第四章 【六】

 もしや徹夜で試合続行なのかと気力が衰え始めた頃、大会は幕を下ろした。満月から少し欠けた月が天高く昇っている。李苑とヨールとの対戦が終わったあとは、それほど長引く試合もなかったためだ。響希や李苑が長引かせないよう心がけたのも影響しているが、それはまた別の話だ。
「響希、いいなー」
 李苑の声が廊下に響く。部屋へ戻る傍らで、李苑は響希の腕にはめられたプロテクターを眺めていた。
 大会の優勝者は響希。
 準決勝で響希と当たった李苑は場外へ落とされて負けとなった。決勝に進んだ響希は見知らぬ男と対戦したが、力を残して余裕の優勝を果たした。観客や王宮の者たちにもその力を知らしめた。
 祝宴やその他諸々の手続きはすべて明日以降に持ち越されることになった。そして響希には、優勝商品として王から直々にプロテクターを賜った。賞金として金貨100枚も与えられたが、この世界の金銭感覚がない響希たちには、それがどの程度の価値を持つものなのか分からない。王は響希の顔に驚いた顔をしていたが、純粋に喜んでいた。
「軽くて使いやすそうだ」
 響希は腕輪を見ながら満足そうに笑みを刷く。
 李苑は拗ねたように「いいけどね」と呟いた。たとえ李苑が腕輪を貰っていたとしても、剣道の試合には装備していけないため、宝の持ち腐れだ。響希であれば実戦で使用可能なため、最も適した持ち主だと言えるだろう。
「結局――ランルは戻ってこなかったね」
 翠沙の呟きに、響希と李苑は顔を見合わせた。
「明日の祝宴には嫌でも顔くらい出すだろう。兵士候補は全員、王族と顔合わせするんだから」
「それはそうね。けれど……大丈夫かしら?」
「子どもじゃねぇんだから」
 心配し続ける翠沙を笑って響希は着替えた。部屋には3人以外は誰もいない。
「あれ。そういえば学校のジャージ……」
 部屋を見渡した李苑が呟いた。寝台側の棚に置いていたが、そこにはジャージの代わりに花瓶があった。見事な花が生けられている。
「そういえばないわね」
 そのとき、控えめにノックの音が響いた。
「ランル?」
 李苑が顔を輝かせて扉に駆け寄り、開いた。けれどそこにいたのはランルではない。年配の女性が佇んで驚いた顔をしている。彼女は直ぐに落ち着きを取り戻して微笑んだ。
「このたびは大変お疲れ様でした。キョウキ様には、優勝おめでとうございます。私はランル様より言い付かり、ただいまより貴方さまがたのお世話をさせていただきますリュイと申します」
 翠沙と響希もリュイに顔を向けた。
「私は控えの間におりますので、何か御用がございましたらそちらのベルでお呼び下さい」
「ベル?」
 李苑が首を傾げるとリュイは「失礼します」と部屋に入り、すぐ近くの棚に置いてあった薄い板を取り上げた。透明なガラスで出来た板だ。リュイが板を撫でると、呼応するように鮮やかな青に変化した。
「これで私には伝わります」
 不思議な現象に李苑は瞳を瞬かせた。響希がそれを見て眉を寄せ、翠沙は苦笑する。
「今は何も用はない。さがれ」
 李苑の好奇心が放たれる前に、と響希が告げた。その強い口調にリュイは怯んだようだったが、直ぐに了承して頭を下げた。部屋から出て行く。
「あ、待って! 1つだけいいかな?」
 リュイが扉を閉めようとしたとき、李苑が慌てて声を上げた。
「ああそうだ。俺たちの服をここに置いていたんだが知らないか?」
「うわ響希。人の台詞取らないでよ」
 そんな訴えなど響希はもちろん無視をした。
 リュイは少しだけ首を傾げ、やがて納得して頷いた。
「衣類ならば洗濯させていただきました。差し出がましい真似をして申し訳ありません。今すぐに必要でございますか?」
「あ、いや……原因が分かってるならいいんだ」
 響希はかぶりを振った。ジャージは汚れていたし、取り急ぎ必要でもない。むしろこの世界でジャージなど着ていたら奇異な目で見られるだろう。
 リュイの退室を促すと、彼女は直ぐに部屋を出て行った。
 扉が閉められて間をあけて、李苑は翠沙を振り返る。
「召使ってやつ?」
「なぜ私に聞くの」
「だって、この中でそういうのに一番縁がありそうなのは翠沙だし」
 翠沙は嫌そうに顔をしかめた。
「響希にもいるでしょう。組長の娘なんだから」
「俺にはいない。1人で行動している」
 小さい頃に実力で勝ち取った自由だ。護衛を付けられようとしていた当時を思い出した響希は不機嫌に顔をしかめた。今のランルと同じ状態なのだと気付いた。
 李苑は当時を知っているので肩を竦めるだけだ。翠沙は不機嫌な響希の声音から当時を想像して軽く笑った。そして翠沙は何かを思い出したように「あ」と声を上げる。部屋を横切ってクローゼットに近づいた。しかし目的はそれではない。
 昨夜見つけた肖像画だ。
 響希と李苑も興味を覚えてそちらに近づく。
「それって……」
「うわ。響希そっくり」
 翠沙の隣から覗き込んだ響希と李苑はそれぞれ声を上げる。肖像画に描かれた人物は、響希と双子と呼んでも不思議ではないほど良く似ている。
「昨夜、見つけたのよ」
 翠沙は小さな微笑みを作って響希を見た。
「こっちの響希、すんごい優しそうに見える!」
 李苑は響希と肖像画を見比べて腹を抱えた。翠沙は苦笑しながらも同意する。
「この人、何か響希と関係があるのかな? あ、それともこっちの世界には私らと同じ人間が1人ずついるとか?」
 水を得た魚のように元気良く空想を広げる李苑。彼女の得意技だ。
 逆に、渦中の響希は真剣な眼差しで肖像画を見ていた。まるで睨みつけているかのようだ。
 翠沙は少しだけ瞳を細めて口を開いた。
「ルヴァイヤと書かれているわ。この人物の名前でしょうね」
「ルヴァイヤ」
 響希も呟いた。
 李苑は首を傾げる。
「どこに名前なんて書いてあるの?」
 綺麗な額に入れられているだけで、文字は見あたらない。不思議に思った李苑は、もしかして裏面にあったのだろうかと額を引っくり返そうとしたが止められた。翠沙の指が額縁の端を示す。
「えっと……これ? 読めないよ」
 李苑は顔をしかめた。そこに彫られているのは、まるで日本語ではない文字だ。あてはめるとすれば、教科書で何度か見た楔形文字に似ていた。けれど李苑が読めるわけもない。
「翠沙って凄いねぇ」
 李苑は改めて感心するように深い吐息を洩らした。しかし翠沙からは何の反応もない。響希と同じく翠沙も唇を閉ざしてしまう。
 この沈黙は何だろうかと、李苑は奇妙な居心地の悪さを覚えた。窺うように2人を見上げる。響希は真剣な表情で肖像画に見入り、翠沙はどこか憂いた表情で肖像画を眺めている。
 李苑は翠沙の手をつかんだ。
「李苑?」
 手をつかまれた翠沙は驚いたように李苑を見る。そこにあるのはいつも通りの表情だ。彼女がどこか遠くへ行ってしまいそうな気がしていた李苑は安心して胸を撫で下ろした。
「そろそろ眠ろう?」
 不安を含むような声音に翠沙は微笑んで頷いた。
「そうね。明日は祝賀会だもの。李苑は今から楽しみでしょう?」
「そりゃあね! 王城があるくらいのこっちだったら、すんごく綺麗な衣装がいっぱいあるんだろうなぁ……!」
 李苑は飛び跳ねながら寝台に向かった。頬を緩ませて期待に顔を輝かせる。翠沙もその後を追いかけて寝台に腰掛ける。
 李苑は綺麗な衣装を眺めるのが好きだ。しかし自分で着るより他人に着せる方が好きだ。被害者は主に響希となるが、彼女は滅多に隙を見せないので第2の被害者は翠沙となる。翠沙はもともとドレスや着物といった特殊な衣服に抵抗を見せないので、辛抱強く李苑に付き合ってくれる。
 李苑は頬を緩ませて響希を見た。明日の祝賀会ではさすがの響希も着替えざるを得ないだろう。そのときを思うととても楽しい。
 寝台に入ってきた響希は、奇妙な笑い声を上げる李苑など気にも留めず、ただそのまま横になった。いつもなら「妙なことは考えるな」と顔面平手打ちが飛んでくるものだが、その気配はない。
 李苑と翠沙は顔を見合わせて苦笑した。
 響希にならうように横になり、眠りに就いた。