必然的な心理状況 番外編 =恋人の資格=

◆◇◆ディア◆◇◆

 慣れない衣装を着せられて馬車に揺られ。
 ディアは強張った表情を隠すように外を眺めていた。実際隠すのは感情なのだが、上手くいっているかどうか自信はない。なにせいつもこちらの内面を見透かしている気さえする男なのだ。こちらは相手が何を考えているかも分からないのに、非常に不条理だ。
 左腕に絡まる男の腕。それだけがディアの平常心を奪っている。
 ――くっそ。なんでドレスの生地ってこんなに薄いんだよっ?
 いまが夏だから季節としては問題ない。だが薄いということは防御力が落ちる――否、外からの感覚が伝わりやすいということで。
 ディアの隣にごく自然に腰を落ち着け、自然に腕を絡ませてくるのはセイだ。
 それ自体はいつもの行為だが、自分がいつもの格好をしていないため、調子は狂わされる。伝わる熱がいつもより高い。おかげで心臓が高鳴って仕方ない。
 ――いや。なに慌ててるんだ、私。別に慌てることなんてないはずだろう? やましいことなんて、私よりこいつの方があるはずだ。
 ディアは妙な自己暗示で自分を奮起させた。視線を隣に向けるとセイは直ぐに気付いて笑みを見せる。幸せそうな笑顔は心臓に悪い。
 ディアは不自然極まりない速さで視線を外に戻した。セイは何も言わない。そのことがディアを安堵させたのだが、甘かった。セイは腕の力を強めて体を寄せ、むき出しになっているディアの肩に頭を乗せる。ふわりとした何かの匂いが鼻をくすぐる。
 ディアの忍耐力が底をついた。
「調子に乗ってんじゃねぇーっ!」
 セイは密かに見守っていた向席によろけた。シャンレンが呆れた顔でセイを支え、隣のノークは大笑いする。そんな彼らをディアは真っ赤な顔で睨みつけ、シャンレンは複雑な溜息をつくのだった。


◆◇◆シャンレン◆◇◆

 何年か前の自分を見ているようだ。
 シャンレンは怒鳴るディアを見ながら溜息をついた。
 自分とディアは良く似ていると思う。彼女がいま何を思っているのか、どんな行動に出るのか、自分のことのように分かってしまう。歳を重ねたせいで、たったいまこちらに振り飛ばされてきたセイの感情も分かってしまう。微笑ましく見守ればいいのか、数年前の自分を思い出して唸ればいいのか。
 馬車が停車したことで思考は中断された。
 御者が扉を開ける。1人1人、まるで貴族になったかのように手を引かれて地面に下ろされる。これも館の主人が今日だけ無料で振舞うサービスの一つだった。町娘たちは皆これに憧れるのだ。自分が本当のお姫様になったようで。
 シャンレンも憧れはあった。しかし歳を重ねると気恥ずかしい部分が先に出て、なかなか素直になれない。御者にはにかみながら下ろされる。
「ちょっと。気安く触んないでおくれよ」
 御者に下ろされ、外へ出たとたん肩に回りこむノークの手を扇で叩く。扇を広げて令嬢を気取ってみせながらシャンレンは歩き出した。
 ――ディアと私で違うところと言ったら、男の性格っていうところかね。
 館の扉に歩きながらそんなことを思う。
「なんだい。祭りの日くらい好きにさせろ」
「なにがだいっ。調子に乗ったらまた去年みたいにワイン樽ぶちまけてやるからね!」
 殴っても蹴飛ばしてもダメージを受け流し、懲りないノーク。それに比べたらセイは見るからに華奢だ。殴り飛ばしたら簡単に意識を失ってしまいそうな雰囲気だ。先ほどの馬車中のやりとりでそんなことはないと分かったが、それでもやはり、男だということが信じられないほど線が細い。
 シャンレンは懲りずに肩に回されたノークの手に溜息をつく。抵抗する気は失せ、抱かれたまま屋敷の門兵と向かい合った。
 二人の門番は既に呆れ気味だ。馬車を降りたときから二人のやり取りは丸聞こえだったのだろう。
「まったく。あんたと一緒だとこっちまで恥かく羽目になる」
「本望だろう?」
「そんなこと言うのはこの口かいっ?」
 口を引っ張ると涙目で訴えられた。しかし人語ではなかったので無視をする。
 ――なんで夫婦になっちまったのか、今でも不思議でならないよ。
 シャンレンは憎々しくノークを睨み付ける。
「いつもながらお前らが来ると賑やかだな」
「他の連中は微笑ましくなるくらい初々しく手ぇ繋いでたりするって言うのにな」
 二人の門番は呆れ混じりに笑い、ノークも笑う。シャンレンだけは笑えずにノークの足を踏みつけた。
 シャンレンとノークは毎年この屋敷に来ており、その都度騒々しい登場となるため、いつの間にか館の門番とも顔見知りとなっていた。彼らは休暇が貰えると二人の店に顔を出したりもする。
 夫婦とはいえ、シャンレンとノークは互いに店を持っているので忙しい。一般的な夫婦と比べて会える日が極端に少ない。毎年、領主が開くこの宴だけは二人で出席するのが暗黙の了解だった。毎回、手紙を貰うのが恥ずかしくて逃げ回っていたりするが。
「ほらよ」
「俺のもだ」
 差し出された青赤のカードが一枚ずつ。門番はひとまず目を通して頷き、扉を開ける。
「ま、お前らには今更の儀式だな。さっさと通れや」
 門番たちは気軽に道をあける。そしてシャンレンとノークは一見、仲睦まじく入城した。シャンレンは背後の二人、特にディアへと複雑な視線を送りながら――。


 ◆◇◆セイ◆◇◆

 シャンレンとノークが城内に通され、続いて入ろうとしたセイたちは門番たちに止められた。
「おおっと、すまん。ここからはカップルずつに審査が必要になるんだ」
 セイは眉を寄せる。シャンレンたちは審査と呼ばれるようなものなど受けていなかったはずなのに、と。
 門番二人はまず扉を閉めたあと、セイたちに向き直った。珍しそうにセイとディアを見比べる。セイにとってはその視線ももう珍しいものではなくなった。ディアが不機嫌になる前に、慌てて前に出た。
 今日はディアから嬉しい贈り物を受けたばかりだ。この幸せな気分を台無しにしたくない。
「招待状を持ってきました」
 セイは赤いカードを見せた。ディアもならって青いカードを門番に見せる。だが扉は開かれなかった。
「悪いが、新入りはそれだけじゃ通せないんだ」
「なんだと?」
 案の定、セイが眉を寄せた直後にディアが不機嫌な声で応える。セイはもう苦笑するしかない。
「どういうことですか?」
 静かなるディアの威圧に驚いた門番たちは、続くセイの声に我に返った。
「つまりだな。この舞踏会は領主さまのご好意で恋人たち限定に開かれているものなんだが、悪用しようと考える者たちもいるんだ。本当は俺たちのような門番なんて必要ないんだが、そういう輩たちのためにここで見定めさせてもらってるってわけだ」
 門番の説明にセイは納得した。ディアからもなんの反論がないため、納得したのだろうと思う。
 セイたちを眺めた門番は頷き、話を続ける。
「で、初めてここにくる恋人たちには、恋人の証明をしてもらうことになっている」
「証明っ?」
 ディアは驚愕して叫ぶ。気持ちはセイも同じだ。証明など、どうすればいいのか。それこそ世の恋人たちが頭を悩ませていることではないか。形のない証明は誰かに見せることもできない。たとえ口で恋人ですと告げたところで、それが証明になるものか。だいたいディアからその言葉を引き出すことすら難しい。彼女なら肯定どころか否定してしまうだろう。
 早く証明方法を見つけなければ、ディアはこのまま帰ってしまいそうだ。
 セイは眉を寄せながら唸る。
「さ。証明をしてもらおうか」
 門番たちが急かすとディアは不機嫌な表情のまま腕を組んだ。おそらくこの場を離れることを考えているのだろう。
 門番たちが口を開きかけたが、その前にセイはディアの腕を掴んで引いた。
「ディア!」
「あ?」
 門番たちの見守る前でセイは少しつま先立ちになり、ディアの頬に口付けた。
「はい、これをもって証明とします」
 ディアに怒鳴られる前にとセイは門番たちに向き直り、早口で告げた。呆気に取られた門番たちは頬を掻く。ディアは赤い顔でセイを睨みつけた。
「見つめ合うとか、手を繋ぐとか、そういうので良かったんだが」
「……ノークに入れ知恵されたのか?」
 とんでもない事実を明かされたセイは息を呑んだ。どうやら自分の深読みだったらしい。恐る恐るディアを振り返ると、彼女は拳を震わせながら赤い顔をしている。
 セイは内心で溜息をつきながら笑みを繕い、言葉もないディアの手を引いて城内に誘った。


 ◆◇◆ノーク◆◇◆

「やっぱり領主ともなると料理の質が違うなぁ」
「ちょっと。あんまりがっつかないでおくれよ。品がないねぇ」
「この香辛料はなにを使ってんだ?」
 料理人根性を発揮しながら、ノークは立ち食い形式で並べられた料理を攻略していく。その隣でシャンレンは呆れたように諌めたが、ノークはその声にすら笑顔を浮かべる。こんな機会でもなければ傍にいてもらうこともできない。普段は声すら聞けない立場にいるのだ。店が繁盛するのはいいことだが、店じまいして店員たちを帰す頃には夜明けが近く、倒れるように眠りについてしまう。忙しいにもほどがある。自分がなんとか休暇を取ろうとやりくりしても、シャンレンと都合をあわせることも困難だ。ようやく結婚したはずだったのに、抱けもしないなど、哀しすぎて涙が出てくる。
「こっちは去年とはまた別だな。調理は簡単そうだ。メニューに加えるか」
 王室から招いたといわれる一流の料理人が作った料理に舌鼓を打ち、盗めそうな技は全て盗んでいく勢いで料理を平らげる。自分たちで作れそうな料理に目星をつけ、味付けや盛り付けの技も盗んでいく。
「あんた、セイに変な気を起こさなかったでしょうね」
 隣から聞こえた声に思わずノークは吹きだしかけた。女だと思いこんでいたセイが男だと知ったときの衝撃は凄まじかった。本人の必死に訴えにより男だと判明したが、今でも信じられない。
 口を拭ってシャンレンを睨む。
「お前のほうこそ、ディアって奴に見惚れてたんじゃねぇだろうな?」
「ふん。あんたよりよっぽどいい男だよ」
 可愛くない答えが返ってきた。
 不機嫌にシャンレンを見たが、彼女は素っ気無く目も合わせない。回ってきた男からワイングラスを受け取って優雅に飲んでいる。
 ノークは面白くなく、ワインを奪い取ると残りを飲み干した。シャンレンが目を瞠る。
「あんた、飲めないだろう」
「うるさい。俺に不可能はない」
 言ったそばから体が熱くなってきた。アルコールが胃に落ちて焼ける思いをする。顔は更に熱くなり、即座に頭痛に悩まされる。
 思わず口許に手を当てるとシャンレンが呆れたように溜息をついた。支えるように腕を伸ばしてくる。
「言わんこっちゃない。後で苦しむのは自分だと分かってるだろうに。毎年のことだろう? どうしてそう学習能力がないんだい」
 だがシャンレンの声は先ほどより優しい。多少の気持ち悪さには目を瞑るべきだろう。足元はふらつくが、背中を軽く叩いて心配そうに覗き込んでくる彼女には代えられない。口付けを落とす。
 一瞬だけ強張ったシャンレンだが、直ぐに苦笑して溜息を落とした。やれやれと水を取りに行く。その後ろ姿を見ながらノークは店の統合を本格的に考えないとなぁと思う。運ばれてきたワインを再び受け取る。
 少し離れたところでシャンレンが気付き、怒りの声を上げたが構わず飲み干した。
 部屋に軽快な曲が流れ出す。
 怒りのオーラをまといながら帰って来たシャンレンの手を取り、ノークは中央へ誘う。酔いも気にならない。周囲には既に幾つかの恋人たちが思い思いに踊り出していた。ノークも彼らに接触しないよう気を配りながらシャンレンを誘導する。
「まったく。せっかくの一日が台無しになって困るのはあんただよ?」
「ならねぇよ」
 毎年それで後悔していたことは綺麗に忘れる。
 ノークは笑顔を浮かべるシャンレンに安堵した。


 ◆◇◆ディア◆◇◆

 慣れないことをしてしまったせいで落ち着かない。早鐘を打つ心臓を宥めながら部屋に戻ると音楽が聞こえてきた。先ほどまでの軽快な音とは雰囲気を変え、非常にゆっくりとした音楽だ。
 ノークとシャンレンが踊っていたはずだが、彼らはどうしただろうか。
 捜すと彼らは既に壁際に避難していた。
 ノークが具合悪そうに口許を押さえており、シャンレンがそれを介抱するといった構図だ。いったい彼になにがあったんだろうと足を向けたディアだが、後ろから腕を掴まれて止められた。振り返るとセイがいる。
「せっかくですから遊んでいきましょう。ディア」
 間近に迫るセイに息を呑む。ようやく宥めた心臓が再び激しさを増す。
 楽しそうなセイに引きずられ、ディアは部屋の中央に招かれた。
「踊れますか? ディア」
「馬鹿にするなよ」
 少しだけ挑戦的に尋ねてきたセイに唇を尖らせ、ディアは彼の手を取った。
 挑発された以上は完璧に踊ってみせると意気込む。ゆったりした曲に合わせて踊り出す。
 思い出すには丁度いい曲調だった。旅の知識だけではなく、上流階級の者たちが使うような礼儀作法も一通り叩き込まれたのだ。披露する場面はなかったが、頭の片隅に刻み込まれている。
 楽しげに踊るセイに合わせながらディアはふと笑みを消した。楽しい思い出と共に別の記憶も蘇った。セイから視線を外して窓を見る。大きな窓ガラスに映るのは広間で舞う踊り子たちの姿。その中に自分の姿を見つけ、幼い頃の自分を重ねて心細くなる。
 ディアは慌てて視線をセイに戻した。ちょうど足元に気を取られていたセイは、ディアの様子に気付かない。再び彼が顔を上げる頃にはディアも笑顔を浮かべていた。
 やがて一曲が終わった。一歩も間違えることなく踊りきってみせたディアは胸を張る。驚くセイに笑みを見せる。
「どうだよ?」
「凄いですディア。覚悟してましたけど、一度も足踏まれないのはやはり嬉しいですね」
 そんなセイの台詞にやや頬を引き攣らせてみたものの、ディアは満足して広間から離れた。賑やかな曲が流れ始めると周囲の恋人たちはまだ踊り足りないように互いの手を取る。ディアたちは邪魔にならないよう少し足早に輪から抜け出た。
 賑やかな曲が終わり、激しい曲が始まり。そして再びゆっくりとした曲が始まる。
 館の主人が招いた踊り子や楽士に合わせて皆が楽しみ、そろそろ宴もたけなわといった頃。料理を摘んでいたディアはふとノークたちを思い出した。セイに誘われる前、ノークは具合が悪そうに壁際で休んでいた。その傍にはシャンレンもいた。
 ディアは軽い酒を飲み干すと壁際を歩き出した。隣にはセイも並ぶ。
 やがて人々の間からノークたちの姿が垣間見えて頬を緩めた。
 ノークたちは先ほど見た位置からさほど動いていないようで、状態も変わらないようだった。壁際に椅子を持ってきて座り、ノークは頭を押さえている。
「そいつはどうかしたのか?」
 声をかけるとシャンレンが顔を上げてディアを認め、微かに苦笑した。
「ノークね。本当は飲めないんだよ」
「うるさい。俺に不可能はない」
 即座にノークが反論する。だが呂律が回っていない。飲めないというわりに結構な量を飲んでいたように思えたのだが、とディアは目を瞠ってノークを見下ろした。セイが「大丈夫ですか?」と反対側に回り込み、ノークの顔を覗き込む。飲めない者の辛さは分かるのだろう。
 シャンレンが少し言い難そうにディアを振り仰いだ。
「私はこいつんところに泊まるけどさ、あんたたちはどうする? 必要なら私の店の二階、貸したげるけど」
「そりゃありがたいけど」
 ディアは鍵を受け取り、ためらいつつ頷いた。今から宿を取ろうとしても、空いている部屋などないだろう。
 シャンレンが頬に手をあてて溜息を零す。
「寝台、一つしかないんだよねぇ」
「ディアー。セイを襲うなよー」
「逆だ逆!」
 相当酔いが回っているのか寝ぼけているのかノークが虚ろな声を上げた。シャンレンとディア、二人の張り手が飛ぶ。ノークは豪快に笑って沈黙した。
「ではディア。行きましょうか」
 なにやら楽しげに腕を引くセイにまさか「襲うなよ?」とは言えず、ディアは泊まったシャンレンの部屋を思い出す。屋根裏のような寝室は床面積が広かった。もしも寝台代わりになるような物がなくても、床に敷物を敷けば充分な空間を確保できるだろうと考える。
 まあ大丈夫だろうとディアは安易に考え、見送るシャンレンとノークに手を振った。
 この後どうなったかは本人たちのみぞ知る。


 END