来し方行く末

【三】

 居間に続く扉をあけると温かな空気が体を包み込んで緊張が抜ける。暖炉にはかなりの薪が入れられており、炎は赤々と燃え盛っていた。すこし暖かすぎる気がする。
 おそらくディアの仕業だろう。屋敷に仕える者はいつも適温を保つために細心の注意を払っている。
 視線を巡らせるとソファの背もたれから栗色の髪が覗いているのが見えた。
 他には誰もいない。
 セイは笑みを洩らしてそちらに近づいた。予想通りディアがいる。
 きっと似合うであろう女性用の衣装を片っ端から投げ捨てて屋敷の者たちを蒼白とさせ、男性服を身につけている。衣装を手に睨み寄る侍女たちが勝つのか、頑なに拒否するディアが勝つのか、毎朝戦争のような騒ぎだ。セイはいつもその決着が着く前に屋敷を出てしまうので、勝敗は帰ってくるまで分からない。どうやら今日はディアが勝ったらしい。
 今日はいつ頃まで争ったのかと苦笑し、うたた寝するディアに近づいた。
 近づいても起きる気配はない。火の爆ぜる音だけが響く。セイはしばらくディアの前に立ち尽くして見下ろしていた。
「ディア」
 そっと呼びかけて手を伸ばす。暖炉の火を照り返して赤い頬。触れるとそこだけ熱を持っていた。セイは笑いながらソファに腰掛ける。
 揺れたことで意識が浮上したのか、小さな呻き声を洩らしてディアが身じろいだ。抱き上げようと思ったそのとき、再び眠りに落ちようとしているディアの目尻が濡れていることに気付いた。手を伸ばす。
「……ディア?」
 なんの夢を見ているのだろうか。僅かに顔をしかめたままのディアは、とても快適な眠りに落ちているとは思えない。
「ディア。起きて」
 強く揺するとようやく反応がある。眠そうに栗色の瞳を瞬かせる。潤んでいるのは寝起きのせいだけか。
 胸を掠る痛みのまま手を伸ばすと掴まれる。触れることは諦めて反対の手で抱き寄せる。肩に額があたり、熱を持った栗色の髪が頬に触れる。
 まだ夢心地だろうか。
「……セイ?」
「ええ」
 腕の中でディアは少しだけ身じろぎし、首を傾げる。
「ただいま。待っていて下さるのは嬉しいですが、ここで眠ったら風邪引きますから」
 栗色の髪を梳きながら囁くとディアは眠そうに唸る。その様子に苦笑しながら背中を撫でる。安堵するような溜息とともにディアが離れた。
 ディアはようやく覚醒したように大きな伸びをして欠伸をした。とても身分ある貴婦人とは思えない。それは今更のことだが。
「ああ……明日から少しは休みが取れると言っていたよな? その確認のために待ってたんだ」
 セイは瞳を細めた。
「ええ。しばらくあちらでの泊まりが続いたので、予定通り連休を貰いました」
 ジェンと二人で爵位を継ぎ、領地も分割してその半分を治めていたセイだが、それでは色々と不都合が生じてしまい、1年も経たずにすべての地位と領土を返還していた。その後はまたディアと旅に出ようかと目論んでいたのだが、それを危惧した父やアイルたちに先手を打たれ、騎士の位を授けられた。伯爵身分よりはずいぶんと身軽になったが、やはり剣からは逃れられないようだ。
 国境を預かる辺境伯のジェンを支えるようにと命じられ、セイはジェンの屋敷で子どもたちに剣を教える毎日だ。以前のハーストンのような仕事だった。
 セイが働いている間、当然ながらディアは屋敷に一人で残されることになる。共にいようと誓っているのにその誓いはまったく果たされていない。そのためセイは明日からの休みを使って二人でどこかへ出かけようと考えていた。のんびりと過ごすのも悪くない。
「まったく羨ましいよな。お前ばかりが外に出て、私には中にいろだなんて」
 睨み付けられたが本気で思っている訳ではない。瞳は笑っていた。セイも笑い返し、ディアの手を取って膝の上に乗せる。
「外出禁止にしてるわけじゃないですよ。ただ、一人で旅に出るのだけはやめて欲しいとお願いしているだけです」
「ふん、言ってろ。どうせ出たら直ぐに追いかけて来るんだろ?」
「ええもちろん。仕事もすべて放り投げて捜しに行きます」
「だから私は気軽に外へも出れないんだ」
 肩を竦めてみせるディアに笑って抱きしめた。
 暖炉の前にいたため温まった頬が触れて熱い。ディアは楽しそうに笑いながら抱き返し、囁く。
「おかえり」
 と。
 そうして、翌朝のことだ。



「やられた……」
 セイは呟いた。
 寝台にディアの姿がなく、屋敷の者に彼女を見なかったか聞いて回ってからの言葉だ。
 どうやら彼女は朝早く出て行ったらしい。どこに向かったのかは分からない。だがフェレーリアが残されていたため遠くへは行っていないはずだ。
 昨夜は疲れていたらしく、ディアが離れたことにも気付かなかった。
 セイは溜息をついて部屋に戻り、追いかける準備を始める。昨夜ディアがわざわざ今日から休みなのかと聞いたわけがとても良く分かった。
「さて。今回はどこへ行ったのかな……」
 以前のように余裕がなくなったりしないのは、ディアを信用しているからだ。彼女が決して帰らないつもりで出て行ったわけではないと知っている。セイが捜しに行かなくても夕暮れまでには戻ってくるだろう。
 それでも捜しに行くのはセイが見つけたいからで、またディアもそれを望んでいると知っているからで。
 セイは久しぶりの行楽に心を躍らせながらフェレーリアに声をかける。楽しそうにクルル、と喉を鳴らしてセイを乗せてくれる。本能のままに飛ばせばディアの元へ連れて行ってくれる。ディアも分かっているから残して行ったのだ。
 しかし領土上空を頻繁に駆ければ噂が立つ。
 自由奔放なディアを追いかけるには、伯爵身分は邪魔なのである。