親の心子知らず

【三】

 日が暮れて夜となった。
 子どもにかかりきりで食事もままならなかったディアは、相当に機嫌が悪い。だが八つ当たりなどしようものなら子どもが泣き始めるため、ディアは今までにない辛抱を強いられていた。
 再び眠ってしまった子どもを抱え、ようやく一息つけるかと肩を落としたディアは、当然のように隣に眠ろうと入ってきたセイを蹴落とした。
「床で寝ろよ」
 地を這うような声音を出しながら睨み付ける。あとひとつ何かの要素が加わったら糸が切れて剣を抜くだろう。そんな境界線を察したセイは苦笑しながら従った。床に布団を敷き、掛け布団を丸めて枕代わりにする。
 ディアはセイの様子を監視しながら横目で子どもを窺った。憎らしいほど愛らしい寝顔だ。その顔を見ると今日一日の疲れなど忘れてしまいそうになるのも確かで、ディアは複雑な心境に溜息をついた。
「言っておくけどな。今日は、私の腕はこいつで手一杯だからな」
 せめてもの意趣返しにディアは告げる。するとセイは初めて気付いたかのように間抜けな表情を見せ、「あ」と口を固まらせた。ディアは笑う。少しだけ気が晴れた。鼻で笑い、見せ付けるように子どもを優しく抱えなおして寝台に横になる。とても二十歳を迎えたとは思えないほど大人気ない。
 セイは悔しげに表情を歪めて吐き出した。
「いいですよ。今日くらい」
「未来永劫だ」
 ディアは素っ気なく返す。肩まで布団を引き上げながら、眉を寄せる。子どもがいなくなればセイの言う通りいつものパターンが繰り返されるだろうことは容易に想像できる。“いつものパターン”と呼べるほど定着してしまい、覆すことは困難だ。いっそのこと本気で子どもを連れて行こうかと考える。以前にも同行したいと申し出てきた者たちがいたが、今回は彼らとは比べ物にならないほど可愛らしい同行者だ。
「ああ、それもいいかもしれないな……」
 ディアは自分が呟いているのか呟いていないのか分からなかった。どちらでも構わない。どこまで本気で考えているのかすら分からなくなり、穏やかな眠りへの入口に笑みが浮かぶ。温かな子どもの存在を確かめ、静かに目を閉じた。


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 朝日に瞼を刺激されたディアは覚醒した。
 意識はすぐに目覚める。状況も即座に把握できた。昨夜までの疲労も全て消え去り、理想的な朝を迎えられたのだと嬉しくなる。今日ばかりはセイの邪魔も入らない。しかし、寝台に子どもがいないことに気付いて慌てた。
「おい、セイ!」
 昨夜、セイは隣の床に布団を敷いて眠った――そんなことを思い出しながら振り返り、ディアは絶句した。そこにはセイと子どもの姿があった。二人とも眠りが深いのか、起きない。セイの両腕に包まれながら眠る子どもの表情は安らいでいる。
 ディアはしばらくその光景を眺めていた。可愛らしい子どもの寝顔と、剣を振るう彼とは正反対の表情で眠るセイを見比べていると、無条件で心が安らいでいくような気がした。
 しばらく『父と子』の間違った光景を眺めていたディアだったが、段々と得体の知れない苛立ちが湧き出した。
 セイのことだから、気に食わなくて、眠っている間に子どもを取り上げたに違いない。
 そんなことを思いながらセイの肩を軽く蹴る。
「この野郎」
 足先でセイの肩を揺らすと直ぐに目覚めた。もしかして起きていたのではないかと思われるほどの素早い動きで起き上がる。ディアも思わず緊張してセイから距離を取り、苦笑する。セイに危害を加えられるなど考えられない。
  セイは本気で眠っていたようだ。素早く起き上がったわりに目は眠そうに瞬かれ、かすかに眉を寄せながら視線を定める。
「……ディア?」
「反応が遅い」
 寝台の掛け布団を掴んで放り投げる。ディアの行動をただ見ていたセイは勢いに負けて倒れ込んだ。その様子にディアは笑い声を上げる。しかしその笑みは直ぐに消えた。視界を塞がれたセイに踏みつけられでもしたのか、子どもの泣き声が響いたのだ。
「えっ?」
 ようやく顔を出したセイが驚いたような声を上げて、泣き出した子どもを抱え上げる。
「あのな。いくら気に食わないからって、私が寝てる間に引き剥がすことないだろう。心が狭すぎるぞ」
「いえ。私は何もしていませんが」
 ディアはやれやれと腰をあげ、セイから子どもを受け取ろうとする。しかし思わぬ抵抗が加わった。
「うわっ?」
 子どもの足が勢いよく振り上げられ、ディアの顔に当たる。思わず子どもを手放したディアだが、床に落とすような真似はせず、せめてもの反射神経で寝台に投げた。そうしてから慌てて子どもに向き直る。
「悪――」
 子どもは歯を食いしばって起き上がり、謝ろうとしたディアの脇を通り抜けてセイの胸に飛び込んだ。昨日までの懐き具合が嘘のように、ディアは嫌われたようだ。一晩で何があったというのか。セイも困惑したように子どもを抱え、ディアを見上げる。
「えっと……ディア?」
「私が知るか。そういやお前、名前は何ていうんだ?」
 ディアは名誉挽回を図ろうと、できる限り優しい声を心がけて問いかけた。しかし子どもは振り向いただけで口を開こうとはしない。ディアの胸に寂しさが過ぎる。何をしてしまったのだろうと首を傾げたが、思い当たる節はなにもない。
「ええと、あの……」
 セイは困惑するまま子どもを引き剥がそうとしたが、子どもは激しくかぶりを振って、ますます強くセイにしがみ付いた。その小さな手は震えている。
「怯えなくても大丈夫ですよ。ここにいてもいいですから」
 子どもの背中をさすると愛らしい丸い目がセイを見上げた。
 騒ぎには一段落着いたようだ。
 様子を見て取ると、ディアは腰を上げた。部屋の隅に置かれている衝立の影で着替え、用意を整えて廊下に出る。気付いたセイが振り返った。
「ディア?」
「町、回ってくる」
 セイの目を見つめながら告げると、セイは軽く瞬いて意味を汲み取り、頷いた。
 あまり長く一緒にいると情が移る。子どもも、また置いていかれる寂しさを味わうことになる。手を打つなら早い段階がいい。
「無茶はしないでくださ」
「しつこい!」
 馴染みの言葉にディアは頬を引き攣らせて遮った。これ以上、鬱陶しい台詞を聞いていたくなくて、強引に扉を閉める。強制的に話を打ち切った。


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 スアシャ大陸に船で渡り、少し内陸に進んだ場所にバーラル領はある。
 夏祭りが行われていた町からはかなり離れた。町から離れるにつれて過疎化は進み、自然の割合が大きくなる。この辺りには捨て山と呼ばれる地もあるらしい。ディアたちが先日までいた町も、あまり大きな町とは呼べない町で、人々はその日暮らしの生活を送っていたようだった。
 ディアは町を回りながら林の中にいた子どもを思い出す。同情はしても、怒ることはできないと思った。
「養護施設、養護施設……もっとでかい町にでも行かなきゃねぇかな、やっぱり」
 バーラル領の中で最も大きな都らしいが、ディアの目からすれば首を傾げたくなるところだ。スアシャ大陸全体から見て、それほど発展していない、ごくごく普通の町だ。
 隣にセイがいないため調査はすんなりと進む。町の男たちに絡まれて時間を取られることはない。意気揚々と町全体の情報を集めることができた。しかし、子どもの養護施設に関して、有意義な情報は得られない。酒場に足を向けたディアだが「そんな施設はない」という憎らしい亭主の即答に腹を立て、彼からも情報を得ることはできなかった。話し合いなど無駄ならぬ損だ。酒場の者、全員を敵に回すこともできず、冷淡な声と眼光で亭主を脅すだけに留めた。もうこの町の酒場には行けない。
 ――さてこれからどうするかな。
 空を見上げればすでに昼近い。どこか体が目覚めていないような違和感にディアは首を傾げ、そういえば剣の稽古を今朝はしていなかったと気付く。子どもがいたため、できなかったというのが正しい。これからも子どもがいる限り、稽古はできなくなるだろう。なにしろしがみ付いて離れず、引き剥がそうとすれば問答無用で泣き落としという手段に走る子どもが相手なのだから、手ごわい。
 なるべく早目に手を切りたい、とは思うものの、どうしても見つからなければやはり一緒に連れて行ってやりたいとも思う。
 適当に町を回り、露店を冷やかしていたディアは、背後から掴みかかられた。
「うわっ?」
 人通りの少ない裏通り。これからのことや子どものことで頭が一杯になり、近づく気配には気付かなかった。
 ディアは小さく舌打ちした。肩にかかる誰かの手を掴んで投げ飛ばそうとした。
「生きていたんだな、お前!」
「あ……?」
 意外な言葉に目を剥いた。
 振り返り、自分に抱き付いている者を見る。
 痩せて背の高い男だ。身長はディアよりも高い。ディアは久しぶりに見上げるほど高い人間を見た、と思いながらその男の顔を見る。年齢もディアより遥か上らしい男はディアを見下ろして嬉しげに笑っている。感慨に満ちた溜息を吐く。
 ディアの眉がますます寄せられた。
「生きていれば美人になると踏んでいたが、やっぱりそうか」
 どくんと心臓が音を立てる。
 そんなことがある訳ないと否定しながら次の言葉を期待している自分がいて、ディアは口を開く。逃げようか成り行きに任せようか、剣の柄に手がかかる。
 男はディアの物騒な気配をまったく気にせず、笑顔のまま目尻に溜まった涙を拭った。
「俺より凛々しくなりやがって――父さんは嬉しいぞ」
 ディアは男から回れ右して歩き出した。
 完璧な人違いだ。
 ああいう人種は無視に限る。
 あの手この手で気を引いて、厄介ごとに巻き込もうとする者たちは幾らでもいる。
「待て待て待てって!」
 男が慌てたように追いかけてきた。
 ディアはうんざりと肩を落とす。最初に反応してしまったのが悪かった。綺麗に無視したまま投げ飛ばしていたら問題はなかったのだ。だが今からでも遅くはない、これ以上しつこいようなら問答無用で投げ飛ばそう。
 物騒な考えを巡らせているとは露知らず、男は能天気な笑顔を見せながらディアを追いかけてくる。
「いきなり無視することないだろう。照れ屋だなぁ、ミーちゃんは」
「誰の名前だそれは!」
 思わず反応してしまったディアは舌打ちした。
 最近はツッコミが激しくて困る。毎朝怒鳴りつけているからだろう。奴のせいだ。
 さりげなく罪を被せながら頭を押さえる。
「待てって、ミーちゃん!」
 声は追いかけてくるが、ディアはもう振り返らない。激しい人違いである。
「待ってくれって!」
 前に回り込む邪魔な存在を避ければ腕を掴まれる。今度こそディアはその手を捻った。
「これ以上つきまとうな。人違いだ」
 苛立ちを含ませ、男に迫って告げる。そうすればもう充分だろう。
 再び歩き出すと、声も、男も、追いかけてはこない。ようやく離れてくれたかとため息をついて裏通りから抜け出す。
 大通りには橋が架かり、町を二分する大きな川が流れている。
 酒場での情報が信じきれないディアは反対側の町にも足を向けようとしていた。
「ミーちゃんがその気なら父さんにも考えがある!」
 唐突に背後から上がった声にディアは頬を引き攣らせる。
 ――どこの親父だか知らないが迷惑な奴め。私の父はもっと威厳に溢れてたぞ。比べ物になってたまるか。父の面影を消すな、頼むから。
 ディアの横をすり抜けて男が走っていった。
 また進路を塞ぐつもりかと思って構えたディアだが、そのまま止まらず走っていく男に眉を寄せる。
「飛び降りてやるからな!」
「阿呆かーっっ!」
 呆れる暇もない。男は踏み切りも躊躇わず、橋の欄干から勢いよく飛び降りた。
 ディアは思わず叫ぶ。
 男の姿は橋の影に消え、すぐに水音が聞こえた。
 通行人もディアも唖然とする。橋に駆け寄り、下を覗いて更に唖然とする。飛び降りた男は明らかに溺れていた。
「馬鹿な男だな。よりによってこの川に飛び込むなんて」
 隣を見ると、一部始終を見ていた通行人たちが顔をしかめながら呟いていた。
「結構な死人が出てる川だっていうのに」
 ディアの背中を冷たいものが流れ落ちる。
 見物人たちは誰も助けに行こうとしない。他人事として見守っているだけだ。それでいてディアには非難の目が向けられるのだから、たまったものではない。泳ぎが苦手なディアは溺れている男を睨みつけて唸る。泳ぎにくいと聞いた川に飛び降りるなど、考えられない。
 野次馬たちが見守る中、橋の下でようやく誰かが助けに向かった。
 川岸に繋いである小舟を出し、溺れる男に近寄って引き上げる。野次馬たちから歓声が上がる。ディアに向けられる非難の眼差しはますます強まる。
 ディアはそのまま立ち去ることもできず、助けられた男の元へ、仕方なく足を向ける。橋の脇にある階段から下へ向かい、数人が群がる中へ割り込んでいく。
 助けられた男は荒い息をついて苦しげな様子だったが、ディアに気付くと笑みを向けた。
「お人よしだなぁ、ミーちゃんは。だけど絶対来てくれると思ってたぜ」
 ディアに向けて「勝利」とばかりに笑う。それが気に入らなくて、ディアは再び乱暴な足取りで近づくと、彼の頭を叩いた。


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 溺れた男はその場で気を失った。その男が誰なのか、分かる人物はそこにいなかったため、ディアは仕方なく男を担いで宿に戻った。町の治安所に放り投げようと思ったのだが、それには町の外れまで行かなくてはいけなくて、面倒だったためだ。
「ディア。大人の男はいりません」
 セイの第一声にディアは脱力した。
 子どもは無邪気にセイと遊んでいたらしい。床にはおもちゃが散々している。それらを踏まないようにしながら寝台に近寄り、ディアは男を横にさせる。濡れたそのまま担いできたためディアの背中まで濡れていた。どこまでも迷惑な男だと顔を顰める。寝台まで占領されては呆れるしかない。
「起きたら帰らせる」
 ディアは苦々しく呟いた。セイも男に視線を移して首を傾げる。子どもだけは変わらず無邪気に遊んでいる。ディアが帰ってきても、関心一つ向けない。
「町は、どうでしたか?」
「ああ……次の町に行かなきゃいけないみたいだな。もっと大きな町」
「そうですか……」
 二人の視線が子どもに向けられる。
 子どもは一人、パズルのようなものに向かい合っていた。
 丸いボールに数字の穴があいており、形に添った数字をはめ込んで中に入れていくという、知恵遊びだ。穴の形は全て違うので、子どもは考えながら入れていく。
「お前、あんなのどこから持ってきたんだ?」
「親切な宿泊客が貸してくださったんです。皆さん色んな物を持ってきて下さって、助かります」
 それは“おもちゃを貸す”という名目の冷やかしなのではないかと思ったディアだが、口にはしなかった。ため息をついて扉に向かう。
「どこに行くんですか?」
「風呂。着替えないと濡れたままだ」
「……そういえば何があったんですか?」
 質問のタイミングが遅すぎるセイに苦笑する。
「人違いした挙句、川に飛び込んだ」
 それだけでは分からないだろう簡潔な説明だ。セイは当然ながら首を傾げ、子どもを一度振り返ったあとでディアを追いかける。そのまま脱衣所の前まで来て、ディアは振り返った。
「ここから一歩でも入ってきたら斬るぞ」
「やだなぁ。そんなことしません」
 言い切る笑顔がすでに信用できない。
 だがセイは直ぐ、その表情を改めた。辺りを憚るようにディアに顔を近づける。内緒話をするような仕草だ。ディアも訝りながら耳を寄せる。
「あの子、声が出ないようです。ああ、声というか……会話ですね。声自体は出せるんですから。こちらの言葉も、理解はできているようですが……」
 ディアは目を瞠った。思わずセイを見返してしまうが、沈黙が流れるだけだ。
「――そっか」
 何をいうべきか分からない。最初から言葉を失っていたのか、今回の衝撃で失ったのか、分からない。もしも最初からだとしたら、林の中に置き去りにされていた理由はそこにあるのだろう。働くに苦労する人間を養えるほどこの地域は裕福ではない。そしてもしも後天的なものであるのなら胸が痛い。あのような小さな子どもの衝撃はいかほどかと、自然に表情が険しくなるのは止められない。
 黙ったままでいるとセイが再び顔を近づけてきた。まだ何か知らせがあるのかと、ディアも耳を傾ける。
「私たち、宿屋で評判の美人夫婦ですって」
 腹を殴った。
「訂正しとけ!」
 ――真剣な表情で何を言うかと思えば。
 ディアは忌々しく「他に言うことは!?」と怒鳴りつけた。セイは殴られて咳き込みながらも笑っている。笑いながらディアを見上げる。
「親子ですと訂正して」
 ディアは脱衣所の扉を勢いよく閉めた。廊下に響く、澄んだ笑い声がいつまでも耳に残った。