来し方行く末 番外編 =大切なモノ=

「占い師ぃ?」
 お日様は天空高く、篭る温度は本日最高。
 バタバタと服の合わせをはためかせながら窓際に座っていたディアは、同じ部屋で読書を楽しんでいたセイに胡乱な目を向けた。
 貰い物だという本を読んでいた彼はいま、紫紺の瞳を丸くさせてディアを見つめていた。
「はい。すっかり忘れていました……どうしましょう」
 立ち上がったセイは落ち着きなく彷徨いだす。
 いったい何を思って占い師などという言葉が出てきたのだろうか。ディアは片手で風を送るのを忘れないまま、窓際に寄せていた台座を足で蹴り上げた。だが寸前で避けられ、目標を失った台座はセイの後方に落ちる。
 だてに剣を振っているわけではないようだ。反射神経は落ちていない。
「よし」
「いえ、よしではなくて!」
 というか何に対してよしなのですか、とセイは面白いくらいに反応を返してくれる。ディアは笑いながら視線を外へ向けた。
 広い庭には大輪の花たちが咲き乱れている。雇った庭師たちが丁寧に形を整えている。時間は急ぐことなく流れ、あまりにのどかな光景にディアは昼寝でもしたくなってくる。
 そんなことを思っていると背後でセイが溜息をついた。
 軽い足音が聞こえ、直ぐ隣にセイが立つ。ディアは既に眠たげに重い瞼を開いてセイを見上げる。
「ディアがタラッチェに攫われた際に……お世話になった占い師なんです。あとで必ずお礼に伺いますと約束していました」
「ああ、なるほど」
 思い出すにはあまり楽しくない記憶だ。
 ディアは顔をしかめながら納得した。
 そんなディアの反応は予想済みだったのか、セイは特になにも言わずに頷き、「どうしましょう」と溜息をつく。窓際に肘をつけて困ったように眉を寄せる。
 いったい何をそんなに悩むことがあるのだろうか。
 ディアはセイの考えていることがさっぱり分からずに首を傾げる。涼しさを求めて窓際に座っているのに、セイが隣に来ると熱いので意味がない。彼からの体温もあるが、第一は自分の血液の巡りが良くなり過ぎるからだろう。
「休みはまだ残ってるんだろう? 行けばいいじゃないか」
 素っ気なく告げると大仰に溜息をつかれる。まるでこちらの発言に問題でもあったかのような態度だ。ディアは少なからず腹を立てる。
「思い出したんなら直ぐに行け。んで非礼を詫びてこい。フェレーリアは貸してやる」
 因みにフェレーリアの所有権はいつの間にかディアに落ち着いていた。大きな体つきと硬い鱗、さらには獰猛な鳴き声から、世話係に誰も名乗りをあげなかったのだ。セイが働きに出ている間はディアが暇潰しも兼ねて世話をしている。フェレーリアの小屋にいると、身なりや口調をたしなめる侍女たちも近寄ってこないため、格好の逃げ場として重宝していた。
 ディアは窓際から跳ね下りるようにして離れ、早速フェレーリアの準備をしようと歩き出した。けれどセイに腕を掴まれて止められる。振り返るとセイは気分を害したように頬を膨らませていた。
「ですから!」
 セイはどこか怒ったような口調で吐き出した。
「なぜそこで『私も一緒についていく』くらい言ってくれないんですか!」
 涙目で訴えられたディアは動揺した。まさかこれくらいのことで怒られるとは思っていなかった。セイが行くなら自分も一緒についていくという考えだったが、あえて口にする必要があるとは思っていなかったのだ。どれほど一人で行ってこいという表現になっていても、実際その場面が来たら自分もフェレーリアに跨っているだろうなということは容易に想像できていた。だからセイの涙には動揺した。
「結婚して1年も経つのにあんまりじゃないですか。いまだにディアは1人でどこかへ行こうとしますし、せっかくの休みもどこにも誘ってくれませんし!」
 まるで子どもに責められているようだと思った。ぐいと顔を近づかれ、迫った熱に思わず顎を引く。
「愛の言葉だって滅多に聞かせてくれませんし、私は毎日忙しいですし……っ」
 徐々に驚きが醒めて来たディアは呆れ顔となる。そんなに鬱憤が溜まっていたのだろうかと思う。過去を振り返り、確かに結婚してからは四六時中一緒にいるわけにはいかなくなったと思う。
 ディアが黙り込んでいるとセイは唇を引き結んだ。微かに乱れた呼吸を整える。今にも泣き出しそうなその顔は、とても二十歳を迎えた男には思えないほど感情がむき出しだ。
「……これではディアを疑っても仕方ないです」
 ディアは思わぬ言葉に眉を寄せた。
 泣き出しそうに熱を宿した顔だが、双眸だけが冴えてディアを捉えた。
「私以外の人に惚れたのなら、乗り換えても、私は」
「はぁ?」
 あまりにも突拍子のない言葉にディアは呆れた。いまさら何を言うのかこの馬鹿は、とセイを見つめる。その視線の先でセイは唇を噛み締めて俯いた。
 その仕草はからかいの雰囲気を払拭していた。正直そのことに戸惑うディアだが、心当たりがなくては弁明のしようもない。セイはディアの腕を掴んだままゆっくりと顔を上げた。
「私は、いつも仕事で忙しいです。結婚する前に比べたら遥かに、ディアと一緒にいる時間も取れなくなりましたし……っ」
 それは父であるドーラル=ラミアスや兄のジェン=ラミアス、さらにはアイル=ヴァレンといった遠方からもセイを求める声が上がるからだ。セイに原因があるわけではない。結婚する前からそのことについては承知している。仕方ないと分かっている。セイにしても理解しているはずなのに、いまさらそのようなことを持ち出して何を言うつもりなのか。
 悔しげな顔をするセイを見つめながらディアはただ待った。
「だから、私に愛想を尽かして……いま好きな人と一緒に出て行っても、仕方ないと……」
 先ほどの「私以外の人に惚れたのなら」と「疑っても仕方ない」という言葉が蘇り、閃きのごとく勘を働かせたディアは理解して叫んだ。あまりにも不条理なその言葉を。
「私が浮気してるとでも言いたいのかセイは!」
「だって私がいないときに男を引き込んでいたと聞いていますもの! 聞き苦しい言い訳は聞きたくないです!」
「ふざけるな! 誰がだよ!」
「カーサラム伯爵!」
 怒鳴り声も掻き消すかのような叫び声だった。当然ながら言い返すつもりだったディアだが、良く知った名前が飛び出したことで思わず絶句してしまう。喉が鳴る。その一瞬を見逃さなかったセイは諦めを多分に含んだ顔で笑った。ディアの腕を放して側を通り抜ける。
「セイ!」
 慌てて背中を追いかけ肩を掴んだが、ディアは乱暴に振り払われた。そんな拒絶を初めて受けたディアは思わず呆然とする。振り払われたままの格好で硬直する。
 振り返ったセイはディアを睨みつけた。涙の溜まった目じりを乱暴に拭う。どうでもいい、なげやりな仕草だった。
「全くの嘘だったならディアは訂正しますよね。でもいま、ディアはカーサラム伯爵のことを訂正しませんでした。少なからず覚えがあるからでしょう」
 ディアは思わず「しまった」と顔をしかめた。セイはもう何も聞き入れない。
「お礼には私1人で行きます。でも、私が帰ってくるまでにディアは私の前から消えていて下さい」
 ディアは栗色の双眸を大きく見開いてその場に立ち尽くした。
 何の弁解もさせず、セイはディアから体を離して扉に向かう。動けないディアの視界の中で静かに出て行く。彼の姿が消えたとたん、ディアは膝から力が抜けて崩れ落ちた。まさかこのようなことになるとは思っていなかった。信じられない。
「違う」
 そう呟いてみても、本当に聞いて欲しい人はこの場にいない。腕が震えることが自分でも情けなく、涙が伝うのがたまらなく哀しかった。
 カーサラム伯爵を招きいれたというのは本当だ。その言い方には引っ掛かりを感じるが、自分からこの屋敷へと招いた。だがそれはセイを裏切る行為ではなく、セイの有益に繋がると思ったからこその行動だ。
 カーサラム伯爵はラミアス領の東隣を治める伯爵だった。セイのように放蕩などしておらず、政治にも明るく顔が広い。そんなカーサラム伯爵がセイを助けてくれれば、外見から侮られやすいセイもやりやすいだろうと思ったのだ。
 ディアとて何も考えずにカーサラム伯爵を招いたわけではない。セイとの結婚以来、屋敷にはさまざまな祝福の手紙や政治関係の手紙が届いていた。そのとき偶然にもディアの目を留めたのがカーサラム伯爵からの祝電だったのだ。
 手紙上での彼は大変誠実で真面目な青年だった。まるでセイからの手紙を読んでいるかのような雰囲気を感じた。だからディアも信用し、時期を見計らって屋敷に招いたのだ。セイが連日のように疲れ果てて帰ってくるので、早く何とかしたいという思いもあって気が急いた。
 そしてカーサラム伯爵を招いてみれば、彼の偶像は完全なる思い違いであると気付いた。野心的で暴力的。貴族ならではの気品はあるがセイには遥か劣る。さらに悪いことに彼は、美女と名高かったセイの『奥さん』に悪意的な興味を持っていた。
 初めての顔合わせのとき、ディアはまだ彼の本性など知らなかった。セイを助ける密談をするため、使用人を下がらせて二人っきりになったときだ。そこで彼は本性を現し、ディアは襲われたのだ。
 カーサラム伯爵の誤算は、ディアが並の女性ではなかったということだろう。彼の豹変ぶりに驚いたディアだが、旅で鍛えられた勘や腕はカーサラム伯爵を軽く押さえつけた。あっさりと返り討ちにされたカーサラム伯爵は耳障りな罵声を上げながら屋敷から蹴り出された。同情などしてやる価値もない。
 なぜ手紙の文面から彼の性格を読み取れなかったのかと言えば簡単だ。貴族たちが手紙を贈るとき、彼らは雇った専用の物書きに代筆させるのだ。主人を善良に、紳士に、誠実に見せるよう、必ず代筆者がいる。たとえ嘘八百が並べられてあっても、相手はそれが本当なのか知りうる手段がないため信じるしかない。
 そんなものを必要としないセイと長く一緒にいるため、そしてディアもそんな貴族社会から長らく離れていたため警戒することを忘れていた。
 自分の愚かしさに歯軋りしたいほど悔しかったできごとだ。
 そして今から考えれば二人っきりになったことが良くなかった。セイに知られればあまり良く思われないだろうと思い、カーサラム伯爵のことは秘密裏に招いたのだ。ごく僅かな使用人たちにしかその存在を知らせず、身分も隠していた。だがこうしてセイに筒抜けになっているということは、彼の姿を見知る者はいたということだろう。あれでも伯爵を名乗るくらいだ、いない方がおかしいのか。ディアは再び自分の甘さに歯軋りしたくなる。
 ディアは床に座り込んだまま呆然と動けなかった。
 自分で招いたこととは言え、あまりにも嫌な結末だ。さらに言えば、そんな結末で納得するつもりはディアにはない。終わらせるつもりもない。
 セイは誘ってくれなくて寂しいと言ってたが、その気持ちの強さを表すなら自分の方が強い、とディアは思う。表に出さないだけだ。フェレーリアの世話をしているのも、ともすれば屋敷から飛び出してセイのもとへ駆けていきたい気持ちを必死で堪えているからだ。賢いフェレーリアであれば止めてくれるだろうという打算が含まれている。セイには求められている役割があるのだから邪魔をしてはいけないと常に言い聞かせている。
「……お前がいなかったら、生きたいとも思ってなかったってのに……っ」
 血が繋がる王のため。父が守ろうとしたタラッチェのため。そして兄の負担を減らすため。受け入れてしまい、あちらの世界へ行ってしまおうと、全てを諦めかけたときもあった。
「離れたくないのは私の方なんだってこと、言わなくても分かれよな!」
 沸々と湧き上がる感情に突き動かされるまま、ディアは憤然と立ち上がった。
 フェレーリアの鳴き声はまだ響いていない。セイはまだ屋敷を出ていないはずだ。
 ディアは扉など蹴破る勢いで開け放つ。すぐにセイの後を追いかけようとした。
 しかし。
「だっ……!」
「……っと!」
 目の前に誰かがいた。
 勢い良く飛び出したディアは反射的に飛び避けようとしたのだが、距離があまりにも近いため避けきれない。悲鳴を殺し、その人物に抱きつくようにして体当たりする。それでも勢いを殺せず、そのまま迫った壁に硬く瞳を閉じた。
「……うん。今回は私の勝ちということで」
 やにわに強く抱きしめられた気がしてディアは瞳を開けた。予期していた衝動は訪れなかった。恐怖に心臓が縮み、早鐘を打っている。耳元に吐息を感じた。
「ディア。泣かないで」
「――っにが、おまえ、は!」
 ぶつかると思った驚きのためか、抱きしめているのが彼自身だということのためか、心臓は痛いほど早鐘を打つ。一瞬で鼓動の意味が塗り替えられる。
「なにが“勝ち”だ!?」
 腕を突っ張って体を離し、怒鳴りつけた。わけが分からなくて混乱する。
 出て行けという言葉一つで自分を絶望に追いやったくせに、いまはそうして救い上げるのか。翻弄されることが悔しい。命すら握られている気がする。けれどそのことに満足している自分がいることも感じてしまう。微かに笑みを含むその声が愛しくてたまらない。けっこう容赦ない力で彼の胸を叩く。金の髪を揺らし、その攻撃を甘んじて受け入れるセイに腹が立つ。
 声も出せず何度も叩いていると足から力が抜けた。ディアはその場に座り込む。腰が抜けたのか動けない。その間にも遠くに行かれないよう、彼の服の裾を掴む。直ぐにセイは屈み込んだ。
「カーサラム伯爵のことで腹が立ったのは本当ですけど、さきほどは言い過ぎました。ごめんなさい」
 謝罪には素直な響きが含まれていた。先ほど放たれた「出て行け」の言葉に含まれていた冷たさはない。代わりに、抱きしめられる腕は熱い。
「ディアが追いかけてきて下さらなかったら、本当にこれで終わりにしようと思っていました」
「私を試したのか!?」
 とんでもないことを聞かされたディアは顔を上げた。泣き顔のまま睨み付ける。セイは言葉につまった。図星ということだ。
「ごめんなさい」
「聞きたくない!」
 既に腕から力は抜けていた。殴りたくても力が入らない。あれほどの衝撃を与えておいて、それが『試し』だとは。
 ディアは悔しくて歯噛みし、視線を落とした。
「私にはもう、お前のところ以外に帰る場所なんてない」
 自ら死を選びたいとは思わない。だがセイを取り上げられた先、果たして生きていたいと思うだろうかと疑問が残る。偽らざる本音を零す。
 セイが軽く息を呑む音が聞こえてもディアは顔を上げなかった。
 非常に悔しい。悔しいが、言ったことは後悔していない。疑われたことと、切り捨てられようとしたことが痛い。
「ごめんなさい」
 再び落とされた謝罪には深い悔恨が宿っており、ディアは胸が締め付けられる思いをした。
「カーサラム伯爵とのことは……セイが心配するようなことじゃない」
「……はい」
 優しく頬に触れられた。乾いたばかりの頬に再び涙が流れる。それを拭われ、軽く顎を持ち上げられたディアは素直に応じて瞳を閉じた。唇に柔らかな体温が触れる。つい先ほどまで涼しさを求めて風に当たっていたことなど綺麗に忘れ、ディアはセイにもたれかかった。
「疲れた」
「そうですね」
 背中に回された腕は外されない。ディアは座り込んだままセイの胸に頬をつけ、もう一度「疲れた」と呟いて瞳を閉ざした。
「本当にカーサラム伯爵とはなんでもないからな」
「信じますよ。ディアを」
 らしくないとは思うものの念を押すと真剣な表情で頷かれる。それでも居心地の悪さを感じ、ディアは顔を上げた。視界一杯に広がる金の光。言い訳のように呟いた。
「ただ、カーサラム伯爵の力があれば、お前の仕事も少しは楽になるかと思って……」
 そして楽になれば、帰りも今より早くなるかとの打算も込めてだ。
 さすがにそちらは口に出せず心で思ったことだが、背中に回されていたセイの力が少しだけ強められた。
「私のため?」
「――そうだよ」
 笑顔を直視することができなくて顔を背け、ディアは頷く。
「本当に――ありがとうございます。ディア。でも」
 途切れた言葉にディアは眉を寄せる。これ以上の痛みは聞きたくない。
「カーサラム伯爵なんかの力を借りなくても、私は心配要りません。あまり見くびらないで下さい?」
 強気なセイの発言に呆気に取られる。
 セイは楽しげに笑って口付けを落とした。
 何度も落とされ、次第にくすぐったさとおかしさが込み上げてきて、ディアは体を震わせて笑い声を上げた。
「ではディア」
 壊れかけた雰囲気がようやく修復する。セイが微笑んだ。立ち上がり、ディアの手を取って同じく立ち上がらせる。
「一緒に行ってくれますか?」
 ディアは同じく微笑んで「ああ」と頷く。
「――戯言として聞き流していいから、ひとまず聞け。もう少し仕事を早く終わらせて、一緒にいる時間を増やして欲しい」
 セイは瞳を瞬かせたあとに吹き出した。ディアはそっぽを向いたまま答えを待つ。
「約束しますよ。永遠に。一緒にいましょう」
 小指を絡めて約束してくれて。
 ディアは囁きに言葉を詰まらせた。
「実を言うとね、ディア。伯爵身分は今日で返上してきたんです。その手続きにしばらくかかりました。でもこれでディアとはもっと一緒にいられますし、私は自由に動けます」
 悪戯っぽく笑い声を上げてセイは首を傾げる。
「怒ります?」
 ディアに何の相談もなく一人で決めたこと。そんなことをしてドーラルたちは何を思うのかとセイを案じたディアだが、こいつのことだ、上手くやる自信があるのだろうと納得して笑った。嬉しいのは同じだ。隠し切れずに笑顔のままかぶりを振る。腕をセイに絡ませた。


 END