闇に紛れた張子の虎

【四】

 坑道に入る途中、落としていた剣を見つけて拾い上げる。伝わる懐かしさに少しだけ心を緩める。そのまま鞘には戻さず、手にして坑道に入った。万が一のことがあっては困る。
 坑道にはいつの間にか明かりが幾つか灯されていた。ディアたちは黄色いロープを辿っていく。先に入ったエヴィンの姿はない。後ろからセイがついてくるのを確認しながらロープを手繰る。
 しばらく進むと分岐点に辿り着いた。黄のロープと赤のロープに分かれている。どちらに行けばいいのか迷っていると、セイが赤いロープを指差した。
 ディアはため息をつく。
 セイはどことなく面白そうな笑みを湛えていて、見抜かれているのかもしれないと思った。どうでもいい、と強がりを続けたままディアは思う。見抜かれてても面白がられても構わない。たが、腹が立つのは別だ。
 だいたい、男二人を捕まえたんならこんなところに残しとかないで引きずり出してれば良かったんだよ、といらぬところにまで怒りは飛び火する。
「そういえばお前、かなりタイミング良く助けられたよな」
 さきほど橋から落ちたときのことだ。セイは坑道に入っていたはずなのに、あまりにも都合よく現れた。
「私が呼んでも返事できないくらい深く潜ってたんじゃないのか?」
 セイは問われた意味が分からないように首を傾げた。
「私はいちど宿に戻って、ディアがいないのを確認してから下りてきたんですが……ディア、どの坑道に入ったんですか?」
「どのって、ちょうど中心あたりの坑道」
 答えながらディアも首を傾げる。宿に戻ってからというセイの言葉を信じるなら計算が合わない。あの坑道から出て宿に戻り、再び坑道に戻るにはかなりの時間がかかる。そんなことをしていたらとてもディアの危機には間に合わない。
「私、一番下の坑道にしか入っていませんが?」
 沈黙が下りた。
 ではディアが目撃したセイは誰だったというのか。
「ああ。それとも彼女と見間違えたのかもしれませんね。彼女、私が小さい頃にうりふたつですから」
「彼女って……?」
 恐る恐る尋ねたディアに、セイは極上の笑みを浮かべて前を指した。
 分かってはいるが。振り向きたくはないが。理解なんてしたくもないが。
 振り向いたディアを待っていたのは、幼女だった。坑道の奥から紫紺の瞳を向けている。夜毎ディアの前に現われ、安眠妨害をしでかしてくれた、あの青白い幼女だ。
 思わず仰け反ったディアはセイにぶつかった。
「大丈夫ですか?」
「だ、だだ、大丈夫!」
 物凄い動揺ぶりを晒しながら頷きを返したディアだが、直後にハッと我に返る。
 ――待て! 今の心配は何に対する心配だっ?
 往生際悪くそんなことを気にするディアは、幼女の体を透かして見える向こう側の男二人に表情を改めた。
 幼女を避けて二人に近寄る。彼らは気絶しているのか動く気配もない。そして、近くの地面には人骨が転がっているのが分かった。小さな骨はすでに白骨化している。性別は分からない。だがディアは思うところがあり、幼女を振り返る。そして息を呑んだ。セイの背後にはエヴィンがいた。剣を構えて立っている。先に坑道に入っていた彼がなぜ後から追いついてくるのか分からない。
「そいつらが……」
 怨嗟の声が洩れた。
 構えられる剣。
 身内を殺した犯人を見つけようと必死だったのだ。いま宿敵が見つかり、彼の目に灯るのは深い憎しみだけ。
 セイの背後で、エヴィンは剣を振り上げた。
「ちょっと待て!」
 セイもろとも斬り殺すつもりなのかとディアは目を瞠る。なんとかセイを庇おうとしたが手は届かない。その場を動かないセイにも苛立ちが湧く。犯人を生け捕りにしなければ貰える報奨金が減るかもしれないというのに。
 エヴィンの剣はセイをすり抜けた。ディアに迫る。
「うわぁ!?」
 彼の体はディアをも通り抜け、そして剣は二人組みに振り下ろされた。
「な……に?」
 まるで風が通り抜けたかのようだ。得体の知れない感覚に絶句する。思わず腕で頭を庇っていたディアは振り返り、そこで唖然と口を開いた。
 振り下ろされた剣は男二人組みを貫いていた。剣が地面に突き刺さっている。エヴィンは復讐を果たしたのだ。
 だが剣を伝う赤はない。男たちにも変化はない。ただ気絶しているだけだ。
 エヴィンの姿が一瞬だけ揺らめいた。
 ディアは息を呑んで一歩、後退した。
「セイ……これって、もしかして、もしかしなくても……」
「はい。あの女の子とエヴィンは幽」
「言うな! 言わんでいい!」
 ディアは剣を手にしたまま両耳を塞いだ。背後に伸びた剣がセイの肩を掠めた。身長差があったのが幸いしたようだ。ディアと同程度の身長であったなら、セイは怪我をしていたことだろう。
「ディア。せめて背後の安全確認してからそういうことしませんか?」
「お前ならなんでも避けられるくせに」
 ディアは両耳を塞いだままセイを横目で睨んだ。
 セイは肩を竦める。そして前方に視線を戻す。
「ずっと、捜していたんですよね?」
 ディアではなく、エヴィンへ向けられた言葉。
 エヴィンは二人組みに突き立てた幻の剣を引き抜いて振り返った。やはり血はついていない。彼の瞳には落ち着きが戻っている。今までの焦燥は感じられない。そしてエヴィンは、隣に姿を現した幼女に腕を伸ばして抱き上げた。
『連れてきてくれて、ありがとう』
 幼女の手がセイに伸べられる。透き通るその手にセイも重ねる。
「どういたしまして。良かったね。お父さんが迎えに来てくれて」
 幼女は嬉しそうに微笑んだ。そして次に、硬直しているディアに視線を向け始めた。
 ――死者と口をきけば死の国に連れて行かれるんだぞ。
 ディアは硬直しながらセイの姿を見ていたが、幼女の眼差しに思考も止めた。
『ありがとう』
 幼女の手は冷たい。ディアの腕を通り抜ける。明らかな死の匂いがする。
 急速に意識が遠のいて行くのが分かり、けれどそんな失態を晒したくなくて、前に立つセイの肩を思い切り強く掴んで自分を保った。


 :::::::::::::::


 騒動が一段落し、街の皆の複雑な視線を浴びながらディアたちは宿に戻ってきていた。戻る前に酒場に寄り、主人から褒賞金も貰っている。
 犯人逮捕に湧くこともない。人々は淡々とこれまでの日常を保つことに心を注ぐようだ。なんとも後味の悪い仕事だ。
「町全体でエヴィンを庇っていたんですよ。これまで旅人を殺していたのはエヴィンでした。私たちが捕まえたあの男たちの罪ではない。エヴィンと、彼の娘を殺害した罪はありますけど」
 ディアは主人から貰った褒賞金が詰まった袋を弄びながら耳を傾ける。
「娘を殺されて見境がつかなくなっていたんでしょうね。でも、その無念さを知っていた町の人たちはエヴィンを突き出すことができなかった。まぁ、突き出すこともできないような存在になっていたわけですが」
「……エヴィンはいつ死んだんだ?」
「最初から。ディア、この町に来るときに埋葬してあげたでしょう」
 言われて首をひねり、思い出した。町外れに一軒だけ建っていたあの家だ。
「娘を攫われたときに殺されたようです。あの女の子が話してくれました」
「それからずっと、か? 執念深い男だな」
 ディアは乾いた笑いを洩らして寝台に仰向けになった。手から零れた袋が床に落ちる。セイはそれを拾い上げて寝台そばの棚に戻した。
「そんな長いこと捜してて見つからないなんて、あいつも間抜けだな」
「あの坑道に娘がいることは知ってたんじゃないでしょうか?」
 わざと笑い声を上げてみたが、セイは乗らなかった。首を振って否定する。視線だけをそちらに向けると、どこか遠くを見つめていたセイは微笑んでディアの隣に腰掛けた。
「最後、エヴィンはあの坑道に入りたくないと言っていたじゃないですか。きっと、見つけたときにはもう殺されていて、守れなかった自分を認めたくなくて、見ないふりをしていたんですよ」
 セイの言葉に、ディアは「はー」と息をつく。
「で。あの子どもはいい加減やめて欲しくて私たちの前に現れたと」
「ディアは分かりませんが、私は金髪にこの目の色ですから。あの女の子と同じ特徴を持つ私だけは絶対に殺されないと確信していたそうですよ、あの子は」
 ディアは眉を寄せた。
「いつそれ知ったんだよ?」
「あの二人組みを追ってディアと別れた後ですよ。あの男たち、なぜか町の外には行けないようで、結局あの坑道に戻るしかなかったんです。そこで縛り上げて、あの子を見つけました」
 ――町の外には行けない?
 ディアは不穏な雲行きに心拍数を微かに上げながら慎重に問いかけた。
「あの男たちって……どうやって今まで生きて来れたわけ?」
「坑道の奥に森が広がっているそうですよ。これから私たちが行こうとしている町に繋がっている森です。そこで飢えは凌げたらしいですね」
「外に繋がってるなら何で逃げなかったんだよ?」
「それはやはり、祟」
「だー! やっぱいい! いらない!」
 ディアは両耳を塞いで目を瞑った。
「あ、そうですディア」
「……なに?」
 ディアは警戒しながら見上げた。
「あの親子、昔は旅をしていたようで、結構な金品があの家に隠されているらしいですよ。普通の人には絶対見つけられない場所のようです。お礼に貰っても構わないということでしたが、どうします?」
「いらない」
 ディアは即答した。セイが微かに目を瞠る。
「いらないのですか? 売れば結構なお金になると思いますが」
「いい! いらない!」
 沈黙が流れた。
 少し経ったあと、セイは「そうですか」と言葉を繋げる。そして腰を上げた。
「明日、出発しますよね?」
「ああ」
「では、お休みなさい」
「おお」
 セイはそのまま部屋を出て行った。隣に座られたことで緊張したが、杞憂だったようだ。仰向けに倒れていたディアは起き上がり、褒賞金の袋を掴んで荷物の方に投げた。靴を脱いでかぶりを振る。
「死人から貰って、祟りでもあったらどうすんだ」
 事件が解決した今、充分に安眠できるだろう。あの幼女が現われる必要はない。
 ここ数日、まともに安眠できなかったことを思い出し、ディアは湧き立つ心を抑えながら薄着になる。明かりを消して布団にもぐりこむ。明日はここを発って次の街に行く。気持ちを切り替え、体力を温存するためにゆっくりと休んでおかなければいけない。
 ディアはふと動きを止めた。
 死者と会話できるのならば――と、脳裏を掠めた想いに唇を噛む。故郷では邪心とされる考えを慌てて振り払い、早く眠ってしまおうと寝台にもぐりこむ。とめどない想いが堰を切って流れだしてしまいそうだ。
 強く目を瞑っていたディアは、微風を感じて恐る恐る目をあけた。
 起きたくない、と思っていても、このままやり過ごして眠ることは恐ろしかった。ディアはゆっくりと体を起こしながら、部屋の中央に視線を向けた。
 事件が解決して現われる必要がないはずの幼女がいた。そして更に、エヴィンの姿。よけいな存在が増えていた。
「うわあああ!?」
 透ける体で近寄って来ようとする彼らに枕を投げつけた。悲しいやら恐ろしいやら、枕は彼らの体をすり抜けて落ちた。ディアは後退しようとして寝台から転げ落ちる。腰を打った。しかしそんな痛みもすぐに忘れる。失態を気にする余裕もなく、寝台の影から顔を覗かせて叫ぶ。
「なにっ? お前らもう未練なんてないはずだろ!?」
 ――はっ。もしかして、最初にあの家から金品探そうとしたのを恨んでか? いやいや、あれは結局セイに邪魔されて実行できなかったし、だいたい事件が片付いた今はお前らから許可を貰ったじゃないか! お前らの正体を知った今じゃあの家に近寄りたいなんて思ってもないけど! それに時効だ!
 幼女とエヴィンは寄り添ったままディアを見つめた。
 生気を欠いた両者の視線。
 沈黙に耐え切れずにディアは立ち上がった。彼らから意識を逸らさぬよう視線で威嚇しながら部屋を出た。二対の瞳が見送る様を忌々しく思いながら扉を閉める。廊下にまで彼らが現われる気配はない。
 ――扉をあければまだ奴らはいるんだろうか。
 無人の部屋に佇む二人を思えば滑稽だったが、開けて確かめるつもりはディアになかった。しばらく廊下に立ち尽くしたまま、彼らが追ってこないことを確信する。
「よし」
 昨日のようにセイの所で寝かせて貰おうという魂胆だった。
 隣の扉をあけるとセイは起きていた。とつぜんの訪問に驚くことなく笑みを向けてくる。ディアはその笑みを苦々しく思いながらもどこかで安堵している自分を感じ、参ったと思いながら彼に近寄る。
「今日も一緒に寝ます?」
 その問いには抵抗を感じる。無言のまま彼の隣にもぐりこむ。
 セイも横になる気配がした。次いで、抱き締められた。薄い服越しに熱が伝わってくる。暑い、と抗議したが聞き届けられない。でも出ていかれるよりはいいのかもしれないと、我慢する。耳元で笑う気配がする。
「彼らに頼んでおいて良かった」
 彼ら? 頼む? 何を?
 首を傾げたディアは一瞬後にその意味を理解して叫んだ。
「確信犯かお前ーーっ!?」
 エヴィンたちはセイの差し金だったのか。死者と交渉するなどお前は呪術士か。
 暴れようとしたディアだが、腕ごと抱きこまれているので動けない。
「幽霊は苦手なんですよね、ディア?」
「あーあー、そうだよ、苦手だよ。いいだろ。苦手なものくらいあったって!」
 半ばやけになってディアは叫んだ。対するセイは嬉しそうだ。
「彼らは一晩中ディアの部屋にいるそうですよ」
 なんとしてもセイから離れようとしていたディアは硬直した。そしてあの部屋には二度と戻らないと心に決めた。荷物は明日、セイに取りに行かせようと考える。幽霊が使った部屋になど入りたくもない。入って祟られでもしたらどうするのだ。
 幽霊に対するディアの概念は偏っているようだった。
「今夜は大人しくここで寝ましょうね」
「だああ!」
 目元に口付けられた。
 ――避難場所間違えたか、私!?
 激しく後悔したディアだが、他の避難場所は知らない。
「お前、もう床で寝ろ!」
 蹴り飛ばして叫ぶ。出て行けとは言えない。もともとここはセイの部屋だ。明け渡せと迫るほど我侭にできていない。そして、もしもセイが本当に出て行ってディアの部屋に行き、エヴィンたちがこちらに移動してきたら。
 考えただけでセイの腕は放せない。
 蹴落とされたセイは「私の部屋なのになぁ」と呟きながら、床に毛布を敷いた。そのまま扉へ歩き出す。それを見たディアは思わず起きかけたが、押入れから毛布を取り出すだけだと分かって再び横になる。
 毛布を持ってきたセイは、先ほど敷いた毛布の上に重ねがけした。だがそれで床の硬さが完全に消せるわけではない。
 早くも罪悪感に見舞われながらその行動を見つめていたディアは、振り返ったセイの瞳に息をつめた。宵闇を映す紫紺の中に光がきらめいている。笑みに彩られた端整な顔立ちはとても弱々しく、儚く思える。世の女たちよりよほど女らしい。もしも世界で理想の女ランキングがあったとしたら間違いなくトップ10に入るだろう容貌だ。
 ――いやいやいや、だからこいつは男だから。騙されるな私! こいつは男!
 言い聞かせるように強く念じた。
「どうかしましたか?」
 様子のおかしさを感じ取ったのかセイが首を傾げる。笑顔の彼に、分かってて聞いてるんじゃないのかとあらぬ邪推をしてしまう。
 ディアはかなり躊躇い視線を揺らせたあと、罪悪感に負けた。
「ん」
 セイを見ないまま自分の掛け布団を持ち上げる。セイの双眸が大きく瞠られる。
 ディアは自分でも恥ずかしいことをしているなと耳まで真っ赤にしながら怒るように告げた。
「明日からまた歩くからっ。固い床より柔らかいこっちのがいいだろ!」
「はい! 柔らかい方がいいです!」
 セイは表情を和らげて嬉しそうに微笑んだ。
 なにやら微妙な意味合いの違いがあった気もするが、ディアは構わないことにした。セイの嬉しげな笑顔だけで満足する。隣にもぐりこむ自分より小さな存在に布団をかけるとくすぐったそうに笑われた。
「おやすみなさい。ディア」
「はいはい。お休み」
 そのまま向かい合って眠るのも気恥ずかしくて寝返りを打ち、ディアは背を向けた。その背中に何かが当たり、振り返るとセイが目を閉じて額をつけていた。
 しばらくは緊張していたディアだが、セイがそのまま動かないことを知ると緊張は長くもたなかった。直ぐに眠りが襲ってきて、意識が溶けた。


 :::::::::::::::


 翌朝のことだ。
「人を抱き枕にしてんじゃねーーっっ!」
「ほら。据え膳食わぬは男の恥と言いますし」
「そんな恥は公表する必要なし! だまって恥かけ! 食うな!」
 むしろそんなことしたら抹殺だ。
 ディアは呼吸も荒くセイを睨んでいた。
 そんなディアを、セイは軽く頬を膨らませて見つめる。
「酷いですよ。夢にうなされていたディアを抱き締めただけですのに」
 ディアの頬が引き攣る。
「『だけ』だと……? じゃあ、これは!」
 自分の服をめくって示すのは鎖骨の付け根。そこには何かの小さな赤い痕がつけられている。その意味は明らかだ。
 セイはいつもと変わらぬ笑みを浮かべた。
「そろそろ虫も活発に動き出す季節ですよね」
「私が今すぐ退治してやる!」
「剣の稽古は外でやりましょうね。ディア」
 顔色も変えずに歩き出したセイの手には、すでに整えられた荷物が提げられている。そのまま廊下へ出て行ってしまう。
 ディアは歯噛みした。
 羞恥心は恐怖心に勝るらしい。エヴィンたちのことなど綺麗に忘れたディアは自室に戻って仕度を整え、早朝練習も兼ねて外で待っているセイを追いかけた。


 END