闇に紛れた張子の虎

【二】

 炭鉱の町として有名なオプトの町。
 駆け抜ける風は土埃を含んで強く、真っ暗な竪坑に暗い唸り声を響かせる。
 ディアたちは当初の予定通り、町に足をつけていた。
 セイが笑みを向ける。
「夜までに着けて良かったですよね、ディア」
「空き部屋があったらの話だ」
 宿が満室なら無人となったあの小屋まで戻る。
 そう告げるとセイは渋い顔をして町に視線を戻す。竪坑に沿うようにして建てられている民家を眺めた。落陽に染まる木造の家々には、既に多くの所で明かりが灯されている。
「それにしても……複雑な道ですね」
 直径1キロメートルほどある縦穴は、地下の炭坑に行くために掘られた縦穴だった。その周囲に労働者たちの家屋が密集している。縦穴は螺旋の路地を地面深くへ延ばし、その路地にも建物が立ち並び、穴の反対側とを結ぶ橋も高さを変えて縦横無尽に架けられている。
「次の町には坑道を通っていけば近道みたいだな」
「え。迂回して行きましょうよ」
 地図を見ながら呟くディアに、セイは坑道を大きく迂回する街道を指す。
「そんな遠い街道通るよりこっち通った方が早いだろ?」
 迂回路を示すセイの指を地図から払い、彼が指した距離を測る。
 ディアが示した近道の四倍ほどの距離を持つ迂回路。街道は旅人のために整備されており、確かに坑道などより歩きやすいが、だがしかし。
「また迷っても知りませんよ」
「誰が迷うかよ」
 縦穴に架けられた橋を渡り、地図を畳みながら宿を探していたディアは肩を竦めた。そのとき走って来る人影に気づいた。
「なんだ?」
 幅広に作られた橋が揺れる。セイも人影に気付くと、わずかにディアの前に出た。
 走って来るのは男だ。暗闇に染まる周囲に溶け込むような黒の服をまとい、黒の帽子を被っている。明らかに不審人物らしき雰囲気を醸している。更にいえば、男は長い形状の物まで持っている。
 ディアは眉を寄せてセイの肩を掴んだ。
 近くまで駆け寄ってきたその男が、手にしていた剣を鞘から抜いた瞬間。セイを後ろに追いやって自分の剣を抜く。
「ディア!」
 目を瞠るセイの眼前で鈍い音がし、火花が散った。
 ディアと剣を合わせた男はセイに視線を向ける。その瞳が驚いたように瞠られる。
「……お前らじゃ、ないのか。すまないな」
 手早く謝ると、男はディアたちを通り抜けて走っていく。
 ディアは眉を寄せてその姿を見送った。斬りかけておいて「すまない」もなにもないと思うのだが。
「なんなんだ?」
 剣を鞘に収めながら男を見つめていると、後ろから思い切り腕を引かれた。
「っと!?」
 橋が揺れてバランスを崩す。ディアはセイに抱きつく形となって慌てた。離れようとした腕を掴まれて引き寄せられ、間近に迫った顔に更に慌てた。いつも笑みを浮かべているセイは今は強張り、どこか不機嫌な雰囲気を漂わせてディアを見つめている。
「セイ?」
「私、頼りないですか?」
 え、と双眸を瞠らせたディアは口付けられた。触れるだけで直ぐに離れる。混乱する思考をよそに金色の髪が鮮やかに目の前で揺れ、紫紺の瞳がディアを捕らえる。
「……男ですから。守られるより守るほうがいいに決まってます」
 セイはやや険しい表情のまま顔を背けて歩き出した。
 ディアは照れる間もなく呆気に取られてその姿を見送る。頬を掻く。
 セイのプライドに障ったのだと分かった。だが、自分だって守られるより守るほうがいい。それに、自分より小さいものは守らないとという考えが無意識下に染み込んでいて、つい反射的に前に立った。それを言えばまたセイは怒るのだろう。
 ディアはセイを背後に回した手の平を見た。
 溜息をついてセイを追いかけた。


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「今からですってっ?」
 セイの怒声が響いた。
 滅多にないそのことにディアは驚きながら体を戻す。
「今からならちょうど盛況だろう。それに、さっきのことも報告しておかないと」
「襲われておきながら何を言ってるんですか。明日にしなさい」
「セイこそなに言ってるんだよ。酒場に朝行ってどうするんだ。あ、疲れてんのか? なら私だけで行ってくるから、留守番」
 そこまででディアは口をつぐんだ。セイから今まで見たこともない鋭い視線を向けられた。まるで憎しみでも込められているかのような視線だ。
 驚いて息を呑むと、セイは近づいてきてディアの腕を掴む。その腕に引かれるままディアは部屋の中に入れられた。出ようとしていた扉を閉められる。
 乱暴な行動に声を上げようとしたが、紫紺の瞳が傷付いたように潤んで見つめてくることに気付いて言葉に詰まる。
「一人でなんて、なおさら行かせられません」
 険しい声音だ。なにやら本気で怒っている。
 ディアは眉を寄せた。
「ならお前が一緒に来ればいいだろ。なにそんなに怒ってるんだよ」
「……怒ってません」
「嘘つけ」
「嘘じゃないです!」
 叫んだセイはハッとしたように体を引き、まるで叫んだことを後悔するように唇を引き結んだ。ディアから顔を背ける。
「……悔しいだけです」
 ディアの腕を放して剣を取りに戻った。不機嫌さを露にし、セイはそのままディアの横を通り抜けて廊下へ出て行ってしまう。初めての事態にディアは戸惑ってしまう。
 ――怒ってないって、確実に怒ってるじゃないか。なんだよ。そんなに嫌なら私より大きくなってみせろってんだ。今までも男扱いしてなかったの結構あったのに、なんで今回だけ怒るんだよ。
 セイがさっぱり分からない。
 前と今では命の危険性という部分で全く違うからだが、ディアはそれに気付かない。旅をしていれば命の危険性がない方がおかしい。今の状態が普通だ。いちいちそれに怯えていては旅などできない。
 ディアは宿から出たセイを追いかけた。彼の歩き方すら、いつもより乱暴に感じられてしまう。
「おい、セイ」
「なんですか」
 次の言葉が浮かんでこない。ディアは憮然として「なんでもない」と黙り込んだ。セイはわずかに振り返っただけで「そうですか」とまた前を見る。足が止まることはない。
 すっかりと日が暮れた夜の街に、金の髪が沈んでいく。
 坑道から絶えず吹き上げる風が髪を揺らす。
 歩きながら、ディアもまた機嫌が落ちていくのを感じていた。
 酒場は直ぐに見つかった。明かりが洩れている。だが他の町に比べてあまり賑わいはなく、近くまで行っても人の気配を感じない。中へ入ると空席ばかりが目についた。人の姿はない。開店前なのだろうかと思った二人だが、主人はカウンター席で頬杖をついている。開店準備に追われている様子はない。
「旅人さんかい」
 主人が眼鏡を押し上げて二人を見た。
 寂れているとしか言い様のない様子に、気まずさも忘れてディアたちは顔を見合わせた。
「ずいぶんと静かだな。いつもこうなのか?」
 カウンターに座って店内を見回すと、主人は大きく息をついて「いいや」と首を振る。
「二、三ヶ月前からだよ、こんななのは。ところで、あんたら今すぐ宿に戻ったほうがいい。情報なら朝にまた来ておくれ」
 その言葉に二人は目を瞠った。酒場の主人自らそんな常識外れなことを言うなど、どうしたというのだろう。
「なんでだ?」
 主人は暗闇が支配する外に視線を向け、ディアに戻す。
「ここらで旅人は狙われやすいんだよ」
「狙われやすいって……」
 まるで賊でも潜んでいるかのようだ。
 ディアは真っ先にさきほどの男を思い浮かべた。
「あの。私たち、町に着いた途端、不審な男に斬り付けられたんですが……」
 主人が眉を寄せた。怪我は? と聞かれてディアはかぶりを振る。そうすると主人は安堵したような、呆れたような、どちらともつかないため息をついた。
「それはエヴィンだろう。悪い奴じゃないんだけどね。早とちりが多くて」
「早とちり?」
 ディアは何に間違われたというのか。主人は交互にディアたちを眺めた。
「この町のどこかにたちの悪い旅人が住み着いたらしいんだ。町の奴らはまだ襲われていないが、旅人が結構な数、殺されている。その刃がいつ私たちに向けられるとも分からない。こんな状態じゃ他の旅人も避けて通るし、私も商売上がったりだよ」
「そんな噂、前の町じゃ聞かなかったな」
 主人はあいまいな笑みを見せた。
「それが二、三ヶ月前からか? 捕まえようとは思わなかったのか?」
「住み着いたのは腕が立つ奴らしい。自警団が結成されたんだけど、誰も捕まえられなかった。結果、自然解散さ」
 どこか投げやりに笑った。炭鉱の町で労働者が集まらなくなれば死活問題だ。住民たちももう諦めて、町の移動にまで考えを及ばせているのかもしれない。
「エヴィンだけがああやって見回っている」
 ディアは困惑して眉を寄せた。
 ――見回りって……いきなり斬り付けられたこちらはたまったもんじゃない。私だったから応戦できたものの、相手がただの商人や楽士だったら殺されてたんじゃないか。たちの悪い旅人よりエヴィンを取り締まった方がいいんじゃないだろうか。
「一人でか?」
「……身内を殺されているからね」
 どこか遠くを見るような目をして彼は呟いた。
「さ。早く戻った方がいい。あいつは夜にしか出ないから、朝にもう一度来ておくれ」
「誰も捕まえられないなら私が捕まえてやろうか?」
「ディア!」
 主人の驚く顔と、セイの怒った声。
 ディアは無視して体を乗り出した。稼げるときに稼いでおくのが旅の基本姿勢だ。
「懸賞金くらいはかかってるんだろう?」
「やめておきなさい。無駄に命を散らすことはない。そんな可愛い彼女もいることだし」
 最後の言葉にセイが顔をしかめたのが見えた。
「男だって、こいつ。剣だって私以上に腕が立つし」
「男!?」
 主人が素っ頓狂な声を上げる。マジマジとセイを見やる。
 セイはその視線から顔を逸らして黙り込んだ。彼の機嫌が更に悪化したことを示している。
「……やめておいた方がいい。わりに合わない仕事だよ」
「平気だって。私とセイで何とかするからさ。褒賞金の方はよろしくな」
 ディアは主人の肩を軽く叩いて外に向かった。気付いたセイも追いかけてくる。肩越しに手を振ると、主人の大きなため息が聞こえてきた。
 酒場から外へ出るとセイが唇を曲げてディアを見ていた。勝手に決められて怒っているのか。
「どうしてそう危険に首を突っ込みたがるんですか」
「別に危険じゃないだろ」
 セイが反論しようと大きく口を開きかける。それを押さえてディアは笑いかけた。
「お前がちゃんと守ってくれれば、私はぜんぜん危険じゃないだろ」
 セイは呆気に取られたようにディアを見つめた。いつも一人で仕事を請け負っていたディアが、先ほどはセイを頭数に入れて告げていたことに気付き、ため息混じり笑った。
 ようやく機嫌が浮上しそうな気配にディアは満足した。旅の連れがいつまでも不機嫌では、一緒にいるこちらまで気が滅入ってしまう。
「な? だからそろそろ機嫌直せって」
「そうですね。首を突っ込むなと言ってもディアは聞きませんしね。私が守るしかありませんよね」
 言われたディアは言葉に詰まった。自分で言ったことだったのに、セイに言われるとどうしても違和感が湧いてしまう。
 そんなディアに気付いたのか、セイは今度こそ心の底からの笑顔を見せた。待ち望んでいたそれにディアは小さく目を瞠る。心の中で喝采をあげる。だが同時に顔が赤くなるのも分かり、顔を背けてしまう。
 セイがディアの腕を取って歩き出した。
 宿の方向へと。
 暗い話題しかないのか、こうして外観を見ると宿もどこか寂れた様子を感じさせた。外から戻ってきたディアたちを見て主人が顔を上げたが、それだけだ。また視線を落として食器を拭き始めた。静かな食堂に流水の音だけが響いている。
 ディアたちは彼に頭だけ下げて階段をのぼった。
「夜にしか出ないんだっけか」
「悪人ってなぜ夜にしか出ないんでしょうか?」
「そりゃ、暗闇の方がやりやすいからだろ。この町に潜んでるんだったら、顔見られるわけにもいかないだろうし。食糧調達の面でも夜の方が奪いやすい」
 そう告げると、セイは納得したのかしないのか、首を傾けながら頬に手を当てて思案した。その仕草を見るととても男だとは思えない。だがそんなことを言ってしまえばせっかく直った機嫌がまた急降下するかもしれない。ディアは追及しないことにした。
「仕事はこれだけに絞るか?」
 昼間眠って夜に巡回するという生活パターンを作るためには、他の仕事を請け負わない方が都合がいい。最近は大金が入ってきたので、旅費の心配はしなくてもいい。
「私は構いませんよ」
「分かった。じゃあ、昼は自由行動な。夜は一緒に巡回するだろ?」
 本当は別々の場所を廻った方が効率いいのだが、そればかりはセイの許しが得られるとは思えない。部屋の前で足を止めて、セイに尋ねる。
「ええ。昼でも、どこかに行く時は私に言って下さいね」
「分かった分かった」
「本当ですよ?」
「はいはい」
 心配性なセイに肩を竦めて部屋のドアを開き、中に入ろうとして止められる。
 なんだ、と振り返ったディアは口付けられて目を瞠った。ドン、と壁に背をつける。
「約束です」
 セイは硬直したディアに笑みを浮かべると隣の部屋に消えた。
 遅れて真っ赤に染まったディアは、唇を拭おうとしてやめた。一度目はただ驚いて呆気に取られただけだったが、二度目の今はしっかりと感触まで覚えて残っている。紫紺の瞳が灼きついて離れない。手の甲を庇うように唇に押し付ける。
 最近はなし崩し的に流されている気がする。きっとそれは間違いではない。
 ディアはおぼつかない足で部屋に入り、眺めた。
 ひとまず明日はセイと共に町の造りを把握し、巡回路を決めて夜に見回る。
 炭鉱の町というだけあり、町の中心に掘られた大きな縦穴を下りていくと縦横無尽に走る坑道がある。旅人が人目につかず留まることができるのは、そのどれかに隠れ住んでいるからだろう。自警団もそのことに気付いて調べていたとは思うが、彼らに見落としがないとはいえない。
 そういえば――とディアは酒場で聞いた情報を思い出す。
 旅人しか襲わず、今のところ住民に被害はないとのことだが。なぜ肝心の住民に被害がないのだろうか。町を拠点として活動するかわりに情けをくれているつもりなのか。しかし一番近くの町までも結構な距離がある。そちらの理由については分からない。
 ディアは寝台に横になって天井を見た。阻まれることのない月光が寝台に降り注いでいる。明かりをつけずにそうしていると次第に眠気が襲ってくる。分厚い外套を脱いで、ディアはそのまま目を閉じた。
 難しいことを考えるまでもない。ただ捕まえて懸賞金を貰い、そして次の町へ行こう。
 眠りが押し寄せるままに意識を飛ばす。
 完全な眠りに落ちようとする。
 肌寒さに気付き、手は知らず毛布を探る。
 落ちかけていた意識が浮上する。
 ――だから、今は夏だっていうのに何でこんなに肌寒いんだ。
 最近も同じようなことを考えた気がする。ディアは眉を寄せ、もう一枚、布団を引っ張ろうと体を起こして、動きを止めた。視線は部屋の中心に注がれている。そこに、青白い光を目撃する。昨夜の光景がまざまざと脳裏に蘇った。
 ディアは言葉を失った。
 光の中から幼女が儚い輪郭を現した。その足は相変わらずない。ふわふわと揺れているので、もし足があっても床から離れているのだろう。
『見つけてくれるのね……?』
 生身とは思えない声が空気を震わせた。
 幼女はディアに近寄る。伸ばされる柔らかそうな手が月明かりに透ける。
 ――いやいやいやいや。だから、儚さが違うから。
 ヒヤリと冷たい手がディアの頬を撫でた。
 小さな鈴を、ほんの微かに転がせたような声。
『お願い』
 なななな何をお願いするつもりだお前は何なんだ何の恨みがあって私の前に現われる間違いなんじゃないのかお前のように小さな子どもに恨まれるようなことをした覚えはないんだけど、ああ、全くもって身に覚えがないんだけど!?
 ディアは自分でも声に出しているのか出していないのか分からなかった。
 硬直しながらただ幼女を見つめる。幼女の体を通して反対側の壁が見える。その体は透き通っている。ディアの意識も透き通っていく。
 ディアが正気を手放そうとした瞬間、幼女の瞳が強さを増してディアを捉えた。そこに潜む色は紫紺だ。
「……何を……」
 共通点に気付き、ディアは乾いた口を開く。なけなしの冷静さを取り戻す。
 幼女はディアの瞳を見つめたまま消えた。
 余韻を残して漂った青白い光は一瞬だけ金色に変化した。その粒も見る間に消え失せた。
 しばらく幼女がいた空間を凝視し、硬直していたディアだったが、幼女の気配を感じなくなってからは無言で寝台を下りた。靴も履かない。薄着のまま、上着を羽織ることも思いつかずに部屋を出る。
 廊下には誰の気配もなかった。静かなものだ。宿の主人も眠ったのだろう。階下からは食器を洗う音も聞こえてこない。食器を割る音が聞こえてきたら、それはそれで怖い。
 ディアは左右を確認して何もないことを確かめる。
 手にしていた剣を握り締めて無言のまま隣の部屋の扉を開けた。
 セイが勢い良く飛び起きたのが目に映った。
 ディアは用心深く部屋を見回す。何もいないことを確認してから中に踏み込んだ。背後で扉が閉まる。
「ディア? どうしましたか?」
 少し眠そうな声を聞きながら寝台に近寄る。先ほどの幼女と同じ紫紺の瞳が見上げている。
「え、ディア?」
 慌てる声を聞き流して寝台に潜り込んだ。
 セイの隣を占領する。
「私はここで寝る」
「はいっ?」
 ディアは目を瞑って安らかな眠りを貪ろうと決めた。だが、隣から離れる気配を感じて腕を伸ばした。
「……あの。離して頂きたいのですが」
「いやだ」
 部屋を出て行こうとするセイを引き戻す。離してたまるものか。
「何かあったのですか?」
「私は何も見ていない」
 セイはしばし沈黙した後に続けた。
「おやすみなさい」
「ああ」
 離れようとする気配はなくなったが、掴んだ手はそのままにして眠りに落ちた。
 髪に触れる温かな手が心地よかった。