必然的な心理状況

【二】

「ほらこれもだよ。ボサッとしてんじゃないよ!」
「私の腕は二本しかねぇ!」
「あれ軟弱な奴だねぇ。神速で四本くらい出してみなさいよ」
「無茶言うな!」
 怒鳴り声には怒鳴り返す。
 シャンレンとディアの口喧嘩を止める者はおらず、従業員たちも笑っている。
 子どもたちは就寝し、大人たちの時間へ移る頃。シャンレンの店は相変わらず賑わっていた。もしかしたら夕方にも増して忙しくなっているかもしれない。従業員の数を増やしても追いつかないのだから、きっとそうだ。ひっきりなしに飛ばされる注文に、従業員は常に対応に追われている。若者の数も多く、試飲用として配っていた商品の注文が最も多い。それと併せて食事も次々消化されていく。
「こんな時間まで遊び歩いてるんじゃねぇっての」
 両手に大皿を抱えて愚痴を呟けば、聞きとがめたシャンレンが果物ナイフをディアに放った。
「うおっ?」
 危うく直撃を逃れ、持っていた料理も落とさなかったのはさすがと言えよう。厨房に来ていた一部の客が拍手を浴びせるが、嬉しくもなんともない。だいたいなぜ客が厨房にいるのだと睨み付ける。常連客は笑うばかりだ。
「客に対する文句は許さないよ!」
「はいはい、すいませんでした!」
 壁に突き立ったナイフを引き抜いて返そうとしたが、シャンレンに止められた。
「洗ってから持ってきな。裏口に井戸があるよ」
「あ、あんたが投げたんだろっ?」
「うるさい、つべこべ言うな! ここでは私が王様だよ!」
 めちゃくちゃなことを言う店主である。目を白黒させるディアだが、助け舟は出されなかった。ディアは仕方なく従うことにした。
 先に料理を運び、もういちど厨房に戻ってから裏口をあける。水場は厨房にもあるが、そこは客数に比例して従業員たちの数も増えている。とてもではないがディアが入っていける所ではない。そうであるからシャンレンも裏口の井戸で、と言ったのだろう。
 言われなくても分かってしまう意思伝達能力。なぜ彼女との間で芽生えてしまうのか非常に理不尽だ。
 裏口の戸を開けると、祭りや店内の熱気とかけ離れた涼しい風が吹いてきた。
 ディアは素早く外へ出ると扉を閉める。
 通りからは昼間に増した喧騒が響いてくる。祭りの間はずっとこうなのかと呆れるが嫌いではない。笑みが浮かぶ。
「昔は祭りの間じゅう夜更かしして遊びまわって……無茶して怒られて牢に入れられたよな、そういえば」
 懐かしかった。途中から嫌な思い出に変わったが、それすらいい思い出として蘇る。
 ディアはふとセイを思い出して顔をしかめた。
 最後の日は仕事を抜きにして遊びに行こうと、また言い逃した。
 舌打ちして空を仰ぐ。夜空に散らばる無数の星。
 ――まぁ、まだ明日があるしな。いつでもいいか。
 明日もし会えなかったら、シャンレンにノークとやらの店を聞いて会いに行けばいい話だ。今はさっさと井戸を探して用事を済ませてしまおう。
 ディアは井戸を探そうとしたが、ふと、喧騒に混じって別の声が聞こえてきたことに眉を寄せた。ディアでなければ聞き逃してしまいそうなほど微かな女性の悲鳴だ。
 表情を改めて耳を澄ませた。店と店との間の路地、大通りへ続く道からその声は聞こえてくる。
「ったく。せっかくの祭りの夜だっていうのになぁ」
 足を早めてそちらへ向かえば、一人の女性に複数の男たちが群がっている。その光景に苛立ちが湧く。男たちはディアに気付かず女性を壁際に追い詰め、嫌な笑いを浮かべながら仲間でジャンケンなどし始める。女性は口もきけずに震えて小さくなっているだけだ。
 ディアはセイと初めて会ったときのことを思い出した。
 路地裏に引き込まれたのが女性だと信じて疑わず、助けようと思ったのがきっかけだった。たとえその根底にあったのが純粋な正義感ではなくても、助けようと思っていたのだから問題はない。自分はよくよくそういう場面に遭遇してしまうらしい。
 視界の端で、ジャンケンに勝ったらしい男が諸手を上げて喜んだ。怯える女性に手をかけようとする、その刹那。ディアは一足飛びに彼らの間合いに飛び込んだ。体当たりの要領で男の脇腹に肘鉄を浴びせて立ちはだかる。
 男たちは、とつぜん現れた大きな存在に動揺する。
 ディアは冷たい一瞥を向けると、一言も発さぬまま次々と男たちをその場に叩きのめしていく。そのことで男の一人がようやく正気に返ったのか、悲鳴を上げて逃げ出した。
「待て!」
 ナイフを構えて退路を塞ぐと、男は反対側へ逃げようとする。
 そちらは祭りを純粋に楽しむ人々が行き交う大通りだ。ナイフを飛ばして足止めすることも可能だが、もしも避けられた場合は見知らぬ人々に害が及ぶ。
 ディアは逡巡したあと舌打ちして追いかけた。通りに入る直前、男に飛びかかって地面に転がる。路地からいきなり現れたディアたちに、通行人たちが悲鳴を上げて体を引いた。お陰で彼らの体が壁となり、男は野次馬に囲まれて逃げ出せない。
「さてと。女性に乱暴働こうなんて、男の風上にも置けない奴はどう処分してやろうか?」
 唇に冷笑を浮かべて男を見下ろす。
 その視線に威圧されたのか、恐慌状態に陥った男が奇声を発しながらディアに襲いかかった。破れかぶれなのか男は目を瞑っている。ディアはあっさりと避けた。男が観客にぶつかる前に襟首を掴んで持ち上げ、地面に転がして膝で圧し掛かり、動きを封じ込めた。
 一瞬のように思える一連の動作に、呆気に取られていた観客たちが拍手した。
 ディアは引き攣った笑みを零す。呑気な町だと呆れが湧く。
 捕らえた男はすでに意識を失って腕を投げ出していた。ディアが地面に転がした衝撃で気絶したのだろう。それを確認したディアは男の背中を押さえつける膝を浮かせた。どうしたもんかなと首を傾げた。
 この町に来て、探索もしないままシャンレンに掴まって労働させられたのだから、地理に詳しいはずもない。役人たちに引き渡そうにも、彼らの場所が分からないのでは仕方ない。
 町の人々はすでに興味を失ったかのように散々してしまう。
 近づくのが早ければ離れるのも早い。変わり身の早さにディアはため息をついた。
 ひとまず倒した男と、路地裏に転がしている男たちとを一緒にして縛っておくかと、気絶した男を持ち上げた。
 路地裏に戻ろうとするディアを止めたのは少女だった。
「あ、あの。助けていただいてありがとうございます!」
 襲われかけていた少女だ。まだ震えが止まらないような足取りでディアに近づく。見事な赤毛の少女だった。
「大丈夫?」
「は、はい! 本当に、ありがとうございます!」
 大きく腰を折った少女に苦笑して手を振った。
「無事でよかった」
 心の底から笑いかけると、少女はやや顔を赤らめて俯いてしまった。何か言いたげに口を開いたが、そのとき邪魔する者があった。
「ディア! ナイフ洗いにどこまで行ってんだい!?」
 凄まじい迫力のシャンレンが路地裏から走ってくるのが見えた。殺されるかもと思うほど、その様子には鬼気迫るものがあった。
「あ、あんた、あとは頼むな。あいつら役人どもの所に連れてってくれよ。多分、もうしばらくは目を覚まさないと思うからさ」
 赤毛の少女に男たちを託したディアは、シャンレンに追いつかれる前に、と表の入口から店内に飛び込んだ。だが肝心のナイフを洗っていないことに気付き、再び裏口から外に出る。その瞬間、店内に戻ったらしいシャンレンの怒声が聞こえてきて首を竦めた。
「あいつと私のどこが似てるっていうんだ。私はあれほど怒りっぽくないぞ」
 ディアは呟きながら井戸へ向かった。


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 翌朝、シャンレンの店の二階で目覚めたディアは見慣れぬ天井に瞳を瞬かせた。数秒遅れて「ここはシャンレンの店だ」と思い出す。
 昨夜の戦争が終わり、ようやく解散となったときに宿がないと文句を吐き出すと、シャンレンはあっさりと寝台を提供してくれたのだ。しかし店の二階にはシャンレンの部屋しかなく、寝台も当然一つだ。ディアのことを男だと信じて疑わないシャンレンに、自分は女だと長々説明し、それでも信じない彼女に論より証拠と見せてようやく納得させ、そこで共に寝るという形を取らされたのだった。ただ、隣で眠るシャンレンの寝相が悪すぎて蹴落とされたディアは、自主的に長椅子に移らざるを得なくなった。
 起きて軋んだ体に眉を寄せ、伸びをする。
 外はまだ薄闇。昨晩眠ってからさほど時間が経っていないような気がする。
「そう考えるとシャンレンって凄いよな」
 寝台にシャンレンの姿はなかった。下準備のため起き出しているのだろう。いつもは昼過ぎから開店させるらしいが、祭り期間は稼ぎ時のため早朝からの開店となるらしい。ただの喫茶店にしては料理の味も良く、常連客もいるようなので繁盛間違いなしだ。
「ただ、店主があの性格じゃあなぁ」
 ディアは苦笑しながら手早く着替えると部屋を出た。
 階下がなにやら騒がしいと気付く。
 シャンレンが一人で怒鳴っている。
「なにごとだよ?」
 一階のフロアに下りたディアは眉を寄せた。
 シャンレンと向かい合うように立っている男は、ただの客ではなさそうだ。武装していることからもそれが分かる。
 声をかけるとシャンレンが凄まじい勢いで振り返り、ディアを睨みつけた。
「この忙しいときに、あんた何てことしてくれたのよっ?」
「は?」
 ディアは意味が分からなくて問い返した。この町ではまだ何もしていないつもりだ。
 シャンレンは首を振りながら溜息をついて額に手を当てた。
 ――なにが起きたというのだろう?
 困惑して男を見る。すると彼は苦笑し、ディアの前に立った。
「昨日、この近辺で婦女暴行を働いた男たちの取り締まりをされたと聞いた。貴方がそうか?」
「――ああ。そうだが」
 ディアは不穏な雲行きに緊張した。退治した男たちの中に、町のお偉いさんの関係者がいたというのだろうか。蘇る悪夢だ。視線で剣を探してしまう。自身の剣は従業員たちの更衣室に置いてある。
「持っていくなら持っていきなさいよ! もう、忌々しいったら!」
 シャンレンは更衣室からディアの荷物一式を持ってきて、店のテーブルに放り投げた。そこには剣も含まれている。
 訳が分からず二人の顔を見比べるディアだが、シャンレンはそのまま厨房に入っていく。残されたのは状況を把握していないディアと、いまだ正体の分からない男一人だ。
「昨日の男たちを昏倒させたのは貴方一人か?」
「そうだが、なんだっていうんだ?」
 苛々と睨み付ける。男はやや面食らったように顎を引いて、また苦笑した。
「すまないな。ただ、あいつらは前科者でたちが悪くてね。それも、あの人数を一人で仕留めるとは素晴らしいと思って」
「はぁ……?」
 意図が見えなくてあいまいに頷く。男を見る目がますます訝しげなものへ変わっていく。
「祭りの間は羽目を外したああいう奴らが増えるんだ。それで、警備の方も今は手薄になっていて」
「ちょ、ちょっと待てよ。私は今、シャンレンに雇われてる。めちゃくちゃ忙しいんだ!」
 ようやく意図が見えたディアは慌てた。この話の流れでは、警備を手伝えということになるだろう。
「そっちにまで構ってられるか」
「もちろん報酬は出すよ」
 ディアは詰まった。だが、シャンレンの店も同様に忙しそうなのだ。
「こっちは構わないよ。ほら。昨日の分の報酬だ」
 奥から出てきたシャンレンが、報酬をつめた袋をテーブルに投げた。どうやら厨房に引っ込んだのはディアを見捨てるためではなく報酬を用意するためだったらしい。
 予想よりも多い報酬にディアは目を瞠った。
「ま、他の従業員より三倍くらい働いてくれたしね」
 シャンレンは目配せした。
 ディアは唖然とする。昨日の忙しさが蘇る。途中からそうではないかと思っていたが、やはりこき使われていたらしい。情けない。
「あのお嬢ちゃんが来たら、ちゃんとあんたのこと教えといてやるからさ!」
「あのな! そうじゃなくて」
 シャンレンは豪快に笑ってディアの背中を叩いた。
「見回りの途中にでも立ち寄ってくれたら、またこき使ってやるさ!」
「遠慮しておくよ」
 ディアはもう何もかも諦めて肩を竦めた。少しだけシャンレンの瞳が寂しげに曇るのを見て、祭りの最後くらいは寄ろうと決める。
 男を捜すと彼は店の入口にいた。ついて来いと手招きしている。
「じゃあな」
 ディアはシャンレンに片手を上げて、店を出た。


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 男に連れて行かれた建物の更衣室で、青を基調とした警備用の制服に着替えた。
 ディアには窮屈な制服だ。だが、普通サイズの制服は全て出払っており、在庫もないのならば仕方ない。ディアは我慢することにした。
「順路と順番は決められているのか?」
 駐在の男に尋ねると「いいや」と簡素な答えが返ってくる。
 ディアは眉を寄せた。
 次々と警備室に回されてくる犯罪者や相談者の相手をして忙しそうな男にそれ以上を問うのは躊躇われる。ほとぼりが冷めるまで散策を兼ねて見回ってこようと思い立つ。この町に来てから、町を見回る余裕もなかったのだ。この機会に全てを見て周り、道を覚えてしまうのも良い。
 机の引き出しをあけて地図を探し出し、それを片手に建物を出た。
 露店からはすでに威勢のいい掛け声が聞こえてきている。道行く人々の数も段々と増えてきている。人々が作り出す波に乗りながら歩いていると、その先に一段と人が集中している店を発見した。
 何の店だろうと興味を引かれたディアは苦笑する。
 遠くからでも分かった。明るい金の光が、その店で忙しそうに動き回っている。
「あそこで働いてるのか」
 周囲の人々よりも頭一つ分高いディアは、視界を遮られることもなく観察できた。店の入口から続く行列はかなり長い。セイは結構な人気者になっているらしい。店の前に来たディアは、入口から中を窺い見た。セイは笑顔でそつなく給仕係を演じている。
 その様が意外に感じられて、ディアは軽く双眸を瞠った。
 ――あいつ、良家の子息だと思ったんだけどな。人間変われば変わるものだ。
 セイの働く店は食料店らしい。入口の看板メニューには結構な品数が書かれている。
 入口からなんとなくセイの様子を窺っていたディアの表情が険しくなった。
 朝から酔っ払ったご機嫌な客がセイに絡んだのだ。反射的に飛び出しかけるディアだが、その前にセイは客の手を振り解く。ごく自然な動作だ。そして客になにかを囁いてその場を離れる。客はそれ以上セイに絡むようなことはしなかった。
 ディアは戸惑った。セイの表情や仕草は、自分の全く知らないものだ。そのことにわずかな苛立ちを感じて舌打ちする。
 馬鹿馬鹿しい。仕事に戻ろう。
 そう思って踵を返し、人ごみに戻る。
 振り返ることも癪に感じられる。あえて意識しないよう前だけを見据える。それが不自然だということには気付かない。
 しばらく歩いていたディアは、後ろから聞こえた小さな声とともに腕を引かれて振り返った。視界の端を掠めた金に息を呑んだ。
「ああ、やはりディアでした。後ろ姿だけなので少し不安でしたが――」
 少し息を弾ませて見上げるのはセイだ。可愛らしい制服を着こなし、頬にかかる金髪を後ろに梳き流す。通り過ぎた人々が振り返る。
「その制服はどうしたのです?」
「これは……警備ので」
 目の前にいるセイは、やはりいつものセイだ。
 そのことにやや安堵しながら事情を説明する。少女を救ったくだりでは予想通りセイは顔をしかめ「また危険なことをして」と呆れた声を出す。すっかりいつものセイだ。
「店抜け出して来てもいいのか?」
「だってディア、何も言わずに通り過ぎようとするんですから」
 ディアは小突いて笑った。
「戻れよ。仕事中だろ」
「けれど」
「見つけたぜセーイッ」
 言い淀むセイの背後に何かが現われ、セイに抱きついた。勢いでよろけたセイの肩を押さえ、ディアはその影を見る。知らない男がセイに抱きついている。
「あれ。お前、誰?」
 セイに抱きついたまま、男はディアを見上げた。
「ターゲルさん。離してください」
 セイとは知り合いらしい。微かに顔をしかめ、彼の顔を手で押しやって離れる。
 ターゲルと呼ばれた男は笑いながら両手を挙げて放した。
 着ている制服から判断し、セイと共に働く従業員だろうかと思う。
 ターゲルはセイの隣に回ると覗き込んだ。
「仕事さぼって何してんの?」
 ディアのことは完全無視だ。面白くない気分で見下ろす。だが、八つ当たりをするわけにもいかない。苛立ちの原因が分からないのだ。
「行ってこいよ、セイ」
「ええ……」
 どこか落胆するセイに笑みを零し、ディアは付け加えた。
「明日の早くに仕事を終わらせて来い。一日、祭りを楽しむぞ」
 セイは弾かれたように顔をあげ、見る間に笑顔となる。大きく頷いた。
「はい!」
 先ほどまでとは雲泥の差だ。
 長い髪をゆるくなびかせ、セイはターゲルを振り返る。
「さ、ターゲルさん。戻りましょう!」
 隣でただ成り行きを見守っていた彼の腕を掴み、直ぐに戻ろうとする。だがふと振り返り、笑顔のままディアに首を傾げた。
「あまり無茶はしないで下さいね」
「聞き飽きた」
「私も言い飽きました」
 流れた和やかな雰囲気に、爪弾かれたターゲルが悔しそうにディアを睨む。
 セイはそのようなことお構いなしに、彼の腕を引きながら軽い足取りで店へ戻る。
 ディアは黙ったまま二人の背中を見送った。
 人ごみに仲良く紛れていく影だが、遠くから見る限り、ターゲルは全く相手にされていない。そんな様子にディアは舌を出して笑った。勝った、と思ってしまった自分にも笑う。こんなことで男に勝ってどうするのだか。しかし心は確実に軽くなった。
 ディアも踵を返し、見回りに戻るため歩き出した。