紡ぎ糸のような

【九】

 どれほど長く触れていたか知れない。
 外気が下がると共に室内の温度も下がっているようだ。
 火が消えたあとの部屋は暗く、気付いたセイは微かに身じろぎした。
 まだ夜明け前だった。
 体を起こすとディアの腕が滑り落ちた。体をこわばらせたが、ディアが目覚める気配はない。安堵してディアを抱えなおす。流れ込む冷気が入り込まないくらいに密着する。直ぐに温もりに包まれた。
 いつもは少しの空気の揺れにも目を覚ますディアだが、今は深く眠っているようだ。静かな呼吸を繰り返すばかり。その頬に触れても反応はない。けれど、強い鼓動は密着する肌を通して伝わってくる。
 夢ではない確かな証拠。
 ディアが目覚めないのは安心しているからだと信じたい。
 寝顔を見つめながら、セイはそう思った。
 昨夜から何度も浅い眠りを繰り返し、腕の中にいるディアの存在を確かめている。目覚めた時にまた消えていたらどうしようかという思いがある。抱きしめて眠っても安心できない。泣きたいほどに切なくなる。
「ディア……」
 囁いて抱き締める。
 頬に口づけを贈って寝顔を見つめていると、どうしようもない衝動が生まれてくる。そこには敢えて目を瞑る。今まで以上に独占欲が強くなりそうだ。絡める腕を話せなくなるかもしれない。
 なんだか、今から嫌がられそうな未来予想図だ。
 セイは瞼を閉じながら苦笑した。
 完全に陽が昇るまでには時間がある。サミリアたちが上手く逃げられたかどうかも気になるが、この国からは更に離れなければならない。タラッチェ王国の魔導師たちは、近くにいれば人を捜すことも簡単にやってのけてしまうらしい。たとえ守護魔法がかけられた剣が手元に戻ろうと、安心できない。それでも、まだ少しは時間に余裕があるはずだった。
「セイ?」
 セイは我に返って目を開けた。
 眠そうな瞳をしたディアが眉を寄せてセイを見ていた。目覚めてしまったようだ。慌てて平静を装い微笑かけるが、目の前のディアは途端に不機嫌な表情となった。
 先ほどセイがしたように頬を包み、確かめるように滑らせる。その仕草がくすぐったくて、セイは瞳を細めた。
「まだ怒ってるのか?」
 突然の言葉にセイは目を瞠った。
「怒ってなんか、いませんけど?」
 そう答えると、ディアは諌めるように睨んだ。
「嘘つけ。ずっと怒ってたくせに」
「怒ってなんかいませんてば」
 何を見て怒っていると感じたのか。
 少し苛立ちながら返すと、ディアは口を噤んだ。だが睨みつける強さはそのままだ。沈黙が落ち、甘やかな雰囲気はどこへやら、一転して冷たい空気が流れる。
 離れていてもディアの性格は変わっていない。
 セイはふと苦笑した。見とがめたディアが更にきつく睨む。
「怒ってるというのとは、少し違うと思いますが……」
 溜息をつくように吐き出すと、ディアの瞳が先を促す。真っ直ぐに貫くようなその瞳から視線を逸らす。
「突然いなくなられて、どうしようと思っていましたから……」
「言っておくが不可抗力だぞ」
「分かってますよ。ですから……ディアに怒ってるのではなく、自分に怒ってる……と言った方が正しいような気がします」
 この話はここで終わり、と告げる代わりにディアに体を寄せた。溶けそうなほどの柔らかさに触れる。頬にディアの髪が落ち、くすぐったさに瞳を細める。
「また、ディアがいなくなるのが、怖いです」
「いなくならない」
 肌を滑るようにディアの声が響く。セイの胸に額をつける。抱きしめると応えてくれ、背中に回された腕が温かい。
「お前がいてくれて良かったと思ってるから、多分……いなくならない」
「多分?」
「いや、あー……と」
 聞き返すと焦ったような声を洩らす。セイは笑ってディアを引き上げた。隠すように俯けていた顔は赤い。無理に覗き込まれるとディアは顔をしかめ、その視線が再びセイと絡む。
「私だって、もう、お前がいないのは……嫌だ」
 静かな室内に響いたディアの声。
 セイは思わず拳を握り締めて体を離した。次いで、見上げる瞳に微笑みかける。泣きたいような気分でディアに口づけた。何の抵抗もなく受け入れられる。伸ばされた彼女の手首にも口づけ、脳裏に兄のことを思い出しながら囁いた。
「なら、ディア……私と、結婚していただけますか?」
「は?」
 瞳を伏せようとしていたディアは目を丸くした。甘い雰囲気がどこかへ飛んでいったのが分かった。本気だったセイはためらう。まさか断られるようなことにはなるまいと思っていたが、やはり分からない。ここにきて予測不可能な事態に直面している。ディアを永劫繋ぎ止めておく方法などなく、保険のようなものだった。
 ディアは嫌がるだろうか。
 窺うようにディアを見ると、硬直して動かない。セイは哀しくなって首を傾げる。
「兄が結婚しますので」
「そのついでとか言わないよな」
「ち、違いますよ!」
 言葉の途中で剣呑に遮られ、セイは慌ててかぶりを振った。そんな風に思われるなど冗談ではない。ディアの胡乱な瞳を見返した。
「兄が結婚するので私は自由にできるという意味で言ったんです。絶対、何かのついでで告白なんてしませんよ!」
 ディアは肩を竦めた。その表情は笑いを堪えているようにも見える。
「――結婚ともなればこれまでのように自由に旅を続けることもできなくなるかもしれませんし――あ、いえ、ディアが旅を続けたいと言うならもちろん尊重したいとは思っていますが――」
 ディアさえ良ければ、旅の途中に立ち寄った小さな村でささやかな結婚式を挙げるのも楽しそうだ。知人は呼べないが、村人の多くが祝福してくれるだろう。ディアの笑顔も想像できる。
 だが脳裏に親兄弟の顔がちらつく。彼らはきっと自分たちの支えとなることをセイに望むだろう。これまで好きにさせてもらった分、その想いには応えたい。
「兄が家督を継ぐので、私は屋敷に戻ってもさほど公務に縛られることはないと思います。ディアが窮屈にならないように努力もしますし……駄目でしょうか?」
「いや、駄目っていうか」
「それとも伯爵家の私が公爵家の」
 言い募ると鋭い手がセイの口を塞いだ。手を伸ばしたディアが嫌そうに顔をしかめている。その表情にセイは胸を痛める。断られてしまうだろうかと嫌な動悸がする。
「家は関係ないだろう。だいたい私は亡命したんだ。身分が足りないのは私の方だ」
「なら、答え、下さい」
 口から静かにディアの手を外して促した。
 ディアは視線を逸らせる。
「旅を続けてたのはタラッチェの魔導師たちから逃れるためだ。一ヶ所に留まっていれば私の気配がそこに根付き、魔導師たちも捜しやすくなると聞いていた。国を出た当初は宿に泊まる真似なんてできなかった。ただひたすらタラッチェから遠くに逃げることだけを考えて、野宿が当たり前だった。今回こうして国に連れ戻されて、アーネットに衰退ぶりを聞かされて――私を逃した今、もうタラッチェも長くないだろうと思う。魔導師たちはあいつらで最後だと言っていたし、アーネットなら必ず国外に出さない。私さえ外に出てしまえば何とかなるだろう」
 それでも、騒動を起こした直後の今はタラッチェから遠く離れなければ、安心はできないが。
 言葉にされないアーネットへの想いを汲み取って、セイはディアの目尻に口づけた。ディアは微かに首を動かして瞳を瞬かせる。
「国を出たときは、タラッチェからの追手が恐ろしくて、留まることなんかできなかった。留まってしまえば私の気配は強くなる。守護があっても連れ戻されると聞いていたから。だけど、旅が長くなるにつれて、どこにも留まれないことが、時々ひどく苦痛だった。それでも留まることはできないと、歩いてきて」
「私なら大丈夫ですよ。すべて知っていますから。タラッチェのことも、ディアのことも。遠ざけるようなことはしません。もしも魔導師たちが来たとしても、絶対に渡しませんから。それに、ディアだって、ただ守られてるような女性じゃありませんよね」
 ディアは嬉しそうに笑ったあと、ふと眉を寄せた。
「そういえばお前の父に、かなり乱暴なことしたな……」
「気にしてるんですか? ディアが?」
 唸るような声音にセイは思わず聞き返した。赤い顔のディアに睨まれる。
「二度と会わないからいいだろうと思ってたんだよ、あの時は」
 しまったな、と眉を寄せながら呟くディアにセイは微笑んだ。
「誤解は解けてると思いますよ。あれから何度か手紙を送りましたから」
「……は?」
 ディアの瞳がセイを捉える。そこには「まさか」と嫌な予感が宿っていて、セイは笑みを零しながらディアの額に手を当てた。
「ディアは不器用で照れ屋ですけど、ただ乱暴なだけではなくて相手のことをしっかり考えてますから安心して下さい。子どもが出来るとしたらきっと可愛い子どもですよねって、送りました」
「おい!」
 ディアは最後の台詞に目を剥いて怒鳴った。セイは喉を震わせて笑う。
「それで、ディア。答えは?」
 自分は告白したのだから、ディアからもハッキリとした言葉で聞きたい。
 黙りこむディアを窺いながら待っていると、ディアは諦めたかのように溜息をついた。
「お前から離れるのは嫌だと言っただろう。タラッチェからの魔導師を認めた上で留めてくれるなら、否はない。私は一緒にいられればそれだけでいいが、結婚がお前なりのけじめだと言うなら付き合ってやる。それで、お前は安心するのか?」
 セイは目を丸くした。いくら抱きしめていても不安で、空虚さが埋まらない。またいなくなってしまうのではないかという恐れがどこかにある。それを埋めるための形式が必要で、あえて結婚という言葉を使った。言葉にされない思いもディアは汲み取って頷いてくれた。
 セイは嬉しさに泣き笑いのような笑顔を浮かべた。結ばれた約束は絶対のもの。恐らくこれからも不安は抜けないだろうが、ディアが隣にいることを望み続けてくれるよう、努力しようと思う。涙は出ないが胸が締めつけられる。
 ディアの肩は剥き出しのまま空気に触れていたため冷たくなっていた。包み込むように抱きしめて口づける。それを深めると、意味に気付いたディアが焦ったように抵抗した。
「ちょっと待てっ。もう明け方」
「時間なんて関係ありませんよね」
「あのなっ」
「図々しくなってもいいと言われたので返事は聞かないです」
 昨夜の言葉をいいように拡大解釈して笑い、ディアの耳に唇を近づけ囁いた。
「そばにいてくださいね」
「ぐ……」
「愛してますよ、ディア」
 ディアの体が震えた。微々たる抵抗も、簡単に封じて抱きしめた。


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 乱暴に扉を叩く音でセイは目覚めた。
 なんだろうと起き上がったセイは、隣で眠るディアを見る。高くなった陽の光を浴び、白い頬は透き通るようだ。旅をしていた頃は褐色に近く焼けていたのだが、水晶に封じられて抜けたのだろう。視線を滑らせ、白い肌のそこかしこに自分の痕を見る。指で触れると鬱陶しそうに払われた。眠っているので無意識だろう。
「あとで怒られるかな……」
 決して恐れる気持ちではなく微笑みながら呟いたとき、再び乱暴に扉を叩く音がした。ディアが煩そうに寝返りを打つのを見て、セイは慌てて寝台を下りた。ディアに布団を被せて身支度を整え、寝室を出ると玄関に向かう。
 ――誰だろうか。
 もう陽は高く昇っている。とつぜん入って来られるよりはいいが、ディアが起きてしまう。
「はい、どうぞ……あ」
「遅い!」
 扉を開けた先で怒鳴るのはジェイダだった。不機嫌にセイを睨み、腰に手を当てて仁王立ちとなっている。
「ジェイダ。無事だったんですね」
「当たり前だろう。夜中にタラッチェを出て、ここから少し離れた場所で野営したんだ」
 サミリアもバッファも無事だと聞かされ、セイは安堵した。たとえディアを取り戻すことに成功しても、彼女たちに何かあったら寝覚めが悪い。ディアを取り戻したいまタラッチェに戻ることもできないのだから。
「ったく。サミリアがノックを忘れるなっていうからしてやったってのに、遅すぎる! まさか今まで寝てたんじゃないだろうな?」
「あ、はい……」
「はぁ!? マジかよ、もう昼だぜ、何やってるんだよっ?」
 言えるわけがない。
 ジェイダに忠告してくれたサミリアに感謝するセイだが、どうせなら彼女に来て欲しかったと思ってしまう。
 複雑に微笑んで首を傾げると、ジェイダは不可解な様子でセイを睨み、次いでセイの背後を見た。
「ディアはいないのか?」
 玄関の先は直ぐに居間だ。だがジェイダの瞳にディアは映らない。
「ディアはまだ眠ってまして……」
 ジェイダは眉を寄せた。
「魔法が抜けないのか? サミリアは支障ないって言ってたけど」
「ああ、いえ。確かに直ぐに目覚めましたよ。今はただ、疲れて眠ってるだけです。ディアにとっては今まで色々ありましたから」
 適当に誤魔化し、あながち嘘でもない弁解をするとジェイダは舌打ちした。
「まったく……お前らには危機感がないのか? いくらあの剣があるからって、人海作戦取られたら充分に危ないってのに」
 だが国が混乱しているいま、そんな戦術を使ってまでディアを捜そうとはしないだろう。ディアを見つけるより混乱を鎮める方が先だ。
「サミリアが呼んでんだよ。仕方ねぇな。俺が起こして」
 掻い潜って中に入ろうとしたジェイダを鋭く止めた。手と足を使って彼の通行を妨げる。ジェイダは当然ながら怪訝に見上げてきた。
「……なんだよ?」
「あ、いえ。ディアは私が起こしてきますから」
「手伝ってやるって」
「いいえ。私が起こします」
「なにそんなムキになってんだ?」
 ムキにもなろう。セイは貼り付けた笑顔をジェイダに向けながら外に追い出した。
「起こして来ますから、中には入らないで下さいね」
「あ?」
「繊細なんです」
「は?」
「入ってきたら斬りますよ」
 ジェイダは呆気に取られた様子だが、セイは構わず告げて扉を閉めた。
 ディアを助けるため協力してもらった仲間に酷い仕打ちだとは思ったが、そのようなことをされてはディアが困る。ディアはまだ眠っているはずだ。ジェイダを入れるなどとんでもない。自分の独占欲のためにも見せたくない。
 ジェイダに言葉がどれほどの効力を持つか分からず、セイは急いで寝室に向かった。寝室の扉をあけて目を瞠る。ディアはすでに起き上がり、身支度を整えて寝台に座っていた。腰を屈めながら靴の紐を結んでいる。セイが部屋に入ると僅かに視線を上げて姿を確認しただけで、再び靴紐を結ぶ作業に戻る。
「起きていましたか」
「聞こえていた」
 靴紐を結び終えると立ち上がり、ディアは足に馴染ませるようにつま先を鳴らした。
「おはようございます」
「……おう」
 視線を合わせたディアだが直ぐに逸らされる。物足りなさを覚えたセイだが、ディアの耳が赤く染まっているのに気付いて微笑んだ。
「サミリアさんが呼んでいるそうです」
「ああ……聞こえていた」
 昨日までまとっていた純白の衣装の代わりに、ディアはいつの間に持ち出していたのか、適当に見繕ったセイの服を着ていた。確かにドレスでは動きにくいだろうが、色々と窮屈そうだ。
「ディア。大丈夫なんですか?」
「何が」
 尋ねると睨まれた。セイは微笑んで首を傾げるだけにとどめる。それでもディアはしばらく睨んでいたが、ジェイダが待っていることを思い出したように歩き出す。振り返ることはない。セイは整えられていた荷物を持って追いかけた。


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 ジェイダの先導のもと、ディアとセイはフェレーリアを駆った。
 フェレーリアの背中に乗るのはディアとセイだけだ。ジェイダは自ら空を飛んでいる。かなり異様な光景だがいつの間にか慣れている自分に気付いてセイは驚いた。
 ディアはもとより慣れているのか、セイのように驚きを表に出していない。なにやら真剣な様子で手綱を握り、前を睨み据えていた。
「けっこう飛びますね」
 セイの声は風に流されて、すぐ前に座るディアにも届かなかった。
 振り返ると小屋はあっという間に見えなくなっている。遠くから見えていたタラッチェの城も、今では見えない。サミリアはとても力の強い魔導師だということが、急に実感として湧いてきた。
 やがて眼下に森が広がってきた。その一点に、切り開いて出来たと思われる広場が見える。どことなく見覚えがあるような場所に瞳を細め、その広場に石造りの劇場を見て瞳を瞬かせる。森は最近、焼けたような様相を晒していた。
 見極めようと瞳を凝らした途端、フェレーリアが下降した。
 慌てて鞍に備え付けの取っ手を掴み、セイはディアが握る手綱を片手で握る。ジェイダはいつの間にか下降していたらしく、フェレーリアの影に隠れて見えなかった。
「ああ、あの森ですか……」
 風が止んできたためセイの呟きが聞こえたのか、ディアの視線が振り返った。小さく頷きを返す。ディアのことだからセイよりも先に気付いていたのかもしれない。否、奴隷商人たちに売られたときから、位置関係は把握していたのかもしれない。
 フェレーリアが降り立とうとする先には先ほどの石造りの劇場があった。その舞台には二つの影が佇んでいる。フェレーリアを見上げて笑みを浮かべる黒髪の美女と、彼女の隣に立って億劫そうに腕を翳す青年。サミリアとバッファだ。
「サミリア!」
 ディアはフェレーリアが完全に地面に降りる前に飛び降りた。手を伸ばしかけたセイだが、サミリアが両腕を広げて受け止める姿勢を見せたことに気付いて腕を戻す。風に揺れた手綱を掴んでフェレーリアを地面に着地させた。
「元気そうだね、ディーラリア」
 魔法でディアの落下速度を弱めたのだろう。サミリアは女性とは思えないほど軽々とディアを受け止めた。ディアは誰よりも溌剌とした笑顔を見せ、サミリアと抱擁を交わす。
 サミリアが女性だとはいえ、セイはディアの積極的で嬉しそうな様子に軽い嫉妬を覚えた。さっそく『嫌がられそうな未来予想図』の一つが現実となる。
「二度とその剣失くすんじゃないよ。次は私たちも助けられないからね」
「……ああ」
 父親の形見である剣を指されたディアは神妙に頷いた。サミリアはそんなディアの頭を軽く叩いて笑う。
「それから、アーネットのことだが……大丈夫だろう。あれは強かな男だよ、まったく」
「……知ってる」
 どこか忌々しそうに告げるサミリアにディアは苦笑した。
「あんたは? そっちの旦那と一緒に旅を続けるのかい?」
 指されたセイは瞳を瞠った。ディアは一瞬、物凄く複雑そうに顔を歪めたが頷いた。
「サミリアはどうするんだ? 国を出て、あてはあるのか?」
 ディアは心配そうにサミリアを見つめる。かつてアーネットを見殺しにした敵として憎んでいたが、長い年月が感情を変化させていた。今では同郷のよしみ以上の絆を感じている。アーネットの戦死を心から嘆き、王の政策には真摯な姿勢で対抗したからだ。いまでは同志だと信じている。
 サミリアは軽く笑った。
「あてはないけど、やることがあるんだ」
 言い切るサミリアの瞳には強い光が宿っていた。ディアは何も言えず、ただ見返す。そうしているとサミリアはその瞳をセイに向けた。ディアに向ける瞳には身内に向けるような優しさがあったが、セイに向けられる瞳には険しさがあった。
「ディーラリアを泣かすんじゃないよ、セイ」
「ええ」
 セイは弾むように頷いて約束した。険しいサミリアの表情が解け、嬉しそうに笑う。ディアが横から制止した。
「その名前にはもう縛られない。やっと決まったんだ、私の名前は」
 ディアは促すようにセイへ視線を向け、サミリアもセイを見る。だがセイには何のことだか分からずに首を傾げる。ディアとサミリアには通じるところがあったのか、二人は顔を見合わせて笑った。
「そうかい」
 サミリアは楽しそうにディアの肩を叩いて頷いた。そしてジェイダとバッファを振り返る。彼ら二人はサミリアたちのやり取りを黙って見守っていただけで、介入してこようとはしてこなかった。だがサミリアに視線を向けられた途端、その意図を解釈してバッファは居住まいをただし、ジェイダはもう1頭のフェレーリアの準備を整える。
「私たちはもう行くよ。やることが山ほどあるんだ」
 サミリアは言いながらディアから離れ、ジェイダとバッファの元へ歩く。
 タラッチェ王国の第一級魔導師だったという彼女の背中は凛と伸ばされていた。
「会えて、嬉しかった」
「私もさね」
 振り返るサミリアから感傷は見出せない。楽しげに笑い、先にフェレーリアに乗っていたバッファに引き上げられた。
「じゃあね、ディア。あんたらの子どもが大きくなる頃、また会いに行くよ!」
「ああ!」
 ディアは何のためらいもなく手を振り返す。
 サミリアが従えるフェレーリアが大きく翼を広げた。セイはディアを引き寄せて外套で隠し、その上からセイたちが乗ってきたフェレーリアが翼で二人を庇う。サミリアたちが飛び立つ際の風が二人を包んだ。
 ディアは隠された外套から顔を覗かせ、去っていくサミリアたちを見送った。
「……ついて行きたかったんじゃないですか?」
「私が? まさか」
 辛そうな瞳で見送るディアに尋ねると驚かれ、直ぐに否定された。その瞳には何の嘘も見られない。セイは少しだけ安堵した。
 ディアは笑ってセイの腕を掴む。
「お前の父に、会いに行かなきゃいけないだろ?」
 セイは瞳を丸くして言葉を失くし、次いで微笑み、ディアの手を取ると頷いた。


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 ドーラル=ラミアス伯爵。
 国境地帯の防衛のため、その地を預かる彼は辺境伯とも呼ばれ、戦争が終結して形だけとなった今もその栄華を誇っている。他の伯爵よりも圧倒的な栄華と権力を有した彼は後に侯爵名を授与されたがこれを辞退、それぞれ望んだ妻を娶った二人の息子に領地を分割して相続させた。
 長男ジェン=ラミアスと次男セイ=ラミアス。
 相続して一年も経たず、セイ=ラミアス伯爵は領地と爵位のすべてをドーラル=ラミアスへと返還、ジェン=ラミアスへと受け継がれる。セイ=ラミアスは新たに騎士の位を授けられ、生涯をジェン=ラミアスに仕えて過ごす。
 伯爵位を返上して騎士となった彼だが、仕事場であるラミアス領に留まることは少なかった。国の各地でその可憐な容貌は確認され、噂を振りまくことになる。だがそのようなとき、彼の隣にはいつも、守るように寄り添う女性の姿も目撃されていた。


 END


あとがき