紡ぎ糸のような 番外編 =ディア的見解=

【四】

「ディーラリア」
「うるさい」
 隣を歩くアーネットに鋭く言い放って、ディアは手首を押さえた。目の前には老魔導師がいる。王にとっては最上の献上品を連れてきた誉れを受けるため、彼が先導を務めているのだ。
 老人は酷く小さな存在に見えた。背はディアの半分ほどしかない。その肩を掴んで振り向かせ、両手で首を絞めたらすぐにこと切れてしまいそうだ。
 だが、そんな侮りは真実ではない。
 たとえディアが飛びかかっても易々と返り討ちになるだろう。セイのもとから引き離されたときのように、彼らは目に見えない力でこちらを翻弄するのだ。
 礼装をまとったディアは長く続く王宮の廊下を歩いていた。
 幼い頃は父親のあとについて良く歩いていた。懐かしい思い出だ。いまにも自分の手を引く父の腕が見えるような気がする。やるせなさにディアは瞳を細めた。父親は戦争で死んだのだ。
 廊下の角を曲がると、玉座へ続く扉があった。両脇では衛兵が槍を装備している。
 ディアは片眉を上げた。
「騎士なのか?」
 彼らの装備はこれまで旅で見てきた国の兵士たちと何ら変わりない物に思えた。数年前までは魔導師たちが扉守を務めており、他にも王宮では幾千の魔導師たちを見かけていた。しかし目の前に立つ男たちは、魔導師とは思えない出で立ちだ。
 ディアが問いかけるとアーネットが頷いた。
「最近は魔導師となれるほど力を持つ者がいないんだ。今では魔導師よりも騎士の数が多い」
「ですからあなた様が必要なのですよ。今後のタラッチェ王国の繁栄のためにも」
 扉を開けさせた魔導師――ダラックが微笑んで振り返った。
 ディアがここまで来た以上、逃げられはしない。国が繁栄することを確信しての笑みだ。
 吐き気を催して睨みつけたがダラックは堪えない。
「さぁ」
 開かれた玉座の間へとダラックが促す。
 躊躇うように視線を彷徨わせたディアは、腕を引かれて横を仰いだ。そこではアーネットが複雑な表情でディアの腕を掴んでいた。覚悟を決めてここまで来たものの、最後の最後で諦めきれない。見たダラックが困ったように眉を寄せる。
「四公を務めるあなた様が惑わされていかがされます。例外は認められませぬ。それでは今まで招いた娘たちに申し訳が立ちませぬ」
「申し訳ないと思うようなことが行われていると、認めるんだな」
 アーネットの代わりにディアが口を開いた。ダラックは微笑みながら頷く。
「ええ。娘たちの貴重な時間を割いて国に仕えて頂くのです。誠に忍びないことですなぁ。しかしそれはタラッチェ王国の民として必然なのですよ、ディーラリア殿」
 ディアは悔しくて歯噛みした。腕を掴むアーネットの手も力なく離れていく。
 父親が戦死したのち公爵家を継いだアーネット。国に縛られながら、父ばかりか続いて妹を差し出さねばならない。そんな彼の心境を思ったディアは振り仰ぎ、彼の膝を軽く蹴った。
「お前がかけた魔法は結構効いていたようだぞ。だから今回も平気だろう」
 魔導師でもないアーネットが国から出て行くディアにかけた精一杯の魔法。それはディアが旅をするうえで便利なように、特殊体質になるというもの。
 成功率が低い彼の魔法をディアは心底嫌がったのだが、彼は嬉々として魔法をかけた。その成功を告げると、アーネットは少しだけ表情を崩して笑った。
「ではアーネット公。貴殿はここより先に入ることを許されておりません」
 ダラックがアーネットに向けて深く頭を下げた。ディアが入室したことを確認して扉守たちに目配せする。彼らはダラックの命令に忠実に動き、表情を変えずに扉を動かした。
 アーネットの目の前で、重たい扉がぴたりと閉じられた。

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 玉座の間は記憶にあるよりも寂れて見えた。
 父がいた頃、王宮では魔導師たちがいたるところに仕掛けた魔法が舞い踊り、子どもの目にはこの上ない冒険の地として華やいで見えたものだった。
 いまやそんな魔法は消え去っている。玉座の間には、窓から入る自然光で満たされている。閑散とした部屋だ。
「お進み下さい」
 ダラックに促されたディアは、白い衣装の裾を気にしながら一歩ずつ歩を進めた。剥き出しの肩が冷たい。ここには温めてくれる人物もいない。ディアは寂しさを感じながら部屋の奥に視線を向ける。そこには絢爛華美に彩られた玉座があるはずだった。
 長年使われてきたため色褪せた玉座。そう見えたのは、入り込む自然光のせいだろうか。威厳も威圧も感じない。金が塗られた普通の椅子。王はそこに腰掛けてディアを待ち構えていた。
 父親につれられ、何度か王の顔を見たことがある。
 王は、ディアの父の兄。ディアにとっては伯父にあたる人物だ。
 歳を重ねながらも覇気を失わずにいる偉大な人物。
 そうだと思っていたのに、いったいどこで狂ってしまったのか。いま眼前にいるのはただの老人に見えた。頬は削げて顎鬚がまばらに生え、瞳からは希望を失くしている。ディアを見る瞳は、まるで道端の石ころに向けるような瞳だった。何の関心も持たず、ただそこにあるだけ。
 ディアはその姿に胸を衝かれた。かつての人物を知っているだけに衝撃は大きい。この人がなぜこんな目にと哀れささえ覚えたが、自分をこのような境遇に陥れたのはこの王が原因なのだと思い出して同情を追い出した。
「王様」
 ダラックの声に王が顔を上げる。それまで時を止めていた彼はようやく動きだす。彼の瞳に意味があるものを見出していく。
 ディアは自分を捉えた王の瞳に希望が輝いたのを見逃さなかった。
 犠牲の上に成り立つ国を治める老王。
「アーネット公爵の娘か……」
「王様。今は子息が公爵を継いでおります」
「ああ。そうだったな……」
 しわがれた声が床を舐める。
 名前と共に託された願いは沢山ある。だが王は、そんな願いもまるで分かっていない。懐かしいなと瞳を細め、ただ思い出にのみアーネットを見出す。
 数年前に戦争を起こし、アーネットを死に追いやった愚かな王。
 タラッチェ王国の双璧と謳われた二人を失くしたいま、国は滅びへの最終章を奏でている。悪あがきに不協和音を奏でながら、その調子を早くする。
「歳が過ぎてしまったが、仕方ないだろう。ディーラリア。逃げたそなたなら分かっておろうが、これからそなたには王国の心臓部に赴いてもらう。そしてそこで、国を繁栄させるための祈りの歌を捧げるのだ。純潔の花嫁として」
 王が立ち上がると同時にディアは一歩後退した。
 いつの間にか背後に回っていた魔導師たちがディアの腕を掴む。暴れようとしたが振り解けない。ダラックが何かを唱えると玉座の横の空間が歪み、闇を作り上げた。
 その中に放り込まれようとしているのだと気付き、ディアはさらに暴れようとする。だが、魔法による拘束を受けていて逃れられない。この魔法は誰かが術者の集中を止めない限りほどけない。ディアが一人でいくらもがいても、無駄なあがきなのだ。
 王宮内にいた魔導師たちは表舞台から消え、全てが裏舞台へ回ったのだ。先ほどまで確かにいなかった彼らの存在がそれを裏付けている。数年前には裏事情を知っている魔導師など数えるほどしかいなかったのに、今は全てが王やダラックの傘下にある。
「この……!」
 剣がなければディアはただの娘に等しい力しか持っていない。守護がかけられた剣があったからこその強運。
 ディアは近づく闇に悲鳴を押し殺して固く瞳を閉ざした。
 最後に浮かんだのはただ一人の名前。
 ――聴覚の一切が奪われ、名前を呼ぶことも許されない。冷たいものが体を包んだと思うと同時にディアは意識を失った。
「貢ぎの間へ」
 全てを見ていた王はまるで動揺のない声で静かに促した。
 ダラックたち魔導師はその場に額づく。
 王は一歩だけ進み、わずかに瞳を細めた。
「守護が、戻って下されば良いのだが……」
 王の前には紫に染まる水晶体が出現していた。触れれば氷付けになりそうな錯覚を覚えるほどの冷気をまといながら、水晶は静かに王たちを眺め下ろす。水晶が現れた場所は、ディアを飲み込んだ闇があった場所だった。
 人間を丸々飲み込めるほどの水晶は、その中にディアを閉じ込めていた。
 静かに瞼を閉じたディアは動かない。両手を胸に組んで祈りの声を反響させている。魔法の理を駆使して作られた水晶は祈りの増幅器であった。周囲が意図する祈りを織り込まれ、ディアは静かに命の力を揮い続ける。文字通り、命が尽きるまで。
 水晶はディアを封じたまま、密やかに玉座の間から運び出された。