第八章 【一】

 鋭い気合と共に打ち下ろされた剣。真空が生まれ、空気が音を立てる。低く唸る風の音。
 ガラディアの兵たちに混じり、響希は剣を振るっていた。
 雑念を振り払うように打ち下ろす。見るもの全てを魅せる、鋭い眼光。不用意に手を伸ばせば一刀両断されてしまいそうな程、強い力。
 対峙する兵も同じ剣を扱っていたが、響希に与えられた剣が特別なのではないかと思えるほど、纏う空気が違っていた。
 響希は相手の剣を弾いてその喉下へ突きつける。身動き一つも封じ込める。
「やめ!」
 勝敗が決した所でヨールの声が響いた。
 広い道場内には大勢の兵がいる。響希が飛び込んできたのは、普段の演習が終わった後の、自主訓練の最中だった。よそ者である彼女に、兵たちはいい顔をしなかったがヨールが認めた。道場破りとばかりに実力を見せ付ける響希に、次第に兵たちも何も言えなくなった。
 響希は、宝珠に護られ平和なガラディアの中で培われてきた剣技を一蹴した。
 いつもの事ながら響希が纏う雰囲気は、近寄り難い緊張で満たされていた。彼らが主と仰ぐランルと同じ、宝珠を持つ者ではあるが、その雰囲気は全く違うのだと気付き始めた頃。響希は既に確たる恐怖と強さを皆の心に植え付け、その場に君臨していた。
「……なるほど。素晴らしい腕を持っている」
 響希は剣を鞘に戻しながらヨールを一瞥した。手合わせした兵と共に、軽く腰を折って挨拶する。軽い汗が滲んでいるだけで、響希は涼しい顔だ。対する兵とは雲泥の差である。
「お疲れ様」
 ヨールが兵に声を掛けて水を渡すのと同じく、響希には翠沙から声が掛けられた。器に満たされた水を、響希は一息に飲み干す。そしてヨールを振り返る。
「他に腕のある奴はいないのか」
 物足りないと言わんばかりの声に、ヨールは苦笑した。
「無茶言わんで下さい。貴方は宝珠の主なんですよ。そんな御仁と試合をしようなんていう奇特な奴は元々少数なんです。それも全て貴方が撃破してしまったではないですか」
「ふん、腰抜けめ」
 響希の舌打ちにヨールは肩を竦めた。ランルと違い、圧倒的な実力を見せ付けた響希では、今後も手合わせを申出る兵などいないだろう。
 響希は翠沙から渡された濡れタオルで軽く顔を拭くと見回した。
 兵の誰もが響希を複雑な瞳で見つめている。
 その視線どれもが鬱陶しく、響希は苛々と剣をヨールに投げ渡した。試合前に拝借していた物だ。
「ランルの所へ行ってくる」
 言うなり響希は踵を返す。
 彼女が部屋を出るまで声をかける者はおらず、翠沙はその背中を寂しげに見送った後、ヨールを振り返った。
 翠沙に向けられる視線も、響希に向けられる視線と大して変わりはない。
 自分たちとは違うのだという、異質なものに向けられる視線。その中には僅かな恐怖も含まれる。身近なランルは受け入れられても、見も知らぬ強大な力を持った者を受け入れるには時間が足りないのだろう。何もかもが急なのだ。排斥の感情を止めるにはもうしばらくの時間が必要だ。
 響希たちの身分は公にされず、誰もが興味と好奇心を抱いて、関心だけが先走りする。
「ごめんなさいね」
 半眼を伏せた翠沙に、ヨールが「何がですか」と返した。
「八つ当たりなんて、らしくないけれど……」
「ああ、彼女。とんでもないですよ。リオン、まだ見つかってないのでしょう。落ち度は警備していた我らにありますから。友人が行方不明ともなれば、誰でも動揺しますって。貴方が気に病むことじゃありません。それに、俺らはお偉いさんたちの無理な要求にいつも耐えてますからね。あれくらい、どって事ないです」
 軽く手を振るヨールの笑みには何の裏もない。
 翠沙は少しだけ安堵して頷き、微笑んで首を傾げた。
「じゃあ、私も行くわね。響希はきっと宝珠のことで行ったと思うから」
「ええ。では、また後で」
「ええ、またね」
 翠沙は踵を返した。
 ヨールは微笑みながら彼女の背中を見送る。
「キョウキの弁護で残ったのかな」
 そう呟いたヨールに、さきほど響希と試合をしたばかりの兵が近づいてきた。翠沙はもう兵舎を出て行っている。
「良く普通に話せますね」
「ああ?」
 ヨールが振り返った視線の先には、複雑な顔をした男が立っていた。彼はその視線を翠沙へと向けたまま、唇を尖らせている。顰められた顔の中には嫌悪感も込められている気がして、ヨールは眉を寄せた。
「なに気構えてんだよ。あいつらだって俺らと同じ人間。ただ、宝珠があるかないかの違いだろうが」
「けどですね。あれは人間じゃないですよ。さっき剣を見たら、ヒビが入ってたんですよ」
 男の声は潜められていたが、近くの兵たちには筒抜けである。彼らは、訴え出た兵たちと同じような表情でヨールを見つめている。
 ヨールは指で彼の額を容赦なく弾いた。
「阿呆。それはお前の構え方が甘かったからだ。サウスだったら、ヒビどころか折られてたぞ」
「近衛長は男じゃないですか」
「そんな事は関係ない――お前。もしかしてランル様の事もそんな目で見てんじゃねぇだろうな」
 ヨールの瞳が険しくなって、男は慌てた。両手を振る。
「そ、そんな事ないです。ランル様は我らの皇女ですから!」
「なら問題ないだろう。あいつらだって、俺らの敵じゃねぇ。俺は正直、あいつらが敵じゃなくて良かったと思ってるがな。味方にすりゃこれ以上心強い奴はいないだろう。お前らがもう少し強くなってくれれば言うこと無しなんだが」
 顎に手を当てて溜息をつくヨールに、兵たちの間に気まずい雰囲気が流れた。
 ヨールはニヤリと笑う。
「おら。訓練再開するぞ」
 声を張り上げて士気を高める。
「なんならサウスがいない分、俺がお前らの剣を折ってやろうか」
 張り上げられた声がキッカケとなり、響希に呑まれていた兵たちはようやく、普段通りに動き出した。

 :::::::::::::::

 訓練場を出て響希を追いかけようとしていた翠沙は、直ぐ先に響希の姿を見つけて驚いた。先にランルの元へと行っているかと思っていた。
「どうしたの?」
「悪い。八つ当たりだ」
 追いついて問いかけた答えは、およそ響希に似つかわしくない言葉。
 それが何を指しているのか悟った翠沙は微笑んだ。
「らしくないのは確かね」
 李苑が行方不明となって三日が経過した。ランルが手を尽くしているが、李苑の居場所は依然として知られないままである。忙しいランルの手をこれ以上煩わせる訳にもいかず、かと言って自分では探しだす術もなく、響希はこれまで煩悶を続けてきたのだ。
 最近のランルは、誰の目から見ても焦燥してやつれている。いつ倒れてもおかしくないほど気負っている。
 そんなランルに、李苑のことだけを追及させる訳にはいかない。
 響希は少し黙り込んだ後、細い息を吐きながら歩き出した。
「いい、翠沙、お前が付き合ってくれ」
 響希が向かうのは宝珠宮だ。歴代宝珠の継承者たちが、宝珠をコントロールするために使用している特別な宮。王宮からやや離れた場所に、宮は存在する。
 ランルに宝珠の扱い方を教えて貰っていた響希だが、今夜は翠沙を誘う。最近のランルを思い出して気遣ったのだろう。翠沙はもちろん響希の胸の内など見通しており、微笑んで快諾した。
「――どこ行ったんだか」
 廊下や庭などで侍女や兵に会うと、必ず強張った顔で敬礼される。その度に響希の機嫌は悪化し、翠沙もまたいい気分ではない。
 そうなるのを避けるため、二人は人気の少ない道を選んで目的地を目指したが――その一歩手前でエリオスに見つかった。
「スイサ姉さま」
 夜の帳が下りた庭に、可愛らしい声が響いてきた。ここ数日で耳に馴染んだその声に、翠沙は笑顔で振り返る。
「またお前か」
 対して響希の声は投げやりでうんざりしたもの。
「貴方に会いに来たわけではありません」
 闇の中浮かぶ水晶球の明かりに照らされ、柔らかな頬は温かそうだった。ファーナン=エリオス、ランルの義弟で王位第二位の後継者である。宝珠の継承者としても資格を持つ彼は、けれどランルに比べて圧倒的に幼かった。
 王の間で初めて会った時から翠沙は妙に気に入られているらしく、エリオスは暇を見ては会いに来るようになっていた。けれど響希のことは嫌いのようで、今回もまたエリオスは翠沙に向ける言葉とは丸っきり違った言葉を響希に投げる。
 翠沙は微笑み、響希は舌打ちした。
 だがその言葉は不愉快なものではなく、自分に嘘をついてまでかしずく兵や女官などよりもよっぽど好意を持てるもの。幼さゆえの無知からか、エリオスは自分に正直に言っているだけだから。
「エリオスはちゃんと自分の役割を果たしてから来るんだもの。誰かさんよりよっぽどいいわ」
「あら、それって私のこと?」
 闇に響いたもう一つの声。響希たちの目的地で、先に待っていたランルが顔を覗かせて翠沙を睨む。きっとエリオスと二人で待っていたのだろう。
「仕事はいいのか」
 ランルは最近寝る間も惜しんで公務に励んでいる。その為か、顔色が良くなかった。
「今は爺や達――高官が政務を執ってくれている。後で私も目を通すから問題ないわ」
「後で睡眠時間を削ってやるより、今やって睡眠時間を確保したほうがよっぽど健康的だわ」
 翠沙がエリオスを抱きかかえると、彼は嬉しそうに翠沙の首に抱きついた。柔らかな短髪が翠沙の頬をくすぐる。その感触に瞳を細め、翠沙はランルの額に手を当てた。癒しの力を注ぎ込むと、ランルの体にかかっていた負荷が和らいだ。
「ありがとう」
「これをアテにして来たのでしょう」
 何の罪悪感も無く笑うランルに、翠沙もまた苦笑を返した。
「じゃあキョウキ、やりましょうか」
「あ?」
 黙って成り行きを見守っていた響希に掛けられる言葉。今夜は翠沙に宝珠制御を見てもらおうとしていた響希は、その言葉に眉を上げてランルを見た。
「たまには私も憂さ晴らししたいもの」
 否は言わせず伸びをして。軽く響希に目配せし、ランルは笑って宮の中へと飛び込んだ。

* * *

 李苑が消息を絶ってから三日。
 何処へ行ったのかとか、生きているのかとか、いつ戻ってくるのかとか、それよりも。絶対に何とも無いような顔で戻ってくる気がして。
 自分たちがこれほど心労を重ねているというのに、あの晴れやかな笑みで戻ってきたりなんかしたら。
 本人がいないにも関わらず、想像だけで怒りが込み上げてくる。何て理不尽なのだろう。殺しても死なないような奴だ、あいつは。もし自分の知らないところで死んでいたりなんかしたら、それこそ絶対許さない。時を越える事すら出来るというこの宝珠を使ってでも、殴り倒してやる。
「キョウキ、意識を飛ばすのはいいけれど、この宮の外に害が及ばない程度に抑えて頂戴」
 横からランルの声。
 それに顔を上げると、入り口近くで苦笑する翠沙の顔が目に入った。
 空気が音を立て、宮全体が振動していた。それを引き起こしているのは全て、響希の宝珠。
 現実に立ち戻って力を押さえ込む。今この宮を護っているのは翠沙の力だ。ランル一人だけならば宮に封じられているだけの力で持つが、ここには宝珠を持つ者が二人も控えている。それも、存分に力を発揮して。この宮は本来ならば、宝珠一つに対しての強さしか持っていない物なのだ。それを補強しているのは翠沙の力。
 それ程までの力を持っていながら、何故今まで隠していたのか。腹立だしいが、明かされていたからと言ってアテにする気は無かったであろう。何より、その力のせいで翠沙は他人を必要以上に近づけようとしなかったのだから。
「随分と馴染んで来たようね」
 またもや意識を飛ばしている響希にランルは苦笑する。そちらへと意識を向けて、響希は首を傾げた。
「貴方の宝珠。今まで貴方の感情に何の反応も示していなかったのに、今はほら。少しの事にも共鳴している」
 言われて見れば、胸元で輝く宝珠は熱を持ち、辺りに力を放出し続けている。
 意識してその力を封じ込め、更に意識を凝らしてその力を手に収縮させた。
「響希、瞳を閉じて」
 翠沙に言われるまま、響希は目を閉じた。すると手にしている力が光の粒子となって響希の閉じた瞳に映り込む。一体これは何だろう。どこにいても分かる、瞳を閉じていても見える、特別の物体。
「それが宝珠の力。貴方なら、その形状を変化させることも可能な筈よ」
 言われるがまま、響希は微かに首を傾げて思い描いた。日本で愛用していた拳銃が、自分にとって使い慣れていた武器。その構造は熟知しているつもりだ。
 部品の一つ一つ、些末な事にまで意識を飛ばすと光の粒子も形を変えた。
 響希の意識に呼応するように小さな粒子が拳銃を形作る。
「あれは?」
 エリオスが翠沙の影に隠れながら響希を見る。翠沙はエリオスの頭を撫でながら前に押し出した。
 丸く見開かれたエリオスの目に、舞い散る粒子が形作る、見たことも無い物体が姿を現そうとしていた。そして響希が瞳を開け、手にしていた銃を見て目を瞠る。途端に銃は形を崩し、エリオスの目の前で消えてしまった。
「今のは」
「練習を重ねれば、もっとイメージするのが簡単になる。全てを創造できれば、それは貴方の武器となるわ」
 訳が分からず、銃が消えた手を見ていた響希はその言葉に顔を上げた。底の見えない緑柱石が響希を捕らえている。
「それは……私にも出来るのかしら?」
 今の現象を見ていたランルが翠沙を振り返る。今までそのような使い方をしたことは無かった。そのような使い方が出来るということにも気付かなかった。
 驚きを表すランルに、翠沙は軽く頷きを返した。
「貴方にとって一番使いやすいと思われるものを、宝珠と馴染むように訓練していけば――いつかは実戦に耐えうるようにもなるわ」
 そうして翠沙は瞳を翳らせる。そんな利用方法がある事も否めないが、宝珠を操る者にそれが伝わらないほどこの世界は平和だった。それなのに、それを崩しかねない力の使い方を今自分は伝えている。
 思い出した遠い昔の自分に、翠沙は「皮肉なものね」と自嘲を零す。エリオスが強く手を引いて、翠沙をその思い出の中から引きずり出した。
「どうしたの?」
 訊ねると、エリオスは哀しげな瞳で翠沙を見つめる。
「スイサ姉さま」
「あ、スイサ、結界って、もっと性能良く出来ないかしら?」
 問われて翠沙はエリオスから視線を外した。
「貴方の宝珠の使い方次第でどうとでもなるわよ。あのね、ランル。確かに私は巫女かもしれないけど、宝珠の管理者とそう変わらないのよ? だから、私を万能だと思うのはやめて頂戴」
 言われてランルは首を傾げた。
「クルジェ=フェイと言ったら、歴代巫女たちの中でもトップクラスの力の持ち主だという話だわ」
 ランルの言葉に翠沙は顔を顰める。あまりその事については触れられたくないらしい。
「いいだろう、別に。お前がなんだって俺らは変わらんから」
「……知ってるけど」
 不貞腐れるように、翠沙はフイッと顔を背けた。ランルと響希は顔を見合わせて肩を竦める。
「サウスの方はどうなっているの?」
「重臣たちを納得させる理由が不十分。平行線を辿りっぱなしよ」
 盛大な溜息をついて、ランルは額に片手を当てて見せた。今夜の不機嫌の理由はまさにこれで、憂さ晴らしでもしていないと政界の誰かに八つ当たってしまいそうな気配だ。
「全く、あいつがそう簡単に死ぬ筈ないけど、あれからもう一ヶ月だもの。心配にもなるってもんだわ。王達のことだって……もう、時間がないのに」
 神妙になったランルを皆が見つめる。しばらく沈黙が下り、その場の雰囲気を払拭させるように勢い良くランルは顔を上げて微笑んだ。
「ギリギリになってもまだグダグダ言っているようだったら強行突破よ。なんたって、私はもう王だもの」
 開き直ってそう言うランルに響希は肩を竦めて見せた。宝珠を再び服の中へと仕舞い込む。
「もう、今日はいいだろう。また明日な」
 その言葉を皮切りに皆が宮の出口へと向かう。響希は数日前まで確実に昂ぶっていた感情がここ数日で宥められ、今日などはもういつもと変わらない自分を自覚していた。冷静になった今なら、李苑に繋がる新しい発見が出来るかもしれないなと――ふと、そんな事を思いながら宮を出て。響希は今までと違う何かを鋭く感じ取って首を傾げた。
「何だ?」
「響希?」
 声を上げた響希を誰もが訝しげに見る。だが響希は既に、別の所へと心を飛ばしてしまったようだ。翠沙の声に答えず、視線を彷徨わせる。
「……李苑?」
「え……?」
 ふらりと一歩を踏み出した響希は、そのまま全速力で駆け出した。