第七章 【五】

 李苑が部屋から出ていくと扉が勝手に閉まる。ジュラウンはそのあとを宝珠で固める。
 ザーイはそのことを確認してから口を開いた。
「で? どうするつもりなんだ。イフリート王として」
 ザーイは立ち位置を変えないままジュラウンに視線を向ける。ため息をついて肩を落とす彼を見つめる。
 立場を強調されたジュラウンは瞼を閉じた。背もたれに背中を預け、疲れたように天井を仰ぐ。
「どうしよっかなぁ……」
「どうしようかって……助けないのか? ガラディアでは一応サラン皇女に宝珠が継承されてるんだろ? セフダニアがなに考えてるのか分からんが、ろくでもないことに決まってるじゃないか」
 一人の人間に二つの宝珠。もしもそんなことをセフダニアが望んでいるのだとしたら、一刻も早く止めなければいけない。宝珠管理者として責務だ。宝珠に対抗できるのは宝珠しかない。一人の人間が、二つの宝珠を扱うことはできない。宝珠の巫女と呼ばれる特別な者でなければ宝珠は確実に暴走を起こし、世界を混沌に叩き落す。
 ザーイは机に広げられた地図を畳んで元の場所に戻す。先ほどまで李苑が座っていた場所に腰かけ、ジュラウンと向かい合うようにして顔を覗く。その視線を感じたのかジュラウンはチラリとザーイを一瞥したが、視線は再び天井に向けられた。
「王の代替わりとなれば国は荒れる。サラン皇女はまだ仮の管理者だったはずだ」
 国それぞれ文化や伝統の違いはあろうと、宝珠に関してだけはほぼ共通。宝珠を継承するにはそれなりの儀式が必要とされている。それは形だけの儀式となってしまったが、宝珠管理者の代替わりという特別なイベントを民衆はとかく見たがる。先代の管理者から次代の管理者へ、宝珠を使った僅かなパフォーマンスも含めて披露されるのだ。
 ランルは既に管理者としての適性を備えており、王から宝珠も託されていた。けれど儀式を行うのは、ランルがもう少し経験を積んでからの方がいいだろうということで先延ばしになっている。ガラディアからの正式文書によれば、ランルが二十歳を迎えるあと二年後に正式継承を行うらしい。
 ジュラウンのそんな言葉にザーイは肩を竦める。そんなこと、お前だって一緒だろう、と。
 ジュラウンは十二歳で王位に就いた。先代の王が病に倒れ、宝珠を制御する力が弱まったからだ。イフリートは現時点で最も国土が広く、人口が多い。それだけに宝珠の後継者候補も沢山いた。けれどその並みいる候補者たちを差し置いて、ジュラウンは宝珠に選ばれた。
 ジュラウンはあまり王位に近いところにいたわけではない。父は王なれど母は身分が低い側女。王族に属してもいない女だ。
 ここイフリートでは決められた公爵家の中から妻を選択しなければならない。王の手がつけられたウェンテート=シエンタは側女の身分から強引にナイ公爵家の養子となり、ウェンテート=シエンタからナイ=イフリート=シエンタ王妃に昇格された。そうして生まれたナイ=イフリート=ジュラウンはイフリートの正王家としての血を片親からしか受け継いでおらず、他の候補者たちと比べても宝珠候補からは圧倒的に遠かった。
 そんなジュラウンが宝珠に選ばれてしまえば、他の候補者に取り入っていた貴族たちが面白いわけがない。子どもだからと政治の実権を取り上げ、宝珠さえも思いのままに動かそうとした。けれど生憎ジュラウンは人形であることを許すほど可愛げのある性格でも、愚鈍な子どもでもなかった。
 周囲は敵ばかりの王宮でザーイと出逢い、歩兵隊の隊長に任命されたばかりの彼を無理に引き抜いて宰相に抜擢した。王だからこそ許される強引な人事だ。他の候補者に比べられて恥ずかしくないように必死で勉強も重ねた。
「今だって、楽なわけではないですけれど……」
 ようやく二十歳になったばかりだ。敵は変わらず多いし、候補者だった者たちからも蔑まれている。命を狙った暗殺騒ぎも十や二十ではない。
 ライール=ガラディア=サランはまだ十八歳だ。ジュラウンが王位に就いた頃ほど歳若いわけではないとはいえ、誰かの保護が必要だろう。
 イフリートが後見として立つことはできた。ガラディアに恩を売ることができ、高官たちも納得するだろう。けれどガラディアはセフダニアと戦争を起こそうとしている。いまだ水面下のできごととはいえ、いずれ明るみに晒されるだろう。ガラディアの後見をすればセフダニアとは敵対するとみなされる。それはイフリートにとって得策ではない。セフダニアにも、世界を構築する宝珠がある。宝珠を持つ者同士が諍うのは、国だけではなく宝珠そのものにも危険だ。その力がいつ制御を外れて暴走するとも限らない。
「セフダニアは、なにを考えているんだ……」
 天井を仰いだままため息交じりにつぶやくジュラウンに、ザーイは労わるような視線を向けて苦笑した。
「あそこの王も代替わりしたばかりだろう。まだ十七歳だったはずだ。先代はガラディアに殺されたと言っていたな。そしてこちらも後見がない」
 嘲るように鼻を鳴らす。
「案外なにも考えてないんじゃないか?」
「ザーイと一緒にしないで下さい?」
「てめ」
「ガラディアに殺されました、か」
 ザーイの訴えをあっさりと却下し、再びジュラウンは意識を澄ませる。
 セフダニアの前王たちが崩御したのもつい最近だ。こちらもまた、王と王妃、同時に失っている。民衆に発表された死因は病死だが、なぜかガラディアに殺されたのだという噂が広がっていた。いったいどこからそのような噂が流れ始めたのか、イフリートからでは全く分からなかったが、セフダニアの上層部に発表される正式文書をとある経由で入手したところ、そこには確かに『暗殺』と記してあった。王たちが亡くなった様子も詳しく記載してあり、たしかにそれらは、宝珠によってとしか思えない殺され方をしていた。
 位置的にセフダニアと最も近く、且つ宝珠を持つ国といえばガラディアしかない。イフリート王であるジュラウンがそのような暗殺に覚えがない以上、ガラディアにしか嫌疑はかけられないのだが、釈然としない気持ちだ。なにかが狂わされている。そんな気がしてならない。ライール=ガラディア=サランの後見になろうとしたのは、彼女に近づく、それとなく探りを入れるつもりだったからに他ならない。
 どちらにしろ、セフダニアには今、歳若い王しかいない。
 先代の後を継いだのは息子のサイ=セフダニア=スファーヤだった。両親を殺された怒りを宿したのか、セフダニアは軍事国家へと姿を変えた。武力の行く先は明白だ。
「あいつ……どうするつもりだ? いつまでもここに置いとく訳にはいかんだろ」
「けれど帰すことも出来ません」
 その言葉が誰を指しているのか悟り、ジュラウンは即座に断言した。思考を切替えてザーイに視線を向ける。
「ガラディアはいま、警備が半端ではありませんからね」
 李苑をイフリートに運んだその日から、ガラディアを包む結界は過去最高の強度を誇るようになっていた。いかなジュラウンであろうと、なんの準備もせずにあの結界の中を潜り抜けることは不可能だと思わせた。
 結界に比例し、人的な警備も強度を増していることだろう。ランルの近衛である李苑ならばすんなりと受け入れられるかもしれないが、まさか彼女を一人で帰すわけにもいかない。
「勝手に連れてきたくせに?」
「あのときは留まることも出来ませんでしたから」
 なにかを言いかけたザーイを手で制し、ジュラウンは立ち上がった。
「時間です。行かなければ」
「おい!」
 ザーイは声を荒げたがジュラウンは応えず歩き出す。李苑の部屋に繋がる扉ではなく、廊下に繋がる扉へと。そして扉を開き、半身を返して微笑んだ。
「なにも知らない子どもだけが取り残されて、世界はなにを考えているのだろうね?」
 世界を任された宝珠の管理者たちは、いまや二十歳にも届かない子どもたちばかり。そんな言葉にザーイは口を閉ざす。沈黙している間にジュラウンは廊下に体を滑らせ、出て行ってしまった。

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 李苑は切れた。部屋の中に閉じ込められ鬱々としているこの状況に。外からの情報を完全に断たれて考えることしかできないこの状況に。そして、響希たちに会えず不安は最高潮というこの状況に、とうとう切れた。
「やってられるかー!」
 部屋にあった木製らしき椅子を扉に投げ飛ばしてみるが、扉には傷ひとつ付かない。鍵がかけられていることはもちろん確認済みだ。ザーイから譲られた服を身につけ、力の限り暴れる。寝台も調度品、見るも無残な状態になった。羽毛が舞って埃がたつ。李苑は咳き込んでしゃがみこむ。実は気管系統が弱点だ。
 涙を浮かべながらうずくまって咳き込んでいたその時、傷ひとつ付かなかった頑丈な扉が開いた。顔を出したのはザーイだ。彼は李苑に声をかけようとしたらしいが、その前に、目に映った部屋の惨状に絶句した。
「どいて!」
 李苑は素早く廊下に出ようとしたが、首根っこを掴まれて叶わなかった。
「どこに行く気だ。お前の存在が外にばれたらやばいって、ジュンから説明があっただろう」
「私はいつ帰れるわけっ? ていうか! なんでこの扉は私じゃ開かないのよ!」
 癇癪を起こして叫び、暴れると、ザーイはうるさそうに片目を細めて李苑を扉から引き剥がした。力の差は歴然としている。
 扉を閉められるとそれで李苑は大人しくなり、疲れたように脱力する。無頓着で床に座り込んだ。
「扉にはジュンが細工をした。絶対開かないようにな。それと、お前の立場は微妙なんだ。ガラディアに送りたいのは俺らも同じなんだから、もう少し辛抱しておけ」
「もう少しっていつなのさっ? いい加減切れるっての!」
「なこと言われてもなぁ。まぁ、明日。ジュンにもう一回掛け合ってやるから。今は公務中だからな」
 ザーイの言葉は完全に他人事で真剣味がない。李苑はギリリと歯を噛み締めて拳を握り締めた。射殺しそうなほど鋭い瞳でザーイを睨みつけたが、元軍人らしい彼にそんな視線は通じない。
 と、李苑は不意にその表情を一片させた。無表情を作る。胸に生まれたのは固い決意。
「分かった。明日ね。いつも食事をありがとう」
 ひたすら力を込めて笑顔を作り出し、むりやり硬い声音を吐き出した。誰から見ても爆発一歩手前といった感じの態度にザーイは顔をしかめる。だが李苑は追求を許さず彼を部屋から追い出した。
 ザーイが部屋から消えると李苑の表情からも笑顔が消える。力を込めた笑みで頬が引き攣っている。頬に手をあてると筋肉が痙攣していた。
 一人で食事を片付け、乱れた寝台に飛び込む。衝撃で埃が舞い上がる。学習能力のない李苑は再び咳き込む羽目になったが、それが治まると勢いよく窓に跳躍する。
 外はまだ明るい。人も出歩いている。窓の下を歩く彼らに声が届かないのも、ときおり見上げる人々にすら気付かれないのも、ジュラウンによる宝珠の効果なのだろう。憮然としながらも李苑はようやく謎が一つとけてため息をつく。
「イフリートの王様か」
 ランルを助けてもらいたいのは本当だが、他人に頼るのは癪に感じられる。
 李苑は窓からしばらくイフリートを眺めていた。その光景をいつになく真剣に頭に叩き込む。そして寝台に戻る。乱れた部屋はそのままに、李苑は早々に眠りに落ちる。
「絶対、帰ってやるんだから」
 みてなさいよ。
 強く決意した李苑は誰にも止められない。