第六章 【四】

 色さえ失ったように蒼白で、心臓は早鐘を生む。城内へと戻り、早朝の為まだ静かな廊下を足早に通り抜け、ランルが一心に向かうのは王達の寝室。女官に報告を受けてから早鐘を生み続ける心臓は更に早く、一瞬ごとに嫌な想いは育って行く。
 嘘だ、そんな筈はないと心で否定しても。城内に充満する雰囲気が確信を強めていく。更に、外よりも中で漂う異質な宝珠の雰囲気に歯噛みしたい気分だ。
 辿り着いた部屋の前、女官たちが集まり陰惨な雰囲気を醸し出していた。啜り泣きまで聞こえてきて耳障りな音。
 怯えたように部屋の前で群れる一人の女官がランルに気付く。気付き、驚きに目を瞠り。そしてその顔が一瞬で悲痛に歪められる。
「ランル様!」
 彼女の声に他の者達も弾かれたようにランルを振り返る。
 その視線の中、ランルは誰とも視線を合わせないまま部屋の壁に手をついた。走ってきた為と緊張に呼吸が間に合わない。
「私たちが来た時には、もう……っ」
 女官の声を受けてランルは硬く瞳を閉じた。扉を守る二人の兵が申し訳無さそうにランルを窺う。
「……開けて」
 ランルの声に、少しだけ躊躇ったように部屋の扉を開き。中からは薄暗い闇が零れてきた。
 分厚い遮光カーテンが光を遮っているのだろう。この時間、王達はまだ目覚める事無く眠っている。形を判別させない闇が支配する部屋の中、その奥に何かの影が見えた。
 兵の腕を潜り抜けてそちらへ向かう。ゆっくりと部屋へ入り、ランルは報告が現実として目の前に現れた事を知った。
 ガラディアの王と王妃。二人が折り重なって、床に打ち捨てられていた。外傷は何も無い。けれど彼らの瞳は空虚でもはや何も映さない。
 駆け寄ろうとしたランルを兵が押さえる。
「放して!」
「いけませんっ。王達は既に」
 王達の体には命が失われて久しい事を示すように斑点が浮き出ており、言われなくても理解出来ているつもりだ。それを言葉に出され、ランルはカッとして更に強い憤りに支配される。
「放しなさい!」
 ランルの感情に反応したのか、宝珠が煌き兵士が吹き飛ばされかける。だが新たに別の兵士がランルを押さえた。
「王達の命を絶ったものが何なのか、まだ特定できていないのです!」
「そんなの!」
 分かっている。この部屋へ近づくに連れて濃くなった宝珠の気配。首に掛けられた宝珠が教えてくれた、同属の気配。
 言葉にならずにランルの抵抗は徐々に薄れていく。怒りに支配されていた力が悲しみへと変わろうとしていた、そんな時。新たに入ってきた背の高い人物の声にランルは身を強張らせた。
「これは何としたことか!」
 一歩間違えればヒステリーとも取られかねない高い声。扉を見れば先程よりも人が集まってきたようで、中を窺いたがる関係者たちから扉の守人が視界を塞ごうと奮闘しているのが見えた。そんな中、入ってきた人物はぐるりと部屋を見渡し厳しい瞳をランルに向ける。その後ろでは扉が閉ざされ喧騒が一瞬途絶えて。
「……二妃」
 夜着を纏い、肩からショールをかけただけの女性。ランルの母である一妃の次に選ばれ後宮へと召された事から『二妃』と呼ばれる、ファーナン=カルミナ。彼女の手に引かれ、眠そうに首を傾げた少年もあった。ランルに次ぐ第二位の王位継承者エリオスだ。何が起こっているのかわかっていないように、不思議そうな瞳でランルを見る。
「ランル殿、貴方が王宮にいながらこれはなんたる事です!」
 険しい追求にランルは瞳を伏せた。最近は自分の力を信用できない事ばかりが起こっていて、反論する事も無い。宝珠への過信だったのだろうかと拳を握り締める。
「宝珠が王の手元にあったならば――此度の事も起きずに済んだはず」
 異国訛りが残る言葉で睨みつけられたのだがランルは何も言えない。彼女の言葉はランルの中でも渦巻いていて、自分を責めるしか出来ない。
 大人しくなったランルを見て兵達から緊張が抜ける。止める為とはいえ、皇女に結構な力を揮った兵は「申し訳ありません」と謝罪したが、ランルは弱弱しく首を振った。
「皇女、これは責任問題。王位継承の権も考えねばなるまいな」
 王位を継ぐものはランルの他にもまだいるのだ。以前、セフダニアから送られた水晶を見て一妃がランルに向けて言ったように。二妃が産んだファーナン=エリオス。
「言葉が過ぎますぞ、カルミナ第二妃」
 割って入ってきた掠れた声。嗄れた声だったが威厳を含んだそれは二妃の言葉を押さえつけて優しく響く。
「宝珠は次なる主を定めた時に、その者の手に渡るもの。たとえ王が以前の主だろうと、もう宝珠は扱えぬ。分かっておろう?」
「爺や、いいわ、やめて」
 彼が開けた扉の向こうには王宮勤めの人だかり。最初にいた兵だけでは収集がつかなくなったのか、駆けつけた警備兵たちが入り口を規制してはいたが、何が起こったのかは素早く伝染して広がっていく。いくら緘口令を敷こうとこれでは単なる徒労に終わってしまうだろう。
 ランルは思い溜息をついて顔を上げた。爺やの後ろからはヨールが姿を見せる。
「王の御前よ」
 尚も口を開こうとした二妃、爺やの言葉を遮った。
「ランル様――」
 ヨールの言葉に口を引き結び、手にしたままだった宝珠をその場に掲げた。微かな光を灯して宙に浮かぶ。
 ランルは意識を集中させて、更に宝珠の力を引き出した。部屋を冷気が包んで薄い水の膜が王と王妃を包みだす。眠気が覚めたように、エリオスが固唾を呑んでそれを見守り、滅多に目にすることのないその光景に爺やたちも目を奪われていた。
 皆の視線を受けながら、王達の体を隙間なく宝珠の力で包み込む事に成功したランルは微かな痛みを瞳に浮かべる。
 自分の両親である前に一国の王と王妃。彼らを人知れず殺害し、床に放置したままで。造作なく打ち捨てて行った誰かに殺意が湧くのだ。
「この防腐処置は一週間と保たないわ。民に不安が広がる前に片をつけます。それが、宝珠を託された私の役目ですから」
 二妃を睨みつけた。
「けどランル様、片をつけるとは」
「目星はついています。ヨール、貴方なら私が最近動いている事を知っている筈でしょう?」
「では……サウスも……?」
 ヨールが知るランルの動向と言えば、サウスのために奔走していた事だけ。ヨールとランルの間で流れた空気は、この場にいる他の者には決して分からない物。ランルは頷いた。不審も露に二妃が口を挟む。
「ここ最近、皇女の周りには不審な者が多すぎる。その者らを調べた方が早いのではないかえ?」
「彼女たちは……!」
 二妃のその言葉が誰を指しているのか敏感に悟り、声を荒げたランルは途中で言葉を切った。部屋の入り口を横切った、兵達の影から見えた人影。
「――力石三人分を用意して。衛兵、全てが終わるまでここへは誰一人入れないで」
 訝しげな視線の中、ランルは入り口に向かって歩き出した。
「これは宣戦布告。敵は白珠を内包するセフダニア、先陣に立つのは私とキョウキ、スイサよ」
 入り口で待ち構えていたのは響希と翠沙であり、彼女たちの姿に二妃は盛大に顔を顰めた。
 一方名指しされた翠沙は哀しげな視線を王と王妃へ向け、響希は威圧するように鋭い視線を投げかけた。部屋の誰もが息を呑む。
「ま、待ちいや! セフダニアが敵などと……何を馬鹿な」
「いいえ、残念ながら証拠も残っておりますもの。この部屋に色濃く残る宝珠の気配。王達の命を絶ったのは、真空」
 原因が何で、どのような経過を辿って死に至らしめたのか。それすら肌で感じ取れてしまうほど濃厚な気配が残っている。宝珠を使うのならもっと上手に気配を消し、隠ぺい工作も可能だというのに。セフダニアの王がそれも出来ないほど力弱い者であるはずが無いのだから、ワザとなのだろう。かかっておいでと、両手を広げて。
「そのような……いえ、たとえそうであるとしても、そなたはガラディアの皇女なのです!」
 継承権を考えると言ったその口で、二妃はランルの継承権を説く。ランルは軽い微笑を湛えて二妃を振り返った。決して悪い人ではないのだから対応に困る。人並みに権力欲はあるだろうが、国のことをしっかりと考えられる人。
「相手が宝珠の持ち主である以上、生身では太刀打ちできません。宝珠には宝珠を、でしょう?」
「あ、貴方が宝珠の力で競り負ける事は、今この出来事を取ってみてもハッキリしている事ではないか! 貴方を失えば、ガラディアは……!」
「あら、王位を継ぐものは私の他にもいますでしょう?」
 完全にランルのペースである。弱みを押し隠して自己を確立する彼女に苦笑を零し、ヨールはやれやれと首を振る。
「ランル様、その者達を連れて行くというのですか?」
 二妃が二の句を継げずにいる間、ヨールが大きな体で歩み寄る。先程ランルが注文したのは三人分だ。ランルがしっかりと頷くのを見てヨールは「了解しました」と片手を挙げ、それまで黙っていた爺やが首を傾げる。
「その者達は」
「あら爺や、私の近衛よ。ほら、貴方に認証を受けた指輪」
「そなた……先の大会での?」
 二妃は響希の顔を覚えていたようだ。けれど訝しげな声音も当然。その後響希たちは行方不明となったのだから。
 一時はあらぬ嫌疑騒動も持ち上がった事だ。
「何故……」
「光です」
 幼い声に、その場の全員が目を向ける。微笑んでいるのは誰よりも幼いエリオス。柔らかな髪の合間から覗く瞳で一心に見上げている。
 二妃は己の息子を凝視した。彼が見ているのは、翠沙。
「ランル姉さまは青い夜の色だけど……貴女は光に包まれている」
「エリオス?」
 二妃がエリオスを呼ぶ。少年はその視線を翠沙に固定したままそちらに歩き出した。
「……巫女姫様?」
 エリオスが本で読んでもらった、世界の神話。蒼珠がガラディアを守るように、この世界を守る者。太古の都では、宝珠の代わりに二人の巫女がいて守っていたと御伽噺で聞かせられていた。
「僕たちを護って下さるのですか?」
 舌っ足らずな口調が愛らしい。翠沙を見上げると、エリオスの視線に合うように腰を落とす。
「いい眼を持っているのね」
 息子に触れるでないと叫びかけた二妃は、その言葉に息を呑む。そして立ち上がった翠沙の瞳に眼を奪われた。
 誰の瞳にも見た事がない、緑柱石の光。
「巫女の役目は太古から変わらず世界の平定。セフダニアがそれを乱すのなら、私が力を貸しましょう」
 穏やかで、何者にも屈しない凛とした態度。けれど直ぐ側で佇んでいた響希が身じろぎするとビクリと震える。それまでとは打って変わって不安そうな瞳を響希に向け、その様に響希は苦笑して翠沙の頭に手を乗せた。
「……なら、宝珠の持ち主として俺も協力させてもらうぜ?」
「黒の……っ」
 響希の首に掛けられた宝珠を見てざわつく皆を見やり、響希は翠沙に笑いかけた。それまでと寸分違わぬ笑顔で。
 翠沙はその態度に泣き笑いのような表情を浮かべ、返した。