疑惑と嫉妬が芽吹く時 番外編 =セイ的見解=

【二】

 目が覚めて仕度を整える。
 ディアの部屋を訪ねると、まだ眠っているようで返事はなかった。扉を開けると寝台から栗色の髪が覗いている。早くアイルたちのところへ行かなければいけないが、これくらいの時間は許されるべき……と中へ滑り込んで近づいた。
 眠りが深いのか、ディアは起きる気配がない。髪に触れても起きない。
「……無茶はしないで下さいね……」
 昨日と同じことを囁き、眠るディアの頬に唇を寄せて立ち上がる。
「行って来ます」
 やはり全く起きる気配のないディアに囁いて部屋を出た。

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 ヴァレン城の門に近づくと、先日とは違う男たちが門番を務めていた。
 どうやら話が通っていたらしく、セイが話しかけると直ぐに中へ通される。昨日とは別の客室に案内され、しばらくそこで待つように言い渡された。
「……ルイ様か……」
 数年前に別れたきり、手紙のやりとりすらなかった相手。だから婚約話を父から持ち出されたときは、まさに寝耳に水の状態で、とても考えられなかった。共にアイルの後を追いかけ泣きじゃくっていた彼女を友達以上に見ろといわれても無理な話だ。そんな情は覚えたこともない。
 だが久しぶりに会えると思えば心は躍った。恋人にはなれなくても、彼女は大切な友人だ。彼女から見た自分は少しでも男らしくなっただろうかと考える。数年前はさんざん「女の子みたい」とけなされ、彼女に泣かされたこともある。同時に強い彼女はいつもセイを助けてくれた。彼女から「男らしい」と認めてもらえたら今以上に自信がつくだろう。
 セイは扉を叩く音に首を巡らせた。
「どうぞ」
「悪い。待たせたか?」
 扉が開くと同時にアイルが入ってきた。彼の後ろには昨日と同様、カルザが控えている。公務を完全に終わらせてきたようだ。カルザの表情はさほど不機嫌ではない。
「お忙しいのに連日押しかけて申し訳ありません」
「なに言ってやがる。無駄な気遣いはいらん」
 本気でそう思っているだろうアイルに笑みを洩らす。カルザが入ってくると、部屋の扉は閉められた。予想していた人物の姿はない。
「ルイ様はいま頃こちらに向かっているはずですよ。遅くとも昼までには到着なさるでしょう」
 セイの視線を理解してカルザが笑った。
 もしかして自分に会いたくないのではないかと勘繰ったセイは安堵した。
「飛ばした伝令も戻ってないからな。馬を奪ってこちらに向かってるんじゃないのか?」
 アイルが笑い飛ばし、カルザは渋面を作った。
 一方でセイは、そんな暴挙に及ぶルイの姿が想像できずに瞬き、二人を見比べる。アイルは楽しげにセイを見た。
「あいつ、ここ数年でかなり変わったぞ。お転婆もいいところだ。あれじゃあ嫁の貰い手もなくなるな」
「そんなことはない。美しく成長されましたよ。いまも求婚の手紙が絶えないのは知っているでしょうに」
 カルザが否定して嗜める。だが、セイにはルイのどちらの未来も想像できない。
「楽しみだろう?」
「はい。楽しみです」
 セイが素直に頷くと、二人は笑みを浮かべて顔を見合わせた。
「あ、そうです」
 セイは思い出してアイルに詰め寄った。彼の腕を掴み、その袖口に鼻を寄せる。
「セイ?」
「やっぱり」
 セイは溜息をついて腕を放した。
 アイルから漂う香水。本当に薄く漂うだけなので、注意しない限り誰にも分からない香りだ。
「これから私に抱きつくのはやめて下さいね」
 アイルは瞳を瞬かせて首を傾げた。睨まれても意味が分からない。
「あなたの香水のおかげで、ディアに訝られました」
「香水って……確かにつけてはいるが、匂うか?」
 アイルは服に鼻を寄せた。だが鼻はその匂いに慣れてしまっているのか嗅ぎ取れない。カルザも常にそばにいるためか、首を傾げている。
「べつに誤解を受けるような真似はしてないだろうが。なにを隠す必要がある」
「確かに隠す必要はありませんけど……それ、ルイ様から頂いた香水でしょう。少し、後ろめたいというか……」
 アイルは理解できなくて眉を寄せる。ルイが選んだ香水をまとってディアに会うのが嫌だというのだろうか、と考えてはみたものの、やはり理解はできなかった。
「生真面目な奴だな。まったく。セイが嫌だっていうなら気をつけるよ」
 ますますディアという人物に興味が湧いてきた。
 アイルはニヤリとセイに笑いかける。
「さて。じゃあルイが来るまでの間、ディアとやらについて洗いざらい吐いてもらおうか」
「え?」
「あ、いいですねそれ。是非聞かせてもらいましょう」
 アイルとカルザに詰め寄られたセイは瞳を瞬かせた。
 彼らの瞳が好奇心に輝くのを見ながら、セイは半ば強制的に椅子を勧められた。

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 廊下を軽快な足音が走り、部屋の前で止まった。
 待ちきれないように部屋の扉が素早く二回叩かれる。
 誰が来たのか、それだけで理解したアイルはカルザと顔を見合わせて笑った。
「入ってこい」
 その言葉が終わるや否や扉が開かれた。
 現れたのは艶やかな長い黒髪を持ち、頬を上気させている健康的な女性だった。
 彼女にルイの面影を見出したセイは思わず立ち上がる。
「……セイ=ラミアス?」
 記憶の中にある声とまったく変わらない声。彼女は扉を閉め、大きな瞳を丸くさせてセイに近づいた。
「お久しぶりです。ルイ=ヴァレン嬢」
 セイは彼女の手を取り、その甲に軽く口付けた。身分ある淑女に向ける簡単な挨拶だ。ルイは破顔する。
「久しぶりね。元気だったかしら?」
「ええ、見ての通りです。ルイ様は?」
「私もよ」
 ルイは目の前でクルリと回って見せた。長い髪が宙を舞って、衣装の裾が翻る。
「セイが来ていると聞いて、政務を放り出して来たわ」
 くすくすと笑うルイに、セイはどこか安堵する。彼女の笑顔はどこも歪められていない。数年前と全く変わらない親愛を感じる。とても懐かしい気配だ。
 一方、ルイの言葉を聞いたアイルは笑い、カルザは溜息をついて首を振った。
「さすが兄妹ですね」
 セイの言葉にルイは眉を上げた。
「兄さんてば何をセイに吹き込んだの?」
 きつい眦を向けられたアイルはおどけるように両手を挙げて見せた。
「吹き込んだなんて人聞きの悪い。俺の伝令を聞いたらお前、馬を奪ってそのまま来るんじゃないかって話していただけさ」
「まぁ。そんなことするわけないじゃない。仮にも一つの土地を治める支配者なのよ? この衣装で馬に飛び乗ったら何事かと民達に不審に思われてしまうじゃない」
 ルイは両手を腰に当てて怒ってみせた。アイルは飄々と頷く。
「ああ、そうか。じゃあお前の直轄地を出てから馬に飛び乗ったか。じゃなきゃこんなに早く着くはずがないもんな」
「え」
 ルイは今度は動きを止めた。
 カルザもセイも、信じられぬようにルイを見つめる。彼女は裾の長い衣装を着ている。公務用の衣装だ。おそらく領土をその足で見回っているときに伝令と出会ったのだろう。だがそのまま馬に跨れば、本日の公務の取消しも根回しも、本当に放り投げてきたことになる。せめて一度屋敷に戻り、もっと動きやすい私服に着替えて全ての予定の繰り下げを行うべきだ。
「ルイ様。それは本当ですか?」
 カルザが表情を改めてルイに詰め寄った。どうやら本当のようで、ルイは情けない顔をしてセイに助けを求める。昔と全く変わらぬ光景だ。
 セイは苦笑する。
「こんなに早くルイ様と会えて私も嬉しいですから……あまり怒らないで下さい、カルザさん」
 カルザはセイの顔に怯んで怒りを霧散させた。
「あなたたちは、もう……っ」
「いいじゃないかカルザ。この領地ではそんなこと日常茶飯事だし、慣れてるだろう」
「それが自慢できることか!」
 臣下の顔を崩して怒鳴るカルザに、似たもの兄妹は首を竦める。
「帰りはちゃんと馬車を使うわ、カルザ。公務も二倍頑張る」
「ルイが乗ってきた馬は俺がちゃんと元の場所に返しておいてやるから」
 何の意味があるのか分からない気の回し方をするアイルに、カルザは大きな溜息をついてかぶりを振った。
「いいです。貴方は何もなさらないで下さい」
 ひどく疲れを含んだ溜息だった。
「えー、えーと、セイ」
 ルイが無理に話題を変えようとセイに向き直った。
「髪。切ったのですね」
 ルイは作りものではない笑顔を浮かべてセイを見た。ルイが覚えているセイは腰の辺りまで髪を伸ばし、本当に女の子のような姿をしていた。けれど今はその髪も肩までで斬り落とされている。
「その方が男らしいわ」
 何気ない言葉だったが、セイは顔を輝かせた。
「本当ですか?」
「ええ。背もすごく伸びたみたい。私もとうとう抜かされてしまったわね」
 子どもだった頃は目線の高さなどほとんど変わらなかったが、今ではルイよりセイの方が高い。その言葉にセイは嬉しさを隠し切れず、瞳を輝かせてアイルを見た。見られた方はなんだか分かっていないような顔をしたが、セイは満足して向き直った。
 セイは密かにアイルを男の目標としている。今はアイルの高さにまだ届かないが、いつか追いつき、抜かすのが夢だ。
 なぜ“密かに”かといえば、この城を去る数年前に「アイル様のような男になります」と宣言したところ、ルイとカルザに猛反対されたことが原因だった。
「アイル様は? 私、少し男らしくなりました?」
 期待を込めて見つめれば、アイルはセイを見つめたあとにニヤリと笑った。
「いや。まだまだだな。俺のような男になるには修行が足りない」
「望んでろくでなしの修行などされたら父君がお嘆きになりますよ、セイ殿」
「そうよ。兄さんのようになってしまったら人生終わりだと思うわ」
 両脇からすかさず否定意見が飛んだ。アイルは呆れて二人を見比べ、セイは独り「そうか、まだまだですか……」と真剣に呟く。
「ああ、そうだわ、セイ。今日はここに泊まっていきなさい。寝室は昔の部屋を用意させますから」
 先日のアイルと同じようなことをルイは告げた。
 その命令口調に、セイばかりかアイルとカルザも驚く。
「ルイ。手紙を読んでないのか? セイはいま旅の途中だ。連れと共に宿を取っているんだ」
「読みましたとも!」
 断ろうとしたセイの声を無視してルイは叫んだ。
 先ほどまでの柔和な表情を一変させ、その瞳は剣呑さを孕んでアイルを映していた。
「私、セイの泊まっているという宿に行きましたのよ。この町に着いたときに」
「なんでまたそんなこと」
「だって兄さんは私が到着するまでセイを必ず引き止めておく保障なんてして下さいませんもの。城に入ってしまえばカルザから外出許可が下りるかどうかわかりませんし、セイが先に宿へ戻っていたらどうしましょうと思って、先に宿を訪れたのです」
 アイルは「信用ないなぁ」とぼやいた。瞳は少々寂しげだ。
 セイは苦笑する。いつもアイルの後を付回していたルイから、彼を責める強気な発言があるなど考えたこともなかった。
「そこで、兄さんの手紙に書いてあったセイの連れを見ましたわ」
「ディア殿を見たのか!」
「え、どんな方でしたか!?」
 アイルとカルザは興味津々といったようにルイに詰め寄った。
 ことの成り行きを知らないルイはその必死さを訝しく鬱陶しそうに払いながら、セイを見て唇を尖らせた。
「粗野で常識をわきまえない方でしたわ」
 セイは顔をしかめた。
 アイルもカルザも、先ほどまでセイから聞いていたのろけ話とはずいぶん違うその言葉に眉を寄せる。視線で言葉の先を促す。
「私がセイの部屋にいたとき、扉が叩かれたので返事をしようとしましたら、それを待たずに扉が開かれたのです。顔を出したのは少し厳しい顔立ちの男性で。弁解も何もなく、直ぐに去っていきましたわ」
 セイは苦笑した。貴族の屋敷では、部屋の主から返答があるまで扉は絶対に開かない。それが常識となっている。ルイも例外ではない。
 実際セイも、ディアのその所業に顔をしかめたものだ。いつの間にか慣れてしまい、あまり不快には思わなくなっていた。
 だがその第一印象も手伝い、ルイにとってはディアの悪い部分が際立って見えてしまったのだろう。
 ――ただ目つきが悪いだけですのに。
 何の慰めにもならないようなことを胸中で呟きながらセイは肩を竦める。
「誤解ですよ。ディアは」
「セイは騙されているのです! 主がいないと分かっている部屋に忍ぶなど、よからぬ考えがあったに違いありません。あのような者とは手をお切りなさい。あなたはここに泊まるのです。これは命令ですよ」
 命令ですか、とセイは小さく呟く。
「ルイ。お前には言ってなかったが、セイの連れは女性だぞ。お前が見たのは本当にディア殿だったのか?」
「そうですよ。きっと本当のよからぬ輩が偶然忍んで来たに違いありません」
「え、女性……?」
 強気な態度を崩してルイが困惑した。アイルとカルザは説得する。
 セイは彼らの様子を眺めながら気持ちが落ち込んでいくのを感じていた。先ほどのルイの言葉が心に影を落としている。
 二人にはディアが男性と間違われやすいことは告げていない。ルイが出会ったのは不審者だと力説する。無理もない。セイだって出会った当初、ディアを男だと間違えていたのだから。ディアもこちらを女だと信じていたのだから引き分けか。
 大きくなっていく騒動にセイは口を挟んだ。
「ディアで間違いないと思います。栗色の髪の人でしょう?」
 どう弁明したものかと内心で首を傾げながらルイに尋ねる。彼女はまだ良く分かっていない表情で素直に頷いた。アイルとカルザは一様に「え」と声をそろえ、次の言葉は三人同時だった。
「二人旅って言ってなかったか?」
「そのような方と旅をしてきたのですかっ?」
「待ってよ。女って、え?」
 三者三様、認識が違う。混乱中の頭を抱えて三人はセイを凝視する。
 セイは無言のまま両手を上げ、三人を宥める。
「ええと、私は間違いなく二人旅ですし、ルイ様が見たというのも間違いなくディアですよ。そして、ディアは女性です」
「……つまり、ディア殿はルイが男だと見間違えるような女性ということか?」
 理解に苦しむようにアイルが確認する。これまでセイから散々“可愛い”だの“不器用”だの“美人”だのと頬を染めて語られ、アイルの中で出来上がりつつあった“ディア殿像”に音を立てて亀裂が走った。
「私たちから見れば常識外れかもしれませんが、彼女は貴族社会を知りませんし、そういうことに頓着しないことも含めて好きですから、彼女の批判はしないで欲しいです」
 セイは口調を強めて三人を眺める。
 剣を振るうときにしか見られなかったセイのそんな視線に、三人は息を呑んでセイを見つめた。
 最初に緊張状態を解いたのはルイだった。
「――あきれた。セイ。あなた、あの人と共にいるために家を離れたというの?」
「ええ。そうです」
 それはルイの知らない表情だ。
 ルイは寂しさを覚えたのか視線を落とす。そんな彼女を見て、カルザもまた視線を落とし。
「ふうん。ますます興味が湧いてくるじゃないか、セイ。お前明日、そのディア殿とやらを連れて来な」
 アイルただ一人が面白そうにセイを見ていた。
「ディア殿がどんな人物か、実際に会って話をしてみればいい。ルイが見たのは一瞬のことだろう? そんなことで人間性を否定しちゃ、向こうも本意じゃないだろう」
「それはそうですけど……」
 ルイは不満そうに唇を尖らせてアイルに視線で訴えたが、聞き入れられない。
「セイ。いいな。明日は噂のディア殿を必ず連れてこいよ」
 有無を言わせぬその態度に、セイは呆気に取られてアイルを見返した。先ほどのルイの命令よりはまだ心が軽いが、それでも憤りを覚える。ディアを自分の都合でどうこうするわけにはいかない。ディアは貴族というものを避けている節もあり、さり気なく誘ってみても、断られる可能性が大きい。自分の意志を曲げてまで招かれるディアではない。
 セイは困って眉を寄せ“必ず”は保障できないと断ろうとしたが、その唇に人差し指が当てられた。瞳を瞬かせるとアイルが微笑んでいる。どこかディアを彷彿とさせる表情にセイは息を呑む。
「権力は有効に使え、ということで。セイ。これは未来のヴァレン侯爵命令だ」
「勝負を勝手に投げないでいただけますこと?」
「政務もさぼりがちな領主なんて私はいりませんよ」
 両者からの容赦ない言葉にアイルは憮然と睨みつけ。
 その表情にセイは思わず吹き出して笑い声を上げた。