必然的な心理状況

【四】

 ディアの手には青いカード。セイの手には赤いカード。
 それぞれ握り締め、二人はシャンレンの店へと急いでいた。
「なんでシャンレンの店なわけだ? 今から仕度したって間に合わないぞ」
 ディアは困惑しながらセイに手を引かれるまま。以前、女性としての正装をしたときの時間と労力を思う。太陽は天頂を過ぎて落ちるだけ。黄昏にはまだ遠いが、正装する時間には足りない。
「屋敷のことはもういいから、普通に祭りを楽しもうぜ?」
 舞踏会、と聞いて久しぶりに心は躍ったが、セイに嫌な思いをさせてまで行きたいとは思わない。セイと共に楽しく祭りを回った方がいい。心底からそう思うのにセイは止まらない。
 通りにはもうほとんど誰の姿もない。ときおり、屋敷へ向かうだろう馬車が駆け抜けるだけ。そんな中を逆走しながら二人はようやく目的地に辿り着いた。
「お前さ。最近、私より力が強くなってきてないか?」
 ディアは膝に手をついて息を弾ませる。初めてあった頃よりもセイは身長が高くなり、目線の高さも近づいている。
 セイは少しだけ息を弾ませながら振り返り、嬉しげに笑った。ディアは視線を逸らす。
 伴われて店に入ったディアは絶句した。
 祭りの当初は息をつく暇もないほど混雑していたシャンレンの店は、閑散としていた。客どころか従業員の姿もない。客が扉を開けたというのに、走り出てくる人物の姿もない。シャンレンにナイフ持って追いかけられるぞ、とディアは口を開ける。
「セイかい? 上がっておいで!」
 もしかして忙殺されて店を畳んだのだろうか、とまで考えたディアは、頭上から降って来た声に、現実に戻された。安堵する。間違いなくシャンレンの声だ。しかし解せない。あらかじめセイが来ることが分かっていたような今の内容は何だろうか。
「おい、セイ?」
 一人だけのけ者にされているような気がして眉を寄せる。
 セイを見るが、何の説明もない。ただ嬉しそうにディアを引っ張って二階へ上がらせようとしているだけだ。
 ――なんなんだよ。せっかく祭りを楽しもうと思ってるっていうのに。
 ディアは憮然とした表情で、半ば引きずられるようにして二階へ上がる。そこに広がっていた光景に目を瞠る。
 部屋の入口に干し竿がかけられており、そこには見事なドレスが広げてかけられていた。どこかで見たことがあると思ったのも道理で、そのドレスはディアが荷物の底にしまいこんでいた物だった。
 同じ柄のドレスにこんな所でめぐり合うなど、偶然とはあるものだ――ディアはどこかぼけたことを考える。そのドレスが自分の物だなどと考えもしない。
「ほら。時間がないんだからさっさと動きな!」
 振り返ったディアは、ドレスに身を包んだ貴婦人を見た。
 艶やかな髪を団子状に結い上げており、それでもまだ余った髪は背中に流れている。鮮やかな衣装に見劣りしない化粧をし、華やかな雰囲気を持つ迫力美人だ。彼女は険しい形相をしながら腰に手をあててディアを見ていた。
「聞いてるのかい!?」
 誰だろう、と思ったディアは、その声にシャンレンだと気付いた。
 ――惜しい。口さえ開かなければいつまでも鑑賞していたくなるのに。
 そんな胸中を敏感に聞き取ったのか、シャンレンはディアを睨みつけた。
「申し訳ありません、シャンレンさん。遅くなりました」
「まったくだよ。ま、ディアは化粧とドレスだけでいいから楽だけどね。一番時間がかかるのは髪の毛だから、長い女は面倒なんだよ」
「緊張してなかなか言い出せなかったものですから」
 ディアをのけ者にして交わされる会話。ディアには何のことだか分からない。頭の中が疑問符で埋め尽くされていくだけだ。セイでも緊張することがあるのか、とそちらを気にしてしまう。そういえば先ほども同じようなことを思ったな、と既視感に首を傾げたところで二人の会話が終わった。
「さ。殿方は出て行っておくれ」
「ええ。ではまた後で、ディア」
「って、おいっ?」
 とつぜん去ろうとするセイに驚いて腕を伸ばしたが、届く前にシャンレンに引き戻された。
「あんたはこっち!」
 腕を掴まれて体を反転させられる。階下におりようとするセイがそんな様子を見て軽く笑ったが、彼はディアを助けるでもなくそのまま階下に消えた。薄情者、とディアは胸中で罵った。
「ただでさえ時間ないんだから、無駄口なんて叩くんじゃないよ!」
「いてててててっ、痛ぇっ!」
 耳を引っ張られたディアは乱暴にシャンレンの手を振り払う。
 痛みに耳を押さえていると、膝を後ろから蹴られて足の力が抜ける。尻餅をつこうとしたディアはいつの間にか椅子に座っていて、目の前に鏡台が設置される。手際のいいシャンレンに言葉もない。彼女はさらに四角い箱を持ち出してきて鏡台の前に置いた。箱の中には結構な量の化粧道具が入っている。
 思わず「うわ」と呻いたディアは、続いて目の前に置かれたお湯に瞳を瞬かせる。
「さっさと顔、洗っちまいな」
 シャンレンはそのまま、かけられていたドレスに向かう。やはり説明はないようだ。
 もしかして自分は酷い顔をしているのだろうかと素直に顔を洗ったディアだが、直後に髪を引っ張られ、顔にかからないようピンで複数箇所留められ、更には化粧を施そうとするシャンレンに慌てた。
「ちょ、ちょっと待て! 事情くらい説明しろ!」
「待つ時間なんてないね」
 あっさりと却下された。
 絶句したディアに化粧の下地を施して、シャンレンは苦笑する。
「なにも聞いてないのかい?」
 口を開けば化粧の刷毛が入ってきそうなので目で訴える。
「カードを貰っただろう。これから領主の屋敷に招待されるんだよ。昨日、セイがあんたの荷物を持ってきてね。今日のことを頼んでいったのさ。この町で融通が利きそうなのは私だけだと言ってね」
 ディアは眉を寄せようとしたが、即座に顔を叩かれて無表情を作り直した。頬に薄い色が乗せられていく。
 ――今日の喫茶店でのやり取りは計画的なものだったのか。
 やられた、と頭を抱えたくなったが許されない。
「動くんじゃないよ!」
 額を押さえつけられて大人しくする。
 瞳を閉じろと命令されて、素直に閉じる。暗闇に染まる視界の中で、瞼に触れる刷毛を感じる。化粧とは無縁と思われていたシャンレンだが、意外にも慣れた手付きだ。対するディアは旅に出てから化粧とは無縁だったため、むず痒い感触に振り払いたくなってくる。
 ――今朝は自分の荷物を見ていない。剣はいつも手の届くところに置いて眠るし、カードも同じく剣と共に置いて寝た。だが思い返してみれば、今朝、出かける前に警備仲間が何か声をかけてきていた。緊張してほとんど聞いていなかったが、もしかしたらあの時にセイのことを言っていたのかもしれない。
「……着替えてるってことは、あんたもカードを渡したんだな」
 化粧道具を取り替える合間にいうと、シャンレンはなぜか怒ったような顔でディアを睨んだ。
「セイを使ってカードを取りに来たんだよ、あいつは! 貰っておいて無視なんてできる訳ないだろう!」
 口調と態度は怒る形を取っているが、分かりやすい怒り方だ。
 確かに自分と似ているかもしれない、とディアはセイの言葉を思い出した。
 時間が迫っているため、他にはもう何も会話は生まれない。ディアも疲れたようにシャンレンに任せっきりとなる。
「ん、完璧!」
 そんな言葉が出る頃には夕暮れだった。
 二度と着ることもないだろうと思っていたドレスを着せられて化粧をされ、髪まで軽くいじられたディアの体力は底をついていた。瀕死状態だ。唯一の救いは化粧があまり濃くないことか。
「厚化粧なんてもったいない」
 本当にただ薄く化粧を施されただけだったが、それだけで鏡の中のディアはいつもより数段、見映え良くなっていた。
 ディアはシャンレンの腕の良さに感心しながらも腰帯の苦しさに溜息をついた。こればかりは避けられないらしい。
「すっかり遅くなっちまったよ。さっさと行こう」
 疲れを見せるディアとは正反対にシャンレンは元気だ。
 ディアは腕を取られて階下に引かれる。そこでセイが待っていると思っていたが、店内には誰の姿もなかった。窓から差し込む茜色が床を染めている。感傷に浸りたくなるような風景が広がるだけだ。
「セイは……」
「外で待ってるはずだよ」
 シャンレンはまだ用意があるのか、店の奥に消えていった。
 ディアは急かされるように店の入口を開けた。シャンレンの言葉通り、そこにはセイがいた。通りを眺めていた紫紺がすぐに振り返る。ディアの姿に目を瞠り、破顔する。
「どうだい。見違えただろう」
 奥から小さな鞄を抱えてきたシャンレンが胸を張る。セイは頷いた。
 ――そこで頷くなよ。
 ディアは何も言えず、ただセイを見下ろすだけだ。しかし不快な気分ではない。
「どうぞ。ディア」
 差し出されたのは踵の低い靴だった。女性用のものだと分かるそれを地面に置いて、セイはディアの手を取る。ここまで来たらディアは言いなりになるしかない。セイに支えられながら靴を履き替えた。サイズは問題ないようだ。
「いつの間に用意してたんだよ」
 少し不貞腐れるように低い声で問いかける。シャンレンのことといい、靴のことといい、あまりにも準備が良すぎる。呆れるしかない。おまけに、屋敷へ行くための馬車も店の前に停まっていた。
 ディアは背中を叩かれた。
「時間がないって言ってるだろう。玄関先で照れてないで、さっさと乗りな!」
「な、って、誰がっ!」
 シャンレンはディアをすり抜けると馬車に乗り込んだ。ディアも真っ赤になったままシャンレンを追いかけて乗り込む。手を引こうとしていたセイはあてが外れたように肩を竦め、脱ぎ捨てられた靴を脇に寄せてから馬車に乗り込んだ。
 悠に六人は乗れるだろう大きさの馬車。側面には領主の紋が刻まれている。
 そして、馬車には先着がいた。セイの雇い主であるノークだ。彼はとたんに大人しくなるシャンレンを見て笑みを浮かべる。
「そういう格好をすれば女に見えなくもないんだよ」
 悪態をついた彼にすかさず拳が飛んだ。
 ――密かに最強コンビなのかもしれない。
 セイは心のうちで思いながら、倒された雇い主を横目に馬車の扉をそっと閉めた。


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「意外だ」
「なにがです?」
 呟くとセイが見上げてきた。
 セイの靴が高く造られているため、二人の視線はもうほとんど高さが変わらない。
 ディアは少しだけセイを見つめ、視線を部屋に向けた。
「シャンレンとあいつが夫婦だったってこと」
「ああ。私も驚きました」
 セイは破顔した。屋敷に来てから知った事実だった。
 ディアと同じように視線を部屋に向け、流れてくる音楽に耳を傾ける。集う人々は、誰もが楽しそうに踊っている。恋人たちしか入れないとあって、誰もが二人一組になり、他の者には目もくれない。そんな中、ときおり派手な言い合いをしながらも仲良く踊っているのはシャンレンとノークだった。
「二人とも店を持っているので、結婚するときにどちらかが畳むか、相手の店と統合するかという問題になりまして。二人とも譲るつもりはなかったので、今は別居状態なんだそうですよ」
 セイの説明に、ディアは頷いた。確かに二人とも気が強く、とても納得のいく選択だ。手にしていたグラスのワインを回す。
 ディアとセイがいるのはバルコニーだった。熱気に当てられて出てきたと言っていい。手摺に肘をかけて町並みを見下ろすと、闇に沈む町から祭りの明かりが浮かび上がって綺麗だった。壮観な眺めだ。きっと今は、祭りにいる者たちよりも屋敷にいる者たちの数が多いに違いない。
 屋敷は一室だけではなく、全ての階の部屋が開放されていた。その全ての部屋に一流の吟遊詩人や踊り子たちが呼び寄せられていて、とても賑やかだ。出されている高級な料理もすべて無償で振舞われている。ずいぶんと良心的な領主もいたものである。
 ディアは飲み干して手摺に置いた。セイがこちらを見ているのに気付いた。
「なにか持ってくるか?」
 セイはアルコール類が苦手らしく、手をつけようとしていなかった。一人で飲んでいるのも悪いかと提案したが、首を横に振られる。
「そうか?」
 先ほどまで他の娯楽には目もくれずに料理を掻き込んでいたため、腹が減っているとは思えない。
 ――しかし、すべて無料なら持てるだけ持ち帰りたいよなぁ。
 ディアはやや酔いの回ってきた頭で真剣に考える。旅暮らしをしているとこんな食事にはありつけない。数年に一回あればいい方だ。これから毎年、ここを訪れてみようか。セイがいる限り豪華な料理にありつけるだろう。
 礼儀作法も淑女としての嗜みも関係なく貪った。兄が見たら何て言うだろうかと考えれば可笑しかった。
 小さな笑い声を上げると、セイが不思議そうに首を傾げた。
「ねぇディア?」
「うん?」
 機嫌よく振り返ると、真剣な表情をするセイと目が合った。手を握りこまれて内心で焦る。見つめてくるセイの瞳は真摯で、鼓動が徐々に早まっていく。
「ここに共にいるということは“恋人”だと思ってもいいのですか?」
 ディアは思わず殴ろうかと思った。
「ディアも、私のことを好いていてくれると」
 セイが身を乗り出したときだ。
「おお。こんな所にいたんだな、俺の娘は!」
「ちょっとノーク! いつからあんたは子持ちになったの。それに、セイは男だって言ってるだろう。飲みすぎだよ!」
 真っ赤に酔っ払ったノークは明るい表情だった。
 セイの微笑みが氷点下の冷気をまとう。そのことに気付いたディアは、ノークに同情の目を向けた。助かったと思ったのも事実ではあるのだが。
「あー、悪いね、二人とも。悪気はないんだよ、こいつ」
 尚更たちが悪い。
 シャンレンはその場の空気に気付いていたのか心底すまなそうに謝る。だがノークは危険を察知する本能すら忘れたかのように明るい笑みを浮かべ続ける。まだセイに絡もうとする。
「いい加減にしないか!」
 業を煮やしたシャンレンが怒鳴って引き剥がした。
 セイは終始無言で静かな微笑みを湛えているが、逆に沈黙が恐ろしい。機嫌が悪いのは明らかだ。
 ディアは引き攣った笑みを浮かべながらセイを見る。一秒ごとにセイの機嫌が悪化していく気がして視線を逸らす。そうしながらセイの言葉を思い返した。
 ――いまさら、そんなこと聞くんじゃないっての!
 酔いは一瞬にして醒めたが、頬は熱を持って熱い。
「ほら行くよ!」
 殴られたノークがシャンレンに引きずられて会場へ戻っていく。なんとも頼もしい女性だ。
 セイが小さく嘆息する。そのことにディアは体を強張らせた。次はいったい何をしでかすのか想像できない。ディアにとってセイは予想外生命体だ。しかしセイはごく自然にディアを促しただけだった。
「私たちも中に入りましょう」
 セイは先に歩き出しながら振り返る。いつもと変わりないその様子にディアは罪悪感を抱く。この機会を逸してしまえば、二度と同じ機会は与えられないように思われる。とは言え、面と向かって告げることほど恥ずかしいことはない。毒舌なら得意なのだが、告白とはなぜこうも平常心を狂わせるのか。
 とりあえずディアはセイの腕を掴んで止めた。言葉よりも行動の方が容易い。しかし言葉はなかなかついてこない。掴まれたセイは何かを感じ取ってくれたのか、そのまま足を止めた。黙ったままディアを見上げる。
 そのまましばらく経ってもディアは唸り続けた。
 セイは堪えきれなくなったらしく、吹き出した。
「無理しなくてもいいですよ」
 苦笑ではなく、本気でそう思っているだろう笑顔にディアの心が溶けた。
 操られるようにしてセイに口付ける。
 一瞬の触れ合いだったが、ディアからの行動にセイは双眸を瞠った。直ぐに離れたディアを凝視する。その視線を受けたディアの顔はこれ以上ないほど紅潮する。視線を漂わせて両手をさまよわせる。
「いや、だから、その……頑張れ!」
 なにを。というツッコミは恐らくディアとセイの両方の胸に生まれた。
 セイの両肩を掴んでの言葉だ。
 ディアはそのまま、明らかに動揺している足取りで会場へ戻って行った。
 残されたセイは呆気に取られていたが、やがて笑みを浮かべる。
 ディアが置いていった空のグラスを手にして追いかけた。


 END