紡ぎ糸のような

【二】

 最初は呟きだった。視線を巡らせ、確かに抱いていた存在がないことを不思議に思うだけだった。しかし徐々に不安が込み上げる。気配が小屋のどこにもない。
「ディア!?」
 悲鳴のように反響したそれを気にする余裕もないまま小屋の裏へ向かった。
 昨夜の雨でぬかるんだ地面は滑らかだ。セイが走ると新しい足跡がつくられ泥が跳ねる。白く吐き出された息は首を通り過ぎていく。セイは部屋着のままフェレーリアのもとへ急いだ。
 小屋の裏は薪割りができるように広く作られている。その広場には今、フェレーリアが翼を休めていた。すみれ色に似た淡い色彩の瞳が不思議そうにセイを見た。
 今日は小屋で一日を過ごし、明日改めて出発する予定だった。
「――いる」
 鼓動が激しく耳につく。小屋の壁に手をついて呆然としていると、フェレーリアが首を傾げた。
『キュウウ?』
 小さく喉を鳴らし、薄着のまま出てきたセイに近づいてきた。
 大きく暖かな翼に包まれたセイは顔を歪めた。硬い鱗に触れて瞼を閉じる。
 自分も、フェレーリアもいるのに。
 ディアだけがいない。


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 一度落ち着いて小屋に戻ったセイは、居間に荷物を置いていたことを思い出した。肩を落としていたセイだが小走りに向かい、転がっていたそれを拾い上げる。
 以前の荷物袋は焼けてしまったため新調したばかりの袋だ。
 灰色がかったそれを開けば、やはり先日揃えたばかりの旅道具がそのまま入っている。荷物は最低限必要な物しか入っていない。ディアらしいと言える。
 セイは微かに表情を緩ませて確認したが、荷物から何かが欠けているというようには思えなかった。
「戻って、くる?」
 何も持たずに出発したとは思えない。しかし周辺にはもういない。
 セイは再びフェレーリアへと急いだ。フェレーリアはフェレーリアなりに何かを感じ取っているのか、セイが再び姿を見せると体を起こす。翼を伏せてセイが乗りやすいようにする。
 セイは唇を引き結んで飛び乗った。
「疲れてるだろうけど、少し頑張って下さいね」
 手綱を引くと直ぐに飛び上がった。
 ディアがいつ小屋から離れたか分からないが、人の足ではそう遠くまで行けないはずだ。近くにいると信じて捜す。
 小さなくしゃみを一つして、セイは小屋を中心とした一帯を空から見下ろした。
 ――冬になると旅人の数は減るのだとディアから聞いた。
 大地は凍って雪が降り、人は足止めを余儀なくされるからだ。旅人は雪に囲まれる前に冬越えの場所を決めなければならない。
 しかしこれまで一人旅を続けてきたディアは雪に降られようと強行してきたという。なるべく南に向かい、雪に足止めされる羽目にならないようにしてきたらしい。
 今年はどうするのかと尋ねると少し沈黙して振り返った。お前がいるから強行なんてできないだろう、という不機嫌な声音が忘れられない。今年の冬はゆっくり二人っきりになれるんですねと満面の笑みで返せばやはり憎まれ口が返ってきたが、耳が赤く染まっていたのは見逃さなかった。
 冬の予定も決まり、ディアが消える兆候などなかった。昨夜のことは少し意外だったが、それ程に自分が許されているのだと思って嬉しかった。あれが消える兆候だったというのだろうか。
 空から見る大地に旅人の影は見えない。
 あまり高度を上げても意味がないため小鳥たちの高度を保っているが、吹く風は結構な冷たさだった。
「どこに行ったんでしょう……?」
 一番近くの町へとフェレーリアを旋回させ、門の守衛たちの側に直接降り立った。いちいちフェレーリアを隠して歩いてくる手間を面倒に思うほどセイは追い詰められていた。
 フェレーリアの突風を間近で受けた守衛たちは姿勢を低くして身構えていたが、セイが走り寄ると槍を持ちかえて顔を見合わせた。怪訝そうにセイを見つめる。
「あの。人を捜しているのですが」
 金の髪をなびかせ、寒さのために頬や耳を真っ赤にし、震える声で尋ねるセイに守衛たちは驚いたような表情を見せた。しかしセイが近づくと体を仰け反らせる。セイの身長は守衛たちよりも高い。
「昨日から今にかけて、ここを誰か通りませんでしたか……?」
 体を震わせて、またくしゃみをする。
 守衛たちは威圧されたかのように竦んでいたが、セイの雰囲気になにを思ったのか、緊張と警戒を心配に変えたようだった。互いに顔を見合わせてセイにかぶりを振る。
「いや。今日はまだ誰も見てないな。夜間は門を閉めるから、たぶん誰も通ってないと思うぞ」
 夜間に旅人が来た場合、門近くに寝泊りしている守衛兵の気紛れで稀に門を開ける場合もあるが、あいにくその守衛兵はここにいない。家を訪ねたとしても、今頃は爆睡中だろう。
「そうですか。ありがとうございます」
 セイは落胆を隠し切れないが頭を下げた。そして咳き込む。頭が痛くて顔が熱い。薄着で冷たい風に長時間あたっていれば、必然的にそうなることは分かっていた。
 ひとまず小屋に戻ってディアの不在をもう一度確かめようと踵を返す。けれど、フェレーリアに辿り着く前に視界が回った。倒れたと気付いたのは一瞬の後だ。
「おい!?」
 守衛兵たちが慌てて駆け寄ろうとした。セイはゆっくりと起き上がってフェレーリアを見上げる。彼らの心配はありがたいが、ここで足止めをされては小屋に戻れない。もしもディアが戻ってきていれば、誰もいない小屋を見て不審に思うだろう。
 大人しく成り行きを見守っていたフェレーリアがセイに近づいた。その大柄な体に守衛兵たちは射竦められたように足を止める。彼らの視線の先で、フェレーリアは鋭い牙が立ち並ぶ口をあけると、セイの襟首をくわえて持ち上げた。
「うわあああ!?」
 守衛兵たちはセイが襲われているのかと勘違いして槍を振り上げた。ことごとくがフェレーリアの翼にあたったが、硬い鱗によって引っかき傷もできない。
 フェレーリアは背中にセイを放り投げると空へ飛び立った。風圧で守衛兵二人が吹き飛ばされて地面に転がった。
「……ごめんなさい」
 フェレーリアの背中で見ていたセイは、彼らに小さく謝って頬を鱗につけた。
 鱗は冷たく、火照った頬には気持ちいい。
「どこに行ったんでしょうね……?」
 問われてもフェレーリアには答えられない。悲しそうに喉を鳴らせ、小屋を目指して飛ぶのみだ。


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 フェレーリアは小屋の裏に回らず、自分の意志で玄関前に降り立った。セイが背中から下りると大きな頭で押し、早く入れと促した。転がり込んだセイは苦笑しながら立ち上がる。振り返るとフェレーリアが大きな瞳で見つめてきていた。体の大きなフェレーリアは小屋に入ることができないため、せいぜい彼が無茶をしないよう、玄関から睨み付けるだけだ。
「心配しなくても無茶はしませんよ。ディアじゃないんですから」
 自分で言いながら大きなため息は隠せない。小屋にはやはり、ディアは戻っていなかった。
 フェレーリアに笑いかけて玄関の扉を閉める。大きな羽ばたきが聞こえ、フェレーリアが小屋の裏側へ回るのが分かった。賢い生き物だ。皆が欲しがるわけが分かる。
「フェレーリアがいてくれて助かった、かな……」
 ふらつく足取りで寝室に向かおうとしたセイは、廊下の隅に何かが転がっているのを見つけた。
 何だろうと近づくと、それは抜き身の剣だった。
 寝室に置いていたはずの、セイの剣だ。それが鞘にも収められず、なぜこのような所に放置されているのだろうか。セイは昨夜のことを思い出しながら、自分は確かに寝台側の棚に置いていたはずだと確信する。覚えている。
 鞘を見つけようと小屋を探すと、寝台の下に転がっていた。
 見つけたセイは眉を寄せる。嫌な予感が胸を掠める。
 そうだと仮定して、改めて小屋の中を探ったセイは顔をしかめた。テーブルや長椅子の位置が、昨夜の位置とは違う。ほんの僅かな違いのため気付きにくいが、確かに違うと分かる。廊下の壁を注意深く観察すれば、古い傷に混じって新しくついたと思われる剣傷があった。寝室には最初に鞘を発見した以上の変わりはないが、それでも確信するには充分な状況証拠。
 剣を抜いたのはきっとディア。
 そこには剣を抜くほどの何かがあったと推測される。
 しかし誰かが来たのなら、自分が気付かないことはないのだが。もし気付かず眠っていたとしても、ディアがいないこの状況を考え、それはかなりの腕の持ち主だったのだろうと思う。そんな人物と対峙するのに、ディアが自分を起こさないはずもない。昨日は同じ寝台に眠ったのだから、起こすために部屋を移動する必要もなかった。それなのに、いったい何が起こったのだろうか。
 これまでの不安とは全く違う恐怖が込み上げてきた。まるで自分自身もどこかへ連れていかれそうな錯覚に陥り、セイは奥歯を噛み締めて外に向かった。闇雲に捜したって変わらないことは分かっている。しかし今すぐ動かないと気が済まない。
 外の冷たい風にあたり、小屋の裏側に回りこむとフェレーリアが顔を上げた。セイを見ると咎めるように小さく鳴いた。セイの胸に鼻先を押し付ける。
「うん。けれど、側にいてくれないと……私が嫌ですから」
 剣を握り締めてフェレーリアの硬い顔を撫でる。荷物を取ってくるということも思い浮かばず、フェレーリアの横腹に顔を押し付けて息を整えた。
 自分でも熱が上がる感覚が分かる。舌打ちしたい気分で空を見上げた。
 見上げて――そのまま倒れた。


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 低い天井を瞳に映したセイは次いで部屋を見渡した。
 頭が重くて腕に感覚がない。身じろぎしようとしたが、体中に走った痛みに息を止める。
「お気がつかれましたか。セイ様」
 気遣う声音に視線を向けると、仕立てのいい衣服に身を包む年配の男性がいた。寝台の横に椅子を持ってきて座っているようだ。
「……イェルド?」
「はい」
 ラミアス領で父が雇う執事だった。白銀の髪は少し艶を失っていたが綺麗にまとめられている。その顔には、セイが覚えているよりも少しだけ皺が増えている。
 セイは首を傾げた。彼がなぜここにいるのだろうか。
「セイ様から届けられる手紙を追いながらここまで辿り着きました」
 まるで思考を読み取られたかのように告げられて瞬く。体がだるくて、やはり自分は倒れたのだろうなとぼんやり思った。確か、フェレーリアでディアを捜しに行こうとした矢先のことだった。
「ここはどこですか?」
「セイ様がお倒れになった小屋から一番近い、ハーレルの町です。宿を一室借り受けました」
「そうですか……」
 体を起こそうとすると止められた。セイは再び寝台に押し返される。
 イェルドは一通の手紙を取り出すと差し出した。横たわったままそれを受け取ったセイは眉を寄せる。裏を見るとラミアスの刻印がされていた。父からの手紙だと知る。
 イェルドを見たが、彼からは何の情報も読み取れなかった。
 少しだけ体を起こし、封を開けると懐かしい父の字が目に入った。いったい何についての手紙だろうか。
 こちらから近況報告をすることはあっても、あちらから返事がきたことはありませんでしたねそういえばと思い、もしかしたら今までも返信はあったが自分たちが同じ場所にいなかったため受け取れなかったのだろうかと思った。それでわざわざイェルドを寄越して届けさせたのかもしれない。
「……結婚?」
 父の文章はまるで父本人が目の前で喋っているかのように、頭の中に入ってきた。目を通していたセイは内容に驚いて顔を上げる。イェルドは少しだけ微笑んで頷いた。
「兄上がご結婚なさるのですか?」
 イェルドの頷きを目にし、もう一度手紙を読み返し、セイの顔も明るくなる。満面の笑みで父からの手紙を見つめた。
「おめでとうございます。うわぁ、とうとう結婚ですかー」
 兄に婚約者がいるのはもうずっと前から知っていた。
 両者共に望んだ婚約だ。セイが見る限り二人はとても幸せそうで仲睦まじい婚約者同士だった。今回の結婚は自然な成り行きだろう。
 セイはまるで自分のことのように嬉しくて表情を綻ばせる。イェルドも「ええ」と嬉しそうに頷く。
「それでセイ様をお迎えに上がりました」
 セイの笑顔が固まった。
「ドーラル様はセイ様のことを大層心配されておりました。ジェン様も列席を望んでおります。どうぞお戻り下さいませ」
 セイは口を開きかけたまま固まった。深く頭を下げたイェルドを見る。
 兄の傍で祝福したい心はもちろんある。
 けれど、ラミアスまではかなりの距離がある。戻る時間もさることながら、結婚式の準備期間も長い。数か月は必要だ。場合によっては1年以上かかる場合もある。
 戻れば招待客の選別や対応に駆られるだろうし、社交場に出ての対応を求められるかもしれない。そのようなことをしていては、ディアを捜せない。
 ディアと旅をしてきた日常から、途端に貴族として生きて来た日常が脳裏に浮かんだ。大きな屋敷の中で、誰かの意思通りに動いていた。そのことを疑問にも思っていなかった。
「……行けません」
 零したセイの言葉に、イェルドが目を瞠った。まさか断られるとは思ってもなかったのだろう。セイとて同じだ。まさか兄の結婚式への出席を辞退することになるとは思ってもみなかった。
 けれど、ディアが隣にいないのに、笑って祝福などできそうにない。無理に出席しても、偽りの笑顔は後に悔いることになるだろう。
「どういうことですか、セイ様?」
 戸惑いが伝わり、セイは拳を握る。
「申し訳ありません。私は」
「以前、屋敷にお連れになったディア殿のことですか? 彼女のことはお連れになっても構わないとドーラル様より承認を頂いております。ジェン様にいたっては、是非にご出席をと望まれております」
 様々な気遣いにセイは胸を衝かれた。けれど、肝心のディアがいないのではどうしようもない。ゆっくりとかぶりを振って「違うんです」と告げる。
「今、ディアは傍にいなくて……私は、彼女を捜さなければいけないんです」
 すべてを話すには時間が足りなさすぎる。
 セイの言葉をどのように受け止めたのか、イェルドは黙ったまま何の反応も返さなかった。
 沈黙が流れる中でセイは父からの手紙を折りたたんで封筒に入れる。
「ディアが見つかりましたら、必ず二人で祝福に向かいます」
「申し訳ありませんが、セイ様」
 イェルドは立ち上がり、セイの言葉を遮った。柔らかな物腰だが有無を言わせぬ威圧感を感じ取り、セイは口をつぐんで彼を見上げる。イェルドは窓からの夕陽を頬に浴び、静かな瞳でセイを見下ろしていた。
「ドーラル様からセイ様をお連れするようにとの厳命を受けております。ディア殿がお傍におられなくても、私は貴方をお連れしなければなりません」
 セイは黙ったままイェルドを見つめる。
「――私と共にいたフェレーリアは今どうしていますか?」
「あれは私にも扱いが良く分からなかったもので……セイ様の元へ導いたのはあの獣で、しばらくは空で旋回していたのですが、やがてどこかへ飛び去ってしまいました。申し訳ありません」
 セイは視線を落とした。フェレーリアがいないのではディアを捜す効率が落ちる。ラミアスまで戻るにも従来通り、時間がかかる。ますますディア捜しの欠片もしないまま戻るわけにはいかない。けれどイェルドに危害を加えてまで外へ飛び出したくもない。そこまでの体力が失われているのも事実だ。
「イェルド。私は戻れないのです。ディアは自ら望んで私の傍にいないわけではありません。何か、事件に巻き込まれたのです。私が助けに行かないと駄目なんです。お願いですから見逃していただけませんか?」
 どうにか説得しようと顔を歪めて訴えたが、イェルドは無情に瞳を伏せる。屋敷に仕える以上、主であるドーラルの命令に背くわけにはいかないのだ。セイにも分かる。それでもなんとか理解してもらおうと言葉を重ねる。
 結果は、明らかだったけれど。
 翌朝、セイを乗せた馬車がハーレルの町を出発した。