疑惑と嫉妬が芽吹く時 番外編 =セイ的見解=

【一】

 ヴァレン領。
 数年前とさほど変わっていない白壁の町並みを見下ろし瞳を細めた。住んでいる人々も変わっていないのだろう。領主は王家の住まう中央へ呼ばれ、今はいないという話だ。だがその代行は息子のアイル=ヴァレンが務めていると聞く。
 兄のように振る舞い、いろいろな悪戯を教えてくれた青年を思い浮かべて笑みを洩らす。
「治安がいいな」
「領主がしっかりしていますからね」
 自分のことのように嬉しくなりながら返すと、なぜか意外そうに目を瞠られた。
「しばらくはここで稼ぎます?」
「ああ。最近、本当にまったく稼いでない。中央なら物価は高いが、給料もいいだろう」
 ディアは頷いた。眼下の町並みから少し視線をずらして城に向ける。
 セイも同じように視線を向ける。数年前はあの城に暮らしていた。当時のまま、彼らも暮らしているのだろうか。
 ――せっかく寄ったのだから挨拶はしておきたい。婚約破棄から顔を見せていないのだ。いま思えば相当に無礼な行為だった。
「では、街に下りましょうか」
「ああ……」
 微笑みながら告げるとディアも微笑み返す。
 二人で共に丘を下りた。

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 宿を二部屋取り、通されたセイはまず上着を脱いで着替えた。旅装束はどちらも大して変わらない仕立てのものだが、旅の汚れがついたままの服で侯爵家の跡取りと会うわけにもいかない。簡素な服は貴族たちの顔をしかめさせるだろうが、いまは服を購入する余分なお金もない。それに、動きやすいこの服が気に入ってもいる。たとえこの格好で会ったとしてもアイルなら喜ぶだけで顔をしかめることはないだろう。
 セイはひとまず髪もすいた。そうすると昔に戻ったようで苦笑する。多少は男らしくなったと思っていたが、鏡に映る自分には髭も生えていない。まるで女だ。
 セイは苦笑して立ち上がった。荷物をまとめて寝台に乗せ、ディアの部屋に向かう。
「ディア。いいですか?」
 扉を叩きながら声をかける。直ぐに応えはあり、セイは扉をあける。中ではディアが寝台で幸せそうに寛いでいた。その様子に苦笑して中へ入る。
 ディアは寝台に体を起こしてセイを待った。
「酒場か? もう少し時間が経ってからでもいいんじゃないか?」
 この時間帯なら酒場には誰もいないだろう。賑やかな雰囲気が好みなディアらしい言葉に笑う。
「夕飯も一緒に酒場で食えば……」
 ディアに申し訳なさを覚えながらかぶりを振る。
「ああ、いえ。これから私、ちょっと出てきますので。酒場へは一緒に行けないかもしれません」
「何かあるのか?」
 ディアは目を丸くする。
 セイはなぜか言うのを躊躇った。ディアはなんとも思わないかもしれないが、仮にも婚約を結ぼうとしていたヴァレン侯爵家へ行こうというのだ。やや浮気をしているような気分に陥る。ディアは、なんとも思わないかもしれないが。
 なんの疑問も持たずに見つめてくるディアから視線を逸らす。
「うーん、あるというか……」
「まぁいいや。お前がいなくてもこっちは大丈夫だし。行って来いよ」
 その言葉にセイは少しだけ悔しさを覚えた。多少の追及はあってもいいのに、と。勝手なものである。再び寝台に横たわったディアに歩み寄る。
「では、私がいない間、無茶しないで下さいね」
「分かった分かった」
 さっさと去れと言わんばかりの態度に複雑なおもいを抱く。寂しさを感じるが、いまは仕方ない。いずれそう思ってくれるように努力しよう。
 いつまでも立ち去らないセイを疑問に思ったのか、ディアが顔を向けた。
 セイはディアの手を取る。貴族たちが挨拶として用いる一般的な手段として、その甲に唇を押し付けた。セイにとっては慣れた行為だが、ディアに免疫があるとは思えない。チラリと見上げるとディアの顔は赤く染まっていた。
「では、行って来ます」
 彼女の手が枕をつかんだのに気付いて素早く扉に向かう。
 いまは彼女が羞恥だけでも返してくれることを素直に喜ぼう。少なくとも嫌われてはいないのだから。
 ――先は長いですが。
 セイは廊下に出たまま扉に背中を預け、溜息をついた。

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 大通りを歩いていくと、やはり数年前と変わらぬ情景があちこちで見られた。
 セイは嬉しさを覚えながら近づいた城を見上げる。灰色がかった煉瓦造りの壁に、下方から蔦が手を伸ばしている。庭師らしき男がのんびりとそれを刈っていた。
 セイはゆっくりと時を刻む城を見上げて笑みを洩らす。
 城で一番高い塔に立てられている旗。幼いころ、それを取ろうとしたアイルが足を滑らせて屋根から落ちかけたことがある。はらはらしながら見守っていたセイたちは泣き出し、気付いたカルザとハーストンに救出された。
 アイルは救助にきた二人より、泣き出したセイたちに申し訳なさそうに謝り、今度は三人で登ろう、という変な慰め方をして更に怒られていた。
 あのときの旗はまだ城の屋根で風を浴びている。
 城の前に佇むセイを不審に思ったのか、門番の一人が近づいてきた。セイも彼に気付いて顔を向ける。兵士は一瞬だけ驚いたように目を瞠って赤くなり、すぐに無表情を装ってセイの前に立った。
「なにか御用かな、お嬢さん」
 セイは反発を覚えたものの反論はせず、受け流すことにした。
「アイル=ヴァレン様にお目通りを願いたいのです」
 そこで兵士の表情が変わった。紳士然とした態度が消える。不審者を見るような目つきでセイを眺める。これまでアイルたちの前に通したことがある貴族だろうかと記憶を探る。
「失礼ですが、お約束はございますか?」
「いいえ、ありません。旅の途中に通りかかっただけですので」
 兵士の表情が呆れたものに変わった。なんて常識外れな娘だろうと思ったのだ。旅人ならば一般の人々よりも常識に優れているものだが、このようなことも知らないとは、もしかしたら旅をしているというのも嘘かもしれないと思う。
 アイル=ヴァレンは現在、領主代行として執務をこなしている。非常に忙しい。それなのに事前連絡もなしとは、常識外れもいいところだ。貴族ならば家紋を確認して通すことも可能だが、歩きで面会にくる貴族など聞いたこともない。貴族とは移動のほとんどに馬車を使用するのだ。
 兵士は侮蔑の色を浮かべ、言葉だけは穏やかに追い返そうとしたが、セイは動かなかった。
「セイ=ラミアスという名前だけでも伝えて頂けませんか?」
「伝えることは可能ですが、アイル様は大変にお忙しい方です。面会は不可能と存じます」
 門前払いということだ。
 しかしセイは微笑んだ。
「それでも構いません。私は私がここにいることをアイル様に知っていただきたいだけなのです」
 セイは「お願いします」と丁寧に頭を下げてその場を離れた。
 兵士が少し眉を寄せて頷く。
 セイはひとまず歩き出し、彼の視界から消えた。そして、どうやって中に入ろうかと考える。伝言を聞けばアイルは必ずセイに会ってくれるだろう。だからあとは宿で待っていればいいだけなのだが、セイはそうしなかった。
 伝言を頼んだ兵士を信用しなかったわけではない。だが兵士がアイルに伝えるのは、彼の任務が終わったあとになるだろうと考えてのことだ。ディアはこの町にしばらく滞在するつもりだと言っていたからアイルに会うのは遅くなっても問題ないのだが、早目に挨拶を済ませておきたかった。そして心置きなくディアと一緒にいたかった。
 セイは城を一周するように巡った。どうしようかと城を見ながら考えていた。
「すまない!」
 前から走ってきた青年に体当たりされ、セイは地面に倒れた。
「大丈夫ですか!?」
「え、ええ……申し訳ありません」
 体当たりした青年は手を差し出してきた。セイはその手に縋りながら立ち上がり、服の砂を払う。前を見ていなかった自分に非はあるのだから怒ることではない。
 謝って立ち去ろうとしたセイは、腕を掴まれて眉を寄せた。
「あの……?」
 男はセイを凝視していた。セイの言葉は耳に入っていないようだ。
 もしや悪い人種にあたってしまっただろうか、とセイは困惑しながら背中に回した短剣の存在を確かめる。いつもの剣は宿に置いてきている。領主の城へ行くのに失礼を働いてはいけないと思ったためだ。
「……人違いだったら悪いんだが、どこかで会ったことはないか?」
 これまで絡んできた男たちと変わらぬ、お決まりの文句だ。
 セイは苦笑しながら青年に向き直る。首を振って断ろうとした瞬間、男の顔を見て「あ」と声を上げた。
 その刹那。
「どこへ行った!?」
 怒声を張り上げる男が、城を囲む塀から出てきた。どうやらそこだけ壁が崩れているらしい。セイにぶつかった青年もそこから出てきたのだろう。だからぶつかったのだ。
 セイの腕を掴んでいた男が呻き声をあげ、慌てて逃げようとした。
「じゃあな、嬢ちゃん!」
 明るい浅黄色の外套を翻して去りかけた青年の腕を、セイは素早く掴んで止めた。
「執務をさぼられてどこへ行くのです?」
 力強い腕で引き止められた青年は眉を寄せながら振り返った。
 セイは決して腕を放さず、笑顔のまま彼を見続ける。
「まさか私のことを忘れたわけではありませんよね、アイル様」
 青年の瞳が瞠られる。
「あ……お前……セイ=ラミアス!?」
 驚愕したアイルが叫んだ直後、アイルは追いかけてきた有能な右腕、カルザに思い切り怒鳴りつけられた。

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 お茶菓子を出されたセイは、立派な机で書類に目を通しているアイルに視線を向けた。どうやらアイルは書類よりもセイを見ていたらしく、見事に視線が合った。嬉しげに口を開いたアイルだが、それを遮るかのようにカルザが割って入る。
「いいですか、セイ殿。アイル様が公務を終えるまで、話しかける隙を与えてはいけません。視線を合わせるのも駄目です。合った瞬間に近づいてきます」
 あんまりな言葉にセイは笑い、アイルはむくれた。
「俺はキャラバンの動物かっての」
「見世物の動物の方がまだ賢いかもしれませんよ。一度覚えたことは決して忘れないと聞きますから」
 そんなやり取りにセイは再び微笑する。執務室で公務が終わるのをじっと待っている。本当は別室で話をしましょうとカルザに誘われセイも頷こうとしたのだが、アイルに強く止められたのだ。自分を差し置いて先に話をするなど許さん、ということらしい。
 アイルは強引にセイを執務室まで引っ張り、そこに自らお茶菓子を出して待機を命じた。セイは呆気に取られたが、数年前と全く変わらぬ扱いに嬉しく思った。
 そしてやがて。
 強く机を叩く音がして「終わった!」と解放感に満ちた声が響いた。
 視線を向けるとアイルが暗い笑みを湛えながら立ち上がっていた。
「お疲れ様です」
「ようしカルザ、これで文句はないなっ? 俺は遊ぶぞ!」
 カルザはアイルの署名がされた書類を確認しながら揃えた。アイルは腰に手をあて、カルザをびしりと指差している。非常に偉そうだ。
「内容も頭に入っていれば宜しいのですがね」
「当たり前だ。お前こそ入っているのか」
「もちろん。あなたよりも先に入れておきました」
「よし。ならいい」
「私が覚えてもあなたが覚えなければ意味がない!」
 誇らしげに頷くアイルの頭をカルザは書類で叩き、ファイルに綴じる。
「さてセイ。お待たせ」
「公務中に訪ねてしまい、申し訳ありません」
「とんでもない。あなたがいなければあのままアイル様に逃げられていました。私の忍耐も切れて、今頃アイル様は川に流されていたかもしれませんから」
 魚の餌となるアイルの姿が浮かんだ。
「よけいな想像はしなくていい。とりあえず、良く来てくれた。歓迎する」
 満面の笑みで抱きしめられたセイはくすくすと笑った。その抱擁も、数年前と全く変わらぬものだ。
「ところでセイ殿。ドーラル殿はご一緒ではないのですか? あのような裏道を一人で通られて」
「ええ。父は領地にいます。私はいま旅の途中なんです。先日ヴァレン領に入ったので、挨拶しなければいけないと思いまして」
 アイルの腕から解放されたセイはそう告げた。二人から驚きの声が上がる。
「旅ってセイ、何があった! またどこかの馬鹿貴族どもに泣かされたのか? 今度は誰だ!」
「もう少し我慢して頂ければ我々の方で手を打ちましたのに!」
 激しく勘違いされた上に昔の醜聞まで蒸し返されて、セイは眉を寄せた。
「違います。家出ではありませんし泣かされてもないです。好きな人ができたんですよ。父には武者修行だと言っておりますが」
 告げた瞬間、二人は見事なほど息をそろえて「誰だ!」と声を張り上げた。
「あんなに女らしかったセイに女の影が……!」
「信じられません、あのセイがこんなに積極的になるなんて。アイル様と結婚するんだと、嬉しそうにしていたのに……!」
 カルザの叫びにアイルはハッとしてセイを見た。
「そうだ、セイ。今からでも遅くない。俺と結婚してくれ! そんな悪女にお前を取られてたまるか!」
 アイルは立膝になってセイの手をとり懇願する。いったいどこまで本気なんだろうと思いながらセイは笑い、アイルの額を軽く叩いた。
「ディアはそんな女性ではありませんよ」
 アイルとカルザは顔を見合わせた。アイルは立ち上がり、セイに向き直る。
「二人で旅を?」
「ええ。本当はお二人にも紹介したいのですが、えと……照れ屋な方でして……」
 セイは適当に誤魔化した。
 二人は再度顔を見合わせる。そうして数年ぶりに再会したセイをまじまじと見つめ、覚えているよりも顔つきが大人びていると知る。セイからすれば二人の成長の方が著しいのだが、人間自分のことより他人の方が良く見えるものだ。長い金髪は綺麗に切り落とされ、ディアを語るセイは、二人が今まで見たこともない顔をしていた。
「そうか……そうかっ」
 アイルはじわじわと込み上げてくる嬉しさに、感無量といったようにセイの両肩を叩いた。
「お前ももうそんな歳か! 嬉しいぞ!」
 ほとんど年齢が離れていないアイルから抱擁を受け、セイは苦笑しながら抱擁を仕返した。端から見れば美男美女の熱烈な抱擁としか映らない。
 カルザは目の前で繰り広げられる二人の抱擁を咳払いでたしなめたが、アイルは一向にセイを離さない。長い時間セイを独り占めしながらカルザに笑いかける。
 自分ひとりだけセイに触れられなくて悔しいだろう、との意を込めてだ。
 数年前までヴァレン領で暮らしていたセイは、その容貌と性格から城の皆に非常に好意的に受け止められていた。男だと知っても想いを寄せる男も少なくなかった。そこまでいかないがアイルもカルザもずいぶんとセイを溺愛していた。だから、アイル一人だけが領主代行としての特権をいかしてセイを抱きしめている光景はカルザにとって非常に面白くない。
 カルザは薄っすらと笑みを浮かべ、自分が仕える主人の首根っこを捕まえて強引に引き剥がした。
「セイ殿。愛する女性以外に易々と体を許してはいけませんよ」
「あ、はい」
 アイルに次いでよく自分の面倒を見てくれた兄貴分のカルザにたしなめられて、セイは大きく頷いた。そしてその言葉の使い方はどこか違うのではないだろうかと首を傾げる。だが尊敬するカルザなのだからと追及することはせず、ただ受け止めた。
 アイルは腹を抱えて笑い出したい気分に駆られながら必死で耐えていた。
「で、セイ。なんだっていきなり武者修行なんだ? お前にその気がないことなんて皆が知ってるぞ。ディアとやらと結婚が決まってるなら屋敷にいたほうがいいだろうに。俺たちに祝福させないつもりか?」
 アイルはソファに腰掛け、対面の席にセイを促した。足を組みながら問いかける。セイは困ったように首を傾げた。
「いえ……ディアは旅をしていまして、私が一方的に押しかけているだけなんです。ですから、婚約なんて結んでいませんし……ディアからもそういった言葉は一切ありません。ここに来ることをディアに告げてもいませんし……」
 アイルもカルザも驚いたように目を瞠った。二人の思い出の中のセイは、今でもずっと「泣き虫でお人よしで甘えん坊」なセイなのだ。
「人間、変われば変わるものなんだな」
 ついそう洩らしてしまうと、セイは本当に幸せそうに微笑んで「ええ」と頷いた。
「ディアと共にいるためですから」
 アイルは体を乗り出した。あのセイをここまでの行動に踏み出させたディアに興味が湧いた。
「で、押しかけてってことは、相手はお前のことをなんとも思ってないってことなのか?」
 セイは困ったように眉を寄せた。そう認めてしまうことは非常に癪だ。
「嫌われてはいない……と思うのですが、微妙なんです。ディアってば本当に素直じゃないんですから」
 うな垂れるセイに、アイルは笑いを噛み殺す。そして窓から外を見た。すでに陽は落ち、そろそろ難しい時刻だ。どうやら公務を長引かせてしまったらしい。セイと久しぶりに再会したというのに、長く話をすることもままならない。
 舌打ちするとセイは首を傾げてアイルを見上げた。
「お前、町の宿を取ってるんだろう?」
 旅をするならそれが当然だ。このセイが城に泊まることをあてにしているとは思えないし、たとえ城に泊まれと誘ったところで頷かないだろう。けれどもアイルはあえて問いかける。
「陽も落ちたことだし、今日はここに泊まっていけ。部屋ならお前が使ってたところがまだ空いている。積もる話があるだろう?」
「……いえ。私は戻ります。ディアを独りにしておくとどんな危険に巻き込まれているか分からないので……申し訳ありません」
 アイルは笑みを見せた。やはりセイは変わらない。好ましい生真面目さだ。
「なら明日また来いよ。ルイも呼んでおくから、覚悟しておけ」
「そういえば、ルイ様はこの城にいないのですか? 姿どころか声も響いてこないなんて」
 仮にも一度は婚約者として名を上げた者の台詞かと思ったアイルだが、苦笑してかぶりを振る。
「あいつと俺はいま、賭けの最中なんだ」
「賭け……ですか?」
「そう。次の領主に関してのな」
 アイルの父、セヴィラル=ヴァレンは王宮に招かれる直前、次の領主のことについて皆に宣言した。
『今から私が帰るまで、アイルとルイにそれぞれ土地を与えよう。私が戻ったとき、どちらが優秀に土地を治めることができたかで、次の領主を決めよう。期待を裏切らぬよう、互いに切磋琢磨して不足部分を補うように』
 女だから、とルイを次の領主候補から外すようなセヴィラルではなく、世間の常識を気にするような人物でもなかった。彼は領主交代の際には本気で王に進言するつもりだろう。生来の負けず嫌いたちをそう唆しておけば領地を任せておいても平気だと判断した。結果、二人とも互いに負けぬよう土地を豊かに治めていられるのだから、非常な策略家とも言えた。
「それで二人とも、今は別々の場所で暮らしているのですか?」
 セヴィラルの策略を聞かされたセイはなんともいえない顔をしてアイルを見た。
「ルイ様も向こうで力を尽くされていると聞いております。案外、公務をさぼりがちのアイル様よりルイ様が次の領主になるかもしれませんね」
「へぇ。それは楽しみですね」
 因みに、セヴィラルの言葉を聞いた城の者たちも、次の領主はどちらかという賭けに興じたりしている。
 アイルは半眼でカルザを睨んだ。
「お前、俺の側近なら俺を応援するのが筋ってもんだろう」
「ええもちろん。次の勝利はあなただと、私はかなりの金額を賭けておりますよ」
「信じてるなら全財産賭けろ」
「私は安定志向なのもので。そんな危ないことはできませんよ」
 セイは笑みを洩らして立ち上がった。
「では、私はもう戻りますね。ルイ様に会えることを楽しみにして来ますので」
「あ、待てセイ」
 部屋を出て行こうとしたセイは引き止められた。アイルはカルザに視線を向ける。それだけで優秀な側近は察したのか、一人で廊下に出て行った。セイだけはその行動が何の意味を持つのか分からずに首を傾げる。
「独りは危険だ。兵をつかせるからもうしばらく待て」
「アイル様……少し過保護ですよ。私はもう独りでも大丈夫ですから」
 どこまでも自分は手のかかる子どもなのかと頬を膨らませると、アイルは笑って「違う」とセイの頭をなでた。
「いま人斬りが町で横行してるんだ。お前になにかあったら、ルイに殺される」
 茶化すようにアイルは肩を竦めたがセイは笑えなかった。表情を曇らせる。
「そんなもんが出るって時点で俺の治力が足りてないと言われそうだがな。ハーストンを派遣したから、なんとかなるだろう」
 セイは懐かしい名前に顔を上げた。
「ハーストン先生……ですか?」
 セイがヴァレン領で剣を習った、師匠だ。
 軽口で真剣味の足りない人物だが、剣の腕は確かで、皆からの信頼も厚い。
 彼ならさほど時間をかけずに事件解決できるだろう。
「屋敷の警備を割いたのですか?」
 アイルはかぶりを振った。
「父が半分以上を連れて王宮に入ったから、警備に割けるような騎士はまださほど育ってないんだ。町には独自の自警団を結成させた。だが町の奴らを危険に巻き込むわけにいかないだろう。ハーストンだけでもと思って、派遣させたんだ」
「自警団……。それは、誰でも入れるものなんでしょうか?」
 なぜその話に食い込んでくるのか、アイルにしてみれば不思議だろう。セイは真剣な眼差しでアイルを見つめた。
「いや。結成した当初は誰でも人員を募っていたが、ハーストンを派遣してからは、兵か俺らの推薦がない限り、入れない方針を採っている。一時は仕事を放り投げてでも入りたいって町の奴らが押し寄せるほどだったからな」
 ちょうどそのとき、セイの護衛手続きを任されていたカルザが戻ってきた。
 話が何に及んでいるのか正確に悟り、カルザは口を挟む。
「ですから、セイ殿も連れの方も、夜に町を歩くときは充分に気をつけて下さいね」
「はい。ありがとうございます」
 カルザが連れてきた二人の男に挟まれて、セイは微笑んだ。
「自警団が結成された時点でアイル様は町の皆に慕われてると思いますよ。頑張って下さいね。では、お休みなさい」
 二人に連れられ、セイは部屋を後にした。
 残されたアイルは複雑な顔をする。
「……最後の最後で釘刺して行きやがったな、あいつ」
「そう思うのなら仕事は片付けろ。あの机に上がってるのだけが全てと思わないように」
 セイがいなくなった途端に口調を強めたカルザに肩を竦め、アイルは大人しく机に戻った。

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 無茶はするなと言っておいたので、自分に黙って自警団に入るなどということはないだろう。推薦がないと入れないと聞いたので、まさかディアが知らずに入っているとも思えない。
 宿の前で護衛と別れたセイは二人に「気をつけて」と声をかけて見送り、宿へ入った。募っていく不安に足を早めて宿の階段を上がり、ディアの部屋をノックした。返事はない。もう夜も遅いため、眠っているのだろうか。
 セイは音を立てぬようそっと扉を開け、中に忍び入った。
 部屋は暗い。寝台に近づいたが、そこにディアの姿はなかった。
 首を傾げたところで階下から物音がした。もしかしてディアだろうかと階段を下りると、予想は当たり、ディアがいた。なにやら強張った手つきでカウンターに腕を伸ばしていた。
「ディア」
「うわぁっ?」
 肩を叩くと予想外の大声が響き、セイは驚いて身を引いた。
 振り返ったディアがセイの姿に目を瞠る。
「ああ、セイ……」
「どうしました? 何か……」
 一瞬、ディアの顔に「まずい」という動揺が走ったことを見逃さずにセイは問いかけた。しかしディアは勢いよくかぶりを振る。
「ああ……いや。とりあえず部屋に戻ろう。ここだと暗いし」
 セイはますます眉を寄せた。ディアがなにかを隠すような動きをとり、すかさずそちらを覗き込むと、割れたらしいランプが見えた。ディアの行動の不自然さが分かってセイは思わず脱力する。
 ――子どもじゃないんだから。
 内心で呆れ、強張った顔で見返してくるディアに視線を戻す。まだ気付かれたとは思っていないようで、ひたすらセイを急かす。セイは何も言わずに従った。
 これでは明日の朝、このことをうやむやにするつもりだろう。亭主が起きてきたら、ディアの代わりに謝っておかないと。
 半ば保護者のような感覚で思いながら、セイはディアの部屋に入った。つけられた明かりに目を細める。そして気付いた。ディアの頬に、明らかに剣でつけられたと分かる傷が一筋。
「今までどこに行ってたんだ?」
「ディア、傷が……」
 セイが手を伸ばすより先に、ディアは手の甲で拭った。
 自分でも気付いていなかったのだろう。血は乾いていたため手が染まることはないが、微かな痛みにディアの瞳が細められる。
「……無茶しないで下さいねと、言いませんでしたか?」
「いや、だって、てか、してないって」
「してないでなぜ怪我しているんです」
 言葉をつまらせ、さらに言い訳を探すディアに憮然とする。
 こちらの心配など考えてないに違いない。こんな傷をつけられるなど、無茶に首を突っ込んだいい証拠ではないか。
 明日はもう一度アイルたちの元へ行かなければいけないのだが、独りにしておいて平気だろうか。
「お前」
 引き寄せられるようにセイは彼女に顔を近づけ、傷を舐めた。
 口内に錆びた匂いが充満し――殴られた。
「いたた」
「当たり前だ! 何する!」
「……消毒」
 再度ディアの拳が振り上げられる。しかしセイはその手を掴み、ディアの前に顔を近づけた。
「無茶したのは貴方でしょう。心配してもいいではないですか」
「お前のは違う! 心配と違うだろう!」
 はい、正解。
 セイは心の中だけで頷いた。ディアの手を掴みながら足払いをかけ、共に寝台へ倒れこむ。
「ほら、ディア。もう夜中だから」
「……だから何」
「大声出すと宿の人たちに迷惑だから」
「だから何だ!」
 両腕に力が込められる。必死の抵抗、という訳だが封じ込めるのは簡単だ。そんな様も可愛いと思ってしまい、セイは笑う。
 アイルに挑発されたわけではないが、恋人になりたいと思う。この反応から、嫌われているとは思えない。アイルたちにも紹介したい。ディアの気持ちが知りたい。
「だ、大体な、お前がいなかったから、この怪我もしたようなもんで……!」
「え?」
 苦し紛れの言葉だと分かっていたが胸が高鳴った。
「お前がいたら、外捜しに行く必要もなかったし……!」
「私を捜しに行って、襲われたんですか?」
 セイは眉を寄せながら体を起こした。アイルに注意を受けた人斬りの話を思い出す。まさに、話の端から巻き込まれているディアに苦笑が洩れるが笑いごとではない。話によれば人々の警備網をかいくぐって人斬りは事件を起こし続けている。そんな凶悪犯にディアが出会ってよくぞ無事だったと安心する。
 セイはふと、見上げてくる視線に気付いて体を向けなおした。
「まぁ、それは置いておいて」
 ディアがハッとしたように体を揺らした。今の隙に逃げれば良かった、と思っているに違いない。だが二度目はない。少しくらいの強引さは許されるべき、とセイはディアの首筋に顔を埋める。体を強張らせるディアを愛しく思いながら口づけようとして。
「香水?」
 セイは目を瞠った。思わず起き上がって自分の服に鼻を近づける。
 香水と聞いて思い当たる節がある。アイルだ。昔、ルイがアイルに贈ったとされる香水を見せてくれたことを思い出した。恐らく彼は普段気にならないほどの薄さで身に纏っているのだろう。慣れ親しんだ匂いだったため、セイも気付かなかった。
 それにしても香水の存在にディアに気付くなど思ってもみなかった。香水は少量でもかなり高価だ。町に出回ることはそうそうない。存在すら知らない者が大半のなか、どうして気付かれたのだろうか。
「香水なんて、お前どこから」
 当然の問いかけにセイは焦って話題を変える。
「あ、私、明日も一日中いないかもしれません」
「え?」
 呆気に取られるディアに微笑みかけた。
「おやすみ、ディア」
 隠すことはない。やましいことは何もしていないのだから。それでもなぜか焦り、思わず隠してしまった。
 セイは事務的に告げると部屋を出て、廊下で溜息をついた。
 嫉妬など覚えてくれるような性格ではないことは知っている。不安にさせるつもりもないのだが、人の心は複雑だ。もし話すとしても、どう打ち明けたらいいものか。
「もう……」
 セイは顔をしかめた。
 明日会ったら少し愚痴を零してみようと唇を尖らせる。
 ルイに贈られて嬉しいのは分かるけれど。
 ディアからとんでもない誤解を受けているとは知らぬまま、セイは自分の部屋に戻った。