疑惑と嫉妬が芽吹く時 番外編 =セイ的見解=

【五】

 城に戻るとアイルとルイは同じ部屋にいた。すぐそばにはカルザもおり、三人でなにかを話し合っていたようだ。ルイが不機嫌そうに眉を寄せている。
「アイル様」
 案内してくれた兵に礼を言いながら中へ入ると、アイルが振り返って笑いかける。
 セイは真剣な表情でアイルに向き直った。
「あとでハーストン先生から報告があるかもしれませんが、人斬りを捕らえました」
「何?」
 思いもかけない言葉に、アイルは片眉を上げた。すぐに背後のカルザを振り返る。カルザもまた驚いた表情を見せて体を乗り出す。険しい表情だ。
「それで、どこに……いえ。ハーストンと言いましたか?」
「はい。ディアと二人で捕らえました」
 本当は少し違うのだが、セイはあえてそう告げた。ソファに腰掛けたままだったルイが顔をしかめる。
「自警団の拠点にまとめてありますので、ハーストン先生から引き渡してもらって下さい」
「セイ」
 ルイが立ち上がってセイを見ていた。端整な顔立ちを険しくさせる彼女に、セイもまた表情を強張らせる。
 同年代のその二人の様子に、アイルは笑みを洩らしながらも黙って見ていた。セイが城に住み込みの剣術見習いだったときから、この二人は互いを鏡に映したような雰囲気を醸していた。何をするにも一緒で考え方も同じ。アイルをつけまわす連係プレイなど他の追随を許さぬほど息を合わせていた。
 ルイは悔しそうに昔の親友を睨みつける。
「昼の話は考えて頂けましたか?」
「考えるまでもありません。私の答えは初めから一つです」
 その答えが何を指しているかなど明白だ。ルイは眦をさらにきつくしてセイを睨む。
「では、ディアが信用に値する人物なのかどうか、証拠を見せていただけますわねっ?」
「ええ、もちろん!」
 まるで子どもの喧嘩のようなやり取りだ。
 アイルと違い呆れ顔で見ていたカルザは、セイの強い眼差しを向けられて顎を引いた。
「今回の件で報奨金は出るのでしょうか」
「ええ。領民の年収程度の金額を予定していましたが」
「では明日、ディアを招いて贈呈していただけますか」
 今度はアイルが顔をしかめた。
 昼には「ディアがいない」と取り乱していたセイの変貌ぶりに驚いた。
 ディアと会えたようなことを言っていたのに、何を企んでいるのか。
「それでですね、提案があるのです、アイルさま」
 優しいだけではないその笑顔に、アイルは組んでいた腕を外す。数年前とは全く違う男の顔に、知らず笑みを浮かべながら耳を傾けた。

 :::::::::::::::

 セイは外壁に張り出したバルコニーからヴァレン領を見渡していた。
 前方に広がるのは白壁の町並み。領地を囲むように山が連なり、ヴァレン領は盆地となっている。
 涼風に金の髪を遊ばせ、夏の気配が混じる太陽の光を浴びる。
 ヴァレン城に向かって大通りを走って来る馬車を見て微笑む。セイから少し離れた場所で護衛を兼ねていた二人の兵は、その笑顔に目を奪われた。
 セイは馬車が城門の前に停まったのを確認してから体を翻した。
 ――さぁ、あとはディア次第。
 楽しげな様子でセイは階下へ続く階段に足を向けた。

 :::::::::::::::

「あなたのそんな顔、初めて見たわ」
「え?」
 応接間を見下ろしていたセイは振り返った。隣にはルイが立っている。
 応接間ではアイルとカルザが普段通りに仕事をしていた。今は人斬りの処遇について相談しているのだろう。書類をまくりながら真剣な表情をしている。とはいえアイルはディアの訪問に気を取られているのか、書類をまくりながらも心ここにあらずといった様子だ。
「そうですか?」
 頬に両手をあてるとルイは眉を寄せた。
「もうっ。せっかく褒めているのにその仕草はやめて下さらない? 馬鹿にされてると思われても仕方ないわ」
 軽く手を叩かれ、頬から両手を外される。
 セイにしては無意識のことだがルイは気に障ったようだ。自分より女の子らしい仕草に見えてしまう。
「すみません」
「私、それも気に食わないの。身分は確かに私の方が上だけれど、セイはもう家族みたいなものよ。敬語で話されると虫唾が走るわ」
 本当に嫌そうに表情を変えるルイに笑い声を上げ、努力しますと告げる。けれどこれは長年の環境によるものなので、とつぜん変えることはできなくて困ってしまう。一度だけ自己主張したこともあったが、それ以降はそんな気も起きない。それでもディアに感化されたのか色々と変わってきている。
「いつか……また変わって戻ってきます」
 笑顔のまま告げると、ルイは腰に両手を当てて大きな溜息をついた。
「……まだ私、賭けに負けていませんから。その言葉は受け取りません」
 ルイは不機嫌な表情のまま階下を覗く。セイもまた同じく手摺から下を覗き込んだ。そこでは先ほどと同じくアイルとカルザが仕事を続けている。しかしアイルは飽きたようだ。カルザに頷く仕草が単調になっていた。書類をまくる手も止まっている。
「お兄様ったら……」
 ルイが頭を抱え、セイはくすくすと笑う。頭上からの声にアイルが顔を上げようとしたとき、ノックの音が響いた。セイは鼓動を高鳴らせる。
 アイルが二人に笑いかけてから視線を元に戻し、入るよう指示をした。
 扉が開く音がする。
 最初に中に入ってきたのはハーストン。
 数年前と変わらない歩き方、そして雰囲気。アイルに近寄った彼は礼を取る。アイルから頭上を示されて視線をあげ、セイと視線が合った。ハーストンは白い歯を見せて笑い、親指を立てる。セイもそれに応えて笑顔で手を振る。
「貴方たち……少しは緊張感を持ったら?」
 ルイはそう呟いたが、セイは充分に緊張している。ハーストンが来たということは、ディアが来るのもそろそろだということだ。両手を胸の前で組み、どこか弾むような期待を抱きながら見守る。
 ハーストンが近衛たちの中に混じり、窓際の列に並んだそのとき。ノックの音がして、ディアが入ってきた。
 相変わらずの長身に伸びた髪。まとう礼服は初めて見るが、白を基調とした礼服は、毅然と背を伸ばすディアに良く似合っている。一見、男にも間違えられそうな服ではある。用意したのはアイルだろう。
 セイが立つ場所は吹き抜けで、近くの階段を下りれば直ぐにディアの元へ行ける。今すぐ降り立って近くに行きたいが、手摺を掴んでそのときを待つ。ディアから姿を隠す。ディアは頭上のセイに気付かないようで、アイルと会話を続ける。
 交わされる二人の会話にセイは笑みを零した。隣でルイが顔をしかめる。
 昨夜は暗がりだったが、改めて陽の中で目にするディアの姿に、セイは胸を高鳴らせる。あれほど調子を狂わされ、焦がれた存在。たった一日や二日しか離れていないというのに、もう長いこと離れ離れになっていた気持ちさえする。
 変わらない存在が嬉しい。待ちきれなくて手摺を掴む手に力を込め、くすくすと小さな笑い声を立てる。
 そして――待ち焦がれていた言葉が、ディアの口に上った。

 :::::::::::::::

 手を伸ばせば触れることができる。名前を呼べば振り返る。
「我が妹君は負けてしまったなぁ、カルザ」
 ディアはまだ訳が分かっていないような顔をアイルに向けているのだろう。
 セイは手を伸ばしてディアの肩に触れる。
「うわっ?」
 アイルから奪うように抱き寄せた。確かな温かさが胸に伝わる。それが思いのほか嬉しくて、セイは心底からの笑みを浮かべて強く抱きしめた。
「賭けは私の勝ちですね。アイル様」
 ディアが振り返り、驚いたように双眸を瞠る。
「え……って、え……?」
「納得しただろ。ルイも」
 アイルは頷きながらセイの背後に視線を向けた。
「……またお会いしましたわね。セイの言う通り、素敵な方」
 ルイはゆっくりと歩きながら溜息をついた。アイルの隣に並んでディアに微笑みを向ける。ディアはまだ混乱しているようだ。
「諦めろ。お前の負けだ」
 容赦ないアイルの言葉にルイはもう一度ため息をつく。
 ルイは聡明な人物だ。つまらない意地でいつまでも相手を偏見の中に置いておくような人ではない。彼女の言葉は本心から出たものだろう。たとえ哀しみがあっても、笑顔は本物だ。
 ディアを取り戻して余裕ができていたセイは、生まれた罪悪感に瞳を翳らせる。
 ――ディア以外、もう要らないんです。
 胸中の呟きは伝わっているだろう。
「久しぶりにお会いしまして、ずいぶん女らしさが抜けたと思ってましたのに」
 セイは小さく睨まれた。自覚がないまま首を傾げる。
 ルイはディアに微笑みを向ける。
「まだ理解されていないようですね。説明しますわ。私とセイとの婚約話が過去にあったこと――ご存知でいらっしゃいますわね?」
 初めてディアに会ったときに告げていた名前だ。たった一度だけしか告げたことのない名前。その場面は鮮烈な記憶とともにあって忘れたことはなかったが、ディアは覚えているだろうか。ルイとの婚約を破談にしてくれと頼み込んだことを。
「それで貴方を試したのです。セイに相応しいかどうか。誠実か不実か。己が貰うべきではない褒賞金を受け取るか受け取らないか。もしも受け取っていたなら、セイと私との婚約を見直すという約束でした」
「でも、ディアが受け取らなかったらルイ様との婚約は本当に白紙に戻していただけるという約束でした」
 また誤解されても困るため急いで言葉を補う。
 先ほどからディアはずいぶんと大人しい。これは名前を覚えていたな、とセイは確信を抱きながら嬉しくなる。凄まじい勢いで組み立てられていくディアの脳裏を思いながら、更に楽しくて、抱く腕に力を込めてみる。
「そうですね。諦めます。一度交わした約束は守りますわ」
 真相を聞かされたディアはそこでゆっくりと部屋にいる皆を眺めた。
 アイルに、ルイに、カルザに、ハーストン。そして、セイ。
「ハーストンの事も……最初から、仕組んでたのか?」
「いいやぁ? 聞かされたのは昨日のことよ。おう、セイ。久しぶりだな」
 ハーストンはアイルに軽く目礼をすると近くに寄ってきた。数年ぶりの再会だ。
「お久しぶりです。ハーストン先生」
 セイはディアから手を離さないまま微笑んだ。
「俺だってアイル様から聞かされるまでは、あんたのこと完全に男だと思ってたしな」
 そう話すハーストンとは本当に久しぶりの再会だ。少し不揃いな歯も、不精髭だと思わせる口髭も、全てが変わりない。ある程度の年齢に達してしまうと、それ以降の外見は特に変化がないのかもしれない。
 ハーストンはセイを見ると何か面白いことを思い出したように笑い、セイに口を近づけて囁いた。
「こいつ、『セイが側にいないと落ち着かない』ってさ、男冥利に尽きるよなぁ。ああ、そうそう。拠点でもあんたのこと『恋人なんかじゃない』って」
「うわあああああああああああああっっ!?」
 ディアが暴れた。耳まで真っ赤に染まったディアはハーストンを殴り倒した。肩に回されていたセイの腕を乱暴に振り払う。
「あ、ディア!」
 ディアは猛スピードで部屋を飛び出した。もちろんセイは直ぐに追いかける。
「ディア、待って!」
「待ってたまるかあああ!」
 足の速いディアを追いかけながら声をかけたが即座に拒否された。少し哀しい気分でセイはかぶりを振る。
 セイだからこそ逃げるのだと分かっている。だがディアが慣れるのを待っているだけの余裕などない。はやくこちらを向いて欲しい。
 滅茶苦茶に走るディアを追いかけながら、城で働く人々が驚いたように脇に飛び退いていくのを申し訳ない気持ちで見送る。どうかディアが人をひき殺しませんように、と冗談のように願ってみるが、ディアの長身とあの速度で体当たりなどされたら、その人物にもよるが怪我はまぬがれないだろう。
 やがてディアは中庭に飛び出した。そこが行き止まりだと気付いたのだろう。ようやく立ち止まったディアは素早く辺りを見回して逃げ場を探す。だが、そこは袋小路なのだ。
 セイはようやく足を緩めてディアに近づいた。
 ディアは気付いたように体を震わせてセイを振り返り、もうどこでもいいとばかりに追い詰められ、あろうことか植木に飛び込んだ。
 セイは呆れる。いくらなんでも酷すぎると思った。
 植木にもぐりこみ、なおも逃げようとするディアを見下ろす。
「ディ」
「わーーっ」
 大音響で声を遮られる。庭木が折られる悲惨な音が響き出す。あとで庭師が嘆くだろうことを思いながらセイは眉を寄せる。城壁で蔦を刈り取っていた庭師を脳裏に描く。
「あの」
「うーるーさーいーー!」
 埒が明かない。セイはディアの肩を掴むと無理やり引きずり出した。
「うわああ! もう嫌だー!」
「嫌だって……ディア」
 全身で拒否された。セイは哀しくなって溜息をついた。引きずり出したディアに鋭く睨まれて苦笑する。
「だいたいなぁ、お前いきなり別行動取るし、いなくなるし、女を部屋に連れ込んでるし!」
 やはり誤解は大きく育っていたらしい。
 セイは膝を折ってディアと視線を合わせた。
「せっかくこちらに寄ったので挨拶しようかと訪ねたんですが、アイル様がなかなか放して下さらなくて」
「なに? なんでそんな冷静なわけお前? 私を使って賭けごとなんて人権侵害だろ!?」
 愛しさを胸にためながらセイは首を傾げる。
「他になにか、言いたいことってあります?」
「ありすぎだよ!」
 尋ねれば即座に返される。
「全部聞きますから、ディア」
 セイはディアを抱きしめながら囁いた。
「これで私の婚約者はディアだけですよね」
 そう告げた途端、ディアは息をするのも忘れたように、呆けた顔で見上げてきた。セイは微笑んでディアの頭を撫でる。植木にもぐりこんで乱れた髪を梳き、木の葉を落とす。頬や腕に細かくついた傷に舌を這わせた。
「お前さ」
 ディアは為すがまま任せる。おそらくまだ思考が充分に回っていないに違いない。
 セイは視線を上げて首を傾げた。
「ルイ……と」
 少し躊躇うように視線を逸らせるディアが信じられなくて瞳を瞠る。
 もしかしたら少しは気に掛けてくれたのかもしれない。
 自然に笑みが零れてきた。ディアの肩に置く手に熱が篭る。
「初めてディアを見たときの印象を教えてあげましょうか?」
 嬉しさに小さな笑い声をもらしながら秘めごとのように囁く。ディアに見つめられればさらに嬉しさが湧き上がる。
「複数の暴漢たちを相手に楽しそうに剣を振るっていましたよね。あのときの笑顔が焼きついているんです。ディアの存在は、私にとって重荷でしかなかった剣の意味を、少し変えたんです」
 乱暴なディアの救出劇だったが、男たちを斬り殺すことはしなかった。それが新鮮だった。小さな頃から女に間違われる容姿をしていたため、群がる男たちはどれも猥雑で粗野な者たちばかり。もちろん心から誠実な男もいたにはいたが、セイにとっては誰もが同じ笑顔を浮かべているようにしか思えず、辟易していたのだ。世の中の男たちは皆こうなのかと諦めていた。アイルたちは別格だったが、自分が男であることが嫌に思えてくるほどだ。
 絡まれて助けられたのはディアが初めてではない。何度か同じような災難に巻き込まれたことがある。だがセイを助けた男たちは根底に下心を抱く者たちばかりだった。いい所を見せようとしたのか、絡んできた相手を殺してしまった男もいた。そのような非情な振る舞いをする者を、好む女がいるとは思えないのだが。
 だからディアに助けられたときも感謝を覚えることはなく、「またか」とうんざりしていた。
 驚いたのは、ディアが躊躇うことなく「金のために助けに入った」と告げたことだ。セイの容姿に驚いたような顔をしてはいたが、それ以上のなにかを求めてくるわけでもない。本当に金のために助けに入ったのだ。男たちを逆さまにしそうなほど真剣に懐を漁っていた様子は、笑いが込み上げるほど衝撃的だった。
 そして興味が湧いた。
 アイルたちと似たような雰囲気を感じたのだ。
 アイルたちは爵位を持つ高貴な身分だからだと思っていたが、平民の中にもこのような者がいるのだと好ましく思った。慌てて引き止めた。セイの容姿を見て態度を翻すこともなく、むしろ疎ましくさえ思うような素振りをされることが新鮮だった。
 ディアが女だと知った瞬間に決意したのだ。これまで何ら疑問に思うことなく流されるまま承諾しようとしていたルイとの婚約破棄を。ルイが嫌だという訳でもないが、ディアを引き止めるためには題材が必要だった。
「おい?」
 いつまで経っても何も話そうとせず、ひたすら過去を振り返っていたセイに訝しげな声がかかる。セイは我に返ってディアを見つめ、クスリと笑みを洩らした。
「つまり、ディアが男らしくて良かったということです」
「……それは喧嘩を売ってるのか?」
「なぜ? こんなに真剣ですのに」
 心外です、と頬を膨らませてディアに顔を近づけた。