第二章 【二】

 突きつけられた短刀に息を呑んだランルは響希を睨みつけた。
 侮った自分の不明さに腹を立てる。冷静さを欠くわけにはいかず、暴れようとする激情を押さえつけながら素早く策を練ろうとした。この場を潜り抜けることが最優先だ。先のことを気にする余裕はすでにない。  首から提げている宝石に手が伸びた、そのときだ。
 翠沙を庇った勢いのまま地面に臥せていた李苑が、何かに気付いたように顔を上げた。慎重に辺りを窺う。童顔に浮かぶ表情は険しいものだった。そしてまた、そんな李苑を見ないまでも響希も気配に気付いていた。ランルに短刀を突きつけたまま周囲を窺う。
「誰だ……?」
 近づいてくるのは大勢の足音だ。それに伴って、衣擦れの音と金属が擦れる音がした。
 気付いたランルは舌打ちする。
 響希が訝る前に野太い声が朗々と響いた。
「見つけたぞ!」
 深い闇の向こう側から現われたのは屈強な男たちだ。姿を見せたのは一人だったが、張り上げられた声に導かれ、次々と仲間らしき者たちが現われる。人工的な光が彼らを照らした。最初に現われた男は喜色を浮かべてランルを指差していた。
 響希は瞳を細める。ランルと違い、新たに現われた男たちは最初から好戦的だった。敵となる可能性が非常に高い。鈍色に光る鎧が不吉な影を示唆していた。まるで、絵本に出てくる兵士のようだと響希は一笑する。
 響希の意識がランルから外れた瞬間の隙を狙って、ランルは短刀の間合いから外れた。気付いた響希はとっさに後方へと跳んだ。彼女を追いかけるより、そうした方がいい気がした。
 果たして、その判断は正しかった。
 響希が退いた地面から、先端を鋭く尖らせた氷が幾つも突き出した。もし響希がその場を離れていなかったら、串刺しになっていた。
 その場の誰もが息を呑む。近づこうとしていた男たちも例外ではない。ただ一人、ランルだけが驚かない。人間離れした超常の力を操ったのは彼女だからだ。
 ランルは響希の牽制から完全に逃れると男たちに向き直った。
 男たちは響希たちよりも立ち直りが早かった。免疫があったのか、それとも“兵士”という胆力が為したのかは分からない。いち早く動揺から立ち直った彼らは剣を抜く。闇の中に白刃の光が灯り、それらは次々とランルに襲い掛かった。
 彼らの闘いに巻き込まれぬよう軌道から跳び退いた響希は不可解さに眉を寄せて見守った。
 ランルは男たちを見据えたまま動こうとしない。まるで覚悟を決めているようだ。しかしそれは諦めではなかった。男たちとの距離が一定の距離にまで縮まると、ランルは右手を勢い良く横に振った。すると、その動作に合わせ、男たちとランルとの間に薄く鋭い氷の板が出現した。振られた腕の勢いをそのまま写し取った氷は、鋭い切っ先を保ったまま男たちに襲いかかった。
 響希たちが呆気に取られて見守るなかで、薄いはずの氷板は鎧を割って生身に迫る。男たちは氷の勢いによって遥か後方へと飛ばされる。ランルに襲い掛かろうとしていた、他の男たちの邪魔になる。
 鎧を割られ、地面に転がった男は尻餅をついたままランルを見上げた。驚愕して動けないようだが、生身に傷は負っていないようだ。血が流れることはない。鎧が威力を殺したのだろうか。それともランルが計算して力を放ったのか。
 男たちはさすがに直ぐ立ち上がったが、ランルに襲い掛かろうという気概は消えていた。彼らの表情に浮かぶのは“得体の知れない力に対する恐怖”だ。仲間が受けた超常現象に畏怖して足を強張らせている。恐怖が逃亡に繋がるまでは早く、男たちはじりじりと後退を始めた。距離が一定のところにまで広がった刹那、男たちは背中を向けて走り去った。もしかしたら仲間を呼びに行ったのかもしれない。
 ランルは彼らの姿が消えると胸を撫で下ろした。しかし、直ぐに顔つきを改めて響希たちを振り返る。先ほどの男たちに向けたように、腕を振り上げる。
「追われているの?」
 得体の知れない力を使おうとしているのだ、と響希は構えたが、一触即発の空気を壊したのは翠沙だった。李苑に突き飛ばされて汚れた服を払う。立ち上がると真っ直ぐにランルを見つめた。
 問いかけにランルは腕を下ろす。先ほどの男たちのように、実力行使で排除しようという気はないのか、翠沙の言葉に耳を傾けている。不審な表情ではあるが、響希にはそれが意外に思えた。
「貴方たちがどのような立場の者なのかは分からないけど、殺したくはない。大人しく私を通しなさい」
 背筋を伸ばして凛と放たれる言葉には、逆らいがたい強さが含まれていた。三人に視線を向けるランルの姿は毅然としていた。冒し難い何かがある。
 ランルの言葉を受け止めた李苑は響希を見た。視線だけで交し合った二人は固い表情のまま頷く。何の合図かと身構えたランルは、響希が短刀を投げて寄越したことに目を瞠った。投げられた短刀には勢いがない。攻撃のためではなく、渡すためだけに投げられたものだ。
「どういう、意味?」
 戸惑いを隠さず瞳を揺らすランルを、響希は挑発するように笑った。
「手助けしてやってもいい。多勢に無勢だろう」
 その言葉にランルは更に訝った。短刀を構えて意味を考えていると、今度は視界の端で李苑が動く。過剰に反応したランルは李苑に笑われた。
「私たちのせいで時間食っちゃったんでしょう? 貴方が翠沙に危害を加えないと約束してくれれば、敵にはならないよ。あ、響希は危害なんて加えても効果ないから、論外ね」
「一言余計だ」
「……信じろというの?」
 ますます不信感を強めるランルに翠沙が笑った。しかしその笑みは李苑の言葉に向けられた笑みだ。小さな笑い声だったけれど、その場の緊張感は霧散した。
 ランルは迷った。返された短刀に視線を落とす。
 不思議な存在感を持つ彼女たちを、すでに信用し始めていることは否めない。短刀を返されたときに答えは出ていた。それでもその条件を飲み込めないのは、穿ちすぎなのだろうか。
「信じろとまでは言わないが、利用してもいいとは言っている。俺らにも打算的な考えがあることだし、手を組まないかと」
 背中を押すような声にランルは顔を上げた。“打算”が何を指すのか分からない。ランルにとって不利なことではない、と確信するには情報が足りなさ過ぎた。思いつめようとし、ランルはふと笑みを零す。
 ――利用してもいい。
 そう放たれた言葉だけを脳裏で反芻させる。
 ランルは響希を見つめた。
「そうね。では、利用させて頂きましょうか」
 先ほどの一件で彼女たちの実力は証明済みだ。打算的な考えではなく感情的なものかもしれないが、ランルは自分を納得させた。決定を待つ三人に視線を向けて、微笑みを浮かべる。
「貴方たちは」
 自己紹介をした方がいいのかと思ったところに人の気配がした。どうやら逃がした男たちの応援部隊のようだ。
「来たか」
 響希が楽しそうに笑った。
 心強い彼女の態度に救われながら、ランルは短刀を握り締めた。そして彼女たちの服装を一瞥する。
「武器はないわね」
 李苑たちの着る服は薄い布地で作られていた。防御力はないに等しい。それはランルも同じだが、李苑たちの場合は更なる悪条件があった。衣装は目に悪そうな蛍光色で飾られていた。闇に紛れるにはあまりに不向きだ。
 三人の着る服が学校のジャージだとは露知らず、ランルは観察した。薄い布地は三人が武器など携帯していないと知らしめていた。腰周りはくびれていて、剣の形も窺わせない。小刀程度ならば隠せるかもしれないが、小刀で兵士の剣を相手にするのは難しい。
 問われた三人は顔を見合わせて苦笑した。
「あいつらが運んできてくれるだろう」
「奪うつもり?」
 何の気負いもなく放たれた言葉にランルは驚愕した。
 打ち合って弾き、奪う取るならばまだ分かる。けれど丸腰で相手の武器を奪うのはとても難しい。
 ランルの声に含まれた意味を読み取り、李苑と響希は同時に「馬鹿にするな」と反論した。そんなやり取りをしている間にも、男たちは茂みの向こうに姿を見せ始めた。数は多く、徐々に増えていく。まとう鎧も重装備に替えられていた。先ほどランルが放った薄い氷では、もう破壊することも難しいだろう。
 時間がないことを悟り、ランルは三人に向き直った。ひとまず武器の対策は本人たちに任せることにする。
「ここから突破できればいいの。全部に構う時間はないわ」
 三人は頷く。近づいてくる男たちをそれぞれ見据える。
 響希は少しかがみこんだ。ジャージの裾をめくり、仕込んでいた護身用の小刀を両足から一本ずつ取り出した。
「どこに向かえばいいの?」
「森の外。あちらよ」
 方向を示され、三人は頷く。
 その時、男の一人が我先にと襲いかかって来た。いち早く反応した響希が彼を蹴り飛ばし、翠沙に目で合図を送った。ここで立ち止まっていても、囲まれるだけだ。
 最初の男を皮切りとして、男たちは次々と襲いかかって来た。それぞれ掛け声を上げて士気を高めている。
 翠沙は男の剣を寸前でかわした。外見や物腰から侮られることが多い翠沙だが、回避行動はなかなかのものだ。繰り出された剣を次々とかわしながら、ランルに示された方向へ走り出す。
 彼女の露払いをするように李苑も走り出した。直ぐに追いつき、翠沙の左前に位置を取る。迫る男たちを体術で相手取る。少し遅れて右後に響希がつき、その後ろをランルが走った。
「貴方の方が適任じゃないの?」
 ランルは走りながら響希に問いかける。
 響希は視線だけでランルを振り返った。
 先頭を任された李苑は小柄だ。俊敏な行動で的確に応戦しているとはいえ、彼女の体格が頼りなさを思わせる。心許ないのだ。響希が先頭にいれば、後に続く者も安心できるのだが。
 ランルの胸中を読んだ響希は鼻で笑った。
「見た目で判断するな。先入観通りの奴なら俺は側に寄らせないし、翠沙も安心して走れないだろう」
 ランルは眉を寄せて翠沙を見た。響希の言葉通り、翠沙の足取りには迷いがない。李苑に絶対の信頼を預けているからこそだ。その点については同意する。しかし、ランルの目から見た李苑は、やはり磐石の守りとは言えない弱々しいさが漂っていた。
 三人の奇妙な関係にランルが首を傾げた直後。
「言わせてもらえばお前の方が頼りないがな!」
 響希は腹から力強い声を出した。ランルの背に迫った男を飛び蹴りで逸らす。一瞬遅れて気付いたランルは剣を振るった。鮮やかな血飛沫が軌跡を描く。
「肝心の敵の気配に集中できないなんて、話にならない」
 厳しい響希の言葉に、ランルは渋面を作った。