疑惑と嫉妬が芽吹く時 番外編 =セイ的見解=

【三】

 ディアの紹介を命じられたセイは、さてどうしたものかと頭を悩ませながら宿へ帰ってきた。
 ひとまずディアの部屋を訪れてみる。扉を叩いても返事はない。ルイと対面したというディアが何を思ったのか分からず、不安なまま扉を小さく開けてみる。しかしディアの姿はない。セイは肩を落として扉を大きく開ける。中へ入り、寝台に腰掛けた。
 まだ仕事を探しているのだろうかと思う。アイルたちに会ったら一緒に探そうと思っていたのだが、この分ではもうしばらくは無理そうだ。そろそろディアには説明をしなければいけないだろう。連日出かけているわけと、まだ一緒に働けないわけを。
 機嫌を損ねていなければいいなと溜息をつき、倒れるように寝台に横たわる。
 ふと気付いた。
 部屋の中にディアの荷物がない。
 剣を持ち歩いていることは分かるが、着替えなどが入った袋を持っていく必要はないだろう。今までもディアは仕事探しに出かけるとき、必ず荷物は部屋に置いて行っていた。
 セイの胸を嫌な予感が掠める。
 起き上がり、もう一度部屋の中を見渡す。
 綺麗に整えられた部屋の中にディアの荷物はない。まるで、いつでも客を通せるように整えられている。
 セイは眉を寄せて部屋を出た。自分の部屋に戻ると、そこには出てきたときと変わらぬ風景がある。荷物も元の場所に置かれている。ディアの荷物だけがない。
 心拍数を増す心臓を感じながら踵を返す。階段を下りてカウンターへ近寄る。その隅には昨夜ディアが割ったと思われるランプも置いてあり、視界の端でそれを捉えたセイはそのことも謝罪しないとと今更ながらに思い出す。カウンターの奥へ呼びかけた。
「あの、すいません」
 セイにとっては少し高いカウンターに爪先立ちになる。
 奥で本を読んでいた亭主はすぐに走り出てきた。
「背の高い栗色の髪の方が二階に泊まっていたでしょう、昨日から。今日はどこへ行くか、聞いていませんか?」
 矢継ぎ早に尋ねるセイになにを思ったのか、亭主はそのふくよかな顔に複雑な表情を浮かべた。
「昼頃に引き払っていったよ。あんたの宿泊料の二日分だけ前払いしてもらってね」
「引き払った……?」
 セイは亭主の言葉を繰り返した。意味が頭の中に染み込んでいかない。信じられなくて瞳を瞠る。亭主は疲れているように首を振りながらカウンターに肘をついてセイに囁く。
「あんた、なにか相方を怒らせるようなことしたんじゃないのかい。ずいぶんな剣幕だったよ」
「怒らせるようなこと……」
 セイは首を捻った。何も思いつかない。
「でも、私の分を支払ってくれたということは……帰ってくるかもしれないですよね?」
 わずかな希望にすがって亭主を見上げる。
 瞳を潤ませながら問いかけるセイに亭主は息を呑んだが、あいにく確実ではないことに頷ける性格ではなかった。無言のまま溜息をついた彼はセイの頭を撫でる。
 すっかり女の子に勘違いされたセイは唇を噛み締めてかぶりを振った。亭主の手を振り払う。そしてそのまま踵を返して宿を出た。通りには様々な人が行き交っている。いつもなら直ぐに見つけられるあの長身は見当たらない。
「昼頃……」
 それはルイがディアと鉢合わせになった頃だが、セイはそこまで頭が回らない。事実は認識しているが、ディアが何を思ったのかまでの想像はできない。嫉妬などとは思いもよらない。
 一度通りを眺め、その中にディアの姿を見つけられないと悟ると宿に戻った。亭主の視線を感じながら二階に上がる。自室に戻って寝台に腰を下ろす。
 捜さないと、とは思うものの、どこを捜したらいいのか見当もつかない。ディアと出会う前のように、ただの人形に戻ってしまったかのようだ。
「……っ」
 底知れぬ恐怖のようなものが足元から這い上がってくるような気がして、自分で自分を抱き締める。うな垂れて寝台に倒れこむ。
「いや、です」
 顔を歪めながら呟いた。
 ディアがいなくなるのだけは絶対に駄目だ、と強く思う。ましてこのような一方的な別れは納得できない。アイルたちに明日、別れを告げてディアを追いかけようと思う。あの目立つ長身は、聞き込みをすれば必ず誰かが覚えているだろう。
 必ず見つける。そして――。
 セイは眉を下げた。途方に暮れる。見つけた先、なにをしたらいいのか分からない。ディア自身の意志で出て行ったことは明白だ。ディアにその気がある限り、たとえ見つけても今回のようなことは何度でも繰り返されるだろう。
 説得してもディアからその意志が消えなかったら、二度と逃げられないように、繋ぎ止めて、自分だけのものにしてしまえばいい――セイはかぶりを振った。そんなことを思ってしまう自分が信じられなくて溜息をつく。
「……参ったなぁ……」
 紫紺の瞳に傷付いた光を宿して寝台に顔を埋めた。

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 翌朝――セイは重く感じる体を起こして寝台を下りた。
 まだ虚ろな頭を振り、着替えを済ませると隣の部屋へ向かう。扉を開けてみて、やはりディアの姿がないことを知る。昨日と何も変わらない、閑散とした部屋。
 ディアは帰ってこない。
 その事実だけを確認して自室に戻り、セイは手早く荷物をまとめる。追いかけなくては、とだけを思う。仕度を済ませ、荷物を抱えて部屋を出る。
 ――さて。有効な手がかりが掴めればいいんですが。
 首を傾げ、このヴァレン領を出たらどこへ行くつもりだったかとディアと練っていた予定を思い出す。確かここよりも更に北へ向かい、海岸沿いに行こうとしていたはずだ。ならばその街道を渡っていけば追いつけるかもしれない。だが自分を撒こうというなら、ディアはあえて別の方向へ行くのか。関所で聞けば分かることだ。
「あの、すいません。お勘定をお願いしたいのですが……」
 カウンターに顔を出して告げると、昨日の亭主が驚いたように走り出てきた。セイを見た彼は次いで周囲を見回す。ディアの姿を捜したのだろう。だが彼女はいない。
「お前さん、独り……かね?」
「ええ、独りです。お勘定お願いできますか?」
 亭主は一瞬だけ言葉をつまらせて瞳を細めたあと首を振った。
「いや、お代は要らないよ。あんたの連れにも前払いで貰っているんだ。むしろ返さなきゃいけないくらいだよ。ちょっと待ってな」
 奥に走り出す亭主の背中に笑みを零し、セイは彼が戻ってくる前に背中を向けた。つり銭を受け取ることなく宿の外へ出る。
 朝なので人通りは少ない。見回してもディアの姿は欠片もない。
 ――大丈夫。ディアは目立ちますから。
 セイはそのままヴァレン城へ足を向ける。そうしながらも辺りに目を配るが、ディアの姿はない。徐々に落ち込んでいく心を感じながら、セイは剣の柄に手をかけた。

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 今日ばかりは待たされるということに腹が立った。
 アイルは次期領主かもしれず、公務で忙しく、本当ならアイルより身分の低い自分が何度も訪れること自体が間違っているのだが、それでも苛立ちは覚えてしまう。こんなに待たされるなら外へ出てディアを捜していたい心境だ。
 外を見ればすでに昼で陽は傾くばかり。アイルは何をしているのだろう。
 アイルばかりかルイも訪れず、セイはただ独り応接室で時間を持て余している。入城したのは朝方のため、待機時間はかなり長い。
 そのとき扉が叩かれ、アイルが顔を出した。ようやくの登場だ。
 セイは思わず詰め寄る。
 アイルは部屋を見回し、わずかに眉を寄せてセイを見た。
「おまえ独りか?」
 今日はディアを連れてくるという約束のことを指しているのだろう。だがそれどころではなくなったのだから仕方ない。
「はい。あのですね」
 事情を説明しようと口を開きかけて、セイは止まった。
「セイ?」
 アイルが目を瞠ってセイを見た。
 セイは目を見開いてボロボロと涙を零していた。数年前ならよく見られた光景だが、久々に再会したセイはそのような気配もなかったのに、いったい何があったというのか。アイルは黙ったままセイを見つめた。
「ア、アイル様。あのですね」
 この場にアイルのみで良かったと思う。成長した自分を見せようと思ってきていたのに、結局変わってないのだと知られたくなかった。
 ディアのことを何と説明したらいいものか。彼女にとって自分は、伝言も何もないまま置いていけるほど軽い存在だったのかと、唐突にそんな思いが湧いてきて、哀しくなった。
「待て待て待てっ。どうしたって言うんだ、一体?」
 セイは不甲斐ない自分が腹立たしくて乱暴に涙を拭い、アイルを見上げた。
「アイル様。もしも好きな人が何も言わずに消えたらどうします?」
 アイルは面食らったような顔をしたが直ぐに思い当たり、次いでセイの涙の原因も納得がいって苦笑した。慰めるようにセイの両肩に手を乗せ、顔を近づけて囁く。
「ディア殿は、たぶんハーストンと一緒にいるよ」
 セイは大きく目を見開かせてアイルを見た。
「さっきハーストンに自警団の名簿を提出させた。把握するのは俺の義務だしな。それで、昨日新たに加えられた欄にディア殿の名前があった。恐らくセイの連れだろう」
「え、自、あの、人斬りのための?」
 セイは目を見開いたまま信じられないように聞き返す。寝耳に水もいい所だ。無茶はしないと言ったにも関わらず、やはり首を突っ込んでしまったのかと呆れが湧く。しかし無事で近くにいるという嬉しさもあり、どのような反応を返せばいいのか分からなかった。
 湧き上がったのは“今すぐ会いたい”という想い。
「自警団の場所はどこです?」
 泣き顔とは一変し、鬼気迫る口調でアイルにつめ寄る。
 アイルは落ち着けと宥めるが聞き入れない。
 教えてくれないと早合点し飛び出す勢いで扉に向かうセイを、止めようとアイルは手を伸ばす。だが届かなかった。セイは素晴らしい勘の良さでアイルの手をすり抜けた。そのまま扉を開いて廊下に出ようとして――セイは直ぐ目の前にいた人物にぶつかった。だが心の篭らない謝罪を述べたのみでセイは再び走り出そうとする。普段ならば考えられないことだが、今のセイの頭にはディアのことしかなかった。
 通り抜けようとしたセイは腕を思い切り引かれて振り返った。
 ようやく周囲の様子が視界に入る。
 セイがぶつかったのはルイだった。彼女は長い黒髪を揺らせてセイの腕を引き、少し怒ったような表情をしている。
「おうルイ。助かった。お前もな、最後まで人の話をちゃんと聞く!」
 少し慌てた様子で出てきたアイルだったが、そこでルイに捕まるセイを見て息を吐き出した。そして不満げな顔を見せるセイに驚いた。今までアイルが怒れば極端なほどに落ち込んでしまっていたセイだが、今はそれも忘れているようだ。
「兄さん。あの話はセイには?」
「いや。まだだ」
 短い兄妹のやり取り。今すぐにも飛び出して行きたいセイは、まだ引き止められるのかと唇を噛んだ。せっかくディアの足取りが掴めたというのに、いまここで時間を取られていたら再び行方をくらませてしまうかもしれない。なにせ相手はあのディアだ。予測できない。人斬りの問題を直ぐに解決させることも可能かもしれない。
「あの。早く行きたいのですが」
 行く場所も本当には分かっていないのだが、ここでこうしているよりは町に出たい気分だ。
「だから、落ち着けと言っているだろう」
 アイルは呆れたように溜息をつくが、セイにしてみれば自分こそ溜息をつきたい気分だった。こんなにも早く行きたいと願っているのに、なぜ許されないのか。だが彼を困らせたくないのも事実で罪悪感が湧き、必死に冷静さを取り戻す。
「……私にお話とは、なんでしょう?」
 ルイを見ると彼女は露骨に顔をしかめた。昔は良くしていた顔だ。納得のいかないことがあると、彼女はよくこんな顔をしていた。
「まぁ、部屋に戻れ。話はそれからだ」
 さすがにその誘いは断れない。ふざけている普段とは違い、剣呑な光が宿っている。かなり機嫌が悪化しているようだ。
「……はい」
 セイは大人しく部屋に戻り、その背後でアイルとルイは顔を見合わせて溜息をつく。椅子に座ったセイへと体を向け直す。
 そこでセイはとんでもない策謀を聞かされた。
 セイとルイの婚約を再び蒸し返そうというものだ。この婚約は以前一度だけ上がっていた話だったが、それが現実に向けて動き出そうとしている。そこに本人たちの意志が入る余地はない。
「王より直々のお言葉があったんだ」
 アイルは肩を竦めてセイを見た。
 セイは受けた衝撃の大きさに呆然としながらアイルを見返す。言葉が上手く頭に入っていかない。
「ラミアスに嫁すことはできないかと」
 セイはルイに視線を移す。彼女は淡々と言葉を受け止めており、セイほどの衝撃は受けていない。先に話を聞かされていたのだろう。
「父上同士だけの話かと思っていました……」
「まぁ、ドーラル殿も全てを明かすような方ではないからな。先の戦いが終わった後で、話だけは一度あったらしい。功績を称えるためにとかなんとか、って」
 セイは眉を寄せる。先の戦が終わったのはセイが生まれる前の話だ。そこでセイの父であるドーラル=ラミアスは見事に辺境伯としての役目を全うした。
 今回の話は、ラミアスの功績を称えるために王が考え出したもののようだ。ドーラル=ラミアスと懇意にしていたセヴィラル=ヴァレンの子どもを娶わせるつもりなのだろう。そうすれば続いての子どもは侯爵名を与えられることになる。これ以上はない名誉だ。
「そんな……横暴です!」
 肩を怒らせてセイが口調を強めれば、見上げた先でアイルは頷いた。
「承知している。けど、先ほどのお前の態度を見る限りでは正しい判断だと思うが?」
 言われてつまった。ディアと出会う前には、人の言葉も聞かずに走り出そうなどとしなかっただろう。強く成長したのだと胸を張ることもできたが、今回ばかりはそれが裏目に出てしまったらしい。
「それでも……ディアは、そんなに悪い人ではありませんし。そりゃあ、多少の悪事も働きますけど大事件に発展するほどではありませんし、それが彼女の楽しみのようなもので、その顔が凄く生き生きしていて……」
 褒めているのか貶しているのか惚気ているのか、セイの言葉にはまとまりがない。そんな必死さを見せるセイは初めてでアイルは頬を緩めるのだが、隣にいるルイは面白くないように瞳を険しくさせる。
「いいではありませんか。あなたの都合も考えずに、勝手に行方をくらませるような方など。とてもセイを大事に思っているようには見えませんけど?」
 セイには返す言葉もない。
 共に旅をすることは、半ば強引にだが許されていた。だが、ディアから大事にされたことなどない、と重大な真実に気付いた。
「いえ! ディアは気に入らないなら何がなんでも容赦なく振り切って逃亡するような人です! 今まで一緒にいたことこそ、大事に思ってくれていた証拠のはずなんです!」
 情けない反論だった。
 アイルは賢明にも吹き出さずにセイとルイのやり取りを見守る。
「けれど今あなたは置いていかれているではないの」
「そ、れは……でも、同じ町にいますし、置いていかれたわけではないです!」
「あら苦しい言い訳。自警団に逗留しているのも、セイのためではなくて報酬のためにではないのかしら」
 セイの瞳が険を帯びた。ディアを知らない者に、そのように侮辱されるのは我慢ならない。たとえルイの言葉に同意できる部分があったとしても、ディアを知っている者からの言葉ではないと、同意したくなかった。ディアを知る者ならば悪意だけが残ることはないだろうから。
「……取り消してください。ディアはルイ様が思っているような人では絶対にありません」
「ルイ。今のはお前が悪い」
 自覚があったルイはアイルの言葉に眉を寄せる。セイから視線を逸らせる。
「それほど言うのならお見せなさいよ。私が納得できるだけのものを。そうすれば私との婚約は全て白紙に戻します。王からは、私の意志で決めていいとのお言葉を受けております。あなたがそれほど想う方に誠意があるならの話ですが!」
「ええ、分かりました。ディアがそのような人物ではないことなど、私が一番よく知っています。必ず見せますから、そうしたら絶対に取り消して謝って下さいね!」
 二人は椅子から立ち上がり、睨みあう格好で火花を散らす。
 婚約の話を進めていたはずだが、話はおかしな方向へ転がっていく。
 アイルは二人の視界に入らない場所で、にやけそうになる自分を必死で抑えていた。