紡ぎ糸のような

【四】

 チェラージと別れたセイは港に戻り、イェルドたちの目を盗んでミフト大陸に渡った。ミフト大陸にはセイの故郷、ラミアス領がある。二つの大国によって支配されている大陸だ。半世紀ほど前に両国の戦争が終わったばかりだが、活気があって平和な国に発展している。これまでセイたちが旅をしてきたスアシャ大陸とは正反対の土地柄だ。
 スアシャ大陸の玄関口である港にイェルドの姿はなかった。ミフト大陸の港に来ても、彼の姿は見当たらない。彼はもう領地に戻っただろうか。
 懐かしい大地を踏みしめながら人ごみを眺め、セイは瞳を細める。
 結婚式は終わっただろうかとジェンを想う。身分ある貴族の結婚式ともなれば、その準備や招待客の到着などで半年かかることもある。ディアを取り戻すまで帰るつもりはないが、やはり帰りたいという気持ちは胸の奥に潜んでいる。
 港町を見回したセイは途方に暮れていた。これからどこへ行けばいいのか分からない。足は自然と、ディアと共に歩いた街道に向かってしまう。野宿でも構わない。少しでも手がかりが欲しい。
 人ごみに流されるようにしながら歩いていたセイは閃いて顔を上げた。
「アイル様なら……」
 昔、世話になった侯爵家の長男を思い出した。他の町に長く留まることはなかったが、ヴァレン領には長く滞在した。アイルはディアを気に入っていたようで、滞在していた間中、楽しげにディアと言葉を交わしていた。彼ならばディアから何か聞いているかもしれない。今後の手がかりになるようなものを。
 他人からディアの情報を聞かなければいけないのは癪に障るが、この際、妙な嫉妬はしていられない。いつまでも一緒にいられると呑気に構えていた自分が憎らしい。そんな保証はどこにもない。
 ひとまずセイは、最短距離でヴァレン領に向かうことにした。

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 ヴァレン領の中心に位置する屋敷。城と呼んでも差支えない大きさだ。
 その領地を預かる若き当主は、セイを見た途端に驚愕した。
「アイル様。お久しぶりです」
 港町から馬を走らせ続けてきたセイには疲労が色濃く浮き出ていた。
 久しぶりの訪問に喜んでいたアイルだが、セイのそんな様子に絶句したようだ。驚きを隠せないでいる。
「どうしたんだ、お前……いったい何が……?」
「どうしても、お尋ねしたいことがございまして……」
 アイルに謁見の許可が取れるまで宿を取り、そこで体を清めてきたのだが完璧とはいえなかった。以前にはなかった疲労が蓄積し、今のセイからは覇気が失われている。
 アイルは訝しげにセイの顔を覗き込んで椅子に座らせた。その正面に自分も座り、セイの話を促した。
「前にディアと来た時のことなのですが……何か、聞いていませんか?」
 唐突な話題にアイルは瞳を瞬かせた。セイの傍に背の高い女性の姿がないことを気にしていたが、まさかセイからそのような質問をされるとは思ってもみなかった。
「何か……って?」
「ディアに関わることです。なんでもいいんです。彼女に繋がることなら、どんなに小さなことでも……」
 性急な質問に呆気に取られる。セイらしくない。直ぐに答えを求めようとし、相手に考える時間を与えない。けれどその口調からディアのことを察したアイルは眉を寄せて息を吐き出した。
「なこと言われてもなぁ……」
 困惑して顔をしかめるアイルを、セイは縋るように見つめた。
「お前以上にディア殿を知っている奴なんて、いないと思うぞ?」
 セイは唇を噛み締める。自分だってそう思っていた。他人に聞かねばならないこの状況はひどく悔しい。ためらってなどおらず、ディアのことをもっと良く聞いておくんだったと後悔ばかりが降り積もる。
 ディアとは約束をした。守るつもりのない約束など、ディアがするとは思えない。
 顔を俯けるとアイルは困ったように頬を掻いた。
 しばらく沈黙が流れ続ける。政務で忙しいアイルをいつまでも拘束しておくわけにはいかない。以前会ったときより遥かに忙しい毎日を送っているようだ。
 セイは追い詰められたような気になって話を打ち切ろうとした。あては何もないが、アイルを政務に戻らせなければと立ち上がろうとした。
 その瞬間、アイルが何かを思い出したかのように「あ」と声を上げた。半ば絶望的な気分になっていたセイは顔を上げる。
「ハーストンから聞いたんだが、ディア殿はティイバーレに縁があるんだって? そっちに知り合いはいないのか?」
「ティイバーレ?」
 聞いたことのない地名だった。ディアからも聞いた覚えはない。首を傾げるとアイルは落胆した。
「違うのか。あとはこれと言ってなぁ……」
「いえ。私が知らないだけかもしれません。ハーストン先生はなぜそのようなことを?」
「待ってな。ハーストンを呼んでやる。俺も一回聞いただけでうろ覚えなんだ」
 アイルは嬉々として部屋を飛び出した。その後を追いかけようとしたセイだったが、思いとどまって椅子に座り直す。公務の邪魔をしているのは確かなため、これ以上の勝手は慎もうと思った。
「ティイバーレ……」
 アイルが出て行ってからの間を埋めるため、呟きを零す。何度か呟き、必死にその言葉に繋がる糸を見つけようとする。しかしディアからその名称を聞いたことは、やはり一度もない。どの場面にもそのような名前はでてこない。
 溜息を落としたセイはふと思い出した。
「あれ……? そういえば」
 何かが琴線に引っ掛かった。
 セイはイェルドから取り返していた荷物の一部を引き寄せた。そこから小さな紙切れを取り出す。
『ティイバーレ=ディーラリア=セイン=アーネット』
 セイは瞳を見開かせた。
 それは各地の酒場を回って貯金を下ろすとき、使った暗号だ。
 何の意味があるのだろうと思っていた言葉だが気に留めず、ただディアのところに早く帰ることだけを考えていた。暗号のことなど今まで忘れていた。
 ようやくその意味が分かり、セイは喉を鳴らした。最初の言葉は地名だったのだと納得する。他の言葉も何かの地名だろうかと記憶を探る。どれも聞いたことのない言葉ばかりだ。世界地図を引き出して一つ一つ当たった方が確実かもしれない、と気が遠くなるようなことまで考える。
 ディアの故郷には、他の国にはない様々な伝統や因習があるとも聞いていた。ポツリポツリと旅の合間に洩らしていたことだ。
 セイの故郷までには伝わらない伝統や因習。恐らく、人との行き来が少ない隔たれた国か村なのだろうと思う。人の行き来が盛んであれば伝統は周囲に広まり、意味のない因習は自然に淘汰されていく。
「ええと、あとは……」
 必死に手がかりを探していると扉が開かれた。顔を上げるとハーストンがいた。剣技の指導中だったのか戦闘装備をまとったままで、顔から湯気が上がりそうなほど顔を真っ赤にさせている。
 セイは急いで立ち上がった。
「お忙しいところ申し訳ありません。ハーストン先生」
「なぁに。そろそろ休憩を入れようと思ってたところだったからな。アイル様の呼び出しとあらば公然とさぼれて、いい口実よ」
 ハーストンは豪快に笑い、セイの正面にあるソファに腰を下ろした。彼は重たい装備ごと柔らかなソファに沈み込む。
「アイル様から話は聞いてる。ディアのことに関してだろう?」
「あの。アイル様は?」
「公務に戻られたよ。来る途中でカルザに見つかってな。来年の予算案など、忙しいらしいぞ」
 暗に責められている気がして、セイは申し訳なさを覚えて頭を下げた。そんな彼の肩をハーストンは強く叩いて慰める。
「気にするな。それで、ディアのことなんだが」
「はい」
 セイは背筋を伸ばしてハーストンと視線を合わせる。どこまでも礼儀正しいセイにハーストンは少しだけ苦笑し、口を開く。
「ディアが持っていた剣の拵えに、ティイバーレに伝わる技法が施されていたから、俺は奴がティイバーレ地方の出身なんじゃないかと見当をつけたんだ。ほら、あれあるだろう、スアシャ大陸。その東側にある地方だよ。昔は結構な大国として名を馳せていたらしいが、最近じゃ荒れてきてるらしいぞ。興味ないんで忘れたがな」
 まさにその大国の名前を聞こうとしていたセイはあっけなく躱されて脱力した。
 だが、次の行き先の見当はついた。ティイバーレ地方。奴隷商人たちに攫われた場所よりも更に東だ。
「あの、ハーストン先生。他に、ディーラリア=セイン=アーネットという名前にお心当たりはありませんか? 地名なのか、それとも誰かの名前なのか、もしくは全然別の国の言葉なのか……」
 ハーストンは腕を組んで唸り声を上げた。結構な時間を悩み続けたが、やがてお手上げ、というように両手を挙げた。
「すまんな。分からんわ」
「いえ。それならいいんです」
「あの地方はけっこう謎が多くてな。何にしてもそれがディアに関わるんなら、やっぱりあっちの言葉なんじゃないかと思うぞ。現地人に尋ねた方が分かりやすいんじゃないか?」
「ええ……」
 セイは頷きながら紙を畳み、荷物に仕舞い込んだ。
「セイ。世界地図は持ってるか?」
「いえ。いま持ってるのは大陸地図だけで……」
 それも自分のものではない。先日チェラージが渡してくれたものだ。荷物の中に入っているだろうが、そういえばまだ開けて見てもいなかった。
 言われるまま地図を探し出したセイは、テーブルに広げてみて驚いた。いままで酒場で書き写してきた地図とはあまりに違う大きさだった。描かれる情報も、詳細な物がほとんどだ。占い師をしていると些末なことまで分かるのだろうか。
「おう、なんだ、ちゃんと載ってんじゃねぇか。ほれ、ここだ」
 無骨な指が示す場所を見れば、スアシャ大陸の東端に小さく『ティイバーレ地方』と記されていた。
 それだけではない。他の場所に関しての情報も詳細が記されていたが、ティイバーレに関しての情報の多さは他の比ではなかった。ティイバーレに関しては別途、地図もある。そこには更に細かな市街地の様子まで描かれており、小さな町の名前まで記されている。
「こりゃすげぇ。ここいらは荒れててなかなか辿り着けないっちゅー話なのに、よくもここまで調べられてるもんだ」
「ええ……」
 セイ自身驚いていた。チェラージは何者なのだろうかと思う。ティイバーレに関係している人間だということは間違いないだろう。
 眺めていたセイは、一つだけ気になる点を見つけて指差した。
「先生。これって、どこの都市でしょう?」
 ティイバーレを中心とした拡大地図だ。中央より少し東にずれた場所に、他と色を変えた点がつけられていた。他と区別するために色を変えたのだろう。しかし点がつけられているだけで、そこに関する情報はない。名前も記されていない。だが、妙に気にかかる。その点を中心とした周囲は山に囲まれ、どこの国にも属していないようだ。
 ハーストンは示された場所を見つめると、考え込むように唸った。
「うーん。なんだったっけかなー。俺が覚えてるのと地形も変わってるっぽいしなぁ……うーんと」
「あ、いえ、覚えておられないのなら、後で自分で」
「いーや、思い出す。思い出すぞー。ちょっと待ってろよー」
 セイから地図を奪ったハーストンはしきりに首をひねっていた。そうして地図を顔から離したり近づけたりする。騙し絵ではないのだからそのようなことをしても何かが浮かぶわけではないのだが、セイは気付かないふりをして嘆息した。放置されていた水を飲み干す。ぬるい液体が喉を滑る。
「ちょっと待ってろ」
 ハーストンは唸ることに飽きたのか、重たい装備を抱えたまま部屋を出て行った。
 セイは頷いて部屋に残る。
 ハーストンが持って行ってしまった地図とは別の世界地図に視線を向け、ぼんやりと眺め続ける。まだ行ったことのない場所ばかりだ。自分たちが旅をしてきた範囲は世界規模で見るとずいぶんと狭いのだと分かる。ディアはこれからどこへ行くつもりだったのだろうか。全世界を回るつもりだったのだろうか。これまで彼女が辿ってきた道はどこなのだろうか。そういうことすら、ディアとは話をしていないと気付く。
「ほーらあった。俺の記憶力もまだまだ現役だなぁ!」
 嬉しそうに大声を上げてハーストンが戻ってきた。出て行ってから今まで、結構な素早さだ。現役時代はまだ続いているとでも言いたげだ。
 目の前に広げられる地図。埃が舞って、セイは顔をしかめる。軽く咳をしてから地図を見やる。
 ずいぶんと古い地図だった。端の方が黄ばみ、現在の世界地図と名前が違う町もちらほらと見られる。この地図はハーストンが昔に使っていた地図なのだろうか。
 町の名前や配置は変わったが、唯一変わっていない大陸を見ながら今の地図と見比べ、ハーストンはニヤリと笑みを刻んだ。
「タラッチェ王国」
 古い地図には、ティイバーレ地方最大の国として描かれていた。
 現在の地図には見る影もない。戦乱に巻き込まれて国名も明瞭としていないのが現状なのだろう。得意げに指されたその場所を、セイは凝視した。
「聞いて驚けセイ。この国には太古の魔法が残ってるって話だ」
「……え?」
 心臓が音を立てた気がした。
 ハーストンはセイの様子に気付かず、笑って続ける。
「まぁ今は滅んでるかもしれないがな。行ってみる価値はあるだろう」
 魔法なんて永遠の憧れだよなぁ、などと楽しげなハーストンをよそに、セイは一人、ディアの剣を思い出していた。守護魔法がかけられていると言っていた剣。もしもあれが祖国の忘れ形見だとしたら頷ける。ずいぶんとディアに近づけた気がした。
 しかしディアがその国の出身で、守護魔法がかけられた剣を持っていたからと言って、やはり彼女が姿を消す理由は思いつかない。
「ま、そういうこった。ところでセイ。ディアを迎えに行くなら早いとこ出発したほうがいいぜ」
 突然の囁き声にセイは首を傾げる。ふざけた雰囲気は失せて、真剣な眼差しがセイを捉えている。
「ラミアスからの使者がこっちに向かってるらしい。カルザは報告するつもりだが、アイル様はお前のことを報告すべきか迷ってらした。カルザは融通が利かない奴だからな。お前、ここでラミアスの使者に会うわけにはいかないんだろ?」
 セイは憂いて視線を落とす。
「……はい。ご忠告ありがとうございます」
 頭を下げると額を小突かれ、セイはそのまま顔を上げさせられた。目の前で笑うハーストンの顔がある。
「お前は俺が指導した中で一番筋が良かった。負けるな。また、遊びに来いよな」
 セイは瞳を潤ませて頷いた。
「ご教授感謝いたします」
 深く頭を下げて、セイはヴァレン領を後にした。