彼女の罪状 番外編

=ガラフの価値観=

 セイがそばを離れた途端、彼女は意識を失った。
 背を向けているセイはそのことに気付かぬまま歩いてくる。
 ――気の強い、女が。
 ガラフは、はらわたが煮えくり返るような怒りを覚えて唇を引き結んだ。
 教えるのは癪だ。しかしディアの体も心配だ。
 近づいてくるセイに剣の鞘で背後を示す。セイは不思議そうに首を傾げて振り返り、倒れているディアを見つけると驚いた。
「ディア!?」
 先ほどまでの毅然さはどこへやら。案じる真剣な声音に不愉快さを覚える。セイを女性だと見誤ったことが信じられない。
 嫉妬を覚えないわけではなかったが、ガラフは踵を返した。
 控えていた私兵に視線を向ける。
 彼は長年仕えてきた一番の部下だ。視線だけで意志を汲み取ってくれる。彼はガラフの脇を通り抜け、ディアのもとへ向かった。
 ガラフはそれを見届けないまま階段に向かう。
 ディアの寝室を用意させるために。


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 あまり使われていない客室の扉を開ける。
 常に掃除されているため、埃など立たない。
 窓を開け放って空気を入れ替え、寝台の上を手で払った。
 しばらくして廊下から人の気配がした。振り返ると、扉の向こうからセイが入ってくるところだった。その腕にはディアが抱えられている。やはりセイはその役目を誰にも譲らなかったらしい。
 ――俺でもそうするがな。
 セイは用意された寝台にディアを横たえた。壊れ物を扱うように優しい動作だ。横たえたあとは、ただディアを見つめる。
 その視線が非常に腹立たしいものに感じられ、ガラフは鞘でセイの後頭部を殴りつけた。
「まだ俺との勝負はついていないだろう! 直ぐに医者がくる! さっさとしろ!」
 殴られたセイは驚いたように振り返る。苦笑して頷いた。
 ガラフは横目でディアを見る。彼女が目覚める様子はなかった。
 鼻を鳴らしてガラフは踵を返す。ついて来いと視線で促す。扉の前で佇んでいた男に「俺らが戻るまで頼む」と言い置くと、彼もが驚いたように目を丸くした。
 ガラフ自身、驚いている。
 自分以外はどうでもいい。女など快楽を得るための道具。逆らう者など認めない。一興として優しくするときもあったが、それは見返りを見越してのことだ。今回の言葉も、ディアから相応の見返りを期待して、とも取れたが、それは無駄だとも思う。見返りを期待して優しくしても、ディアは応えないだろう。恩を仇で返すような女だ。けれどセイはそんなことなど思ってもいないような瞳でディアを見つめていた。だから、見返りがなくても優しさを施してみせる酔狂をしてみたくなったのだ。
「あの。どちらへ行かれるのですか?」
 階段を下りて玄関へ向かうガラフの背にセイの声がかかった。
 ディアのことが心配なのだろう。少し不機嫌そうな声音だった。
 ――どいつもこいつも偽善者ばかり。
 セイの質問には応えないまま、ガラフは屋敷の裏にセイを連れ出した。
 そこは、ディアが逃げ出した窓の下だ。既に残骸は片付けさせていたが、数時間前までその場所には鋭く粉々になった欠片たちがあった。
 ガラフは何気なくその場所を睨みながら、ある程度進んだところでセイを振り返った。
「ここでいいだろう」
「ええ。構いません」
 ようやく止まったガラフにセイはためらいなく剣を抜く。ディアがいた時とは違う顔つきだ。こうして見れば彼を女だと誤解する要素は何もない。恐らくディアと共にいたときだけ、誤解されるような雰囲気をまとっているのだろう。いま目の前にいるのはただの男だ。
 ガラフは鼻を鳴らした。
 女の前でだけは別の顔になるなど良くあることだ。こいつも俺と同じなのだ。
 ガラフも剣を抜いた。女を落とすためだけに磨いた剣だ。どうせ、目の前のこの男も同じだ。貴族の男は皆そうなのだから。
「一本勝負で構いませんか?」
 時間が惜しいので、と言外に含ませてセイが笑った。ディアに見せる笑顔とは違う。挑戦的な笑顔。
「ふん。やれるもんならやってみろよ」
 鞘を投げ捨ててセイの間合いに突っ込んだ。
 大抵のごろつきならそれだけで腰を引くものだが、さすがにセイは冷静に受け流した。男爵の息子に喧嘩を仕掛けるくらいなのだから、これくらいではないと面白くない。
 気分が高揚する。目の前の敵に対する、期待と戦慄。
 一閃すると軽々受け止められた。押し切ることができない剣に舌打ちする。華奢な外見からは想像もつかない力強さだ。自分も決して弱くはないはずなのに、セイは余裕で受け止めている。
 訳の分からぬ苛立ちが強まった。
 何度目かの剣戟。まったく隙を見せないセイに苛立ち、ガラフは両手で剣を握って切り込んだ。
 その一瞬。
 交差した視線。
 セイの視線は鋭い。
 女のような甘い顔立ちも、その瞳を見た途端に払拭される。認識を改めさせられる。
「くたばれ!」
「ご冗談を」
 腰を屈めて足を狙うが、身軽にかわされた。反対に斬りつけられる。慌てて剣で止めたが重い。押し切られそうなほどだ。
 奥歯を噛み締めて耐える。重さに腕が震えてしまうことが悔しい。
 剣と剣を交差させ、間近で絡み合う視線。
 男爵家と伯爵家とで、習う剣術はこうも違うものなのか。
 ガラフはどうしようもない壁に苛立ちを募らせる。自分が伯爵家に生まれ、セイと同等の身分を持っていれば、ディアは自分の物になっていたかもしれないのに、と歯噛みする。
 凄まじい気迫でガラフの手から剣が弾かれた。わずかに息を弾ませたセイが剣先を突きつける。思わず目を閉じて顔を逸らすガラフだが、予想していた痛みはない。恐る恐る瞳を開いて見上げれば、セイは剣を鞘に戻しているところだった。
「なぜ殺さないっ?」
「はぁ?」
 間抜けなその顔に、ガラフは怒気を含ませた顔で己の発言を悔やんだ。
「生かしておけば、自分の物が盗られる可能性があるんだぞ」
「なに言ってるんですか。それでは単なる人殺しではありませんか。あなたは男爵なのですし、そんなことできませんよ。いくらラミアス領から離れてるとはいえ迷惑がかかってしまいます。私だって嫌ですよ。人殺しの汚名なんていりません」
 セイは不愉快そうな顔でガラフを睨んだ。
 ガラフは戸惑う。汚名ではなく佳名だ。功績が増えるだけではないかと反論したい。だがセイの瞳はそんな反論を封じ込めてしまうような何かを持っていた。
 ディアが聞いたら間違いなく冷笑するような価値観を、ガラフは抱いている。そのことに気付かない限り、ガラフに勝利はありえないのだが。
 セイは嘆息してガラフを見た。
「それに、ディアは物じゃないです」
 片眉を上げた。確かにこの耳で『ディアは俺の物です』と聞いた。
「ディアが私から離れたいと思うなら止めることはできません。私が勝手にそうであったらいいなと思ってるだけです」
「……伯爵の身分があるなら、ディアが離れるわけないじゃないか」
 俺が男爵ではなく伯爵だったなら。それが悔しい。
「なぜです? 領土内ではあるまいし、身分なんて旅には必要ないですよ」
 その声にガラフは顔を上げた。視線の先ではセイが微笑んでいた。先ほどまでの冷笑ではなく、万人に向ける柔らかな笑顔だ。
「なるほど。旅か」
 ガラフも笑って頷いた。
 つまり、旅に出てさえしまえば伯爵も男爵も関係なくディアのそばにいられると。そういうわけなのか。
 間違った認識を新たに胸にしながらガラフは口を開いた。
「なら俺もあんたらの旅に同行させてもらう」
「……はい?」
 セイは向けていた笑顔を凍らせた。ガラフは真っ直ぐにその目を見返した。
 旅に出れば、こんな軟弱な奴より俺の方がいいと思うときがきっとくる。
 ガラフは今しがた剣で負けたことなど忘れたように、ディア獲得の夢を見た。
「俺を殺さなかったことを後悔するんだな」
 弾かれた剣を取りに戻ることはない。あとで巡回兵が回収するだろう。
 呆気にとられているセイもその場に残して屋敷へ戻る。旅に出る前に、やっておかなければならないことは山ほどある。
 ガラフは意気揚々と未来に想いを馳せた。
 そして、その翌々日。


『早朝に起こすのも躊躇われ、挨拶もできずに旅立つ無礼をお許しください』


 簡単簡潔にまとめられた心の篭っていない置手紙を発見したガラフは、怒りに任せて持っていた旅行用の荷物を寝台に投げつけた。
「あっの野郎ぉーっ!」
 そしてふと、手紙の裏にまだなにか書いてあることに気付いて裏返す。
『ついてこないでください』
 と、たった一言。
 書いた本人の笑顔が目に浮かぶようだ。
「くっそーーっっ!」
 手紙を引き裂きたい衝動に駆られたが、肩を怒らせてなんとか衝動を抑え、もう一度手紙を見る。何度読み返してみても「邪魔だからついてくるな」というセイの感情しか読み取れない。抜け駆けできないようにディアの寝室の扉に仕掛けを施していたはずなのに、どうやって抜け駆けしたというのか。
 ガラフは手紙を折り畳んで窓に近づいた。開け放つと冷気が頬を撫でる。白み始めた空に瞳を細める。
 今でも充分に早朝だ。こんなことならディアの部屋の前で眠っていれば良かったと思う。
 後悔しても後の祭りだ。ガラフはセイの置手紙を紙飛行機にする。吹いてきた風に乗せるように滑らせた。
 ――みてろよ。いつか必ずお前らに追いついてやるからな……。
 決意を固め、ガラフは遠くなる紙飛行機に背を向けた。

END