紡ぎ糸のような 番外編 =ディア的見解=

【三】

 彼らが屋敷を訪れたのは、ディアが兄と再会を果たしてから僅か半日後のことだった。
 外はすっかりと夜更けの闇が包んでいる。痛いほど空気が澄んでいるのが分かる。大きな窓から見える空には幾つもの星が煌いていた。
「お迎えに上がりました、ディーラリア殿。王がお望みです」
 温和な声音で外出を促すのは、ディアをセイから無理やり引き剥がした魔導師だった。ローブを払い、本来の正装へ衣装替えした彼は、加齢の皺も露な老人だった。
 数年前はさほど重要な地位にいたわけでもない彼。国の上層で活躍する者たちがいなくなったからこその地位なのだろう。
 ディアが睨みつけても堪えた様子はない。
 体格を活かして暴れようとも思ったが、そんなディアを押しのけるようにしてアーネットが前に出た。その横顔には老人に負けず劣らない笑顔が貼り付いている。だてに四公を名乗ってはいないらしいと感心しかけたディアだが、彼のこの性格はもともとからだったかと思い直した。
「妹は環境の変化にまだ驚いています。このまま御前に参らせても粗相があるでしょう。もう少し、自覚をさせたいと思います。アーネット公爵家の名に恥じぬ方が、あなた方としても都合がよろしいでしょう」
「なにが恥だ」
「ほら。長い日暮らし生活で性格もすれている」
 ディアは言葉につまった。何を言ってものほほんと受け流し、うそぶくアーネットの背中を睨み付ける。視線だけで振り返るアーネットの瞳は笑っていた。
「明朝、私が責任をもってお届けに参ります。本日はお引き取り下さい」
 アーネットは有無を言わせぬ圧力をかけた。迎えにきた者たちは顔を見合わせ、アーネットを探るように見る。だが何も読み取れぬ笑顔があるばかりだ。四公のなかで最も格の高いアーネットに逆らえる者はこの場にいない。
 ディアを迎えにきた老人が渋い顔をしながらも従うと、他の者も同じように従う。彼が最も位の高い者なのだろう。
 老人は扉の前で一度だけ振り返り、ディアを見た。
 飲み込まれそうなほど深い、黒い瞳がディアを映す。
「王の甥であるならば既にお分かりとは承知の上、申し上げます。時間はありませぬぞ。明朝まで、我らはこの屋敷の外で待機させて頂こう。数年前の二の舞だけは避けねばならぬのでな」
 アーネットは笑みを深めた。
「それには及びません。この寒空の下、ご老体に鞭打つような野宿などという真似は」
「我らには王より賜った大切な使命があります。そちらこそご案じ召されるな。我らは国専魔導師である」
 ディアに鋭い一瞥をくれると彼らは屋敷を出て行った。
 窓から窺い見ると本当に屋敷の周りを囲みだす。そしてディアたちが見守るなかで彼らは淡い光に包まれて見えなくなった。一人ずつ間隔をあけ、寒くないよう魔法による仕掛けを施したのだろう。あの包囲網を潜って外へ出ることは不可能だ、とディアは悔しくて歯軋りする。
「今年で21か。ぎりぎりなのだろうな」
「私は絶対に嫌だぞ! いますぐ戻りたいんだ!」
 諦めにも似た呟きに慌てて振り返る。だがアーネットはディアを見ない。考え込むように宙を睨み、腕を組んで首を傾げる。
「潔く王宮まで行くか?」
「じょ、冗談じゃない!」
「まぁ聞け、ディア」
 短い愛称で呼ばれ、ディアは振り上げた拳を下ろした。向けられた栗色の瞳は真摯なものだ。
「これまで召された女たちは誰もが幼かった。期間が過ぎると自然と解放されるようになっているらしい。――その期間が長いせいで、無事に戻された奴を見たことはないがな」
 ディアは拳を震わせた。そのようなことは知っている。だから15になり、国で定められた仮独立期間に入ると同時にタラッチェを出たのだ。そうすればアーネットは保護者としての責任を追及されなくなる。機会はずっと窺っていた。王宮に招かれぬよう息を潜めていた。
「お前はもう今年で21だろう。幾ら他に代わりがいないからと言って、体力も充分についているようだし……次が見つかるまで、何とかなりそうじゃないか」
「次が生まれないから私なんだろうが!」
 肩を怒らせたがどうしようもない。このまま逃げ出そうとしても、外を囲む魔導師に捕獲され、そのまま王宮へ連行される。つくづく、なぜ自分に彼らのような力が現れなかったのかと恨みたい。
「行ったら……最低でも5年は出られないと聞いた」
「それは今までの女たちが適齢期だったからだ。今のお前ならそれを待たずとも出てくることが可能だろう。もしかしたら向こうの奴らに気に入られないとかって、直ぐに釈放されるかもしれんぞ?」
 努めて明るく告げるアーネットを見ながらディアは溜息を落とす。
「それじゃあ、駄目なんだよ」
 脳裏にはセイの顔が浮かんでいる。彼には結局なにも伝えていない。夜が明け、隣に自分がいないと知ったらどう思うか。以前にも似たようなことはあったが、今回はどれだけ捜しても見つからないだろう。かの場所からここまでは遠く離れている。手がかりも残していない。
「ああ、腹立つーっ!」
 苛立ちに任せて床を蹴りつけるとアーネットが呆れたようにディアを見た。
「本当に男らしくなったよなぁ。小さい頃はあんなに可愛かったのに」
「記憶にない!」
 ディアは冷たく遮った。
 アーネットは肩を竦め、次いで興味津々といった様子で問いかける。
「で、結局のところ、お前が助かりそうな希望は恋人にかかっていると言ってもいいが。もし来たら、なんて紹介すればいいんだ?」
「あ?」
 いったいどこをどうしたら希望がセイになるのか。そこまで望むのは無謀すぎる。
「ディーラリア、ディアレストーリア、あと何かあったっけか」
「だからどうやったら自分でつけた妹の名前を忘れられんだよ!?」
「仕方ないじゃないか。俺の頭脳もあのときは若かったんだ。そんな頃につけた名前なんて覚えてられるか」
 怒りを通り越して呆れ、“恋人”の件は都合よく聞き流すことにした。
 話題を戻されてはたまらない、と別の話題を持ち出す。
「そっちこそ、いい相手はいないのかよ。25にもなって一人身か」
 アーネットはきょとんとディアを見返した。
「いるさ」
「誰だ?」
「ふられた」
 過去、アーネットに言い寄っていた貴族の娘たちを思い出そうとしていたディアはうな垂れた。からかっているとしか思えない言動だ。
「ディア?」
 大人しくなったディアにアーネットが歩み寄る。瞳を閉ざすディアの頭を抱え、慰めるように背中を撫でる。
 ディアは彼の腕を掴み、置いてきた者の顔を思い浮かべながら呟いた。
「死にたくない」
 王宮に招かれれば死は免れない。
 艶やかな黒髪をした女性の言葉が蘇った。タラッチェ王国の真の意味は彼女から教わった。父が戦死してから何度も助けられ、憎んでいた敵は親友となった。
 父親の剣を失くすはめになった奴隷たちの劇場で垣間見た姿を思い出す。恐らくあちらも気付いたはず。彼女が剣を手にしたなら現状にも気付いてくれるだろう。彼女が国を出ていたなら尚更だ。願うしかない。
 ディアは唇を引き結び、来るべきときが早く来るようにと強く祈った。