疑惑と嫉妬が芽吹く時 番外編 =セイ的見解=

【四】

 城から飛び出すように出てきたセイは、非常に怒っていた。
 昔馴染みの城の者たちが目を丸くしてセイを見送る。
 そんな視線にも気付かないほど、セイは怒っていた。
 ――ルイ様があんなことを言うなんて思わなかった。人を中傷するような真似、決してなさらない方だったのに!
 からかいの意を込めた会話はこれまでも何度かあったが、先ほどの言葉にはディアに対する侮辱が明らかに含まれていた。見事に痛いところを突く言葉ばかりだ。
 怒りの中には図星も相当含まれていたが、セイは気付かず衝動のまま城を飛び出していた。なんとしてもディアの誠実さをルイに見せてやる、という非常に強気で途方もないことを考えていた。
 しかし、いったいどうすればルイにそれが分かるのか、全く分からないことに気付いた。
 ディアと共にいれば分かってもらえるとは思う。だが、まさか一緒に旅に連れていくなどできない。このままではルイと本当に婚約させられてしまう。ドーラル=ラミアスはヴァレン侯爵家よりも階級が下なので、侯爵権限を行使されてしまうと逆らうことができなくなる。なんとしてもディアの人間性を理解して貰わなければならない。
 先行きはとても困難に思えた。
 ディアは多少の危険よりも報奨金を優先させる。最初に約束された額より少ない額を渡されたものなら怒りと共に二倍の額を寄越せと主につめ寄る。金儲けの匂いがしていれば見逃さないし、隙を見計らって柄の悪い輩からお金を巻き上げようともする。
 考えれば考えるほどディアが悪人に思えてくる。
 ディアが何も言わずに出て行ったことを考えれば、彼女もまたかなり怒っているのだと知れる。まずはその怒りと誤解を解かなければルイに証明もできない。しかしいくら考えても怒られる理由が思いつかない。
 直接会って話をしよう、と思ったセイは目を瞠った。頭に血が上って、自警団の拠点を聞いていなかったことに気付く。自分の迂闊さに舌打ちした。
 城に向かったのは早朝だというのに、城を飛び出した今、町は夕闇に包まれていた。通りを歩く人は見当たらない。いつの間にか店じまいまでされている。
 一度城に戻って場所を聞いてこようかと思ったが、脳裏にルイの顔が浮かんでかぶりを振った。ルイを納得させられるだけのことをしない限り、城には行けないと思う。
 ――とにかくディアがこの町にいることは分かっている。きっと見つけられます。私だけでも信じていないと……っ。
 自警団の拠点なら近くの民家にでも聞けば直ぐに分かることだ。だが生憎と今のセイに、そこまで頭を回している余裕がなかった。自分が育った、第二の故郷とも呼べる場所だからだろうか。絶対にアイルやルイに認めさせるという感情で意固地になっているのかもしれない。
 立ち止まり、悩んでいるうちに夕闇は濃さをまし、あっというまに夜となった。
 闇がセイを包む。そして霧まで湧いて出る。
 セイは溜息をついて歩き出した。どこへ向かうとも知れず、足が向くまま歩き出す。
 何も考えずしばらく校外に向かって歩いていたセイは、さほど遠くない場所から何かが聞こえたような気がして顔を向けた。耳を澄ませ、風に乗ってきた音を確かめる。
 誰かの口笛。そしてしばらくして、剣戟の音。
 人斬りの話が脳裏に浮かんだ。
 誰かが襲われているのかもしれない。アイルたちが治めるこの領内で……!
 セイは剣を確かめると走り出した。
 数年前と変わらない町並みを、セイはよく覚えていた。音が聞こえてきた方向へ最短距離で駆け抜ける。裏通りを抜けたとき、前方の霧からこちらに走って来る人影を見つけた。
 襲われて逃げてきた人だろうか。
 セイは安心させるように微笑んで声をかけようとしたが、その表情を強張らせた。人影は抜き身の剣を手にしている。ただの住民が剣を持つことは滅多にないため、自警団の人かとも思ったが、人影はセイの姿を認めた途端に走る速度を上げた。剣を握る手に力が込められた、気がした。
 相手の顔まで認識できる距離になったとき、セイは剣をようやく構えなおした。
 セイに走って来る男は形相を険しくさせ、体格の差で自分が有利だと思ったのか下卑た笑みを浮かべた。
 セイの近くまで走ってきた男が剣を振り上げると同時に、セイは身を屈めた。
 あとで詮議にかけることも考え、抜き放った剣を素早く逆手にして、柄を相手の脇腹に叩き込んだ。それだけで男は呆気なく意識を失った。
 地面に倒れた男を、セイは拍子抜けして見下ろす。ハーストンが手こずるほどだからかなりの腕前かと踏んでいたが、思い過ごしのようだ。
 セイは少し納得がいかないまま男を抱えて歩き出した。この男が走って来た方向に、怪我をした人がいるかもしれないと思った。
「……剣の音……」
 少し歩き出したとき、更に剣戟の音が聞こえてきた。
 セイは瞳を瞬かせる。
 人斬りはすでに意識を失っているのに、いったい誰と誰が剣を交えているのだろうか。
 まさか――とセイは嫌な予感を覚えて走り出した。
 幾らも進まないうちに剣戟は激しさを増し、そして何かが地面に叩き付けられたかのような音が響く。
 セイは家の角を曲がり、広がった視界に息を呑む。
 見慣れた人物が地面に押し倒されていた。そして、その人物に圧し掛かって剣を振り上げ、とどめを刺そうとしている男がいた。
「……駄目ですよ」
 最初に倒した男を地面に転がして声をかける。
 剣を振り上げていた人物と、今しも殺されようとしたいた人物――ディアが同時にセイを見た。彼らに見せ付けるよう、セイは地面に転がした男に剣を突きつけた。
 人斬りが複数犯だとしたら、最初に捕らえたこの男と、今まさにディアを殺そうとしていた男は仲間のはずだ。それならこの要求も聞き届けられるはず。
 しかし脅しに屈せず男の剣がたやすくディアに埋まることも考えられる。
 セイは冷や汗をかきながら努めて平静に男を見据えた。
「その人に手を出したら、貴方のお仲間の命の保障はしませんから」
「……セイ……?」
 ディアの左手を大男が踏みつけていた。セイが眉を寄せると大男は体を伸ばし、肩に刺さっていた剣を抜き去る。遠くへ放り投げた。
「そいつに手を出すな」
「貴方が大人しく捕まって下されば、私は何もしませんよ」
 人斬りとはいえ仲間意識と思いやりの心はあるらしい。それが広く一般人に向けられないのは残念だが、ひとまずディアの危機は回避できた。安堵に気が抜ける思いをしながらセイは視線を男から逸らさない。男の敵意をディアから更に逸らそうと微笑してみせる。
 男の歯軋りが聞こえてくるようだ。
 彼が斧を構えたのを見て、ああと納得する。
 さすがのディアも複数を相手に、さらにこのような巨漢の斧使いを相手にしては勝ち目がなかったのだろう。間に合った奇蹟に感謝したい。
 視界の端には他にもディアが倒したと思われる男が倒れており、こんな不利な条件のなか良くここまで持ちこたえられた、と嬉しくなる。
 地響きがたちそうな迫力で、男が猛進してきた。
 セイは冷静にその進路を見極めて斧に注視し、間合いを詰めて威嚇として一閃放った。動きを止めた男の懐で体を捻る。剣を持ちかえ、先ほど仕留めた男にしたのと同じように、柄を脇腹に叩き込んだ。
 本当ならディアを傷つけた代償として、刃で斬り伏せてしまいたいという思いがあった。だがこれ以上アイルを困らせたくない。第一、ディアの目の前でそのような暴挙も躊躇われる。
 男はセイの打撃を受けて軽々と吹き飛んでいった。最初に放った威嚇の一閃が入っていたらしく、倒れた男からゆるゆると血が広がっていく。だが傷は浅いはずだ。すぐに止まるだろう。
 セイは男たちのことは後回しにしてディアに近づいた。
「自警団にはどなたかの推薦がないと入団できないと聞いて安心していたんですけどね」
 霧の中でもディアの姿ははっきりと見えた。彼女の頬には深い傷が走っており、血が流れている。そばにいたなら絶対にこんな傷などつけさせなかった。
 セイはディアの傷口に眉を寄せる。
「無茶はしないで下さい、と何度言わせるんです」
「……セイ……?」
「はい」
 先ほどから同じ言葉しか繰り返さないディアに笑みを洩らす。
 ディアは何か言いたげに口を開いたが、言葉が出てこなかった。それはセイも同じだ。何から言おうか、何から怒ろうかと、言葉は尽きないはずなのに、言葉が出てこない。
「何だよ、お前……」
 目の前でディアが泣き出した。
 栗色の双眸を見開かせて涙を零すディアに慌てる。ディアが泣くところなど初めて見た気がする。
「いきなり消えるなよ……驚くだろう?」
 抱きしめてしまいたいけど拒否されることが怖くて、どうしたらいいのか分からずうろたえていると、ディアから手を伸ばしてきた。縋りつくように体を寄せられる。ディアの額が肩に押し付けられる。嗚咽を堪えているのか、唸り声が耳元で聞こえてきた。
 恐る恐るディアの背中に腕を回す。拒否されるどころか更にきつく抱きつかれる。嬉しいより先に混乱してしまう。今まであまりに報われていなかったため、素直に喜べない。
「……ごめんなさい」
 ディアは勢い良くかぶりを振った。額を押し付けられている箇所がくすぐったい。
「もう……消えるな」
 先に消えたのはディアなのに勝手なことを言う。
 そうは思いながらもセイは嬉しさに微笑んだ。ディアが消えたあと直ぐに宿を引き払ったため、ディアがたとえ戻ってきたとしても亭主には「いないよ」と告げられただろう。先ほどの言葉は、もしかしたらディアがあのあと宿に戻ったから出てきた言葉なのかもしれない。
 初めて求められたことが嬉しくてディアを強く抱きしめる。
 このまま押し倒してしまいたい気分にさせられる。
 必死で自制していると腕の中の重みが増した。首を傾げてディアを見ると、瞳を伏せて全体重をセイに預けてきていた。
「ディア?」
 聞こえてくるのは規則正しい寝息だ。
 思わず肩を落とし、漂ってくる僅かな酒の匂いに気付く。相当量を飲んだようだ。いつもは酒の余韻など思わせないほど平然としているのに、珍しい事態だった。意識不明になるほど強いものを飲んだのだろうか。
「もう……」
 呆れるようなおかしいような、なんとも複雑な表情で溜息をこぼす。ディアを横抱きに持ち上げると、以前よりも軽くなっていることに気付いた。それとも自分の力がついたのだろうか、と首を傾げる。
 セイは周囲を見回した。
 男たちはしばらく目を覚まさないだろう。先にディアを安全な場所まで運び、それから男たちを縛り上げようと考える。その間に逃げられたら、そのときはそのときだ。今はディアが優先される。
 そう考えながら「ああそうだ」と思い出し、先ほどの斧使いが放り投げたディアの剣を探して拾った。ディアがとても大切にしている剣だ。起きて無くなっていたら悲しむだろう。
 ディアに会えたことでセイの気持ちも落ち着いたのか、ハーストンが拠点としそうな建物は幾つか思い当たった。
 候補を頭の中に浮かべ、ここからさほど離れていない場所にディアを抱えたまま向かう。もしも違うならもう一度ここへ戻り、誰かが見つけてくれるまで時間を潰しているのも悪くない。
 ディアを起こして聞けば早いのだが、起こす気はなかった。
 果たしてセイは運が良かった。訪ねた一軒目に武装が置いてあり、稽古ができそうな広い建物を発見する。少し躊躇ってから二階へ上がり、扉をあけて机を見る。そこにはハーストンのものと思われるものが散々していた。
 ここが自警団の拠点だと確信し、セイは部屋のソファにディアを寝かせた。本当は寝台があれば一番いいのだが、拠点にはそこまでの設備はないらしい。
 そばにディアの剣を立てかけ、携帯している薬草を頬の怪我にあてがった。勝手にハーストンの机を開け、そこから救急道具を取り出す。勝手知ったる他人の家だ。
 薬草を押し付けたそこをガーゼで保護し終えたあとは、一向に起きる気配のないディアを見つめる。アルコールのためか泣いたためか、顔は真っ赤に腫れている。触れるとかなり熱い。
 見下ろしながら頬に触れ、目元に触れ、唇に触れて手を離した。やっと会えたという思いが強すぎて、衝動が湧きあがる。振り切るようにかぶりを振ってもう一度ディアを見て、アイルたちのことを思い出す。
 彼らにディアのことを分かってもらわないと婚約させられてしまう。そんなことになったら、どうなるか分からない。ここまで何かに本気になったのは初めてのことだ。だから自分でも恐ろしい。
「ねぇ、ディア?」
 起こさない程度の小さな声で囁いた。責任は取っていただかないと、と。
「頑張って下さいね」
 寝顔を見つめるうちに妙案が閃いて立ち上がる。ディアは、根は素直で義理堅く、自分の意に染まぬことは決してやろうとしないわがままな人だ。ここで自分がいなくなり、行方をくらませれば必ず捜しだそうとするだろう。
 ようやく引き出した「離れるな」という言葉によってこの賭けも成立する。
 セイはかなり嬉しかった言葉を思い出しながら笑みを零す。
 自分を捜すにあたってアイルたちの心証を悪くするような言動はしないはずだ。
 まずは城に戻り、アイルたちにこのことを話し、舞台を整えてもらう。それであとはディア次第となる。
「では、必ずまた会いましょう。ディア」
 離れがたく思っても、今は離れていよう。ハーストンが戻る前に人斬りたちをここへ連れて来る仕事も残っている。
 セイは眠るディアの額に口付けて離れ、階下へ向かった。