爵の子息ですから。侯爵家なら伯爵家へ連絡取ることなんて簡単でしょう?」
「ディア殿」
 アイルの側に佇む青年が諌めた。
 意気込んでいたディアは我に返って口を噤む。見苦しい真似をした。だがアイルはおかしそうに声を上げて笑っただけだった。
「いいよ、カルザ」
「はい」
 カルザと呼ばれた青年はただ頷く。
「ところで、ディア殿はすぐに街を発たれるのでしょうか?」
「いえ。セイを……探します。愛想尽かされたのかもしれないけど、私は」
 床に視線を落として呟いた。その先を促すようにアイルは何も言わない。首を傾げてディアを見つめる。促されるまま、ディアは絞り出すように吐き出した。
「側にいてくれないと、私が落ち着かないんだ」
 その途端、ディアは両肩をつかまれていた。
「アイル様?」
 ディアは驚いて顔を上げる。アイルはディアの両肩を掴みながら顔を伏せている。肩を震わせている。何か不味いことを言っただろうかと不安になり、ディアは視線をカルザに向ける。しかし視線の先に立つ青年もまた苦虫を噛み潰したような顔をしていた。その表情にますます不安を煽られ、ディアは次に周囲に視線を向けた。だがそこにあった雰囲気は、ディアが感じた不安を根底から覆すようなものだった。
 窓際に佇む者たちは誰もが頬を緩めて笑っていた。ハーストンに至っては腹を抱えて肩を震わせている。それが笑いを堪えるためであることは明らかだ。
 ディアはもう一度、目の前で肩を震わせているアイルに視線を向けた。
 もしかして笑われているのだろうか。
 ようやくそこに考えが辿り着く。
「うん、うん。聞いてた通り。可愛い」
「はぁ?」
 何を言われているのか分からなかった。
「我が妹君は負けてしまったなぁ、カルザ」
 アイルは笑いながら友人でもある彼を見たが、カルザは苦々しい表情を崩さず、嫌そうなため息をついた。それがますます笑いを誘う。その場では、何がなんだか分からないディアばかりが混乱した頭を抱えていた。
 その直後だ。
 後ろから伸びた腕がディアの両肩を包んで抱き寄せた。
「うわっ?」
 アイルの手から逃れたディアはバランスを崩して後ろに倒れた。しかし誰かにぶつかる。ぶつかるというより、抱き締められたと表現した方が正しい。
「賭けは私の勝ちですね。アイル様」
 耳元で聞こえた声にディアは双眸を見開いた。恐る恐る振り返り、そこにかの者の姿を見る。眩い金髪は街中のどこを探しても見つけられなかった無二のもの。優しい光が宿る紫紺の瞳がディアに向けられていた。
 ディアを後ろから抱き寄せているのは、セイ以外の何者でもない。
「え……って、え……?」
 強い力で強奪されたアイルは苦笑して頷いた。
「納得しただろ。ルイも」
 その視線を辿って振り返ると、艶やかな漆黒の髪をなびかせて歩いて来る少女が目に入った。記憶が甦る。宿屋でセイの部屋にいた女性だと知れる。けれどなぜ彼女がここにいるのか。そもそもセイがこの屋敷にいること自体が既におかしい。侯爵家の嫡男と親しげに会話を交わしているこの状態があり得ない。
 ――待て。待て。待て。ルイ、と言ったか? この、黒髪の女のことを?
 ルイ。ルイ=ヴァレン。
 何かが頭の中で凄まじい速度で組み立てられ、繋がれていくような感覚だった。
 ルイ=ヴァレンはアイル=ヴァレンの隣に並び立つとディアに微笑を向けた。
「……またお会いしましたわね」
 可憐な微笑みだった。貴族としての教養をしっかりと身につけ、凛とした姿勢を崩さない。柔らかい顔立ちはまだ少女と言ってもいいが、瞳には強い意志が煌いている。アイルの瞳と良く似ていた。しかし今、生来のはつらつさを伏せたように、微笑みは哀しみを孕んでいた。
「セイの言う通り、素敵な方」
「諦めろ。お前の負けだ」
 容赦ないアイルの言葉にルイは大きなため息をついた。その仕草一つを取っても品の溢れる姿だ。ディアは自分の背も伸びるような気がした。彼女の瞳が自分に向けられた瞬間、息を止める。視線はそのままディアをすり抜けてセイに向けられた。
「久しぶりにお会いしまして、ずいぶん女らしさが抜けたと思ってましたのに」
 ルイは再びディアを見て、もう一度ため息をついた。
「まだご理解されていないようですね。説明しますわ。私とセイとの婚約話が過去にあったこと――ご存知でいらっしゃいますわね?」
 ディアは何も言えない。ただ目を白黒させるだけだ。
「それで貴方を試したのです。セイに相応しいかどうか。誠実か不実か。己が貰うべきではない褒賞金を受け取るか受け取らないか。もしも受け取っていたなら、セイと私との婚約を見直すという約束でした」
「でも、ディアが受け取らなかったらルイ様との婚約は本当に白紙に戻していただけるという約束でした」
 セイが素早く補足した。ルイは残念そうにかぶりを振る。
「そうですね。諦めます。一度交わした約束は守りますわ」
 そして、真相を聞かされたディアは、ゆっくりと部屋にいる皆を眺めた。全員が今回の企みを知っていたのだと悟る。
 アイルに、ルイに、カルザに、ハーストン。そして、セイ。
「ハーストンのことも……最初から、仕組んでたのか?」
「いいやぁ? 聞かされたのは昨日のことよ。おう、セイ。久しぶりだな」
 ハーストンはアイルに目礼すると、立ち位置を離れてディアに近づいた。セイを見つめる瞳には我が子を見つめるように慈愛が滲んでいる。セイもまた、微笑み返した。
「お久しぶりです。ハーストン先生」
「俺だってアイル様から聞かされるまでは、あんたのこと完全に男だと思ってたしな」
 そうしてハーストンはセイに耳打ちした。
「こいつ、『セイが側にいないと落ち着かない』ってさ。男冥利に尽きるよなぁ。ああ、そうそう。拠点でもあんたのこと『恋人なんかじゃない』って」
「うわああああああああああああっっ!?」
 耳まで赤く染めたディアはハーストンを殴り倒した。肩に回されていたセイの腕を乱暴に振り払う。
「あ、ディア!」
 ディアは猛スピードで部屋を飛び出した。もちろんセイは直ぐに追いかける。傍観していたルイとアイルは顔を見合わせた。
「ディア殿って、感情豊かだな」
「ええ。本当に」
 ハーストンは鼻をすすってダメージから立ち直った。


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「ディア、待って!」
「待ってたまるかあああ!」
 衝動的に飛び出したディアは城内を滅茶苦茶に走り続けた。後ろから追いかけてくる足音が消えることはない。距離は縮まり、このままでは追いつかれてしまいそうだ。赤くなった耳を押さえて中庭に飛び出したものの行き止まりだった。逃げる場所を探したが、ない。視界の端にセイの姿が映り、焦りが頂点に達したのか、ディアはもうどこでもいいとばかりに植木に飛び込んだ。
 追いついたセイが呆れたように見下ろす。
「ディ」
「わーーっ」
 たった一言でも今はセイの言葉を聞きたくない。無駄に大声を出す。両耳を塞いで背を向けて、必死に植木の中に潜り込もうとする。庭師も嘆く大惨事だ。
「あの」
「うーるーさーいーー!」
 埒が明かない。セイはディアの肩を掴んで無理に引きずり出した。
「うわああ! もう嫌だー!」
「嫌だって……ディア」
 ディアは固く目を瞑り、小さくなって全身でセイを否定する。
「だいたいなぁ、お前いきなり別行動取るし、いなくなるし、女を部屋に連れ込んでるし!」
「せっかくこちらに寄ったので挨拶しようかと訪ねたんですが、アイル様がなかなか放して下さらなくて」
「なに? なんでそんな冷静なわけお前? 私を使って賭けごとなんて人権侵害だろ!?」
 羞恥心と混乱の極地にあって、ディアは自分でも何を口走っているのか分からなかった。そんなディアを見下ろしながらセイは首を傾げる。ことごとくを聞き流す。
「他になにか、言いたいことってあります?」
「ありすぎだよ!」
「全部聞きますから、ディア」
 セイはディアを抱き締めて囁いた。
「これで私の婚約者はディアだけですよね」