紡ぎ糸のような

【八】

 闇の中に浮かび上がる巨大な紫水晶。
 ディアという糧をその内に封じ込めたまま静かに君臨している。
 玲瓏と輝きを放つそれにセイは最初、ただ単に綺麗だなと魅入った。しかしその内側にディアの姿を確認した途端、驚き走り寄る。閉じ込められているディアはどう考えても呼吸ができていない。早く出さなければ窒息してしまう。
 剣を構え、強引に水晶を叩き割ろうと考える。
「はっ。ようやく魔導師さんのお出ましっすか」
 走り出したセイの襟首を掴んで引き止めたのはバッファだった。呑気な声を上げる彼を剣呑に睨もうとしたセイだが、目の前を走った閃光に息を呑む。閃光はセイがいた場所に落ちて床を抉る。
「愛しい女のためなら火のなか水のなか。けど今のなかを潜ろうってんならあっと言う間に昇天しちまうからなぁ。俺様に感謝しろ」
 笑うバッファにセイは瞳を瞬かせ、ジェイダは物凄く嫌そうな視線を向けた。
 ただ止めるだけなら襟首を掴まないでも良かっただろうに。もしかして先ほどの意趣返しだろうかと考えながら、セイはバッファの手を払う。閃光が放たれた方向に視線を向ける。
「その水晶に触れることまかりならぬ」
「国が繁栄するための大切な基盤」
「動力がなければタラッチェは滅ぶ」
 水晶の周囲に三人の老人たちが現われていた。
 彼らの頬は痩せて目は落ち窪んでいた。けれど闇の中でも爛々とした光は失わない。彼らはディアの命ひとつで本当にタラッチェが滅びないと信じているのか。
 セイは浅ましさに唾棄したい気分を抱えながら、彼らを睨みつけた。
「人の命を糧に栄える王朝など長続きしません。来るべき刻が来ただけなのでしょう」
 ジェイダとバッファは「そういうこと」と笑って頷き、セイと魔導師たちの間に立ちはだかった。
 新たな魔導師が生まれようと、彼らは自分の命を守るために王都を脱出する。人の命を糧として国が栄えるなら、糧とする人の命がなくなれば国は滅ぶ。
 現れた魔導師たち三人は恐らくタラッチェで最後の魔導師たちなのだろう。
 アーネットを含む四公のうち三人。そのすべてが魔導師。
 勢いでいえばジェイダやバッファの方が魔導師としての格を感じさせた。
「それでも、我らには神がついている。その娘で最後なのだ。彼女が誠に巫女としての役目を全うすれば、タラッチェは再び栄華を取り戻す」
 三人の内、一人の姿が掻き消えた。セイは分からぬまま本能に従い、とっさに剣を構えたまま身を屈める。一瞬遅れてジェイダが慌てて振り返る。その間にセイの頭上を鋭い烈風が吹き抜けていった。抜けた風は闇に埋もれた床に激突し、呆れるほどの威力を保ったまま床を抉り取った。
 セイは奥歯を噛み締めた。当たれば命はないだろう。改めて魔導師という者たちの力を見せ付けられる。彼らに有効な対抗手段をセイは持っていない。
「……ディアは私にとって必要な人です。不幸になると分かっているこの国に置くわけにはいきません」
「そういうこった」
「同じ男として俺らはセイの味方をしてやるぜ。どっからでもかかってこいよ、ジジイども!」
 待ちきれなかったかのように、ジェイダもバッファも嬉々として床を蹴った。
 手近な魔導師二人に飛びかかったが、魔導師たちは姿を揺らめかせて消えた。ジェイダたちの背後に現れる。だがジェイダたちはそれすら計算していたのか同時に振り返り、両手に光を凝縮させた。魔導師二人が反対に慌て、ジェイダとバッファを魔法による圧力で叩き落す。
 否、叩き落されたのはジェイダだけで、バッファは寸前でそれを避けて、非常に好戦的な笑みを浮かべたまま魔導師の一人へと体当たりした。
 魔法を持たなければただの老人だ。
 巨漢のバッファに体当たりされた魔導師は呆気なく吹っ飛んだ。その姿は闇に消える。しかし安堵する暇もなく別の魔導師たちに連携をかけられた。バッファは眉根を寄せて飛び退いた。今までバッファがいた床からは鋭い氷の槍が幾本も飛び出してくる。
「贄となるべく選ばれた者だというに……!」
「おのれ、サミリア。情に溺れた愚か者が……!」
 ジェイダとバッファの瞳から笑みが消えた。老齢の魔導師たちを威圧するかのような存在感が生まれる。魔導師たちは一瞬だがその空気に飲み込まれた。
「与えられた椅子に満足してる馬鹿どもに言われたくねぇ」
「主殿を愚弄されて黙っていられるほど破綻してるわけでもないんでね」
「あのときの恨み、倍にして返してやるぜ!」
 三人の魔導師たちのうち、一人に視線を固定してジェイダは怒声を上げた。


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「触れるでない!」
 ジェイダとバッファが大活躍するなか、今のうちにディアを救出しなければと水晶に走っていたセイは、横なぎに放たれた烈風を慌てて飛び越えた。次が来ることも予想して後退し、続けざまに放たれた風の錐も避けきった。金の髪が羽のように舞うが、今のセイにはそんなことを気にする余裕もない。
 端の交戦に気付いたバッファが援護の魔法を放つが、老齢の魔導師は手にしていた杖で勢いよくそれを弾き返した。返された先でバッファが「なんだその反則技は」と悲鳴を上げる。
 バッファが作った隙をみて水晶に近づくセイだが、今度は別の衝撃に息を詰まらせた。
 いつのまにかジェイダが見逃した魔導師の一人が近づいてきており、セイの背中を殴ったのだ。とても老人とは思えない強い力。セイはなんとか転がることを避けて後退し、素早く体勢を立て直す。
「しつこいです!」
 苛立ちも込めて、再び放たれた烈風に剣を振るう。握っていたのはディアの剣だった。まさか効果があるとは思わなかったが、風は真っ二つに斬られ、セイの耳を掠めて背後の闇に激突した。セイも魔導師も驚愕する。逡巡しながらも魔導師が次の攻撃にと炎を生み出し、セイが再び剣を構えたとき、魔導師は横からジェイダとバッファに体当たりされた。
 セイは呆気に取られてそれを見ていたが、ジェイダに早く行けと促されて微笑む。
 もうなんの障害もない。背後で放たれた力はジェイダとバッファが相殺し、セイはディアから預かっている剣を勢い良く振り上げる。ディアを閉じ込めている水晶に、勢い良く叩き付けた。もちろん、ディアに何の影響もないように充分な配慮をした上でだ。
 声にならない魔道師たちの悲鳴と、セイが剣をぶつけるのは同時。
 渾身の力を込めたセイだが、まさか一振りで水晶が壊れると思っていない。再び剣を振り上げようとし、そこで双眸を瞠った。
 剣が触れた箇所から亀裂が走る。それは水晶全体に及び、一つ二つと亀裂によって引き起こされる音は数を増し、さんざめくようにして急速に解放へ向かっていく。
 亀裂が走る場所からサラサラとした水が零れ落ち、やがて内部からの圧力に耐え切れなくなったのか、亀裂の走った水晶は綺麗に砕け散った。小さな宝石の欠片となったそれらはディアと共に降り注ぐ。床に落ちる前に水に戻り、バタバタと雨を降らせる。
「ディア!」
 衣装を翻しながら真っ直ぐに落ちてきたディアを受け止めた。冷たい体に気付いて背筋が震えたが、セイは強く抱きしめた。
「奪還完了! 道を繋ぐぜ、セイ!」
 ディアに触れた途端にも傍へ移動していたジェイダとバッファが言葉少なにセイの肩に手を乗せた。その瞬間、セイは頭の奥が歪んでいくような錯覚に陥って目を閉じた。腕に抱いたディアだけは放すまいと必死で抱きしめる。周囲の音が遠ざかる。しゃがれた魔導師たちの声がどこかに木霊する。けれどそれらもやがて聞こえなくなり、辺りはまったくの無音となった。
 セイは眩暈がおさまるのを待ってから瞼を開けた。
 腕には変わらずディアがいる。青ざめた白い顔のまま瞼を閉じている。
 場所は『奥』へ進む前にある王宮の一室。ときおり廊下から兵たちが走り回る音が聞こえてきた。鎧が擦れる音が反響している。
 セイはディアを抱えて扉の影に回りこむ。そうすれば勢いよく部屋の扉が開けられても、一瞬ではあるが扉の影に隠れていることができる。見つからなければそれでいいが、見つかった場合は奇襲をかけることができる。高鳴る心臓をなんとか宥めながら呼吸を整える。
 ジェイダとバッファは同じ場所にいなかった。もともとそういう作戦だ。彼らはいまだ奥で魔導師たちと交戦を続け、足止めしているはずだ。
 王宮の奥は限られた者しか入ることができず、出ることも叶わない。サミリアからそう聞かされていた。その理を無理にねじ曲げる魔法を施し、サミリアはセイたちを送り出した。だからディアを取り戻したなら最優先で部屋を出なければならない。居てはならない者たちの存在は、魔法がかけられた奥の部屋には負担となり続ける。長居すれば必ず何らかの障害が生まれるだろう。そのため、セイとディアだけを先にこの部屋に転送するという作戦だった。
 セイたちが現われた床には、バッファの文字で小さな魔法陣が仕掛けられていた。一度きりしか発動しないようなカラクリのそれはすでに消えて痕跡がない。外ではサミリアがフェレーリアを用意しているはずだ。
 作戦を立てた当初、ジェイダたちを残しても大丈夫なのかと心配したが、そこはサミリアが太鼓判を押した。それどころか「一度痛い目を見ておいた方が後学のためかもねぇ」という、どこまで本気なのか分からない言葉までつけてくれた。
 彼らの恩に報いるためにも、絶対にディアを安全な場所まで連れて行かなければいけない。魔導師相手は不可能でも、騎士たち相手なら負けるつもりはない。
 セイは転送のために乱れていた呼吸を整えてディアを見下ろした。
 ディアはまだ意識を失ったままだ。
 全身水浸しの状態で、むき出しの肩に触れると氷を掴むように冷たい。セイの服にまで冷水が浸透して体温が下がっていく。純白の衣装はまるで死装束のようで不安を煽られる。
 それでも、やっと取り戻した。
「ディア」
 脈を取ると確かな鼓動が響いてくる。その強さにようやく安堵して微笑む。強張っていた顔の筋肉が引き攣るような、妙な感覚だ。
 ディアを抱えたまま大勢の騎士たちを通り抜けるのは難しいが――と、セイは決して不可能とは思わぬまま首を傾げて瞳を瞠った。
 腕の中で微かにディアが動く。見守るなかで薄っすらと瞳をあけ、琥珀の双眸がセイを見上げる。喜びと不安が同時に押し寄せる。ディアはまだ夢現の状態のようだ。呆然としたようにセイを見つめ続ける。
 セイが抱えなおすと距離は縮まり、それをきっかけとしてディアが腕を伸ばした。
「夢など……いらない」
「夢じゃないです、ディアッ」
 弱々しい声で呟くディアの手を掴み、セイは必死で呼びかけた。
 ディアの瞳にはどこか諦めが宿っていて、ようやく目覚めた意識を深く眠らせようとする。そうすれば彼女が死んでしまうような気がして、セイは必死で呼びかける。掴んだ手を温めるように自分の頬に当てる。冷え切ったディアの手を掴んでいると、まるで凍傷になってしまいそうな思いを抱く。それでも放すことはしない。
 こちらの体温などなくてもいい。ディアが生きて、隣にいてくれるなら、代わりに体温のすべてを捧げてもいいのに。ディアはそんな想いも露知らず眠りに落ちようとしている。きっと、二度と目覚めぬ眠りに。
 王宮の奥で感じた絶望を知らないだろう。
 見えているのに届かない。分かっているのに助けられない。
 なによりも守りたいと思った女性が目の前で震えているのに、ただ見ているしかできない自分の無力さがこんなにも悔しい。ようやく取り戻し、ようやく手が届くようになったのに、それでも今度はディアに否定される。
 夢など、こちらから願い下げだ。
 見る間に視界が滲む。ディアの頬を掠めて涙が落ちる。瞳を閉じようとしていたディアが気付いたようにまた瞼を上げ、セイを見つめた。その瞳が見る間に正気を取り戻していく。驚いたように双眸が瞠られる。掴んでいた手に力が入る。
 セイは微笑みかけ、ディアを床に下ろして壁に寄りかけた。
「……なぜ、ここにいる……」
「追って来ましたから」
 思うように動かないらしいディアの手を握る。微笑んで告げるとディアの顔が歪む。その表情は知っている。いつも、涙など人に見せようとしないディアが、泣くのを我慢する表情。今は体の自由が利かないため、顔を背けることもできない。
 セイはディアの前に跪いて口付けた。冷たい唇に触れる。一人ではないから、もう強がる必要もない。夢ではない。あたる頬が熱を持つ。
 衝動的に何度か深い口付けを交わし、ディアを抱きしめると応えがある。胸が熱くなる。
「悪かったな」
 擦り寄るように頭を押し付けられた。小さいけれど確かな言葉にセイは瞳を瞬かせた。思わず窺うとディアはいつもの覇気を失い、視線を彷徨わせている。それでも頬には赤味が戻っている。
「大丈夫です。もう少し先でフェレーリアとサミリアさんが待っていますから。それまで我慢して下さいね」
 ディアは何かを言いたそうに口を開いたが、セイは素早く抱え上げて口付け、黙らせた。真っ赤な顔で唖然と見つめてくるディアの視線が愉快だ。思わず喉を鳴らすと殴られる。それでも笑うと諦めたのか、ディアはセイの肩に顔を預けて大人しくなった。
 セイは胸を熱くした。これまでこうしてディアを守る機会などあっただろうか。ディアはいま全幅の信頼を預けているのだ。そう思えば愛しさも倍増した。なんとしても守りきらなければと決意を改め、前を見すえる。いつもは目の前にあるディアの背中は、今はない。不安はもちろんある。けれどその代価が腕の中にいるディア自身ならば、この不安は大きい方が、きっといいのだ。


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 城の見取り図をあらかじめ頭の中に入れておいたセイは、それほど混乱することもなく最短距離で城外へ出ることができた。ディアの記憶も頼りにした。
「ディーラリア! 久しぶりだねぇ!」
「……サミリア」
 城門で待っていたのはサミリアだった。頭から黒いローブを被った彼女は完全に闇に紛れており、しばらく目を凝らしてもそこにいると分からなかった。魔法による目晦ましがかかっていたのかもしれない。だが隣に飛翔準備を整えたフェレーリアがいれば、幾らサミリアが姿を隠そうと人の注意は引いているだろうが。
 サミリアは嬉々としてセイたちに走り寄ってきた。セイの背後に迫っていた兵をことごとく追い返してディアに抱きついた。魔導師とは反則技ばかりだ、とセイは遥か後方まで押し返された騎士たちに同情の念を向ける。一人いるだけで楽なのだ。やはり戦渦のバランスを大きく崩してしまうのだろう。タラッチェ王が魔導師にこだわった訳も理解できる。
「さ。ここは私に任せな」
 城壁から一歩外へ出ると、町は異様に静かだった。城の騒ぎが城下まで届いていないようだ。魔法による街灯がぽつぽつと照らされているだけで、民家のあかりは強くない。城下を眺めてセイは瞳を細める。
 サミリアはフェレーリアを屈みこませ、その背にセイとディアを押し上げた。
 フェレーリアの脇を叩きながら二人に笑いかける。
「あいつらも派手にやってるようだし、後はあんたらでなんとかなるだろう。会えて嬉しかったよ」
 サミリアを単身で残したまま飛び立とうとするフェレーリアに、ディアは慌てた。
「待て……っ?」
 体を傾げて落ちかけたディアを、セイは支える。
「彼女は大丈夫です、ディア。いま一番心配なのは貴方ですから」
「そういうこったね。黙って養生しなよ」
 セイに続けてサミリアも同意し、笑う。
「だが……っ」
 ディアの叫びは風に消される。フェレーリアが大きく羽ばたいて上昇し、二人には異なる圧力がかけられる。
 セイは冷気と風圧から庇うようにディアを抱きしめた。王都の外れを目指してフェレーリアを駆る。その途中、王宮へ疾走していく馬車が一つ、視界に入る。遠目ではあるが見えた。馬車の家紋はアーネットだ。
 ディアは何も知らずに前を見すえている。どこへ行くのか、フェレーリアの進行方向だけを。その視線が下方を通り過ぎようとしている馬車に向けられることはない。
 セイは言おうか言うまいか迷った。託されたアーネットの言葉を思い出して、結局は口をつぐんだ。もし今アーネットのことを告げれば、ディアは飛行するフェレーリアから飛び降りようとするかもしれない。そうして王宮へ戻る。そんなことにはなって欲しくない。
 セイはディアを抱きしめる力を強めた。ディアが不思議そうに首を傾げる。だがセイは直視することができず、後ろめたくて視線を逸らす。
 フェレーリアは王都を囲む物見の塀へと近づいた。
 ディアははためく衣装の裾を鬱陶しそうに押さえながら、向かう場所を見て息を呑んだ。タラッチェ王国出身の彼女は物見の塀の意味も知っているのだろう。
「セイ。あの壁の上は――」
「大丈夫です、ディア」
 フェレーリアの速度を落とすことはない。
 一度体験した結界という存在の脅威を忘れた訳ではないが、サミリアを信用している。作戦では彼女がこの結界を消す役目を担っていた。それでもやはり気構えてしまうのは一度結界の効果をその身で味わったからで。サミリアが結界解除をしているなど知らないディアなどはもう衝撃に備えるよう体を硬直させてセイに頭を押し付ける。怖がらせるつもりはないが役得ということであえてディアに告げず、セイはディアの髪に頬を寄せる。水晶の中に香水でも混ぜられていたのか微かに花の匂いがした。
 フェレーリアは高い物見の塀を飛び越えた。セイは詰めていた息をゆるゆると吐き出して振り返る。タラッチェはぐんぐんと遠ざかっていく。中央の城では様々な光が明滅を繰り返している。魔導師たちの追尾がないのはサミリアたちが奮闘してくれているからだろうと瞳を伏せて感謝する。
 セイは視線を前に戻し、フェレーリアの先を見すえた。
「なんだ……?」
 ディアはようやく顔を上げた。衝撃がこなかったことに眉を寄せ、不思議そうに首を傾げる。セイはそんなディアに微笑みかけるが、ディアは直ぐに視線を後ろへ向けてしまった。そこにはタラッチェが遠く見えているだけで、ディアは呆然とその様を眺める。
 セイは手綱を握りながらディアを抱く腕に力を込めた。ディアは弾かれたように振り返る。その顔色は当初よりよほど良い。
「貴方の兄に会いましたよ」
「アーネットに……?」
 タラッチェを出て少し経った頃。あくまで先ほど近くにいたことは告げずに報告すると、ディアが呟いた。風でうるさく音を立てる衣装を押さえている。その様子に胸が痛む。俯かれたその表情は見えないが、なぜか彼女が泣いているような気がした。
「ディアを、タラッチェから遠くへ連れ出して欲しいと」
「……あの馬鹿」
 ディアの声が震えた。
「それで、ディア」
 セイは抱きしめたまま囁く。
「私にとっては何ヶ月ぶりかなんですが」
「私にとっては一瞬のできごとだ。昨日はお前の隣に寝たんだ」
 ディアの記憶は止まっているらしい。だが決して本気ではない言い分にセイは笑う。どうやらディアは段々と調子を取り戻してきたらしい。直ぐに言い返される。
「ずっと会いたかったんです」
 しばらくかなりの高度を飛行していたフェレーリアは、見えてきた街道沿いの小屋へ向かって首を下げていた。


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 小屋についたセイは先に自分が飛び降りた。続いて飛び降りようとしていたディアに腕を伸ばす。少しだけ戸惑うような表情をしながらも、ディアは素直にフェレーリアの脇腹を滑り降りた。
 そのままセイの腕に抱えられる。
「歩けるから、下ろせ」
 脇腹から背中に腕を回し、ドレスを巻き込むように足を抱える。
「病み上がりなのですから、無理は禁物です」
「病んでねぇ!」
 身じろぎしても腕は解けない。真っ赤な顔で怒鳴りつける。
 何とかもがこうとするディアだったが、セイはまるで子供をあやすように、そのたびに抱えなおす。
 背後でフェレーリアが一声高く鳴いた。
 飛び立つ音に思わず振り返る二人の前で、一度だけ高く飛翔し、そのまま高度を下げて小屋の裏に回る。その姿を見送るディアだったが、セイは気配で飛び立たないことを知ると、そのまま小屋に入った。
 王宮に入る前に準備していた小屋だ。暖が入っている。
 セイは寝室まで運んで静かに下ろす。そこに至るまでに、ディアはもう疲れたように抵抗をやめていた。肩に頭を乗せるディアを下ろすのは非常に残念だったが、仕方ない。寝台に横たえて髪をなでる。
「具合はいかがですか?」
「どこもなんでもねぇって……」
 その口調にジェイダを思い出して笑うと睨まれた。
「私に魔法のことは良く分からなくて……本当に何ともないんですか?」
「だから、そう言ってるだろっ?」
 ディアは辟易したような顔でセイを睨みつけた。何ヶ月も離れていたというのに、まるで昨日まで一緒にいたように自然な雰囲気だ。とてもディアらしい。
 セイは肩を竦め、とりあえずは納得したように頷く。
 火の加減を見るように、ディアから少し離れて暖炉を覗き込んだ。
 薪が爆ぜる音だけが続く。
 この薪にもサミリアが魔法をかけてくれていた。あまり長くは保たないと言っていたが、少しぐらい人の手が加わらなくても燃え続けるという魔法らしい。酸素の燃焼率を左右させると言っていたが、セイにはあまり意味が分からなかった。説明をするサミリアの隣でアーネットが興味深いように手元を覗き込んでいた。
 今日の午前中のことだったのに、もう今となってはずいぶん昔のことのように思える。
 セイは薪をもう2本、追加する。火はなかなか燃え移らない。
 そのとき、沈黙に耐えきれないようにディアが切り出した。
「よく、分かったな。私があの国の出身だと」
「あのまま別れるなんて絶対に嫌でしたから」
 振り返ると、ディアは寝台に体を起こし、視線を落として俯いていた。疲れているように見える。
 セイは以前までの雰囲気と違うようで、戸惑うように視線を彷徨わせる。淡々と告げる。
「捜さない方が良かったですか?」
「そんなこと言ってないだろっ?」
 即座に怒鳴られた。
 少しだけ安心して笑うと、ディアは苦々しく舌打ちする。睨む瞳には生気が宿っている。
 セイは顔を背けて笑いを殺した。
 そのまま視線を窓に向ける。外は既に深夜だった。フェレーリアが身体を横たえているのも見える。
 明日は更に遠くへ行かなければならない。
「アーネットさんは、私にディアを託してくれました」
 今日はこの小屋に泊まる。下手に遠くへ逃げようとするより、今はこの場に留まっていた方が見つかりにくいと言われていた。これはアーネットの助言だ。もしかしたら彼は今頃、関所などを探させるように指示し、隣国から調べさせているのかもしれない。
「国が落ち着くまで、私はまた会えなくなるのか……」
 零された呟きに視線を向けると、ディアが泣いていた。先ほどまでこちらを睨みつけていた瞳は今はなく、俯いたまま静かに涙を零していた。
 セイは思わず傍に駆け寄った。
 両手で包み込むようにディアの右手を取ると、握り返される。小さく震える様子に声を詰まらせた。このまま抱きしめても壊れないだろうかと悩んでいると腕を引かれる。
 そのまま寝台に乗り上げると抱き付かれた。ディアの顔が当たる部分が酷く熱い。
「あれに閉じ込められていた奴が死ぬのが良く分かった気がする」
「え?」
 囁くように零すディアの背中に腕を回し、首を傾げる。金髪は背中の中頃まで伸びてしまっている。少し邪魔に思えた。
「ずっと悪夢を見せられてた」
 その言葉にセイは顔をしかめた。王宮の奥の、闇の中。泣いていた少女を思い出す。
「セイ」
 呼ぶ声に応えて抱きかえす。しがみつく力がまた強くなる。
「私が、一緒にいますから……」
「……ああ」
 見上げるディアに吸い寄せられるように顔を近づけた。吐息が絡んで離れる。
 ディアがふと笑い、その笑顔に、麻痺していた感情が膨れ上がった。欲望が募る。焼き切れかけていた理性が飛んだ気がした。
 体重をかけて押し倒す。そのまま、両手を絡めて深く口づける。
 近くまで引き寄せて、柔らかな体を抱きしめて。
 二度と失いたくない。抱き合うだけじゃ足りない。この想いがどうしたら伝わるだろう。
「いい、ですよね?」
 それは1つの手段。
 ディアの体がわずかに強張ったことを感じながら、再びキスを落とす。熱を孕む瞳が睨むように見上げてくる。
「わ、私に聞くなっ」
 顔を背けられたので首筋を指先で辿る。
「じゃあ誰に聞けばいいんですか」
「知るかそんなの!」
 指をつかまれ、怒鳴られる。
 セイは声を上げて笑った。
 耳まで赤く染め、ディアは再び横を向いてしまった。体を寄せて首に唇を寄せる。
 視界の隅で、先ほど足した薪が炎に呑まれたのが見えた。
 部屋の温度に慣れて暖かい。ディアの肩も、腕も、頬も。死んでしまうのではないかと思うくらい冷え切っていた体は今は温かい。
 静かに確かめるように手を滑らせていると、再びディアの瞳が向けられた。
 こちらに両腕を伸ばすと頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。かぶりを振り、笑ってディアを強く抱きしめた。