第三章 【七】

 響希たちが目覚める一時間ほど前に、時間は遡る。
 ランルは客用の宮を出た後、軍区域に足を運んでいた。
 ガラディアでは軍人制度が曖昧だ。全てが宝珠によって管理されているため、兵士たちの仕事は主に、町中で起こる些細なもめごとや酔っ払いの相手をするような物だった。現実を知った新米兵士が次々と辞めていく嘆かわしい事態が後を絶たないのが実情だ。
 それでも軍区域は城壁の中にあり、王宮とは一線を画した場所にある。司令部や兵たちの宿舎が置かれ、ささやかながら訓練場もあった。
 軍区域に置かれた監視の目を潜り抜けたランルは訓練場を覗き込んだ。
 新米兵士の相手をするのは、眠そうな顔をした熟練の兵士たちだ。
 雇用されてから数ヶ月。いまだ覇気を失わない新米兵士らにそっと笑みを零し、ランルは訓練場へと足を踏み入れた。
 ――組織化が曖昧なのは町中の警護を任された者たちだけであり、王宮警護に配属された者たちは、配属先が細かく決められていた。中でも王族に近づき言葉を交わす近衛隊は、兵士になった者にとって憧れの配属先だった。実力が伴い、王族に直に認められなければ決して配属されることはない。宝珠に直接関わる者たちの警護を任されるのだから、実力が伴っていなければならないのは当然の事なのだが。
 近衛に配属されていた者たちがランルの姿に真っ先に気付いた。
「お疲れ様」
「ランル様」
 突然の訪問に波紋が広がる。新米の兵士たちは驚きに目を瞠って口を開ける。彼らはいまだ王たちの目通りも叶っていないのだから、異例のことである。しかし驚く彼らを尻目に、近衛たちは笑顔でランルを迎え入れた。動揺することはあっても拒否することはない。
 ランルは入口から数歩入った所で止まり、内部を眺めた。
 自主訓練に残っているのは結構な数だ。今年は根性のある兵士が多数入ったらしいと嬉しくなる。
 自主訓練に励む兵士たちの中から一人の男性がランルに近寄った。
 王宮警護の全てを指示する、いわば司令塔と呼べる人物――ヨールだ。
「王たちにはお会いになりましたか?」
「もちろんよ。さすがに明日まで延ばしていたら、監視がつきそうだもの」
「当たり前ですよ」
 ヨールは肩を竦めて苦笑した。
「これ、ありがとう。役に立ったわ」
 ランル差し出したのは短剣だった。儀式めいた宝剣ではなく、手に馴染んで質素なものだ。その剣に視線を落としたヨールは一瞬だけ沈黙して肩を落とした。
「やはり貴方でしたか。物品管理の者から苦情が来ていましたよ。先程まで『備品が足りない』と半泣き状態だったんですから」
「あらごめんなさい。でも、収納簿もないし見張りもいなかったわ。簡単に忍び込めてしまったんだから。油断し過ぎじゃなくて?」
 ランルは笑いながらヨールに短剣を渡す。それを握り締めて、ヨールは顔を顰めた。
「そうですか。警護班を見直しておきましょう」
 ランルが忍び込んだのは早朝だ。収納簿がなくても頷けるが、兵士の一人はつけていた。しかし役に立っていないのは事実だ。宝珠に守られ安穏としたここでは、確かに危機感が薄いのだ。
「これは責任持って私が返しておきます」
「ええ、お願いね。私は代わりに長剣を借りていくわ」
「ランル様」
 ヨールがランルをひたりと見据えた。そんな彼にランルは片目を瞑ってみせる。
「硬いこと言わないでよ、ヨール。私は王位継承権を持つ者よ? 丸腰でいるなんて危険でしょう?」
「――ならばこの短剣で我慢しといちゃくれませんかね」
「駄目よ。それだと攻撃力に欠けるんですもの」
「貴方は敵陣に突っ込まなくてもいいんです。それは私たちの役目なんですから」
「他人に頼るの嫌いなの」
 言葉遊びを楽しみながらランルは言ってのけた。
 ヨールは顔を顰めてランルを見つめる。何を言ってもこの皇女には通用しない。長い付き合いでその事を熟知している。気を取り直して別の質問を投げることにした。
「公務を投げ出されて、今日はどちらまで?」
「城下町」
「嘘はいけません。この国を守っているのは誰だと思ってるんです? 城下に貴方の姿がないことは確認済みです」
 ――守っているのは宝珠、と素っ気なく答えようとしたがヨールの言葉は続いた。口を挟ませてはいけないと知っているのだろう。
 ランルは唇を尖らせる。
「嘘じゃないわよ。城下町とは言ったけど、ガラディアの、とは言っていないわ」
 そんな屁理屈を並べてみる。途端にヨールの表情が険しくなった。
 ランルは「しまった」と思ったが遅い。
「どこへ、行ってらしたんですか?」
 詰問されて、ランルは答えられない。ランルが行ったのは下手をすれば侵略罪として問われる行為だ。相手が宝珠国であれば、訴えられれば無視できない。
「ランル様。国内であれば私も大目に見ましょう。けれど、ガラディアから出ることは許されません。守りきれない。貴方は第一位の王位継承者で、その身に宝珠を抱いている。宝珠も貴方も、他国にとっては脅威なのですよ?」
 ランルは顔を顰めたままヨールから視線を逸らした。迂闊に洩らしてしまったせいで、今まで何度も聞いた説教へと繋げてしまった。分かりきっていることを何度も繰り返されることほど嫌なものはない。
「分かってるわよ、ヨール」
「いいえ、分かっていません!」
 投げやりに肩を竦めるランルに、ヨールは怒鳴った。訓練場に残っていた者たちが苦笑しながら二人を見守る。王宮警護に配属された兵士たちはいつものことだと慣れたように、訓練を再開する。訓練をつけて貰っていた新米兵士たちは戸惑いながら彼らに従う。
 視界の端でそんな様を見つめ、ランルは「ずるい」と唇を尖らせた。しかしここで無理にヨールから逃げ出せば、後で酷い仕打ちが待っているだろう。それは例えば、王宮を散策するだけでもどこへ行くのかと質問を投げられ、全ての行動に兵士が付き添い、心休める時は部屋にいる時くらいに絞られてしまうような。
「サウスのことは諦めなさい」
 話を聞き流していたランルはその言葉に顔を上げた。
「あれのことは私も信じています。けれど貴方が危地に赴くのなら、私はおろか他の者もサウスを忌々しく思うでしょう。貴方を危険に晒すような男は認めない」
「けれどヨール!」
「ええ。サウスの腕は私も信用している。だがあいつは個人的な意志で動いたんだ。勅命ではない。なら王に属する私たちは動けません。それに、サウスでも解決できない何かに巻き込まれたというのなら、私たちにできる事はありません。貴方に歯止めをかけることで精一杯です」
 ヨールの言葉は冷たく響いた。
 けれど知っている。サウスの直接の上司にあたるヨールはサウスを良く知り、理解している。だから今回のことでランルと同じように心を痛めている。ただ王宮で与えられた役目という仮面に隠されて、酷く冷たく思えるだけだ。
 ランルは拳を握り締めて視線を落とした。
 ――私以外には知らない。サウスの本当の目的を。行方不明になってから秘密裏に届けられた映像のことを。
「これ以上貴方自身で動けば、サウスの評判を貶めることになる。もしサウスが戻ってきたとしても、場合によっては位の剥奪もありえるのですよ」
 消沈するランルの肩を手の甲で軽く叩いて、ヨールは励ますように笑った。
 ランルはその手を見ながら半眼を伏せた。
「いいわ。これ以上動いてももう何も分からないし、事態も変わらないから……」
 ヨールの言葉による諦めではなかった。前から思っていたことだ。
 最後のあがきとばかりに出かけ、響希たちと出会った。太古に失われた宝珠の存在を見出した。彼女たちがこの時に現われたのは、何かの導きに違いない。ランルはそう思っている。
「ねぇヨール」
 少しだけ声を落としながら問いかけるランルを、ヨールは片眉を上げて見つめた。これ以上何を言われようと譲歩するつもりはなかった。
「そろそろ試合があるでしょう。サウスの後任を決めるための」
 ガラディアが国を挙げて行う国技大会だ。年々大規模なものへ発展し、今では国技大会が開催されるとなれば祭りのような騒ぎとなっている。兵士たちはこの日のために腕を磨き、勝ち抜き、力を示して王宮警護班に配属されることを願っている。迫力ある試合は人を呼び、民たちの娯楽としても楽しまれている。
 国の活性化、という本来の目的とは別に、兵士の選抜という裏の意味も持っている大会だった。素人でも参加できるのが、この大会が盛況になった大きな理由だ。この大会で力を示せば、見習い兵士として下積みを積まなくても抜擢されることが多いのだ。
 今年の大会では、サウスが抜けた穴を埋めるために優れた者を選ぶ、という目的も含まれていた。もちろんそんな裏の意味など民たちは知らない。末端に及ぶ兵士たちにも知らされていない。知っているのは軍の上層部。そして王族たちだけ。
「大会の参加者に加えたい者たちがいるの」
「貴方は駄目ですよ」
 即座に釘を刺されたランルは忌々しく舌打ちした。しかし今回の目的はそちらではない。
「違うわよ。今日、とても強い人たちに出会ったの。本当に強いのよ。サウスと同じくらいに。今は城に泊まって貰っているわ」
「ほう」
 ヨールの瞳が面白そうに煌いた。
「だから、その人たちを加えて欲しいの。参加は自由だけど、応募はもう締め切られてしまったでしょう?」
「まぁ仕方ないですな。去年よりも多くの応募が殺到したのですから」
 ヨールは肩を竦めながら頷いた。首を振って、やるせなさを示す。
「これを断れば、貴方はまた私の言うことなど聞き入れないでしょう」
 ランルは肩を竦める。そこまで我侭を通すつもりはない。そしてヨールもまた、口で言うほど困った様子はない。ランルの話に興味を持ったようで、瞳は少年のように楽しげに歪められている。
「誰をリストに加えればいいんですかい?」
 ランルは微笑む。
「キョウキとリオンを」
「キョウキ……リオン……変わった名前ですね」
 大会の名簿は先日回収され、現在は一覧表が作られている最中だろう。後でヨールの元へ正式な物が回されてくる。その時に名前を加えてしまえば問題ない。
 ヨールは二人の名前を頭に刻んだ。
 ランルは唇の端だけで微笑み、ヨールを一瞥しながら訓練場を歩いて出た。

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 外へと出たランルは顔を顰めた。
 確たる理由はない。しかしこの胸の不快感は何事だろう。
 ランルは異様な中庭の緊張を感じ取って立ち止まった。大きく音を奏でる心臓を宥め、周囲を見る。
「何……?」
 違和感の理由を探すだけの余裕はなかった。ランルはそのまま踵を返して訓練場に飛び込んだ。本来の業務に戻ろうとしていたヨールが驚いたように振り返る。
 ランルはヨールから短剣を奪い取った。
「ちょ、ランル様!?」
「ごめんなさい! でも嫌な感じなの! 何もなかったら戻ってくるわ!」
 ランルはヨールの腕を掻い潜って外へ飛び出した。
 この気持ちの悪さは一体なんだと叫び出したい気持ちである。気が急くまま中庭へ向かう。そちらに何かある、と漠然とした感覚が胸を占めていた。
「ランル様ってば!」
 ヨールの声が追いかけてきた。他の兵士たちもランルの剣幕に気付いていた筈だが、追いかけてくることはない。呆気に取られたのかもしれない。
 ランルはわざと走りにくい道を選んで走った。後ろから追いかけるヨールは、大きな手でランルを捕まえようと躍起になる。ランルとヨールでは体格差が子どもと大人ほどもある。ランルの方が機敏に動けると言える。
 走るごとに不快感が溜まっていく気がした。
 宝珠で張られた結界をすり抜けて来た者。自分の領域を侵される屈辱。
 やがて、月明かりの向こう側に誰かの姿が見えた。噴水の音が涼やかに聞こえる。その中で張り詰められた緊張。
「キョウキ……?」
 険しい横顔を晒した響希が睨みつけるのは、見知らぬ男。正常な人間ではありえないと、男から発せられる雰囲気が伝えてくる。宝珠が微かに震えて鳴動を起こす。
 ランルが宝珠を鎮めようと触れた時、対峙していた男が響希に襲い掛かった。
 闇に溶けるかのような黒装束。虚ろな瞳で響希を見つめ、一言も発しないまま剣を抜く。
「やめなさい!」
 事態に気付いたランルは声を張り上げた。
 響希が一瞬だけランルを振り返る。しかし男は動揺することもなく、ただ響希に狙いを定めて攻撃を仕掛ける。
 響希は寸前で剣を避けた。片足を軸として反転し、その遠心力のまま男の後ろ首に手刀を叩き込む。だが効かない。男は苦痛に顔を歪めることもなく、淡々と響希を振り返る。剣を構えて響希に切り込む。
「なっ」
 響希は鼻の先を掠めた剣に冷や汗を流して後退した。
 舌打ちする。これ以上退けば李苑を踏みつける。もしくは李苑よりも退いてしまい、李苑が標的になるのを見るか。響希は苛々と打開策を練る。その視界の端に、翠沙の姿が過ぎった。宮と中庭の挟間に立ち尽くし、青い顔でこちらを見つめている。響希たちが寝台を抜け出したことに、さすがに気付いたのだろう。
「キョウキ!」
 鋭く叫ばれて、響希は意識を目の前に戻した。
 ――ランルが襲撃者に切りかかる。
 背後からの攻撃は死角の筈だったが、ランルは外した。まるで後ろに目がついているような正確さでランルの剣を避ける。そして襲撃者は距離を取った。新たに現われたランルを値踏みするように見つめる。
 響希の隣についたランルはその視線に眉を寄せ、次いで倒れている李苑に気付いて目を瞠った。
「あいつが?」
 襲撃者に視線を戻しながら問いかける。
 響希はかぶりを振った。
 ランルはそれを見て首を傾げる。しかし深く追求することはしない。今はとりあえず撃退することだけを考える。捕らえることが出来ればもっといい。
 襲撃者はしばらくそのまま対峙していたが、やがてそのまま輪郭を薄れさせた。驚く二人の前で襲撃者の姿はどんどん薄くなっていく。そしてそのまま消えてしまった。名残もない。
 消えた襲撃者の向こう側からヨールが駆けて来た。
「何ですか今のは!?」
 ランルは返答に詰まった。響希はただ一瞥して李苑を振り返る。芝に膝をついて揺する。
「おい、李苑?」
 ランルも視線を落とし、その様子を見た。直ぐにヨールが隣について問いただしげな顔をする。
 李苑の意識は戻らない。
 そう悟った響希は一瞬の間をあけて李苑を抱え上げた。ランルとヨールの前を通り過ぎ、宮へ急ぐ。そしてそこで、廊下の壁にもたれかかって苦しげな表情をしている翠沙に近づいた。
 響希の向かう先に視線を向け、ランルは初めてそこに翠沙がいたことに気付いた。
「大丈夫か?」
「……ええ」
 翠沙は弱々しく微笑む。石畳に座り込み、下ろされた李苑の額に手を伸ばした。
「あの……ランル様。彼女たちは……?」
 王宮の警備班を纏め上げているのがヨールだ。城門を通過した響希たちの情報は手に入れている。王たちの許可も下りたと報告も受けている。しかし詳細な理由など分からないのだ。簡単に受け入れる訳にはいかない。
「――彼女たちが、さっき言ってた、追加させたい者たち」
「は」
 ヨールは怪訝に眉を上げた。それ以上の追及はない。
 ランルは辺りを見回す。感じていた不快感は消え、もはや何の異変も見られない。
「結界が弱まっているのかしら……」
 ガラディアは宝珠国である。宝珠で張られた結界を幾つか有している。その中でも王宮の結界となれば最強の物である。悪意を持つ何者かが侵入などできる訳がない。
 ランルは悔しげに拳を固めた。宝珠は扱う者によって力を変える。侵入者を許したのは、ランル以上に力を持った者の仕業だという理由に他ならない。
「ヨール。この剣はもうしばらく借りるわね」
「は、しかし」
「今のを見てたでしょう? 本来なら不可侵の場所に入ってきたのよ。今は、宝珠の力をあてにする気がないの」
 正当なる宝珠の使い手からそのような事を言われ、ヨールは複雑な顔をしたが何も言わなかった。短剣を握り締めるランルに頭を垂れる。
「分かりました。身辺には常に気を配るよう皆に伝えましょう。今夜ばかりは護衛もお許し下さいますよね?」
「……ありがとう」
 ランルは溜息のように頷いた。普段は鬱陶しいからと、サウス以外の護衛も監視も許さなかった。第一王位継承者だというのに侍従の数も少なく、普段から王や軍関係者との静かな冷戦が行われていたが、ここにきてヨールたちに軍配が上がったようだ。
 ランルが李苑の元へ行くと、その後をヨールもついてきた。
「リオンは、平気?」
 翠沙が李苑を抱くようにしており、その手を李苑の額に当てている。
「何か、暗示が掛けられているみたいで……なかなか解けてくれないの」
「お前が倒れるまで解こうとはするな。お前と違って、李苑は図太いからしばらくは平気だろう」
 翠沙は青白い顔のままで笑った。
「酷い言いよう。李苑が聞いたらまた怒るわね」
「王宮の医療院に運んだ方がいいのでは?」
 三人の様子を見守っていたヨールが提案した。途端に翠沙が鋭い一瞥を投げかけ、ヨールは瞳を瞬かせる。翠沙は直ぐに李苑へ視線を戻した。
「駄目。李苑は直ぐに目を覚ますわ」
 ヨールが怪訝な顔をしたのも束の間、まるで翠沙の言葉に導かれたかのように李苑が身じろぎした。響希が確かに胸を撫で下ろすのを見た翠沙は微笑み――そのまま意識を手放した。
「翠沙!」
 響希は慌てて翠沙を支える。その声で完全に意識を取り戻したのか、李苑が起き上がった。
「んー……響希?」
 まるで今まで普通に寝入っていたとでも言いたげな李苑の声だ。まるで緊張感のない声に、響希はピクリと頬を引き攣らせたが敢えて抑えた。
 李苑は一度体を震わせる。なぜ自分が外にいるのか分かっていない様子だ。囲まれている状況に首を傾げ、周囲を把握しようとして視線が翠沙に向けられる。翠沙が倒れている、とそれだけを理解して李苑は飛び上がった。
「何。どうしたの、翠沙?」
「お前こそどうしたんだ」
 飛び上がるまでの素早さから普段の李苑と何ら変わりないと判じた響希は翠沙を抱え上げた。李苑は眉を寄せて響希を見つめる。
「どうしたって……? そういえば、何で私、外にいるの?」
 響希は溜息をついた。
「分かってる筈はないと思ったけどな。おい、ランル」
 呼び捨てた響希に、ヨールは眉根を寄せたが口は挟まない。
「部屋に戻る。もう安心していいと思っていいんだろうな」
「……ええ」
 このような事がそうそう起こっては堪らない。
 ランルは響希の瞳を真っ直ぐに見返して頷いた。
「分かった」
 響希は翠沙を抱えたまま中へ入っていく。ランルはそのまま立ち尽くし、彼女の背中を見送る。ヨールも同じだ。李苑だけは響希とランルを見比べてどうしようか逡巡したようだが、結局は翠沙が心配なのだろう、そのまま響希の背中を追いかけて行った。
 ランルは踵を返した。
「お送りしますよ」
「ありがとう」
 物理的な方法で侵入しようとする輩であれば巡回兵で対処できる。けれど宝珠のような特別な力を操っての侵入に対しては、やはりランルが揮う宝珠の力に頼る他はない。そのような事態は、本当に非常事態でしかないのだが。
 ヨールは励ますようにランルの肩を叩いた。