親の心子知らず

【二】

 予定は大幅に遅れ、町に着いた頃には陽が落ちかけていた。
 ディアは斜陽に照らされながら瞳を細める。茜に染まる町並みを見下ろす。建物の輪郭も判別つけがたい時間帯では、探している建物を見つけるのも困難だ。
 ディアは腕に抱いた子どもを見下ろした。
 昼過ぎに町を出て、子どもを見つけ、それからずっと歩き詰め。子どもはまだ起きない。一体いつからあの林で泣き続けていたのだろうか。腕の重みも限界だ。何度かセイに変わってもらったが腕が痛い。
「どうしますか、ディア」
 問われたディアは口を曲げた。まさか子連れで旅を続けるわけにもいかない。適当な場所に預けたいのだが、一瞥しただけで建物を見分けることは不可能だ。子どものそばであからさまに町人に尋ねるわけにもいかない。
「次の町へ行くには、山越えを伴っていたはずですが」
「分かってるよ!」
 ディアは声を抑えて舌打ちする。ひとまず宿を取ろうと足を動かす。面倒なことは後回しで構わない。
 一種の現実逃避をしていると、背後でセイが溜息をついたのが分かった。
 ディアは唇を引き結ぶ。
 ――急ぐ旅でもないし、いいじゃないか。この町でいい里親が見つからなかったら次の町まで行ってもいい。子どもに山越えは辛いだろうが、放り出して行くよりはよほど誠意ある行動だと思う。
「でもディア……」
「なんだよ! 今から探すのは嫌だぞ。早く休みたいんだ、私は!」
 語気を荒げて告げると、セイは首を傾げてディアに腕を絡め。
「こうしてると親子みたいですよね」
 その場合はどちらが母でどちらが父だろうか。
「冗談じゃない!」
 微笑むセイに蹴りを入れて顔をしかめた。まだ母と呼ばれるような年齢じゃない。
 肩を怒らせてセイの腕を振り払うディアは、ふと湧いた疑問にセイを振り返った。
「そういえばお前って何歳なんだよ」
 セイは目を丸くする。
 その表情には「今まで一緒にいたのに知らなかったんですか?」という非難が含まれているような気がして、ディアは顔をしかめる。だがセイこそ自分の年齢を知らないんじゃないかと思う。自分から言った覚えはなかった。
「私は今年で19ですが」
 今度はディアが目を丸くした。
 意外といえば意外だが、しかし納得はできる。これで30才や15才だと言われたら思い切り蹴飛ばすだろう。
 丁度、成長期終了間際か。かなりの勢いで成長している。身長に関しては伸びすぎだ。
 ディアはやっかみも込めて内心で舌打ちした。
「ディアは? 今年でいくつなんですか?」
 返された質問にディアは相好を崩す。やはりセイも知らなかったらしい。ここで自分が30だと言ってみようかと思ったが、反応が怖くてやめた。
「……当ててみな」
 セイはにこりと微笑んだ。
「当てたらご褒美期待しますね。ええとですねぇ」
「待てっ、やらん、20だ、今年で!」
 当てられる前にと慌てて告げるとセイは不満な顔をした。不満があるのはこちらだと怒鳴りつけたい。
「20、ですか」
「……文句あるのかよ」
「いいえ? ただ、20過ぎたら独立して保護者の承諾なくてもなんでもできますねと思っただけです」
「……それがお前になんの関係がある」
 嬉しげなセイの横顔に苦い物を抱きながら、ディアは「そうか、20で独立か」と当たり前のことに気付いた。
「私の故郷では15で仮独立に入って、20で正式に独立する」
 こちらには仮独立などなかったな、と洩らすとセイは驚いたようにディアを振り返った。そこにいつもの笑みはない。本当に驚いたらしい。
 その様子にディアが吹き出すと子どもが身じろぎする。慌てて口を閉じて覗き込む。起きた様子はなかった。また眠りに落ちたようだ。安堵して子どもを抱えなおし、その寝顔に見入る。あどけない表情で、安心しきって眠っている。腕には確かな重みがあるが、そんな体重を全く感じさせない白い肌や細い腕が不思議だ。とはいえ限度はあるが。
 ディアが子どもに見入っていると、後ろから腕を引っ張られた。
「セイ?」
「せめて前の確認はしてください」
 ディアが向かっているのは店の壁だった。セイが止めなかったら激突していたかもしれない。ディアはあり得ない失態に、引き攣った笑みで「おう」と返した。
「ディアが自分のことを話してくれたのはさっきが初めてですよね」
 進路修正をして歩き出すと、セイが嬉しげに話しかけてくる。
 ディアはその言葉に、そうだったかな、と首を傾げた。そうしながら子どもを気にする。あまり声を出すと、起きてしまいそうで怖い。
「ああ、ほら、ディア。どこまで行く気ですか」
 またしてもセイに止められた。
 振り返ると、宿の入口でセイが呆れたように見送っていた。宿屋の看板を見過ごしていたらしい。
「……悪い」
 セイに遅れて宿に入る。一階の食堂はけっこうな盛況ぶりだ。喧騒に包まれて頬を緩めたが、子どもを思い出して顔をしかめる。だが子どもが起きる様子はない。図太い神経をしているようだ。
 笑みを洩らしたディアは、宿の女将と交渉しているセイを追いかけて。
「一部屋で」
 笑顔で述べたセイに蹴りを入れた。
「お前、性懲りもなくまた!」
 蹴られたセイは腰をさすりながら唇を尖らせた。
「なんでこういう時だけ気付くんです、ディアは。子どもに気を取られてて下さいよ」
 あんまりな言い分に思わず絶句した。ディアが気付かなければそのまま押し通すつもりだったのだろう。沸々と怒りが湧く。
「ふざけるなっ」
「私の部屋は無駄になるからお金がもったいないと言ったのはディアではありませんか」
「もったいないから使えという意味で言ったんだ私は!」
 周囲の視線は完全に二人に注がれていた。二人とも目立つ上に、今は子どもが腕に抱えられている。セイの容貌は説明するまでもなく人目を惹き、ディアもまた、幾らか女性らしさが滲み出てきて、中性的な雰囲気を醸している。事件に飢えている人々は囁きを交わしあう。
 注目に気付かず、ディアは女将を振り返った。
「部屋は二つだ、女将!」
「いえ。一つで構いませんよ」
 哀れなのは女将である。
 ディアには上から怒鳴りつけられ、セイには穏やかな笑顔だが妙に鋭い視線で押し通されようとし。どうしようかと悩む女将だが、そこに救いの手が現れた。ディアが抱えていた子どもが大声で泣き始めたのだ。
 突然響いた大きな泣き声に、誰もが驚いた。間近でその声を浴びたディアなどは子どもを落としかけて慌てる。
「わ、こら、ちょっと、泣き止め!」
 あれだけ子どもの真上で怒鳴り合っていたら目覚めるのも当然といえる。
 ディアはなんとか宥めようと試みたが、子どもが泣き止む気配はない。ここでようやく周囲からの注目に気付き、気持ちが焦るディアは情けない顔で必死に子どもをあやす。
「では女将さん。一部屋で」
「待てセイ! お前汚ぇ……!」
「わあああああっ!」
「一部屋でお願いします」
「だから」
「わあああああっっ!」
 子どもはディアの台詞の途中でばかり泣き声を上げる。女将はすぐにセイの言葉に従った。ディアは忌々しさに舌打ちし、セイを睨む。
 一部屋分の部屋代を払ったセイは勝ち誇ったようにディアを振り返り、微笑んだ。
「ほら。お父さんも必要でしょう?」
 周囲から「おお」という歓声が上がった。どうやら、二人のうちどちらが母か、賭けごとまで行われていたらしい。ディアはこの場で暴れ出したい衝動に駆られたが、堪える。腕の中の存在だけで手一杯だ。
「さぁ行きましょう。ディア」
「あとで覚えてろよ、セイ」
 ディアは赤い顔で睨みつけながら階段に足を向けた。そんな視線など物ともせず、セイは上機嫌な様子で「早く進んで」とディアを促す。子どもは声を弱めてまだ泣いている。
 二階に消えていく三人を、観客は微笑ましく見送った。