必然的な心理状況

【三】

 ようやく、かねてからの計画をセイに打ち明けられた。
 明日はこれまで以上に楽しもう。
 ディアは、明日どこへ寄ろうか下調べも兼ねて見回っていた。シャンレンの店で考える暇もなく動き回っていたときと違い、今は考える時間がたくさんある。頭の中で色々と計画を組み立てる。
 昼飯が一番美味いのはどこだろうか――そんなことを考えていたとき、ディアは呼びかけられて足を止めた。振り返ると赤毛の女の子が人ごみの中から顔を出す。昨夜、ディアが男たちから助けた少女だった。
「ああ、あんた、昨日の。あれから大丈夫だったか?」
 人ごみの中を走ってきたのだろうか。少女の赤毛はすこし乱れており、呼吸も早い。少女の頬は真っ赤に染まっている。
 少女は言葉もなく頷いた。
 ――もしかしてまた誤解されているんだろうか。
 胸に手を当てる少女を見下ろしながら、ディアは思った。男性に間違われることはよくある。特に最近は、平凡からかけはなれた麗しき青年セイが隣にいるため、誰もがセイを女性と誤解し、ディアのことは男だと決めつける。女だと認識されることが全くと言っていいほどなくなった。
 ひとまずディアは誤解を解こうと口を開いた。だが、その前に少女は勢いよく両手を突き出した。彼女の手に握られているのは白い封筒だった。
「えっと……私に?」
 少女は勢いよく、何度も首を縦に振る。
 素直だ。
 ディアは、恋愛とは全く別に「可愛いな」と思いながら封筒を受け取る。少女の手は震えていて、断るのは悪い気がする。
 封筒は、先日セイがシャンレンに渡した封筒と全く同じだった。この町での流行りなのだろうかと思いながら封を切る。中には何の飾りもないカードが一枚、入っているだけだった。シャンレンが貰っていたのは青いカードのようだったが、ディアが貰ったのは赤いカードだ。色こそ違うが同じ材質のもの。だが、何も書かれていない。
 裏を見てみると、端に小さく『ラフィーエネラ』と書かれていた。この少女の名前だろうか。他にもなにか書いてないだろうかと何度か引っくり返してみたが、なにもない。もしや貼り合わせてあるのだろうかと端をめくろうとするが、隙がない。ディアの様子を見守っていた少女が慌てて止めた。
「それ、この地方の伝統行事というか、催し物の一つなんです。この祭りの最後に、赤と青のカードを持った恋人だけがあの屋敷に入れるの」
 ディアは指された屋敷を振り返った。家屋が立ち並ぶ向こう側にひときわ大きな建物がある。屋敷というより、古城に見える。
「昔から領主さまが、祭り最後の夜だけ開放してくれて、舞踏会を催してくれるんです」
 ディアの脳裏に煌びやかな貴族社会が蘇った。
「青ってことは、男からも?」
「はい。二つのカードが揃っていないと入らせて貰えなくて……それで、あの」
 すでに青いカードを貰っていたシャンレンはどうしたのだろう。赤いカードを送り返したのだろうか。
 少女の言葉を途中から聞き流していたディアは、素直じゃない元雇い主に思いを馳せる。ふと我に返って少女を見ると、彼女は不安そうにディアを見上げていた。
「悪い」
 期待には応えられない。
 ディアは渡されたカードを封筒に戻して少女に渡した。
「私、女だからさ。これは別の男にあげてやってよ」
 驚いて目を瞠る少女に胸を痛ませながら、ディアは腰を屈めた。内緒話をするように顔を近づけた。
「それでさ。そのカードってどこで手に入るんだ?」
 セイが聞いたらさぞ喜ぶだろう趣向だ。
 ディアは脳裏にそのときのことを思い浮かべながら、少女に案内を頼んだ。


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 薄紅のカードを光に透かしながら、ディアは机に頬杖をついていた。
「お。さっそく貰ったのか。やるなぁ色男!」
 背中を叩かれて咳き込む。振り返ると、同じ仕事仲間がニヤニヤとした笑いを浮かべながらこちらを見ていた。
 ディアはカードを机に置く。
「……これは私のだ」
「分かってる分かってるって。俺だってほら、貰ってるしな!」
 誇らしげに翳されたのは同じ色のカードだった。
 満面の笑みを見せる男にディアも苦笑を返す。
 ――面倒ごとが起こらない限りは誤解されてても構わないけどな。
 机に置いたカードを見下ろした。
 こういうのは衝動買いになるのだろうか。面白そうだと思い、セイが喜びそうだと思い、直ぐに購入した。しかしこうして警備室に戻り、冷静に考えてみると、どうも難しい問題に思われた。セイはこの地方の伝統を知らないはずだからカードを渡しても単なる屋敷への通行証としての認識しかしないだろう。そう思えば渡すのは容易いはず。こうまでためらわれてしまうのはなぜなのか。
 ディアは両手で頬を包み、肘をついた。
 ――セイのことだ。この地方の伝統を絶対に知らない、とは言い切れない。どこかで聞いているかもしれない。忙しい店で接客しているくらいだ。聞いている可能性は高い。そこにこのカードを渡せば、純粋に遊びに行きたい、ということよりも別の意味に捉えられかねない。そういう意味に捉えられるのは非常に落ち着かない。
 ただ、恋人としてではなく、せっかく来た町を全部回りたいがためだけにカードを用意した――そうは思ってくれないだろうか。
 ディアは眉を寄せながら首を回す。なぜ自分がこんなことを思い悩まなければいけないのか。疲れることだらけだ。思われるのが嫌ならば、カードを渡す時にでもそう言えばいいのに――ディアはますます顔をしかめた。告げた瞬間、曇るセイの顔が容易に想像できた。セイのそんな顔は自分の気持ちも地に落とす。
 ああ馬鹿馬鹿しい。こんなことを一人で思い悩んでいたって不毛に尽きる。だいたい今回の計画は、セイから青いカードを貰わない限り成立しない。伝統を知らないセイから貰うなど不可能だ。やはり、ただの記念にと荷物の底に寄せておいたほうがいいのか。領主の屋敷に行くならばそれなりの服も必要だ。そんな立派な服は、今の自分には――ディアはそこまで思って立ち上がった。おもむろに、自分の荷物を手にすると中を探る。荷物の最下層に滑らかな生地があった。ディアはそれを掴むと一部を引き出した。
 セイの父に会うため購入したドレスだ。売るのはもったいない気がして、綺麗に畳んで今まで持って歩いていたのだ。
 ――服の問題は解決した。
「おい。さっきから大丈夫か?」
 一人で百面相をして落ち着かない様子のディアにかけられた言葉。夜の常駐として、共に働く仲間からだ。
 ディアはしばし無言のまま荷物に視線を落としていた。
「――寝る」
 ひとこと呟いて立ち上がった。
「っておい、仕事はっ?」
「なにかあったら起こせ」
 男は慌ててディアの進路を塞いだが、真顔のディアと対面して気勢を削がれた。思わず壁際に寄ってディアに進路を譲ってしまう。下手に触れてはいけない雰囲気だ。
 男は唖然としたままディアの後ろ姿を見送った。
「……夜の常駐は二人一組で……」
 呟かれた声は、一人でいるには広く寂しい建物内に虚しく吸い込まれていった。


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「よお」
 軽く片手を挙げたディアに、通りの向こう側から渡ってきたセイが微笑んだ。
 セイの格好は普段通りに戻っていた。髪は短くなっており、服は動きやすい軽装。対するディアも、いつもの旅装束とほぼ変わらない格好に戻っている。
「やっぱりそっちの髪の方が私には落ち着くな」
 短くなったセイの金髪に手を伸ばす。掴むと、細い金糸はすぐに手から滑り落ちる。
「そうですか? 髪を取ったらノークに泣かれましたけどね」
「なにを考えてるんだ、あの親父は」
 ディアは呆れて呟いた。
 一度しか見たことがないが、セイを雇った男を思い出す。連鎖してシャンレンを思い出し、彼女に渡った青いカードも思い出す。ディアはつい胸を押さえる。そこには、どうしても手放せなかった赤いカードが入っている。
「どうかされました?」
 眉を寄せたディアを不審に思ったのか、セイが見上げてきていた。
 ディアは慌ててかぶりを振って歩き出す。
 人ごみに飲まれないよう手を繋いで屋台を冷やかしに向かった。昨日、巡回を兼ねて下調べしていたからどこに何の店があるのか、あるていど把握している。
「今日でお祭りも終わりですね」
 明日には屋台の姿は消え、飾りも全て撤去されるのだろう。そう考えると少しもったいなくて名残惜しい。
 セイ視点でディアも同じものを眺め、同意を返す。
 その中でディアは別のことにも気付いていた。今日は昨日に比べて人通りが少ないのだ。昨日は歩いていても押されるほどだったが、今日は立ち止まってもぶつかることはない。通りに出ているのは殆どが男性だった。女性の姿が明らかに少ない。華やかな彼女たちの姿がないと、祭りといえど少し沈んだ雰囲気を感じてしまう。
 女性の姿が少ないなかセイが目を惹くのは当然といえた。男たちからは緊張した空気が伝わってくる。加えて、そんな男たちの手には白い封筒がさりげなく握られている。
 ディアはなんとなく不愉快な気分で、男たちからセイを隠すように、歩く位置を調節した。
「どうされました?」
「え?」
 男たちにばかり意識を向けていて、セイのことは見ていなかった。あまりにも周囲を意識しすぎて気付かれたのか。
 身を固くしたディアだったが、セイは微笑むとディアの顔に手を伸ばした。
「険しい顔になってますよ」
 頬を持ち上げられた。ディアはかぶりを振ってセイの手を振り払う。笑われる。
 ともすれば和やかな恋人たちの雰囲気に思える二人に、周囲の男たちは射殺したいとでもいうような視線を向けている。
 ディアは気付いてセイの背中を押した。
「なんでもない。それより、どっか中に入って食おう」
 普段なら周囲の目など無頓着なディアだが、あいにくと昨日から調子が悪い。どんな些細なことでも気に障る。
 これまで祭りといえば全ての屋台制覇を目論んできたディアだったが、今日は町の半分も回らない所で休憩を挟む。セイが首を傾げるのも当然だ。ディア自身も不思議だった。他の町の祭りと違い、今日は祭りに没頭できない。無意識に服下のカードを意識し、舞踏会が開かれるという屋敷を探してしまう。調子が狂う。
 手近な喫茶店に入ると、通りの喧騒が嘘のように閑散としていた。
 昨日までは賑わっていただろう店内には男性客の姿ばかりだ。女性客の姿は全く見えない。
「空いてて良かったですね。ディア」
「あ、ああ」
 オープンテラスの席に座り、セイは飲み物を注文した。
 ディアは肘をつきながら、外を歩く男性たちを眺め下ろし。ああそうか、と妙に納得していた。女性の姿が見えないのは、夜から開かれる舞踏会の準備に余念がないからだろう。男より女の仕度に時間がかかるのは世の常らしい。
「いいなぁ」
 ポツリと呟いた。
 通りの声に紛れて消えるほど小さな声だった。けれど、いつもと様子が違うディアに注意していたセイは拾い上げる。顔を上げ、ディアの視線を辿る。そこには何もない。。ディアはただぼんやりと通りを眺めているだけだった。
 セイは運ばれてきた飲み物をディアの前に置いた。ディアの反応は変わらない。
「私と一緒にいても楽しくないですか?」
 ディアは弾かれたように振り返った。
 少し眉を寄せ、悲しげな表情を浮かべたセイが見つめていた。
「あ……違う。そうじゃない!」
 ディアは慌てて否定して唇を噛み締める。だが、セイは何も言わずに飲み物を飲むと、脇に立てられていたメニューを広げる。その空気に居た堪れないものを感じてディアは落ち込む。
 ――うわ。私、最低だ。せっかく今日は楽しみにしていたのに。勝手に一人で動揺して、落ち込んで、ぼんやりして、情けない。もうカードのことなんて忘れて、思い切り遊ぼう。それがいい。仕事以外で町に留まるのはそうそうないことだ。それも今は祭りなんだから。
 ディアは決意を固めて頷いた。
「午後からはどこを回るっ?」
 努めて明るい声を出すと苦笑された。
「無理されなくても私は大丈夫ですよ」
 ディアは言葉をつまらせる。無理などしていない、と声を荒げたかった。ただそれをすると本当に最悪な一日になってしまう気がして、沈黙だけに留まる。
 気まずい雰囲気だ。
 セイが気分を変えるように微笑む。空になったコップを手にして立ち上がった。
「新しいもの貰ってきますので、メニューを決めておいて下さいね」
 セイは店内へ歩き出す。その後ろ姿に、ディアは切なく視線を送る。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。セイの姿が完全に見えなくなってから、封筒を取り出す。溜息をつく。
「こんな物のために……」
 裏を返してみても真っ白な封筒。シンプルだが、これ一枚で自分は複雑だ。
 ――思い切って破棄しよう。
 ディアはためらいつつも手をかけた。せっかくお金を出したものなのに、とまだ未練が残るが、これからのセイには代えられない。
 振り切るように目を瞑り、手に力を込めたときだ。
 破られようとした封筒は頭上から伸びた手に奪われた。
「駄目ですよ。これは私のものでしょう?」
 驚いて振り仰ぐとセイがいた。新しい飲み物がテーブルに置いてあるから、戻ってきた所なのだろう。しかしなんてタイミングなのだろう。
 セイはディアから奪った封筒を手にして微笑んでいた。
「ち、違っ! それは昨日、助けた女の子から貰ったもので!」
 ディアは中身を見られまいとそんなことを口走り、取り返そうと手を伸ばす。セイはディアの腕が飲み物に当たらないよう遠くに寄せて、その手を避けた。
「返せ!」
「ほら。ここにディアの署名がしてあります」
 封をあけてカードを取り出したセイは、ディアに見えるように名前の場所を指して見せた。ディアの脳裏に、購入した店で書いた時の浮かれ気分が蘇る。即座に抹殺したい過去だ。
「……っ、だから!」
 ディアの顔はこれ以上ないほど真っ赤だ。
 格闘技でもしているのかと思われるような動きで二人は攻防を繰り広げた。羞恥のために躍起になっていたディアは、テーブルに足を引っ掛けて倒れ込んだ。
「大丈夫ですかっ?」
 セイは慌ててディアを抱き起こした。顔を真っ赤にさせ、今にも泣き出しそうなディアを見て驚く。
「そ、それは、ただ、町に寄った記念に、どんなものかと、思って……!」
 ディアは考えていた言い訳を必死で紡ぎ出す。つっかえつっかえなのは羞恥のためである。上手く言えないもどかしさに俯いた。
 どこまでも素直ではないディアに、セイは苦笑して頷く。自分も座り込み、ディアを包むように抱きしめて囁いた。
「では、町に寄った記念に屋敷にも招待されましょうか」
「へ?」
 予想のどれをも裏切る返事に、ディアは間抜けな声をあげた。
 セイはこの地方の伝統など知らないはずなのに。やはり知っていたのか。
 顔をあげるとセイは意味ありげに微笑んでいた。
 ディアから手を離し、腰帯に吊るしていた袋から取り出されたのは真っ白な封筒だった。しかも二枚ある。
 渡されたディアはまだ状況が飲み込めなくて、封筒とセイを見比べる。震える手で開封し、中から出てきた物に目を瞠った。
 二枚の封筒の中から出てきたのは、どちらも青いカードだった。
 ディアの脳裏に疑問符が浮かぶ。一枚目の青いカードを引っくり返し、カードの端を見る。そこには『ターゲル』と名前が記されている。誰の名前だろうと思ったディアは、昨日セイを追いかけて抱きついてきた男を思い出していた。あの男の名前が確か、ターゲルだったはずだ。
 ディアはフッと鼻で笑う。
 肩から力を抜いて二枚目のカードを裏返した。こちらもまた、誤解した馬鹿な男が誤解したままセイにカードを送ったのだろうと思った。
 二枚目のカードの裏には『セイ=ラミアス』と明記されていた。
 ディアは思わずセイを見上げる。セイの顔は少しだけ強張っていた。
「いつ、貴方に渡そうかと思っていました。緊張していたんですよ」
「……お前が?」
「ええ。きっと、ディアと同じことで悩んでいたと思いますよ」
 ディアは何も言えない。胸の深いところから湧き出てくる何かに言葉を奪われる。
 少しためらうように下りてきた口付けは、避けようと思えば避けられるものだったが、瞳を閉じて受け入れた。